第16話 蹂躙のレジスタリア
燃える、燃える、燃える。建国当時から開かれた老舗の店が紅蓮の炎に包まれ、そこから崩れたガレキが広場の噴水を圧し潰した。噴水から間断なく吐き出される水が、崩れ行く街並みを歪ませつつ映し出す。
貧民窟は既に大火の中だ。家々を燃やす炎は互いに融合し、一切合切を飲み込んでは夜闇照らす火柱となった。星々さえも焦がさん勢いは留まることなく、レジスタリアの街を飲み込もうとしていた。
「魔王だ、魔王が攻めてきたぞ!」
レジスタリア騎士団は、馬上のままで街中を疾走した。手には松明。暗闇を照らす為ではなく、辺り構わず投げつける為だ。実に手際良く火の手をあげ、火勢を更に強めていく。
「魔王の侵略だ、皆殺しにされるぞ!」
なおも騎士団は叫ぶ。どこから見ても人族の所業なのだが、余計な口をきく者など居ない。目撃者である民間人は背中から斬られ、あるいは突かれるなどして、馬群の行く跡に倒れ伏すのだから。最後には大火が全てを焼き尽くすだろう。
「次は北区だ、進め!」
疾駆していく騎馬隊。蹄の音が遠ざかれば、辺りは炎の猛りだけが聞こえるようになる。哀れにも討たれた人々は呻き声をあげるのだが、それすらも炎が飲み込んでゆく。
彼らはただ祈る。助けて神様と、渇いた瞳が空を仰ぐ。迫りくる死の恐怖、そして火炎の舌先。ただただ、絶望から逃れようとするが、言葉にも似た呻きが出るばかり。
その時だ。彼らの願いを神に届いたかは定かでないが、1人の女が夜空から舞い降りた。翼人のみが持つ純白の羽、金塊よりも美しい黄金色の髪。その姿は人ならざる何かの様に思えた。
「うわっ、すっげぇ燃えてんじゃないですか。自分ちに火をつけるとか、ヤバすぎですって」
しかし態度が軽薄だ。早くも雲行きを怪しさを増していく。
「はぁあ。ニンゲンもこんなに死体を散らかしちゃって。あっ、まだ生きてます? 随分しぶといですね」
「う、うぅ……」
「あれあれぇ? もしかして助けてほしいですか? 冗談じゃないですよ、アンタらニンゲン共には散々煮え湯を飲まされましたから。お腹タップタップなんですよ。ちょっとくらい死にかけて貰わなきゃ溜飲が下がらんってもんです!」
「あぅぅ……に……にげ」
「ふふん。もしかして命乞い? 逃して欲しいとかそれ系の? どれどれ、どんだけ見苦しくのたまうか、アシュリーちゃんに聞かせてくださいよ」
恍惚とした表情で少女に耳を寄せたのだが、聞こえた言葉に顔色を変えた。
「にげて、ミーシャ。わるいやつらが……にげて……」
「えぇ……? もっとこう、助けて何でもします、くらい言ってくんないとなぁ」
「アーデン兄ちゃんのとこ、はやく、いそいで」
「……おかしいですね。ニンゲンって狡賢くて、弱っちいくてクソわがままで自分の為なら何でもする。そんな感じのはずなのに」
アシュリーは素直に渋面を浮かべ、痒くもない頬を掻いた。眼前の光景と記憶とで齟齬(そご)が激しい。死の淵にあっても何者かの安否を気遣う姿は、人族の未知なる側面であった。その消え入りそうな声を聞くうち、アシュリーは少しだけ暴言を吐いたことを後悔した。
そして話はまだ終わらない。何者かの気配に振り向けば、そこには満身創痍の女が這いつくばっていた。両足を失った女は赤子を抱えており、片腕だけで石床を滑り、僅かでも火の手から逃れようと必死だった。そのうつろな瞳に映るものなど、もはや何もない。ただ本能の赴くままに進むのだ。命の光が消えるその瞬間まで。
「あぁもう! 分かりましたよ、助けりゃ良いんでしょ!」
アシュリーは手のひらに一冊の本を呼び出すと、それを虚空に浮かべた。すると本は自ずから開いてページがめくれ、途中で止まる。
「しっかり堪能してください、古代人だけが実現した超絶なる回復魔法ですよ!」
呟かれるは失伝した古代語。手元に描く幾何学模様は、宙に浮かんでは消えるのだが、その瞬間に心地よい音がポンとなる。1つ2つと弾けるうち、やがて数え切れない程続くようになり、際限を感じさせない。もはや音の洪水だ。一旦は濁流のように溢れかえるのだが、規則性と言う名の枠組みが出来ると、様相はさらに一変した。
「末代まで語り継ぐが良いですよ、マジのガチでラッキーなんですからね」
乱雑な音はすでに整然としている。規則性がリズムと旋律を定め、音が重なれば調和を生み、荒れ果てた街に豊かな彩りを与えた。
「おい、空を見ろ!」
誰かがそう叫んだ。指差す先には巨大な魔法陣が見える。それは王都レジスタリアの空を覆い尽くしてしまう程にまで膨らんでいた。
これほどの大魔法はアシュリー1人で実現する事は不可能だ。もちろんカラクリがあり、それは首からぶら下げた3つの魔緑石に依る所が大きい。少しばかり恥ずかしい内情には触れる事無く、高らかに叫び、発動させた。
「祝福の光よ、命の煌きを授け給え!」
アシュリーの求めに呼応して魔法陣がほのかに光ると、空から七色に輝く粒子が舞い降りてきた。すると不思議なことに、傷つき倒れた人々が緩やかに身を起こしたのだ。
落命の危機に瀕した人々を癒す様は、まるで慈雨が荒れ地に染み渡るかのよう。うわ言を漏らす少女はその場に立ち上がった。足を欠損した女も復元した身体を不思議そうに眺め、腕の中で眠る赤子も元気な泣き声を響かせた。
「ありがとうございます! お陰様で助かりました!」
アシュリーは、あちこちから寄せられる感謝を見て、横を向いた。手のひらも飼い犬を追い返す風に乱雑だ。
「お礼なんか後にしてくださいよ。まだここは危険なんですから、町の外まで逃げちゃってくださいな」
「でも、門は封鎖されてしまって出られません。逃げ場なんてもう……」
「あぁ、それならね」
その時、遠くで地響きが鳴ると、次いで砂埃が舞い上がった。
「うちのゴリラ女が空けました。今なら通れるでしょ」
「本当ですか、あぁ、どのようにしてお礼をすれば良いのでしょう!」
「だから、そういうのはキッチリ生き残ってから考えてください! ほら行った行った!」
大勢の人々が頭を下げて去っていく。その背中に向かって一言投げかけられた。
「落ち着いたら皆で噂しといてください。魔王の嫁にはアシュリーちゃんが1番だってね!」
こんな状況でも、アピールだけは決して忘れなかった。
場所は変わって西門付近。土煙を跳ね上げながら疾走する姿が見える。エレナだ。彼女は愛剣を握りしめ、退路の確保に懸命だった。
「プリニシア刀剣術、龍爪斬!」
叫びとともに繰り出された重い斬撃は、やはり規格外である。門を塞ぐバリケードを力任せに砕き、ガレキと残骸までも衝撃で吹き飛ばすことで、一応の道を作った。
「生存者は居るか! 元気なものは負傷者を助けろ!」
エレナは火勢の衰えない街中を駆けながら、しきりに訴えた。救援の存在を知った街の人達は、出口だ逃げようと声をかけあい、西門の方へと殺到した。
それらの人々とすれ違う最中、路地裏に倒れる1人の男を見た。
「大丈夫か、しっかりしろ!」
エレナは巨大なガレキを掴むと、渾身の力でひっくり返した。これで男性は自由になる。そう思われたのだが、動き出す気配は無かった。
「どうした。傷でも痛むのか?」
差し伸べた手は強く払われた。男はそれからも両手を着いたままで、立ち上がろうとはしない。流れ落ちた涙で石畳が濡れる。しかしそれも、押し寄せる熱気が消し去ってしまった。
「なんで助けたんだよ、死なせてくれりゃ良かったのに!」
「なんだと?」
「こんな世の中、生きてたってしょうがねぇだろ! オレは家も仕事も全部無くしちまった……だったらいっその事、故郷と一緒に消えちまいてぇよ!」
「落ち着け。今はヤケになってるだけで……」
「こちとら今日まで死ぬ気で働いて、頑張って生きてきたんだ! それなのに、こんな仕打ちなんて、あんまりだ。あんまりじゃねぇかよ!」
この言葉はエレナの胸に刺さった。彼女もまた、つい先日まで生きる目的を見失っていたのだから。アルフレッドという主を得るまでは、生ける屍のようなものだった。だから男の痛みが分かる。
そして分かるからこそ、甘い態度は取らなかった。
「馬鹿者が! こんな所で死んで何になる!」
「知ったような口をきくな、ほっといてくれよ!」
「うつむくな、空を見よ。これだけの奇跡が起きたのだ。お前たちに生き残れという、神の思し召しに見えんのか!」
「神の、思し召し……?」
暗い瞳がゆっくりと空に向いた。そこでは魔法陣が輝き、七色の粒子を降らせて止まない。その光に振れるだけで、腹の底に活力が宿るようだった。
「この一瞬だ、辛く苦しくとも、今この瞬間だけを生き延びろ。命さえあれば良い。他の物は後から付いてくる」
「あぁ、分かったよ。すまねぇ……」
男は足元を怪しくしつつ立ち上がると、群衆の駆ける方へと歩き出した。その後姿を見送ったエレナは、再び前を向いては叫んだ。
「みんな、生きる希望を捨てるな! 魔王軍三傑が一人、エレナがお前たちを守ってやるぞ!」
西門エリアにそんな声が響き渡った。迷いを微塵も感じさせない、凛とした響きだった。
場所は再び変わり、北地区。こちらも火の手が迫り、門が塞がれている事までは同じだが、状況は随分と異なる。
「お前ら気合い入れろ! 絶対に守りきるんだぞ!」
平民騎士アーデンの怒号が轟くと、配下の100名も勇ましい声をあげた。しかし、彼らを取り巻く相手は千を超える大軍だ。気合で覆せる兵力差には見えない。
「フッフッフ。アーデンよ、いつまで愚民どもの味方をする気だ。諦めて投降せよ。命くらいは助けてやらんでもないぞ」
酷薄な視線がアーデンの背後に飛ぶ。そこにはまだ焼けていない家屋があり、内側から幼い泣き声がひっきりなしに聞こえた。
「うるせぇよキルナッサス、殺されたってオレは道を譲らねぇからな!」
「ならば仕方ない。ここが貴様の死に場所よ」
「良いかお前ら、1人10殺だ! そうすりゃオレ達の勝利だぞ!」
「一息で捻り潰してやれ!」
「全軍かかれーーッ!」
両陣営は真っ向から衝突した。その中で、最前線のアーデンは鬼神のごとき活躍を見せた。右に左にと振り回す大斧が、行く手の兵士を次々になぎ倒していく。守るべき存在が、彼に大いなる力を与えてくれたのだ。
「何をしている、こっちは10倍だぞ! さっさと押し潰せぇ!」
号令は悲鳴混じりだ。大将同士の間には20列の兵により隔たれていたのだが、早くも10枚が薙ぎ払われた。さらに1人、また1人と、皮でも剥くように頭数が減っていく。キルナッサスにすれば生肌を削がれている心地であった。
「火矢だ、家に火を放てぇ!」
その命令が分岐点だった。何本もの矢がアーデン隊の頭上を飛び越して、屋根に突き刺さる。燃え上がるのも時間の問題というものだ。
「ちくしょう、やりやがった!」
反射的にアーデンは振り向いてしまったが、その隙は許されない。突き出された槍。いくつかは避けたものの、腿に深い一撃を受けてしまう。
その深傷が彼に這いつくばる事を強いた。そして無防備になった背中を、キルナッサスが土足で踏みつけにする。
「ハッハァーー! 見たか、これが知略よ、私と貴様の決定的な違いだ!」
「この野郎……離せ……!」
「おっと痛いか、苦しいか。刃には毒をたんまり塗ってあるからな、さすがの貴様も動けまいよ」
キルナッサスの言葉はよく通った。それは決死の兵たちが討たれ、最後の1人が斬られた後だったからだ。
「せっかくだ、中の貧民共を1匹ずつ殺してやろうじゃないか。観客もいる事だしなぁ。派手に血の華を咲かせてくれよう」
獰猛な瞳が足元を見た。アーデンをただで死なせるつもりはないのだ。浮かべた表情も、勝ちを誇るにしては酷く醜い。
「やめろ、やめてくれぇ! アイツらが何をしたってんだ!」
「ハッハッハ。死ね、死ね、死んでしまえ! 貴様らゴミどもは、残虐なる魔王伝説の礎となって語り継がれるだろうよ。無力な犠牲者としてな!」
末端兵の手がドアに伸びる。そして開け放とうとした瞬間、いずこから風切り音が伝わった。それは一迅の風となり、兵士の身体を紙くずのように吹き飛ばしてしまった。
「だ、誰だ!」
「ちょっと脅しただけでこの騒ぎとはね、さすがの私も読みきれなかったわ。今後はニンゲンの臆病さも計算に入れるべきかしら」
「誰だと聞いている、名を名乗れ」
「はいはい急かさないの。私はリタ。魔王の配下にして、奥さん第1候補の呼び声も高いわ。以後お見知りおきを」
「魔王だと? 貴様らのせいで私は失脚しかけたのだぞ! 冷や飯を食わされた恨みは忘れようもない!」
リタは殺意を向けられても動じなかった。その代わりアゴ先を指で触れ、やがて大きく頷いた。
「あぁ、そう言えば大勢で押しかけたことがあったわね。指揮官は、逃げ足だけがお上手だったかしら」
「黙れ黙れ! お前たち、さっさと撃ち落とすのだ!」
無数の矢が屋根の一角目掛けて飛んだ。しかしリタは歯牙にもかけず、風魔法の力で余さず弾き飛ばした。そしてさりげない仕草で地に降り立つと、アーデンと視線が重なる。
「あら、アナタは……」
「アンタは、あの時の!」
「なるほどねぇ。何となく対立軸は見えたわ。騎士団の全員が加担した訳じゃなさそうね」
「5百ほど居た仲間はもう全滅した。それよりもアンタに頼みがある、中の奴らを連れて逃げてくれ、幻術とか得意なんだろ!」
「おっと、この私を差し置いてくっちゃべるのは止めていただきたい。底辺騎士のアーデン君」
背中に押し付けた足が強く踏み込まれる。鎧の繋ぎ目に食い込んだ足先が、低いうめき声を呼び起こす。
痛ましい光景なのだが、リタは目の当たりにしても顔色を変えない。声の調子も普段どおりノンビリとしたものだ。
「あのね、一応言っておくけど。私はニンゲン同士が殺し合い、何人死のうとも心は傷まないの。私の種族はアナタ達ニンゲンに滅ぼされたようなものなんだから、当然でしょ?」
「だったらなぜ首を突っ込むような真似を」
「そうね。戦士が刃を交えるだけなら静観するつもりだった。でもね……」
リタは視界の端に眼をやり、窓の向こうを見た。そこは恐怖に震える幼子と、抱きしめて庇おうとする老人の姿でひしめきあっていた。
「無闇に弱者をいたぶる振る舞いには、虫酸が走って仕方ないわ」
「だったら敵か! 総員討ち取れ!」
無数に繰り出された槍がリタに迫る。その刹那、金属音が鳴り、穂先は虚空で止まる。リタに手傷はない。それどころか、全身に紺碧のオーラをまとっており、彼女自身が燃え盛っているようにも見えた。
「なんだ……女のクセに、この力はなんとした事か!」
「ニンゲンって何故か女性相手だとナメて掛かるのよね。それは教育のせい? それともそういう病気?」
「誰でも良い! このクソ女を殺せ、引き裂け、突き殺せ!」
「はぁ……、おいたが過ぎたわね。ちょっとお仕置きが必要かしら」
「誰でも良いから早くやるのだ! 首を獲った暁には100万、いや200万ディナをくれてやる!」
「ほんと言いたい放題に喚くんだから……無様にね。驕るのも大概にしろ、この下等種族めが!」
リタが声を荒げると辺りに閃光が走る。大火すらも陰るほどの光は、一帯を白く染めあげたかと思えば、間もなく消えた。
代わりに姿を見せたのは巨大な狐だ。白い体毛に、顔には幾筋もの赤。尾は紺碧に染まるその姿は、人の住まう家屋を遥かに上回る大きさで、真紅に煌めく瞳も拳より大ぶりなものだった。
人ならざる者。それはこの場において侮蔑の言葉ではなく、恐れだけを伴うものだった。
「我こそは原初の大狐。貴様らニンゲンが束になろうとも、物の数ではない」
「何なんだこの化物は!」
「クッ……幻だ、こけおどしに決まってる! 槍を投げて串刺しにしてしまえ!」
言葉通りに方々から槍が投げつけられた。しかしその全てが、体毛に触れる寸前に粉々となり、散り散りになって消えた。
「うわぁ、こんなヤツ勝てる訳ねぇーー!」
「待て貴様ら、団長たる私を差し置いて逃げるな!」
乗ってきた馬すらも置き去りにするほどに取り乱し、キルナッサスの一団は逃げ惑った。
それを見送ってやるほどリタの心境は穏やかではない。逃げ去る背中に向けて蒼く輝く息を吐き、一同の身体を石畳に転がした。
「な、何だこれは。身体が……動かん……!」
「神経毒をくれてやった。安心なさい、死に至ることはない。まぁもっとも……」
リタは獣化を解き、人の姿を取り戻すと背を向けた。その背後で建物が次々と崩壊し、倒れ伏す騎士団の上にガレキが降り積もっては大きな山を成した。
「逃してやるつもりは毛頭無いけどね」
その時、天高くに魔法陣が出現した。七色の粒子が平民騎士らに降り注ぐと、彼らは身じろぎを見せた。アーデンも毒に苦しめられてはいるが、身を起こすくらいは出来た。
「しばらくジッとしてなさい。ここ辺りは火の回りが遅いから、休む時間くらいあるでしょ」
「アンタは……いや、今は良い。それよりも逃げ遅れた奴らを助けに行かねぇと」
「そこも抜かり無いわ。東はアシュリー、西はエレナ。ここは私が見てあげるから」
「だったら南が……」
アーデンが言い終える前に、そちらの方角から鋭い声があがってきた。
――みんな無事か! 助けが必要な奴はいるか!
「今の声は?」
「何だったかしら、ワンちゃんの爪じゃなくて、ええと」
「もしかして狂犬の牙か!? 発狂したと聞いてたんだが」
「色々あってね。今では彼らもお友達なの」
「そうなのか……。となると、後はトルキンだ。アイツを逃しちゃならねぇ。プリにシアにでも逃げられてみろ、必ず面倒な事になるぞ」
「そこも大丈夫。大将には大将をってね」
「つまりは、魔王が?」
「ええそうよ。面倒くさがりで愛娘にしか興味なくて、大雑把なのに変なところで神経質。あの人ったら、自分の下着を裏返す事もしないのよ。まぁそこが可愛かったりするんだけど」
「待て待て、何の話だ?」
「でもね、誰よりも強くて、思いのほか情に脆いの。心から頼れる人よ。アナタも魔王のお友達になってみたら?」
「か……考えさせてくれ」
「それじゃあね。アナタ達はもう少し休んでなさい」
リタは避難所のドアを開けて、怯える人々に語りかけた。もう大丈夫、逃げてもいいと。
すると老若男女、足をもつれさせながらも逃げていった。最後に屋内から現れたのはリタで、その胸には幼女の姿があった。小さな瞳が赤いのは、炎を映した為ではない。
「よく頑張ったわねぇ、えらいわよ」
「あたし、お姉ちゃんとはぐれちゃった。にげなさいっていうから、がんばって、ここまで走ってきたの。でもお姉ちゃんがまだ来なくって」
「大丈夫よ。お空を御覧なさい、キレイでしょ? この光がね、怪我を治してくれるの。アナタのお姉ちゃんもきっと助かるわ」
「ほんと? お姉ちゃん、どこ?」
「とりあえず、安全な所まで行きましょ。人探しはそれからにしようね」
リタは幼女を抱き上げながら、光の舞う道を歩いた。慈愛に満ちた微笑みと、母性を感じさせる口ぶりで。
それを見送るアーデンの瞳は少しばかり熱を帯びた様になる。瞬きも忘れて見つめ、背中が見えなくなると同時に眼が細められ、やがて閉じた。結局彼も魔王の崇拝者となるのだが、心に占めるアルフレッドの割合は少ないものだったという。
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