第52話

 突然、部屋のチャイムが鳴り響き、恵理香と私は顔を見合わせた。きっと頭の中は同じ人物が浮かんでいたに違いない。もちろん私はすぐにそれを否定した。私が居る時にわざわざ来る理由が見つからなかったからだ。


「どちらさまですか?」


 恵理香の声を耳に新聞の勧誘か何かだろうと思った瞬間、


「恵理香・・・私──」


 と、耳に馴染みのある声が響く。紛れも無くそれは姉の声だった。


「おねぇちゃん!?」


 姉の不可解な行動を分析しながらも、然程動揺しなかったのは、いつものようにうまくあしらってくれると思っていたからだ。しかし、それも鍵の音と共に一掃された。


「あらっ!? ──お客‥さん!?」


 男物の靴に姉も私が居ることを察したようだ。口調だけでもその気まずさは十分だった。


「ううん、いいの!上がって!」


 恵理香の落ち着き払った声も私には理解出来なかった。次第に近づく足音に私は自分すら見失うほど動揺していた。


「あ‥こんばんは───」


「‥こんばんは」


 顔を見合わせながら何ともばつが悪いと思ったことだろう。二人だけならまだしも、まさかよりによって恵理香の部屋で会うとは、姉自身も思っていなかったに違いない。冷静を装う私とて実際目のやり場に困った。


「ちょっと待ってて、お茶淹れるから」


 そんな状況を知ってか知らずか、恵理香はそそくさと立ち去り、近くに居るとはいえ狭い六畳の部屋の中は私と姉の二人だけになった。


(どうして俺が居る時にわざわざ・・・・)


(あなたこそ、どうしてここに居るの・・・・)


 互いの目はこんな台詞を語っているように見えた。そんな矢先だった。


 恵理香に背中を向けているのをいいことに、私に向かって口をパクパク動かし始めた。身体こそ座ったままだが、驚くような形相は気取った姉とはかけ離れていて、見ている私も反射的に同じ顔になる気さえした。それでも姉の繰り出す三つの言葉が一つに繋がった時は、どうしてここに来たのかがようやく理解出来た。



(く・・・・る・・・・ま‥‥)


 つまりは私の車が駐車場に無かったと姉は言っているのだ。すべては後の祭りと思いもよらぬ偶然を恨めしく思った。


「確か‥おねぇちゃん、はじめてよね?」


「あ‥ええ!こちらの方は?」


 コーヒーを差し出す恵理香に姉が答えた時だった。



「しらじらしい!」


 と、突然恵理香は吐き捨てるように呟いた。一瞬、冷ややかな言葉に部屋が凍りつくようだった。しかし、姉も然るものである。


「フフッ‥。そうだったわね」


 と、何事も無かったように笑い始める。その空気に私は嫌なことが起こる気がしてならなかった。


「島田さんが居るとは思ってもみなかったけど、この際だから一緒に話を聞いてもらうことにしましょ!」


 芝居は疲れると言った後で、姉は本来の用件を話し始めた。


「あなた、お母さんの薬持ち出したでしょ?」

「薬!?・・・・知らないわ」


「ウソおっしゃい!いつもあの薬は私が管理してるのよ!それにあなたが来たことくらいお母さんにだってわかるんだから!」


 私は初めて聞かされる話に呆然となった。


「・・・・薬!?」

「ええ。母親が飲んでる精神安定剤」


「精神安定!? ───」


 私は愕然と恵理香を見つめた。思い詰めた表情で俯く姿に、ふと今まで抱いていた疑問と姉の言葉がおぼろげながら結び付いて行くのがわかった。


「──薬を管理してるって言っても、無くなったらもらいに行く程度で母親も飲んだり飲まなかったりだから、今まで気が付かなかったけど、いつ頃からだったかしら!?妙に薬の数が合わないって思い始めて!?」


 そこで姉はピンと来たのだろう。


「ホントなのか?お姉さんの言ったことは───」


 私は黙り込む恵理香に優しく声を掛けた。


「・・・・ええ」


「やっぱり、そうだったのね!」


 恵理香が頷いた途端、姉はこれで辻褄があったと声を上げた。


「そうよ・・・・でも少しくらい良いじゃない!?」


 姉の声に刺激されたのか、突如恵理香は開き直ったように言い返した。


「少しって!?・・・・あの薬はお医者様から処方されたものなのよ!あなただってそれくらい知らないわけじゃないでしょ!」


「わかってるわ!でも・・寝られるようになるのよ・・・・あれを飲むと」

「ね‥寝られるって言ったって・・・・」


 姉の強い口調が陰ったのは、恵理香の心中を察したのだろう。ただ、私にはそれも何かの前触れとしか思えなかった。


「無断で持ち出したのは悪いと思ってる・・・・だから今までの分もちゃんと払うわよ」


「私は何もそんなことを言ってるんじゃ!? ───」


「だったらなに!?さっきから私ばっかり悪者みたいに!」


「別に悪者なんて!? ───」


「そうじゃない!それに私だって好きで飲んでるんじゃないわ!」


 女性同士の言い争いに戸惑ったのか、私は唖然とするだけで二人の間に割って入ることも出来ずにいた。もっとも二人の眼中には既に私の存在すら無かったかもしれない。


「───それとも眠れなくなったのも、みんな私が悪いって言うの!」


 しかし、恵理香のこの一言だけはさすがに聞き流せなかった。


「そうじゃない!」


 突然の声に恵理香も姉も口を噤んで私を見つめた。


「悪いのは俺だよ。俺がもっとしっかりやってればこんな───」

「違うわ、島さんのせいじゃない・・・・」


 終止符を打とうとしたわけでもなく、口にした言葉は私の本心だったが、恵理香が私を庇うことにより思わぬ事態を招いてしまうのだった。


「それじゃ、私のせいとでも言いたいわけ!?」

「そうよ・・・。泥棒猫みたいに追い回して、あることないこと島さんに告げ口したのはいったい誰!?」


「ど‥泥棒猫だなんて‥ちょっと言い過ぎじゃない!?」

「だったら、妹思いの姉とでも言えばいいの?」


 二人の目は明らかに怒りで満ち溢れている。その興奮による熱気で私の身体は変な緊張を覚えた。


「ハッ‥いいわ!好きに呼んだら。でもあんまり悪態ついてると島田さんに嫌われるわよ」


 とは言え、ここは姉も一歩引いたようだ。恵理香もまた姉の言葉に慌てて自分を取り戻そうと視線を落とした。


「こんな優しくしてくれる人の前で、いつまでもつまらないこと言ってるようだったら、私が代わって付き合っちゃおうかしら!───」


 姉がそう言い終えた瞬間だった。



 パシーッ!!


 恵理香に横っ面を勢いよく張られた姉はそのまま髪を振り乱すように倒れ込んだ。そこへ恵理香が間髪入れずに飛びかかる。


 あまりの速さに私は止めるどころか声も出せなかった。それでもすぐに恵理香を抑えに掛かる。


「いや~っ!!離して~っ!! ──」


 信じられなかった。耳に突き刺さる悲痛の声が私をさらに白くさせたが、夢中で暴れる恵理香の力にも驚かされた。出来るのは必死に宥め続けることだけで倒れていた姉にも声を掛けた。ようやく起き上がった姉は一瞬、恵理香を睨んだ後、髪や衣類を整えながら私を労った。思いのほか冷静に見えたのがせめてもの救いだと思った。


「水月さんも言いたいことはあるだろうけど、今夜のとこは一先ず引き上げてくれないかな?」


 収拾が着かないとばかりに話すと、ほんのり色付いた頬を手で隠すようにして姉はドアに向かって歩きはじめた。


「いやっ!おねぇちゃんの名前なんか呼ばないで!───」


 取り乱す声がどの辺りまで姉の耳に届いただろうか。しばらく身体を強張らせていた恵理香も、時が進むにつれて落ち着き出したのか、抑え込む私の手も恵理香の呼吸も穏やかに変わって行った。幻でも見ていたのだろうか・・・・。今の私はまさにそんな心境だった。


 それほどこのところの恵理香は私の目から見ても異様に映る時があり、その精神不安こそが薬の及ぼす影響に違いないと、冷静になったのを機に残っている薬を出すように話した。やがて恵理香は私に小さな紙袋を差し出した。まだ何錠か残っているらしく指に錠剤の感触が伝わった。


「とりあえずこれは俺が預かっておくから───」


 私の言葉に恵理香はコクリと頷いたが、それを手にした途端、邪魔者みたいに追い払った姉の様子が気に掛かったのか、薬をポケットに入れると徐に立ち上がった。


「どうしたの?」


 気配を感じたのか恵理香は不安げに呟いた。


「いや、今日はこれで帰ることにするよ」


「え!?だってご飯まだなんでしょ?」


 確かに来た時は腹も空いていた。とは言え、私が帰れるタイミングは今しかないとも感じていた。


「ゆっくりしていけるって話してたじゃない」


 恵理香は歩きはじめる私に追いすがった。


「私がおねぇちゃんを叩いたから?」

「いや・・・・そうじゃない」


「だったら‥どうして?」

「───ちょっと用事を思い出したっていうか」


「うそっ!うそよそんなの!」


 私の左腕を恵理香の両腕が掴む。それだけでも帰らせまいとする気持ちが十二分に伝わった。冗談だと言ってやりたかった。でも私はそそくさと靴を履き始めた。


「・・・・奥さんと別れたんでしょ?」

「ああ──」


「だったらお願い・・・・今夜はそばに居て!?」


 扉を前にどれくらい居ただろうか。涙ながらの恵理香の声に諦めの色が滲んだ時、


「そうだ───」


 と、私は多少の気休めになる言葉と笑みを残し部屋をあとにした。



 プロポーズどころか予想もつかぬ展開に、ただ苦笑いを浮かべる私だったが、後ろ髪を引かれながらの足音はどこか物悲しく聞こえた。

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