第36話

───「で、こんな深刻な話の後で言うのも、なんなんですが──」


 ちょうど喉が渇いたと、自販機の前でコーヒーを飲み始めた時、圭ちゃんは勿体振ったような口調でそう切り出した。全ての話は終わったと思っていたせいか、私は何も考えずに尋ねはしたが、今にすればこれが本題だったと思えなくも無い。


「実は・・その~・・。なんて言いますか──。智美と・・結・・婚・・することに」


 もちろん意表をつかれた私の驚きたるは相当なもので、時間が止まったとさえ錯覚するほどだった。


「結婚!?」

「ええ・・まぁ・・」


「まぁ~って、いつ?」

「いや・・まだ決まったのはつい最近で」


「違うって。その~日取りって言うか?」

「あ~。一応来年の春辺りにと」


「春・・・・春かぁ~!!そうかぁ~決まったか!!」


 先程までの空気が瞬時にして払拭されたかのように、私は喜びを露にした。全身に張り巡らされて行く幸せによって、今にでも跳び撥ねてしまうくらい、私の身体は喜びで満たされていた。


「フッ・・。ったく、こんな良い話を黙ってるんだからな~」


「いや~別に出し惜しみしてたわけじゃないんですけど、その~話すタイミングと言うか、俺の話なんかより島さんとこの方が重大ですからね」


「フッ・・。何言ってんだよ。このビッグニュースに比べりゃ~俺んとこなんて・・・・。あ!?ひょっとして──」


「まぁ、出来たら出席してもらいたいですからね・・・・真由美さんにも」


「そうだな・・・・。圭ちゃんの式なんだからな。ま、心配すんなって。そん時は襟首掴んでだって連れてくから」


 そう言って笑うと、私は飲みかけの缶コーヒーを目の前に翳し、


「何はともあれ。おめでとう!」


 と、互いの缶を軽くぶつけ合った。


 クァン!!


 変哲も無い缶の音が、私の耳に心地良く響いた。



 蒸し暑い夜に交わされた会話を知らぬ浅利は、昼近くになってから頼んだ商品を手に現れたが、いつもとは違う雰囲気を感じ取ったらしい。


「あれ!?今日はなんだか二人とも機嫌が良さそうじゃないですか」 


「そう!?別に普段と変わんねぇけどな~圭ちゃん?」


「そ、気のせい!気のせい!」


 ここ数カ月ですっかり把握したのか、浅利は私達のやり取りを耳も貸さぬといった表情で眺めている。


「あ!さては昨夜何か良いことがあったでしょう?」


「昨夜!?フッ・・」


「ほら!やっぱりそうだ!」


 何げに惚けはしたものの、詮索する顔があまりにおかしくて、つい私は笑いを漏らしてしまう。


「あ、ちょっと待ってください。勘の良いついでに当てて見せますから」


 してやったりと、私達を制止するかに右手を挙げた浅利は、あれこれ考え込む素振りを見せる。


「う~ん・・・・栗原さんのそのニンマリした顔からして───。あっ!もしかして若いお姉ちゃんをナンパしちゃったとか?」


「おっ!今日は冴えてんな~シジミちゃん!」


「え!?・・・・ヴェ~~ッ 」


 当たるはずがない。思わず発した突拍子もない声は、浅利の心境を十分過ぎるほど物語っていた。


「昨夜は誰かがドライブに行かないって言うから、後ろががら空きだったしさ~!でもなかなか可愛い子でしたよね~島さん?」


「スタイルもグー!だったしな!」


「二人とも足長かったですね~」


 生半可の会話では騙せぬとばかり、私達の芝居は熱を帯びる。浅利もまたそれを見極めようと賢明だ。


「あ~わかった!どうせ栗原さんの彼女だとか言うんでしょ?」


「俺の!?智美とはちょっとピチピチさが違ったかな~」


「ピチピチ!?」


「ピチピチって言うか、ツルツルって言うか~!えがったですよね~島さん!」


「あ~、えがった!えがった!」


 圭ちゃんの怪しげなゼスチャーに傾き掛けた浅利も、


「ちょっと、二人とも東北人を馬鹿にしてるでしょ?」


 と、さすがにぎこちない方言に、怒りながらも笑顔を振り撒く。もちろんこんな態度も以前には見られなかったことだ。


「あれ?シジミちゃんって東北人だったん?」


 すかさずボケて見せる圭ちゃんも、私と同じことを感じていたに違いない。それほどこのところの浅利は一段と身近に思えてならず、いっそのこと社員にとつい心が揺れ動いたりするのである。



 夕方、圭ちゃんは店のシャッターを閉める早々、


「あの~・・・・島さん。今夜のドライブなんですが───」


 と、申し訳なさそうな顔で口を開いた。その表情に言わんとする台詞を察した私は、


「あ~そうだな!そろそろ行ってやんないとな」


 と、ニヤリと圭ちゃんを見て笑う。


「いや、俺は別に構わないんですけど、智美の奴がその~」


「またまた~!早く会いたいってちゃんと書いてあるぞ!」


「え!?どの辺ですか?」


「あ~この辺!この辺!」


 笑いながら自分の目の下辺りを指さすと、圭ちゃんは緩んだ顔を引き締めるように、指摘された部分を手で擦った。


「フッ・・よく顔洗ってから行けよ!あ~それから智ちゃんに謝っといてくれ!」

「・・・・謝る?」


「そう。気が利かないで悪かったってな」

「何言ってるんですか!そもそも誘ったのは──」


 圭ちゃんはそこまで話すと、突然ニヤリと笑い、


「じゃ~真由美さんにも謝っておいてください」


 と、してやったりの笑みを浮かべ店を飛び出して行く。いつになく軽い足取りに見えたのは、漂う幸せが見せた錯覚だろうか。私はいつまでも店の前に立ち、遠ざかる白いBMWをじっと見つめていた。


 爽やかに吹き抜ける風の中で煙りを靡かせ、気を取り直したかに店内へと戻った私は、正直どこか手持ち無沙汰であったが、ここ数日のドライブを始めとする時間は、ある面良い休息を与えてくれたようだ。それが証拠にいつもは仕事を終え一人になると、意味もなくタバコを吹かし見出せない答えを探してた私が、陳列してある商品をあれこれ眺めながら歩いているのである。ただ実際は仕事のことなど一切頭に無かった。きっと重々しい気分から解放されるだけで良かったのかもしれない。あてもなく歩き回っていた私は、ふと目にしたマスコットに足を止め、


「そうだ──。今日は寄って行くか」


 と、ポツリ。不思議とその時は感情など無く、無意識に出た台詞に近かった。


 車に乗り込みキーをひねると、まるで何かに操られるかに恵理香の部屋を目指していた。生きているのか死んでいるのかもわからない不可解な時間だった。

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