第17話 支配の終焉
レジスタリア東部の平原には大勢の人族が集まっていた。レジスタリア王と主だった者達の夜逃げである。公爵やら伯爵一家だの、肩書上の貴族を護る守備兵は3千あまり。敵は人智を超えた存在とあって、末端兵は青ざめて震え、手にした槍でカチカチと音を鳴らしてしまう。
しかし守られる側の様子は大きく違った。野外に大テーブルを用意して酒食を並べ、社交界のごとく談笑して暇を潰す有様である。
「急な移転とあって馬を調達するのに苦労をさせられた。車両の少ない貴殿が羨ましい限りだ」
「いやいや、家人が一台に荷を詰め込みすぎてな。想定よりも荷車を必要としなかった。その無作法については恥ずかしく思う」
国家の重鎮たちが語らうのは、どこの家の車列が長いとか、あそこの家は名品揃いだとか、金の話ばかり。未来の話をしたかと思えば、それも保身ばかりが際立つ内容だった。
「しかし気がかりだ。我らがグランニアに大挙して押しかけたとして、厚遇して貰えるのだろうか。何かと口実をつけて財を掠め取られては敵わぬ」
「安心召されよ。我らは勇気を持って残虐なる魔王と立ち向かい、惜敗を喫した正義の軍なのだ。あちらの王侯貴族はともかく、市民は我らの味方よ」
「確かに、グランニアは獣人を憎悪しておる。そういった感情もプラスに働くと期待しようか」
「そもそも魔王軍は万国共通の敵よ。こうして一夜にして10万にも及ぶ民草を滅ぼすのだから。なんとも恐ろしきものよな」
「クックック。そうであったな、卿よ。大陸全土に知らしめるには十分過ぎる」
やがて街の方から火の手があがると、一同は歓声をあげた。断末魔の叫び声が聞こえる度に高貴なる人々は、やれ子供が死んだだの、今のは5人は討たれただのと騒がしく嘲笑う。阿鼻叫喚の喧騒も、彼らにすれば他人事でしかなく、酒のツマミかお茶請け程度のゴシップなのであった。
そうして娯楽と見紛う熱気に包まれる中、トルキンだけは輪に加わらず、独り苛立っていた。馬車の中で爪を噛みながら、兵の帰還を今か今かと待ちわびるのだ。
「急げ、急げ、早くしやがれ」
トルキンがとっさに閃いた策は悪魔的だった。山を為す程の財産と、5千程の兵力を保持したまま他国へと落ち延び、行く先々で援軍を求める。自身は大陸最強国家、グランニア帝国に守られながら祖国奪還を狙おうというのだ。
援助を求めるには相応の理由を必要とし、それを魔王の脅威を唱える事にした。根拠には犠牲者が求められる。そこで10万を超える血肉を供える事に決めたのだ。彼にとって庶民など勝手に増えるものでしかなく、手放す事に何のためらいも無い。
この愚かでおぞましき戦略は、人族相手なら成功したかもしれない。最悪、5千の手勢を囮にすれば逃げ切る事も難しくないだろう。だが今回は相手が悪すぎた。魔王の力量を見誤ってしまったのである。
「おや、あの光は何だ?」
先程までの熱気が嘘のように辺りは静まり返った。不吉でしかない気配に、トルキンは馬車の幌から顔を覗かせた。すると、レジスタリアの上空に、常軌を逸した魔法陣が煌めくのを見たのだ。
街の人々にとっては救いの光であっても、トルキンにすれば凶事に他ならない。尋常でない事態から、彼は馬車を飛び降りて近衛兵に詰め寄った。
「逃げろ、今すぐ逃げろ、魔王が来るぞ!」
「陛下、今しばらくお待ちを。まもなく街から騎士団が戻りますので」
「そんなの構ってられるか! 早くしないと取り返しのつかない事に……」
トルキンの嗅覚は一級品だ。皆が呆ける中で、ただ1人だけ魔王の影を感じ取ったのだから。しかし、この時でさえもう手遅れである。
闇夜からブツリ、ブツリという音が聞こえてくる。しなやかで強い紐状の物を力任せに壊した響きで、まるで手綱でも引きちぎったかのようである。
「よし、これでお終い。後はどう逃がすかだな」
「珍しいねアルフ。君がわざわざ手間をかけるだなんて」
「お馬さんには罪ねぇだろ。それよりモコ、どうすりゃこいつらを上手く逃がせる?」
「あそこの大きな馬が居るでしょ。あの子を走らせれば、つられて皆も続くよ」
「よしよし。じゃあ行け、無事に野生に還るんだぞーー」
アルフレッドが尻をつまむと、驚いた馬がいななき、あらゆる馬具を振り落として駆け出した。他の馬も続々と走り出し、後には一頭すら残らなかった。
「テメェ何しやがる、死にてぇのか!」
トルキンは腰の剣を抜いて激しく詰め寄った。手にした宝剣は柄に金銀珠玉が埋め込まれ、いかにも握りにくそうで、ドス黒く染まる顔の方がよほど迫力があった。
「死にてえっつうか、殺しに来たんだが」
「殺しに? 誰を?」
「誰をって、お前を」
アルフレッドは実に晴れやかな笑みを浮かべた。破顔したその表情には微塵も邪気がなく、その代わりに全身からは濃紫のオーラが溢れて猛る。見る者によっては世界一恐ろしい笑顔に思えたろう。
しかしトルキンはここでも見誤る。キルナッサスの報告によれば、魔王はとてつもなく恐ろしい男だという。しかし眼前の人物はどうか。粗末な装いに、特別自慢するほどでもない身体つき。剣で一差しすれば討ち果たせそうな容貌が、彼に自嘲的な笑いをもたらした。
「ハーーッハッハ! 魔王と聞くからどんなヤツかと思えば、貧相で下劣な男だったとはな! これは1杯食わされたわ!」
「おうそうか。お前にはそう見えるか」
「アルフってさぁ、事あるごとに小馬鹿にされるよね。少しは身なりに気を遣うべきじゃないかな?」
「知るか。服なんざ袖が通せりゃ十分だろ」
「小僧、楽に死ねると思うな。延々と拷問にかけてジックリと殺してやるぞ」
トルキンの合図で周囲は兵士で満ちる。数え切れぬ槍の穂先はかがり火を受けて、凶々しく煌めきを見せた。
しかしこの場で最も凶なる存在は、当然ながらアルフレッドである。四方八方を囲む兵士達を見ては、またもや濃紫に包まれた笑みを浮かべるばかりだ。
「さてと、ここで精算して貰うぞ。お前らの罪をな!」
彼が言うのはシルヴィアへの侮辱であって、レジスタリア民に対する罪ではない。それでも壊滅という結果に変わりはない。どれだけ大勢が集まろうとも魔王の敵では無いのだ。
アルフレッドはさり気ない仕草で腕を払った。扇子で仰ぐような、あるいは布でも払うようであったが、効果のほどは凶悪そのもの。動きに呼応して嵐も同然の突風が吹き荒れ、甲冑姿の兵士はもちろん、離れた場所に避難した貴人までもが吹き飛ばされていく。その身体は地面に転べば四肢が砕かれ、大木に叩きつけられれば幹がへし折れる程の威力である。右に左にと仰ぐ度に100人単位の人が消えるのだ。いかに多勢だとしても崩れるしかなかった。
「ひぃぃ! なんだこの力は、ありねぇ! ありえねぇぞ!」
暴風を免れたのは極わずかで、咄嗟に伏せたトルキンもその1人だった。気づけば周囲に護衛はおらず、魔王との間から隔たりは消えていた。死地からはまだ脱していないのである。
「もうお終いか。思ったより呆気なかったな」
「来るな、来ないでくれぇ!」
腰を抜かしてもなお逃げるトルキン、それをゆっくりと追うアルフレッド。どう見積もってもチェックメイトで、王家が途絶えるのは目前のように思われた。
しかし、両者の間に割って入るものの姿があった。まばゆい銀の鎧に身を固めた騎士、それが10、20と現れては壁を作ったのだ。
「そこまでだ、狼藉者め。王には指1本触れさせんぞ」
「へぇ。さっきの攻撃を凌いだのか。意外だな」
「我らは近衛兵、魔装兵団だ。貴様の魔力など児戯に等しいと知れ」
そう語る男たちの鎧には、緑に煌めく宝石が埋め込まれていた。それは魔緑石で、特別な術式により、魔法攻撃を無効化する事を可能とする。
近衛兵はさすがに精兵で、顔つきも別物だ。数を揃え、剣を構える今でさえ、欠片さえも油断を見せなかった。
「あっそ。オレの魔力がみくびられるのは心外だが、良いだろう」
アルフレッドは足元に転がる剣を拾い上げ、片手にぶら下げた。
「お前らの遊びに乗ってやる」
「アルフ、良いのかい? 相手の土俵に立つだなんて、きっと酷い目に遭うよ」
「黙って見てろ」
アルフレッドは、迫りくる近衛兵を待ち受けた。一斉攻撃ではなく、3人で一体となる戦法だった。横並びの陣形で、左右の兵は鏡合わせにした袈裟斬り、中央は縦一閃の動きで斬りかかったのだ。
その動きに対し、アルフレッドは超人的な速度で応じた。横一文字の薙ぎ払いは、3人とも同時に切り裂いた。しかし武器が保たない。たった一撃すらも堪えきれず、刀身が根本から折れてしまったのだ。
「怯むな、敵は丸腰だぞ。かかれ!」
「チクショウが。これでも食らえ、アルフレッド刀剣術ぅ!」
「そんなの無いでしょ。全て我流じゃん」
モコの言う通り、彼には型が無い。しかも壊れた武器で闘うのだ。剣術とは名ばかりで、やった事と言えば柄を握る拳で殴りつけた事くらいだ。剣すらも無関係な戦闘だったが威力は折り紙付き。強化された鎧を容易く粉砕し、1人ずつ確実に倒していく。
「バカな、我らが足元にも及ばぬとは……化物め」
「ふん。楽勝だったな」
「どこがだよアルフ。心得も無いのに剣なんか使っちゃって。割と恥ずかしい戦い方をしてたよ」
「全部倒したんだから文句言うんじゃねぇよ」
「少しは文明人らしくしなよ。エレナにでも剣術を教わってみれば?」
「おう、やれたらやる」
雑談を挟みはしたものの、その視線は獲物を見据えたままだ。這って逃げようとするのを追いかけ、足を踏みつけにして止めた。
「助けて、命だけは助けてくれ。金も宝もくれてやる、望むなら王位だって譲る!」
「要るかよそんなもん。じゃあ殺しちゃいまぁす」
「待て、オレはグランニア相手に顔が利く。望むものは何だって用意してみせる、だから、だから……!」
「オレが欲しいのはシルヴィとの時間だ。お前らと遊んでる間にも、寝かしつけが出来なくてムカついてる所だ」
「そんな、嫌だ、死にたくない!」
それがトルキンの残した最後の言葉だ。ある時は謀略で邪魔者を葬り、またある時は武力を用いて公然と殺戮を繰り返した悪逆の王は、比較的平凡な最期を迎えたのである。
「はぁぁ、やっと終わった。面倒くさかったな」
「この後はどうするんだい? 負傷者の治療かな。それとも顔役と会って今後の話でもする?」
「んな訳あるか。帰るに決まってんだろ、シルヴィを寝かすには遅い時間になっちまった」
「あぁ、うん。知ってたよ。君ってばそういうヤツだもんね」
それから豊穣の森へと向かった所、王都の郊外で人だかりを見つけた。群衆に紛れて見知った顔が見える。
「おいお前ら、帰るぞ」
リタ達に一声かけるなり、アルフレッドはその場を後にした。魔王様と叫ぶ声は全て聞き流し、大きなあくびを晒しながら家路に着いた。
「ただいま……おっとっと」
帰宅したと同時に眼に映ったのは、ダイニングテーブルに突っ伏すシルヴィアの寝姿だ。その隣には並んで眠るミレイアが居り、残ったグレンが足音を殺しながら出迎え、小さな会釈をした。
「ごめんね。さっきまで起きてたけど、とうとう寝ちゃったんだ」
「まぁ仕方ない。それよりも留守番ご苦労だった、何か問題は?」
「何も無かったよ。魔狼が家を守ってくれてたから。ウサギとか通る度に唸るから、ちょっと怖かった」
「習性か、それとも仕事熱心なのか、よく分かんねぇな」
「そうそう、シルヴィちゃんが言ってたよ。『おとさん、お仕事なの。かえったら、いっぱいいっぱい、ほめてあげるの』だってさ」
「そうか……」
言葉少なに腰を降ろすアルフレッドは、そっの微笑みを浮かべた。そしてシルヴィアの頭を撫でながら、小さく囁いた。
「大人になる頃には、少しくらいはマシな世の中になってると良いな」
願うように娘の将来を案じては、溜め息を漏らした。歪な支配構造のない自由な世界、せめて獣人差別のない世の中になってはくれないか、そう祈る気持ちは止められなかった。
だからせめて安らかなる夜を、豊かで幸福な眠りを。その想いは、もはや習慣となって久しい子守唄で表現された。
「ねぇアルフさん。ちょっとだけ良い?」
しばらく、黙って聞いていたグレンが口を挟んだ。
「むむっ何だね。おとさんは今、子守唄に忙しいんだぞ」
「それを毎晩やるなら、一度くらい歌を習うべきじゃないかな」
「えっ……?」
「あぁグレン。そこは言わないであげて」
「だってリタさん。シルヴィちゃんが見たことも無い顔になってるもん」
「温かい目で見守りましょ。幸い、寝かしつけ自体は上手くいってるのだし」
魔王、音痴疑惑。向かう所敵なしの強者であっても、芸術性はそこそこ乏しいようだ。人前で披露した経験など無かったので、言葉を失う程度には衝撃を受けてしまった。
それからは、テーブルの端を眺めながら曖昧に笑うばかりだった。習うなら剣よりも歌か、そんな言葉を浮かべながら。
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