第15話 宣戦布告

 ダイニングテーブルに並ぶ紅茶は4つ。シルヴィアとミレイアの分は無いのは、話し合いの席に参加していないからだ。2人は今、花壇の華を愛でている最中である。少女達の愛くるしい笑い声は周囲を和ますのだが、それも限界はあった。

 瞬きもなく睨むアルフ。視線だけで釘付けになり、頭を下げたままで固まる狂犬の牙、もといフレッド達。純粋な殺気が呼吸すらも奪うようであり、先程から喘ぐような息遣いが激しい。


「まぁまぁお2人さん。冷めないうちにお飲みなさいな」


 この状況でリタの柔和さは有用だった。世界のありとあらゆる物事を受け止めそうな笑みは、冷え固まった心には暖炉の様に見えたろう。フレッドは自由にならない指先で革袋を乱雑に開け、取り出した小袋を卓上に置いた。ドサリと豊かな音が鳴る。


「ここに1万ディナあります。雇い主に渡された全額です、これでどうかお許しを!」


 裏返る声で誠意を見せたのだが、熱意の大部分は素通りしてしまった。そして届いた分も関心を惹くどころか、怒りを助長するだけだった。


「ほう。うちの子らに迷惑かけた不始末を、こんなもんで片付けようってのか」


「ひぃ!? 滅相もありません、はい、これはお近づきの印みたいなもんでして!」


「金なんか要らねぇ。それよりも、事の顛末を洗いざらい喋るんだな」


「それはもう喜んで!」


 もはや選択肢など無い。フレッドは王宮での一幕を包み隠さずに告げた。トルキンが口にした侮辱も敢えて語ったのは、怒りの矛先を反らすためだ。しかし魔王の矛は巨大過ぎるために、ブレッドごと貫きそうである。


「混じり者だと。確かにそう言ったんだな……!」


 静かな返答は静かな怒りに満ち溢れていた。その代わりに一変した周囲の光景が、まるで危険を察知したかのように騒がしくなる。

 猛々しく膨らむ魔力に呼応して、まずはテーブルが音を立てて揺れた。カーテンがレールを鳴らしつつ靡き、部屋の隅に置かれた観葉植物も倒される。そして卓上のティーカップがゆっくりと持ち上がり、天井付近をたゆたった。

 それはペコタンにとってお手頃な遊び場となり、持ち手の輪をくぐるなどしたのだが、リタが手早く回収したことでお預けとなってしまった。ノンキ極まるペットは、主の怒りなど意に介さず「ペコォォ」と寂しげに鳴いた。


「殺す、必ず仕留める、容赦なくすり潰す。この世の果てまでフッ飛ばして燼滅(じんめつ)させてやる」


「まぁまぁアルフ。そんな怒らないの。怯えちゃったらお話ができないでしょう」


 リタはことさらに明るく振る舞うと、卓上の袋に手を伸ばした。


「まぁすっごい。全部金貨なんてお金持ちねぇ」


「おいリタ。ややこしくなる、それに触んな」


「そうねぇ、諸経費分だけいただこうかしらね」


 リタは袋の中から1枚だけ抜き取ると、残りを全て差し戻した。これにはフレッド達も理解が及ばず、眼を白黒させてしまう。


「残りは大事に持っておきなさい。しばらく逃亡暮らしになるかもしれないから」


「リタ、勝手な真似すんなよ。こいつらを許すと決めたわけじゃねぇぞ」


「あらそうなの? それだとシルヴィが……ううん。仕方ないわね。アナタが決めた事だもの」


「おいっ。その言い回しは卑怯だぞ」


 アルフレッドも流石に学んでいる。これはいつものパターンだと。しかし予見していてもさほど意味はない。懸念を提示されてしまえば考えずには居られない、彼はそういう性質(たち)なのである。


「ねぇアルフ。彼らはね、シルヴィにとって美味しいお菓子をくれた優しいお兄さんたちな訳。悪巧みも未遂だったからね」


「それがどうした」


「そんなお兄さんたちが亡くなったと知れば、あの子はどう思うのかしら。幼心は傷つき、閉ざされてしまうかも……」


「いくら何でも考えすぎだろ」


「そうね、平気よね、ごめんなさい。心配なのよ、あの子の真っ直ぐさが損なわれそうな気がして」


「ぐっ……!」


 アルフレッドにはこれだけで十分である。あらゆる不安材料を遠ざけたい父心には、特に彼のような子煩悩であれば、たった一言でも万倍の力で刺さるものなのだ。


「クソが。さっさとどこへでも行っちまえ!」


 アルフレッドは吐き捨てる様に言ったのだが、リタが更に食い下がる。


「それだと不十分かしらね。仕事に失敗した2人はどうなるの?」


「たぶん、処刑されちまいます。オレ達揃って」


 フレッドは青ざめたままだ。魔王に許されたとしても、今度は雇い主のトルキン王が問題になる。おめおめと逃げ帰れば、怒り任せに殺される事は容易に想像できた。


「めんどくさっ。だったらオレが城に乗り込んで、トルキンとかいうゴミ野郎を殺してしまえば良い。そうすりゃ話は解決だろうが」


「それは獣のやり方よ。世界で唯一の魔力を誇る絶対的王者の取るべき手段では無いわ。宣戦布告の1つもしなきゃ」


「だったらどうしろってんだよ」


「いい考えがあるの。こんな案はどうかしら?」


 リタが3人に妙案を示すと、場の空気はどこか曖昧なものになった。


「それ、マジで言ってんのか……」


「面白いと思わない? もちろん演技力が必要だけど、魔王っぽいじゃないの」


「まどろっこしい。正面から戦うんじゃダメなかよ」


「アナタの初陣じゃない。雰囲気を大事にしなきゃ名前に傷がついちゃうわ」


 リタは乗り気でないアルフレッドをそのままに、正面に顔を向けた。


「どうかしら。協力してもらえると、私としても助かるのだけど」


 彼らに否はない。返答は「やります」か「やらせていただきます」の2択である。


「もちろんやります。誠心誠意、必死にやらせていただきます!」


「そう、気に入ってくれたようで嬉しいわ」


「リタ。気に入った訳じゃないと思うぞ」


「さぁてと。次はアシュリーに声をかけなきゃ」


 リタはダイニングを後にすると、今度は2階の一室へと向かった。階上から聞こえる罵声は1階までよく響いた。それからしばらくして、静けさが戻ったかと思えば、リタが上から降りてきた。


「おまたせ。あの子が快く引き受けてくれたから、早く仕上がったわよ」


 戻ってきたリタの手には小さな首飾りがあった。


「ウソつけ。アイツすげぇ怒鳴ってたじゃん。なんて言いくるめたんだ」


「ええと、コレの使い方を教えるわね。ここの仕掛けをずらすと光るでしょ。それから、裏側を強く押すとね……」


 リタは飾りを片手に説明をした。平凡で、特に目立つことのないそれが、この件の肝となる道具である。フレッド達は動作感を確かめ、使用法を頭に叩き込んだ。


「それじゃあ任せたわよ。とびっきりの演技をお願いね」


「ハハ、ハ……。やってみせますよ、なぁクゥス?」


「殺されるくらいなら、こんくらい余裕ですってば」


「じゃあ早速、監視の眼を欺かなきゃね。アルフ、準備は良いかしら?」


「ハァ……いつでもどうぞ」


 その言葉をきっかけに皆が動き出した。リタの考える妙案が実行されたのである。

 まずはフレッドとクゥス。2人は何食わぬ顔で家を後にした。周囲にシルヴィア達が居ないことを確認すると、一目散に逃げ始める。行き先は南、レジスタリア方面である。

 それを神速の勢いで追いかけるのはアルフレッドとリタ。風よりも素早く疾走し、遂には侵入者を捕まえた。監視の騎士団からギリギリ見える位置での事だ。


「さぁアルフ。迫真の演技をお願いね」


「この魔王に楯突く愚かなる……」


「ダメダメ。もっと本気でやって」


「クソッ。むごたらしく死ぬ覚悟は出来てるだろうな!」


 次の瞬間、辺りには風の刃が暴れまわった。それらはフレッド達を掠めるだけで直撃はしない。続けざまにリタが紅茶の残りを塗料にして、討ち取られた演技をする2人の頬に、意味深な文字列を書いた。


「こ、これが魔王の力……強すぎる……!」


 膝を折って倒れる姿を、アルフレッドは冷めた眼で睨み据えた。それから魔狼を呼び出すと、短く吐き捨てた。


「森の外へ捨ててこい。南の方だ」


 ここでアルフレッド達のお役目はひとまず終了。慣れない演技の後に大きな溜め息を撒き散らし、後ろ首を掻きながら帰っていった。

 一方でレジスタリア。王宮は大変な騒ぎになった。あの狂犬の牙が何の成果も得られず、瀕死の重傷を負って戻ったのだから。王はまず治療を命じた。助けようとしたのではない、事の顛末を問い詰める為だった。


「おい、まだ回復しないのか!」


「はい陛下。おかしな事に、深傷を負ってはいないのです。取るに足らないものばかりで、致命傷と言えるものは1つもありません」


「ちゃんと調べろ。どう見ても普通じゃねぇぞ!」


「もしかすると、頬の文字が問題やもしれませぬ。見たこともない術式なのですが、魔王のみに操れる呪い等、何かしらの魔法を浴びせられた可能性が……」


 そこでフレッドはこれ見よがしに痙攣し、ベッドを強くきしませた。瞳孔を開くとともに歯を剥き出しにする様子は、さながら狂犬のようだ。

 そこから更には暴れ出したので、治療師が2人がかりで抑え込むのだが、力は思いの外に強く押し戻されそうになる。喚き声も聞くに堪えない程に荒れており、会話すらも不可能であるのは明白だ。


「陛下、最善は尽くします。しかし助かる見込みは低いかと」


「死なせても構わねぇ。ただし、何があったかは絶対に聞き出せ。さもなくばお前も同じ運命を辿る事になるぞ!」


 トルキンは忌々しげに背を向け、立ち去ろうとした。すると背中越しに「吐いた、吐いた」と聞こえてくる。チラリと眼を向ければ確かに、フレッドの口元には白い塊が落ち、唾液の糸が橋をかけた。

 その正体は例の高級菓子だ。うつ伏せになって菓子を置き、唾を垂らしただけの事だ。平時であれば子供騙しにもならないイタズラなのだが、困惑しきりの治療師達を騙すには十分だった。うめき声に混じり、何か訳の分からぬものを吐き出した様にしか見えなかった。

 そして異変はそれだけに留まらない。


「えっ……起き上がった……?」


 言葉に喜びの響きは無い。驚愕一色だ。なぜなら、先程まで重篤な症状を見せた2人が、同時に身を起こしたのだ。それだけならまだしも、両者とも鏡併せのような動きを見せ、ベッドの上で向き合った。白目を向き、ヨダレを垂らしながらであるので輪をかけて面妖だ。

 室内はもはや恐怖が支配していた。謎ばかりの症状に頬の文字列。魔王の人智を越えた所業に誰もが戦慄するばかりだ。

 そんな中で一筋の光が煌めいた。フレッドの胸元である。最後の仕掛けは、恐怖と狂気が渦巻く中で実行された。場違いな程に柔和な声が響き渡る。


――ええと、ねぇアシュリー。これって録れてるの?


――大丈夫ですから。さっさと声入れてくださいよ。


――そうね、コホン。ご機嫌麗しゅう、愚鈍なるレジスタリア王よ。卑劣にも幼子に害を及ぼしたこと、真に許しがたき所業。この咎は身をもって償うべし。必ずや魔王の手により御身を八つ裂きにし、亡骸を悔恨の海へと沈める事でしょう。では御機嫌よう。


――はい、終わったらそこの仕掛けを動かしてください。


――そこじゃ分からないわよ。あら、光っちゃった。


――あぁもう、貸してくださいよ!


 そこで音声が途切れると、フレッドとクゥスは同時に倒れ込んだ。

 その場に居た全員は更に困惑し、錯乱する直前にまで追い詰められた。その中で1番冷静だったのは、名指しされたトルキンだった。


「何だったんだ、今のは?」


 それは全員が感じたことだ。ついでにフレッド達も、ベッドに埋まりながら思う。今ので大丈夫か、本当に騙せるのかと。そんな不安がひとつのアドリブを促したのだが、結論、それは絶妙に作用した。


「う、うわぁ! なんだこれ!?」


「おい、オレだけじゃない。お前の腕にも付いてるぞ!」


 先程の菓子を千切り、何人かに擦り付けたのである。裏側を知らない者からすれば、恐怖は際限なく膨らみ、パニックを引き起こしてしまう。ただでさえ理解不能な出来事ばかりなのだから。


「もうダメだ! これは魔王の呪いなんだ、皆ここで死んじまうんだぁ!」


「落ち着け、深呼吸をしろ」


「おしまいだ、おしまいなんだ。オレ達はもう……」


「陛下。ここは危険です、ひとまず安全な場所へ」


 治療師長に促された事で、トルキンは配下を連れて部屋を後にした。しかし足取りは怪しく、通路を当てもなく彷徨うだけだ。彼も彼で混乱しているのである。


「お、オレを殺すつもりか……!?」


 宣戦布告の文面は寄り道が多すぎた為に、理解まで時間を要した。やがて理解が追いつくと、素早く指示を出した。


「クソッタレが! 今すぐ全軍を集めろ!」


 全軍の招集、華々しい大戦。それこそリタの望んだものであり、魔王の名を広める絶好の機会である。その瞬間はあと一言で実現するのだ。


「一刻も早く森の魔王共を駆逐……」


 そこでトルキンの口が止まる。クライスが残した言葉がそうさせたのだ。


――5千が5万でも敵いません。無駄に死体を積み上げるだけです。


 今となってはトルキンも納得できた。あの不思議な力を前に戦っても太刀打ちできない。彼は強欲で頑迷だが、鼻は異常な程によく利いた。

 よって、決戦は挑まない。ならば大人しくするかというと、決してそうもならない。リタは見誤ったのだ。人族の、いやトルキンの残虐さを知らなかったのである。


「全騎士団に命ずる。街に火を放てとな!」


 トルキンは逃走を選んだ。しかし焦土するとまでは誰が予想しただろう。

 その夜、何千もの軍勢が一斉に牙を向いた。街の方々で火の手が上がり、闇夜を明るく照らし出す。その異変は、豊穣の森からも十分に見えるほど眩しかった。

 

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