交差点に舞う風

ちびゴリ

第1話

───バックします!・・・・ピッピッピッ・・・・バックします!・・・・。



 ギアを慌ただしく入れ替えた途端、通風孔から吹き出す風の音に混じって、後退を知らせる合図が響き始める。ボタンに手をかけ薄暗い窓ガラスを下げると、外の音と熱気が車内に広がった。

 

 季節は六月。


 雨の兆しもまったく見受けられないカラッと晴れたその日は、例年に無い暑さで夏の到来さえ感じさせた。


 拡張もされない県道にある交差点には、派手な絵柄と光り物に覆われた大型トラックが一台。交通を妨げる格好で機械的な女性の声とチャイムを交互に響かせて居る。いわゆる立ち往生という奴だ。変わり際近くでもなかったが、既に曲がる方向の信号が青々と灯っていた。確かに大型の巨体には少々狭いかもしれず、角に立つ出来て間もないコンビニのポールも邪魔だった。しかし、それは所詮言い訳である。そもそもこうなった原因はドライバーの腕にあるからだ。それでも一緒に立ち往生を食らった周りの車は呆然と見守るしかない。気分は穏やかではないにしろ、こればっかりはなす術も無いと言うことだろう。もちろん、悪戦苦闘の状況は運転手も同じである。失態による恥ずかしさなのか、あるいは沸き上がるエンジンの熱か、額には見る見るうちに汗が滲んだ。


 左右のミラーと自らの目で確認しつつ、長いボディーを一メートルほどゆっくりと後退させ、今度は徐々に狭まるポールと脇に寄ってくれた車との距離に気を配りながら、緩やかに白いカバーに覆われたハンドルを回して行く。


 パァーン!


 感謝を示す合図を鳴らし、その図体を進路に沿わせれば、ようやく交差点の中は待ち侘びた車で賑わい出した。


(いや~参った参った・・・・)


 くねくねとした車幅一杯の細い道に、改造したマフラーの小刻みな音が響き始めると、思わず右手で額を拭った。妙な汗の感触だった。やがて視界に二車線の道が開けると、私は心なし肩の力を抜きフーッとため息をついた。そんな気分を象徴するようにトラックは悠々と進んだ。だが、それはわずかなことだった。脇を擦り抜けて行く車から急に左に止まるよう指示が出されたからである。


 ドッ!ドッ!ドッ!・・・・ピュッ!ピュッ!ピュッ!・・・・・・。


 何事かと窓を下げると、


「ちょっとよろしいですか?」


 前を塞ぐパトカーの運転席から駆け寄る歳にして三十代半ばの警官は、当たり障りのない口調でこちらを見上げた。


「あ!?・・はい」


 すぐさま答えた割りにはなんとなく腰が重かった。もしや今来た道は大型車通行禁止だったのではと頭に巡らせてしまったからだ。それでも椅子の脇にある靴を悟られぬよう履きトラックから降りて行くと、容赦ない太陽の熱が体を照りつけた。


「ほぉ~。こりゃ~奇麗になってるな~!」


 助手席からゆっくり現れた幾分顔と体に貫禄を増した警官は、そう言ってトラックを見回し、


「随分いじってあるみたいだけど、相当掛かってるんでしょうね~?」

 と、帽子を取り頭を撫でながら微笑んだ。


「まぁそうですね・・・・あの~何か?」


 どこかそんな表情に安心を覚えたものの、幾分こんな往来のある場所で、パトカーに止められて居る姿はあまりにも格好の良いものではないと、口ぶりをせかすように尋ねれば、


「恐れ入りますが、ちょっと免許証を拝見願いますか?」


 と、若い方の警官はいかにも職務といった台詞を並べた。トラックとパトカーの間に立ち、そそくさと手渡した免許証を見る横では、年配の警官が相変わらず物珍しそうにトラックを眺めていて、


「ハハ・・こりゃ凄いな~こんなとこまでメッキ物だ──」

 などと独り言を呟いている。


「あ、取得はまだ比較的最近なんですね」

「ええ・・・・ちょうど一年ってところでして」

「そうでしたか。──でしたら結構です!」


 若い警官は確認が済むと、すぐに軽く会釈と共にそれを差し出した。


「無免許みたいに見えました?」

「いや、そういうわけでもないんですが───」


 私の質問に若い警官が照れ臭そうに笑った途端、


「実はさっきの十字路での曲がり方が、ちょっとなんて言うか、ぎこちなかったんで一応念のためにって止まってもらったんだよ」

 と、トラックを眺めていた年配の警官が顔を上げる。


「あ・・・・そこの?見られてたんですか。いや参ったな。じゃ~止められたってしょうがないですね。てっきり今来た道が通行禁止だったのかと思っちゃいましたよ」

「いや、あの道は細いけど一応通れるから。だけど一年も乗ってる割りには素人っぽい運転に映ったな~。あんまりこういうのがいくらするかはわかんねぇけど、ちょっと擦ったって大変だろうに───」

「あ・・まぁ一年って言ってもほとんど道は走ってないですから」


「道!?」


「ええ。普段は店の駐車場なんかでちょっと動かすくらいで・・・・実はこれお客さんのなんですよ」

「お客さん!?あ~、おたくのトラックじゃないんだ」

「ええ。普段はやらないんですけど、どうしてもって言われて、仕方なく届けに行くところなんですよ」

「あ~そうだったの。じゃ~くれぐれも擦ったりしないよう気を付けて行ってください」


 二人の警官はその言葉を最後に目の前から立ち去った。

 わずか十五分足らずとは言え、高い位置からパトカーの去る姿を見たときは、ほっと胸を撫で下ろし、なおかつ自らの失態を笑ったりするのだった。外とは対照的な車内がそう思わせたにしろ、教習所の小回りの利くトラックを思い起こせば、二度と走ることの無いコースや教官の顔などが懐かしく駆け巡った。


(あれから・・・・もう一年経つのか・・・・)


 そう思った途端、ある女性が走馬灯のように揺れ、笑みの消えた顔には安堵とは別のため息が零れた。果てしなく遠い記憶にも感じた。


「さ~て、じゃ~収めに行くとしますか!」


 突然、頭に立ち込めた映像を断ち切るように呟き、ゆっくりアクセルを踏んで行くと、腹に伝わるほどの音が車内を包み、ミラーに映る景色の中に黒々とした煙が舞った。


 自ら経営するトラックパーツの店『アートショップK』に戻ったのは、それから一時間後だった。

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