第7話

 様々な車で賑わう駐車場に乗り入れたのは、六月も終わろうとした頃だった。


 懐かしくも新鮮にも感じられる光景を目にしながら、私は過ぎ去った一年という時間を振り返っていた。車の中で大きく息を吐き出した後、入り口に向かって歩きだす。


 不思議なものだ。


 適度な緊張からか、まるであの日の教習所へ向かうような気がしてならず、つい浮かべそうになった笑いを押さえ込んでいる。スルリと開いた扉に吸い込まれるように足を踏み入れると、店内中央にある広い通路を真っすぐ行かず、左の一際騒がしいCD売り場へと向かう。けれどすぐには入らず、いったん防犯用に設けられたゲートの前から、中に居る客を遠巻きに眺めた。


 その数秒後、私は一人の女性を見据えたまま表情を緩ませると、ゆっくりとその方向へ歩み始めた。無意識に悟られまいとしたのだろう。立ち止まってはCDを見る振りをしたり、時には手にとって眺めたりと、少しずつその距離を狭めて行く。


 そんな私に全く気付くこともなく女性は黙々とCDを見続けている。その女性こそ、いつぞやの電話の主、岩崎恵理香に他ならなかった。


「何かお探しですか?」


 それとなく背後から店員のような口調で声を掛けると、


「え!?・・・・」


 と、肩にかかる髪をやや揺らし彼女が振り返る。


「あ!──」


 そして驚いた顔でも隠すかのように、右手で口元を押さえ、

「こんばんは・・・・もう誰かと思っちゃった」

 と、今度はうれし恥ずかしといった笑みを浮かべる。それは朧げな記憶の中で見た笑顔でもあった。白いブラウスに青いチェックの入ったスカートが清々しく映った。



「こんばんは!しばらくだね」

「ええ──。いつ来たんですか?全然気が付かなかった」

「ついさっきだよ。ま、ちょっと驚かそうかなって。──待った?」

「いえ・・私もほんの少し前に来たとこですから。でもホント・・驚いちゃった。あ・・今日はごめんなさい」

「いや。いいんだよ」

「迷惑だったでしょ?」


 そう言いながら彼女は俯き手にしていたCDを見つめる。俗にQ盤と呼ばれる古いジャケットが目に入った。


「いや。・・・・それはそうと随分懐かしいの見てるじゃない」

「ええ・・・・ちょっと古いのも聞いてみようかなって・・・・でもなかなか見つからなくて」

「そう?──で、どんなやつ探してるん?」

「あの~・・いつだったか車のラジオで流れてた・・・・覚えてます?」

「ラジオで!?・・・・あ~。あれ!」

「ぼんやり聞いてたから歌のタイトルも覚えてなくて・・・・それじゃ見つかるはずないですよね」


 そんな彼女の言葉を聞くか聞かないうち、私は整列したラックを上下左右に眺め、


「たぶん・・・・出てるとは思うんだけどな~」


 と、独り言を言いながら指先を這わせ始めると、彼女も手にしたCDを差し戻し、じっと私の視線の先を追い続けている。やがてスッと一枚のCDを引き抜き、


「これこれ──」

 と、それを彼女に差し出す。


 しかしながら、私は突然そんな肩を寄せ合う姿に気まずさを覚え、一先ず店の外に出ようと促せば、彼女も思い出したようにCDを元の場所へと差し戻した。すぐ後から行くと耳打ちした私は、彼女を先に表に出させ、少ししてから扉をくぐり抜ける。そして薄暗い場所に立つ彼女の元へ歩み寄った。



「そうだ・・・・ちょっと今日は頼みがあるんだけど、聞いてくれるかな?」

「え!?ええ・・いいですよ。私の方も聞いてもらったんですから」

「あの~。今日は助手席に乗せてくれないかな?」

「助手席!?私の?」

「そう。駄目?」

「・・・・いえ別に構いませんけど・・・・怖いですよ。私の運転は」

「フッ・・大丈夫。目を瞑ってるから」


 すると彼女はプッと頬を膨らませ、私の胸の辺りをつっ突いて見せる。無意識にしてしまったこととはいえ、彼女の細い指の感触に妙な刺激を覚えた。


「冗談だよ。実を言うと一度運転するのを見たかったんだよ」


 私は予め考えていた台詞を口にし、少し距離を置いて彼女について行く。

 もっともらしく聞こえる理由も、確かに思っていたことの一つであるが、彼女の車と運転なら良からぬ事態を招く心配もないという他に、どうしても確認しておきたいことがあったのである。白いラシーンは駐車場の隅の方に止められていた。



「開けましたから!どうぞ」


 と、言われるままシートに腰を下ろせば、すぐに私の目はあるものに釘付けになり、同時に懐かしさの入り混じった甘い香りに、しばし言葉を失うのであった。服に残りそうな匂いよりも、なぜか髪を乱す彼女の姿が脳裏に浮かんだからだ。

 車内は思ったよりも広く、それでいて肩の触れ合いそうな距離に狭さを感じた。


「どうしたんですか?」

「あ・・いや別に・・・・綺麗にしてるなと思って」

「そんなこと・・・・いつも乗ってるだけだから・・・・」


 と、彼女は照れ臭そうに笑う。


「そうそう。それにこれ──」

 と、私はルームミラーに吊り下げられた人形を指さした。


「・・あ・・・・プーさん」

「女性らしいっていうか・・・・そうだ。いくらするのか当てて見ようか?」

「・・・・ええ」

「六百八十円。・・・・どう?」

「・・・・・・」

「ハズレた?」

「・・・・いえ・・当たってます」


「そう。──どうして知ってるのか訊かないの?」

「あ・・・・でもこれは島さんのところで買ったんじゃ・・・・」

 話しながら彼女の口調は力無く途絶えた。

「いいんだよ。自分んとこで売ってる奴だってことくらいわかるからね」

「・・・・お店に行ったこと。怒ってる?」

「フッ・・別に怒って言ってるんじゃないよ。ただ・・・・」


「ただ!?」

「誰だったんだろうって、ずっと気になってたって言うか。フッ・・・・やっぱりそうだったか」

「それで私の車に?」

「いや。さっき言ったのは本当だよ」

「そう・・・・でも良かった!髪・・切ったんですね」


 安心した顔を浮かべながら彼女はベルトに手を伸ばした。


「あ・・ああ。ここんとこちょっと暑かったから。いずれにしろこれは返金するから」


 私も胸のつかえが取れたように、明るく声を掛ける。


「え!?だめですよそれは。だって・・そんなことしたら・・・・そんなことしてもらうためにお店に行ったんじゃ・・・・私はただどんなお店なのかって見に・・・・」

「わかったよ。じゃ~返金はやめるよ」


 賢明に話す姿が意地らしく思えたのか、私はすぐに笑いながらポケットに手をしまい込み、


「ま、その代わりと言っちゃなんだけど───」

 と、『ワールドブックス』のロゴの入った袋を彼女に差し出す。


「何です!?これ!?」

「探してたんだろ?南沙織のCD」

「・・・・買って来たんですか?」

「まぁね。これは返金の代わりだから・・・・もし要らないって言うんだったら、戻って三波春夫か何かと取り替えてくるけど──」


「え!?島さん。そんなの聞くんですか?」

「いや~聞かないよ~。ただ言って見ただけ」

「アハ・・・・いやだ。本気にしちゃうじゃないですか~!」


 楽しそうな笑い声が車内に響いた。


 やがて笑顔と適度な緊張を乗せた車は、私の指示のまま早くも遅くもないスピードで夜道を走り続ける。やや感じていた蒸し暑さもいつの間にか忘れ、他愛もない話を並べながら、私はあまり見た記憶のない真剣な目と、ハンドルを操る白い指を横でぼんやり眺めていた。


「ここも真っすぐでいいんですか?」

「・・・・ああ。もう少ししたら右に曲がるから」

「はい。・・・・でもお茶に誘った私の方が、道案内してもらってるなんておかしいですね」

「いいんだよ。俺も教習所がどうなったのか、訊きたかったってのもあるんだから」

「どうなったのか?」

「そう。いろいろ変わったところがあるみたいだし」

「変わったところ・・・・」

「う~ん。例えば駐車場が舗装になったとか」

「あ~!」


 初めて乗る助手席の雰囲気に慣れて来ると、しまい込んだ携帯が急に気になり、それとなく取り出して眺めた。久しぶりの再会に気を奪われ、電源を切ったのかも忘れてしまっていたからである。


「電話ですか?」

 と、横からの声に、

「いや!」


 と、何事もないように答え私は外の景色に目を移す。見慣れないアングルから眺める景色が、新鮮に流れ去って行く中、どうして今自分がここに居るのだろうかと頭に巡らせていた。そしてつい数日前の出来事を思い出すのであった。

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