第15話

 翌日、私は眠い目を無理にこじ開け『ナポリ』という喫茶店に足を運んだ。


 常連客の似合うこじんまりした店内のカウンターで、頼んだモーニングのセットを前にぼんやりと煙草を吹かしている。寝不足なのだろう。ガムシロを入れたコーヒーが苦く感じた。


「あれ!?そういや日曜のこの時間なんて珍しいんじゃない。島さん」


 厚手のトーストを頬張ってる時、思い出したようにマスターが声を掛ける。一見頑固そうな五十過ぎのオヤジといえば察しやすいか。それでいて話すとあまりにも気さくなため、つい立ち寄ってしまう店。それが『ナポリ』である。


「あ、いつもは夜だったっけ。いや~今日は誰も家に居なくて~」

「起きたばっかりと見えんね。さっきからアクビばっかりして」

「ハハ・・ま、そんなとこで」


 私は照れ臭そうに笑い、大半がキャベツであるサラダを口にする。酸味溢れるフレンチドレッシングが寝ぼけ気味の顔を変えた。


「あれ!?圭ちゃんも来るの?」

「いや~特に約束はしてないんだけど、どうだろ?そのうち来るんじゃない?しかしこのドレッシングは酸っぱいよねぇ!」

「またあんなこと言ってら~!どうせ『ナポリ』って店にフレンチは合わないって言いたいんだろ?」

 と、マスターは口癖でもあるフレーズを零し笑った。

「島さん。お代わりは?」


 汗をかいたグラスを引き寄せ、ゆらゆらと掻き混ぜたコーヒーを見つめていると、昨夜の一コマを思い出すのであった。そして知らぬ間に私は二人で過ごした時間へと帰って行く。もちろん帰宅してベッドに横になってからも同じで、いつ寝たのかすら覚えていない。


 仕事の後のあの夜更かし。本来ならぐっすり寝られるはずなのに、人間の体とはつくづく不思議なものだとストローを咥える。退屈でも無い。しかし、一人で居る時間はやるせなかった。こんな時、気の合う相棒は何かと頼りになったりするものである。


「お!島さん。噂をすればで、来たよ何とかイエローの車が」


 マスターに言われ扉の方へ顔を向けると、足早な圭ちゃんの姿が映し出され、


「ビンゴ!」

 と、私を見るなり我ながら良い勘だったことを告げる。とは言え、その普段と違わぬ表情はどこか演じているようにも見えた。


「もしかしたら来るんじゃねぇかな~って思ってたよ」


 一瞬交える瞳の中にも、薄々私が何を訊こうとしているのかが伝わっていると思った。 それを証拠に私も、その話はもう少し待ってくれというのがわかったからだ。


「マスター!俺もおいしいモーニング!」


 そう言って私の隣に腰を下ろしながら慌ただしくタバコに火を点け、


「真由美さん帰ってるって言ってたでしょ、フゥ~~~ッ。だからもしかしたらここに来るんじゃないかな~って・・・・あれ!?どうしたんですか島さん?目が腫れぼったいみたいですよ」

「あ~。いや・・ほらまた映画見ててさ~。それでつい調子に乗って見てたら朝んなっちゃって──」

「映画三昧ですね~。連チャンじゃ!──」

「あ、そうそう───」


 弾み出した会話に肝心のことをと切り出すものの、カウンターに出されたセットに口を噤んだ。


「ところで何の映画見たんです?」

「ん!?あ~・・・・ほら何てったっけ?それより──」

「わかってますって。例の話でしょ?あ~そうだ。時期にここに来ますよ」

「時期に!?・・・・誰!?例の子?」

「違いますよ~。シジミちゃん」


 そう言って圭ちゃんはムシャムシャとトーストを食べ始めた。


「浅利が!?なんでまた?」

「いや~・・・・実は昨夜ばったり会っちゃったんですよ。その・・なんて言うか・・食事に行った店で──」

「へぇ~。何?浅利は一人だったん?」

「いえ。友達みたいな奴と一緒でしたけど、俺もよそよそしく澄ましてたから気になったんでしょうね。あとで携帯に誰なんですかって電話来て。フッ・・だから言ったんですよ。今日ここに来いよって──」


 何げなく私は外に目を向ける。暑い日差しの中、夏服を纏った数人の女性が通り過ぎて行く。近くのブティックにでも来たのだろうか。涼しげに靡く裾を眺めていると、


「昨夜は悪かったですね」

 と、申し訳なさそうに圭ちゃんが言う。


「いいんだよ。それに行けってけしかけたのは俺の方だぜ。どうだった?」

「あ、思ってたより話も弾んでなかなかでしたよ。それに島さん───」


 内緒話の格好で身を寄せた圭ちゃんは、


「・・これからも付き合ってくださいって言われちゃったんですよ」

 と、私の耳に小声を漏らした。



「まぁ~~!!」

「マァ~ッ!!」


 そんな共に同じような顔でお茶らける二人を、マスターは遠巻きから眺め笑っている。 込み入った話のときは決して口を挟もうとしない。それがまたマスターの良いところでもある。


「じゃ~!?」

「ええ。一応そういうことになって、まぁ島さんには感謝しなきゃなんないなと。どうです今夜辺り?そのお礼も兼ねて──」

「いや、今夜はまずいな~。真由美が帰って来るし、俺も今日はその話を訊こうって来ただけだから・・・・しかし、大胆だな~」


 ため息混じりに出た台詞に、つい昨夜の彼女を思い出し、考えたら自分も似たような状況にあったのだと思った。いや、驚きだけでいうなら私の方が上だったであろう。


「いや~ホント。パッと見た感じそんなタイプに見えないですからね~。どっちかって言うと智美なんかの方が、そんな感じですけど、あれはあれでハッタリかましてるようなところがあって───」

「あ、そう・・・・智ちゃんの方は大丈夫なん?」

「しばらく連絡もないですからね~。俺のことなんか忘れてるんじゃないですか?」


 派手な見た目が虚勢であるとするなら、ずっと圭ちゃんからの連絡を待っているのではないか。もしそうだとしたら・・・・。私は素直に諸手を上げて喜べなかった。


 控えめな格好の浅利が扉から顔を覗かせたのは、ちょうどその時で、私達を見つけるなり、


「なんだ。島田さんも一緒だったんですか?」

 と、窓越しから外に止めてある車に視線を送る。

「なんだはねぇだろ~。すぐわかんなきゃ?白のメルセデスで~」

「メルセデス!?・・・・あ~!ハハ・・庶民的じゃない車は目に入らないんで──」

 

 浅利はそう言って笑い、圭ちゃんの隣に腰を下ろす。


「そうだ。栗原さん。昨夜の人って──」

「も~、来る早々シジミちゃんはこれなんだから。まずはほら何か頼まないと」

「あ・・え~とじゃ~同じやつで──」

「同じやつって・・まったくちゃんと言わなくちゃ。マスター!スペシャルディナーコースをこちらのお客様に!」


 圭ちゃんの派手な頼み方もそうだが、真面目に受け取るマスターの態度に浅利は目を白黒させている。


「ディ・・ディナーってまだ昼前ですよ・・・・。それにこれってコースなんですか?」

「いいんだよ!それで伝わるんだから!も~、やだな~シジミちゃんは、休みの日までネクタイなんかしちゃって~」

「いや~。なんて言うか習慣みたいなもので・・・・この店ってよく来るんですか?」

「まぁ、隠れ家みたいなとこでね」


 普段し慣れないタイが目に付いたのか、微笑ましい表情で浅利をからかった圭ちゃんは、やがて真面目な顔でこう話し始める。


「実は・・昨夜一緒に居た子は、うちのお客さんなんだけど───」


 二人のやり取りに耳を傾けながら、私は残り少なくなったアイスコーヒーをゆっくりと掻き混ぜていた。


「お客さんなんですか?」

「そう。それで店に置き出したマスコットが、どの程度の評判なのか調べようと思って、会社に持ってって女子社員を対象に訊いてもらったんだけど───」

「どうでしたか?評判の方は?」


 浅利は知らぬ間に仕事の顔付きに変わっていた。


「評判はなかなか良くて欲しいって子が居たらしいんだけど・・・・ちょっと価格に対しての価値が薄いというのか───」

「ま、他所で売ってない分、多少価格は高めになってるかもしれないですけど、割りと手頃な値段だとは思うんですがね~」


 根も葉も無い話をそれらしく聞いていられたのは、食事の後に訪れた睡魔のせいなのだと思った。


 二人にそのことを告げ、一人家路に向かって走り始めた私だったが、さすがに虚ろな視線に四十分も掛かる道程はこたえた。後悔しても始まらないと、なんとか無事にたどり着くものの、留守の蒸し暑い家の窓を開けることもなく、私は畳のある部屋にそのまま倒れ込んだ。

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