第18話 はじめてのデート
豊穣の森のメンバーは、一部に限り怒っていた。それはもう、プンプンと音でも聞こえそうなくらいには、怒っていた。先日のレジスタリア騒動の爪痕どころか、疲れも癒えぬうちの事。家のリビングで椅子の背もたれと仲良くするアルフレッドに、3人の娘達が押し寄せたのだ。
「アルフ。私達、頑張ったわよね? 私は騎士団を壊滅させて安全の確保に貢献したわ」
「おうよ。ごくろーーさん」
「アシュリーちゃんはメッチャ頑張りました。見ましたか、あの超特大魔法を」
「見てたよ、遠くから。まぁ立派なもんだ。魔緑石を持たせて正解だったな」
「王よ、私も死力を尽くした。その甲斐あって、大勢の人々を逃す事に成功したぞ」
「うんそっか、何よりだねぇ」
どれほど言葉を尽くしても、温度感は変わらなかった。大戦果だとアピールしてみるのだが、主の顔色は微塵も変わらず、ボンヤリと天井を見つめるのみだ。
そこでは今日も今日とて、ペコタンが尻を振りつつフヨフヨと泳ぐのだった。
「むむむ、こうなったら仕方ないですね。ご褒美を貰えるまで実力行使ですよ!」
「ほう。オレと殴り合いでもするか?」
「違いますったら。誰がそんな自殺行為を」
「だったら何だよ?」
「アルフがご褒美をくれるまで働きませんよ!」
そう宣言されるなり、リタとエレナも同意した。魔王軍幹部のストライキだ。これには雇い主、もとい魔王も頭を抱えて思い悩んでしまうはずである。
ただし、本来であれば。
「おっ、良いねそれ。オレもしばらくサボろっと」
「えぇ……? 何でアルフまで乗っかるんですか?」
「だって、オレもダラダラしたいし。好きなだけ眠ってたまに遊んで、最高じゃん」
アルフレッドは、割とダメな面もしっかり持っていた。彼には手を抜くというか、隙を見つけてはサボる傾向がある。その為、この明らかなチャンスを逃すハズもなく、真正面から歓迎するのだ。
もちろんリタ達はこぞって意見を述べた。3人が休むといかに困るかについて。しかしアルフレッドは妙に饒舌だ。
森の管理など不要。少しくらい荒れても平気だ。警備も緩くて良い。最悪、家の周辺が安全なら構わない。飯は保存食を食えば良く、掃除洗濯も毎日なんて必要ない、たまにで十分だ。そう断言してみせた。それはもう、何らかの芯を感じさせる強さで。
「クッ。さすがは我が王。戦闘術だけでなく交渉術まで長けているとは、底が知れぬ!」
「いや違いますよ? これはダラけたいだけの屁理屈ですからね?」
「ギャアギャアうっせぇな。お前らはそもそも何が欲しいんだよ」
「大げさなものは要らないわ。ただ、時間がほしいと言うか、デートのひとつもお願いしたいの。そろそろ序列みたいなものも決めたいし」
「デェトぉ? ヤダよ面倒臭ぇ。序列も要るかよ、横並びだ」
「ええ、アナタならそう言うわよね」
交渉は完全に暗礁へと乗り上げた。先行きは不透明であり、落とし所すら見えなくなってしまう。果たして、このまま仕事は放棄されてしまうのか。豊穣の森はゴミだらけの森と化してしまうのか。
戦慄に震える3人。しかし、起死回生の一手は、予想だしない方から訪れた。
「リタお姉ちゃん。今日のお昼ゴハンは何なの?」
リタの背後でピコピコと犬耳が揺れた。
(マズイ……!)
アルフレッドは危機を悟り、咄嗟に駆け始めた。しかし遠い。
(ここだわ……!)
活路を嗅ぎつけたリタは、その場で膝を折ってシルヴィアの肩を抱いた。すぐ隣でアルフレッドが通過し、床の上を横滑りしていく。
「ごめんなさいね、シルヴィ。しばらくはご飯を作れないかもしれないわ」
「どうしたの? おなか痛いの?」
「平気よ。でもちょっと色々あって、ねぇ……?」
リタが暖かくも鋭い視線をアルフレッドへ送った。有無を言わさぬ何かの籠もるそれを。後に彼はこう語った。リタの背中に大きな狐の幻を見た、と。
迎えた翌日。朝からクジ引きが用意され、それを引いたのは例の3人だ。
「おっと、私が一番槍か。腕が鳴るというものだ!」
「うわ微妙。2番手ですかぁ……」
「最後は私ね。ふふ、印象を残しやすいわ」
不正が無いことを知らしめる為、クジは卓上に置かれた。シルヴィアが端から1番2番と読み上げると、アルフレッドは殊更に褒め称えた。少し現実逃避している様にも見える。なぜなら朝、昼、晩と代わる代わるお誘いに乗らねばならないからだ。
「さぁ王よ。これから私に付き合ってもらうぞ!」
「あいよ。んで、何すんだ」
「善は急げと言う。早速行くぞ!」
「おい、飯も食わせねぇのかよ!?」
魔王、半ば攫われる形で開始した。長い長い1日の幕開けだ。
「まずは私に付いてきてくれ」
エレナはそう言いつつ、森の中を疾走した。人智を超えた速度なのだが、やはりアルフレッドは悠々と続いた。駆け続ける事しばし。ひたすら走り続けるうち、やがて不審な点に気づいた。
「おい。さっきからグルグルと同じところを回ってるだろ。どこへ向かうんだ」
「案ずるな。もうしばらく続けるぞ」
「何なんだよこれ……」
それからも駆け続けると、少し開けた場所に出た。辺りの様子は物々しく、粉砕された岩やら、傷だらけの岩肌がやたらと眼についた。デート向きじゃない、と考えるのは今更である。
「よし、体は温まったな。それじゃあ3色筋トレ3百本!」
アルフレッドは怪訝になりつつも黙って従った。そして異様な速度でメニューをこなすと、ようやく座る事が許された。切り株が並んで2つ。お互いに同じ方を向いて腰を降ろした。
「走れない兵は弱い。そこを疎(おろそ)かにすると、剣技を叩き込んでも、地力に埋めがたい差が出来てしまう」
「そうか。オレは別に兵士じゃねぇがな」
「今のは、毎日自分に課しているトレーニングだ。雨が降ろうが、風が吹こうが、休んだ事は一度もない」
「そうか。だから筋肉質なんだな」
「走りながらリンゴを採っておいたぞ。食べてくれ」
「おう。もらっとく」
木々の中で瑞々しい音が響き渡る。その合間に鳥の鳴き声が聞こえ、それが一層の静けさをもたらすようだった。
「どうだ、美味かったか?」
「そうだな。朝食ってねぇから」
「それは良かった」
「おう。そんで次は?」
エレナ、早くもここで思い悩む。既にプランが終点を迎えていたのだ。首を左右に捻り、何かを絞り出そうと苦心するも、良い案は閃かない。
「もうお終いで良いか?」
「待ってくれ。じゃあそうだな。乳繰り合おう」
「何でだよ!」
「いや、気になって仕方ないんだ。王も若いから旺盛だろう。それなのに誰にも手を出さないとは、奥手にしても度が過ぎてるだろう」
「うっせぇよオレの勝手だ!」
付き合いきれんと逃げ出すアルフレッドに、追うエレナ。追いかけっこは長々と続き、遂には時間を使い切ってしまった。
駆け込むようにして家まで戻った2人は、珍しくも息を切らしていた。
「おかえりなさい、どうだったのエレナ?」
「走って、リンゴを食べて、また走った」
「アホですよねアンタ。前々から思ってましたけど、マジもんのアホですよね」
「しかしな、心の距離はグッと縮まった気がする」
「それは本当ですかねぇ」
3人が見るアルフレッドは、木椀いっぱいの水を一気に飲み干し、激しく息をついていた。不機嫌と疲労以外の感情を窺い知る事は出来ない。
「さてさて、お次はアシュリーちゃんですよ!」
「おい。ちっとは休ませろよ」
「へーきへーき。そんな疲れが吹き飛ぶようなプランをご用意してますんで」
「嘘臭ぇな……ったく」
「うへへ。リタの出番なんかありませんからねぇ」
意味深な言葉を残して第二陣は出発した。行き先は再び森の奥。アルフレッドは早くも既視感に襲われてしまい、少しばかり身構えた。そして、人目を忍ぶ気満々の茂みまで誘われては、ようやく腰を落ち着けた。
「ウッフッフ。ここらで良いでしょ」
「お前さぁ、こんなとこで何をしでかす気だ?」
「そんな露骨に警戒しないでくださいよ。今日は良いもの持ってきたんですからぁ」
「何だよ、聞くのが怖ぇぞ」
「気になるお品はコチラ。徹夜明けも何のその、疲労をズギャッと吹っ飛ばず魔法の霊薬ゥ!」
「うわぁ、いかにも怪しそう〜〜」
「まぁまぁ、効果はマジヤベェんで。グワッといっちゃってくださいな」
「分かったから寄り過ぎだ、顔が近ぇよ」
仕方無しに封を切って飲み始める。その様をアシュリーは、笑いを噛み殺しながら、片時も眼を離さずに見続けた。
(クケケ。それが精力増強剤とも知らず、グイグイ飲んでますねぇ。飲み干したが最後、抗いがたい性欲が押し寄せて、盛りまくりのワンコみたいになりますよ)
そうとは知らずにアルフレッドは手を休めなかった。ほの甘い味わいにライムの香りが爽やかで、飲み物として美味く感じたのだ。
(さぁ、欲情の赴くままに襲ってきなさい。そんでもって、アシュリーちゃんを嫁に据えて、森の富を明け渡すんですよぉウケケケ)
こうして企みは予定通り走り出した。戻された瓶は空っぽ、全てが飲み干されたのである。
「どうですアルフ。体に変化は?」
「いや、特に。まぁ少しは楽になったか」
「えっ、そんだけです? なんかもっとこう、ムラムラきたり、衝動みたいなのは?」
「別に何もないけど」
失敗だ。アシュリーにとって大誤算である。貴重な素材を惜しげもなく使い込んだのに、全く効果が見られなかった。アルフレッドの異常なまでの魔力が作用した結果だが、それを知った所で、今はどうにもならない。
「飲み終わったぞ。もう良いか?」
「あの、えっと、もう1個だけお願いがありまして……」
「まだあんのか。早く言えよ」
「ええと、そのぉ……エロい事でもやりませんか?」
「お前もかよ!」
「良いじゃないですか、傾国の美女が誘ってんですよ! 国が傾いて横倒しになるほどの超絶美人が!」
「うっせぇよ! オレの本能がお前だけは止めろって、警告出しっぱなしなんだよ!」
「うわぁ酷い。こんだけ頼み込んでるんですから、1発くらいキメる度量を見せてくださいよ!」
「お前のどこが賢人だ、変人の間違いだろバーーカ!」
それからは言い争いだ。どちらも滑らかに相手を罵り、箸休めに少しだけ褒めたかと思うと、再び猛烈に罵声を飛ばしあった。やがて日暮れを迎えると、グッタリした2人は家へと戻ってきた。
「おかえりアシュリー。どうだった?」
「ええと、お薬飲ませて、そっから口喧嘩で……」
「アシュリー殿はあれほど豪語したというのに。私より酷いのでは?」
「アテが外れたんですよ、チクショウめ……」
「それじゃあ私の出番ね、後はよろしく」
「フン。どうせ失敗するに決まってますよ」
リタは普段着の上に赤のストールを羽織り、バスケットを手にしながらアルフレッドを促した。そして疲労から足を引きずる男を連れて、最後のデートが始まるのだった。
「リタ。どこへ行くんだ? 森の奥とかじゃないよな」
「そこまで行かないわ。あそこの丘の上に座りましょ」
指で差し示したのは、付近で1番小高い場所だ。遮るものはなく、見晴らしも程々に良さそうだ。
「ここに座って。お腹も空いてるわよね?」
「そうだな。アイツら、ろくに飯も食わせてくれなかったからな」
「やっぱり。そんな事だろうと思ったわ」
リタがバスケットを開くと、そこには小麦パンに肉詰めのピーマン、固形のチーズに肉巻きのポテトが丁寧に並んでいた。空腹も手伝って、眺めるだけでもグゥと音がする。
「あのさ、リタ。変な薬とか入ってないよな?」
「まさか。アシュリーじゃあるまいし」
「それから、腹一杯になったら乳繰り合いとか言わないよな?」
「当たり前じゃない。初回のデートで、しかもこんな場所で?」
「だよなぁ、そういうもんだよなぁ」
「随分と大変だったのね、ともかく食べましょう」
空を見れば、星々が辺りを覆い尽くそうとしていた。陽は既に落ちかけている。それに伴い、夜の生き物たちが辺りを賑やかにし、耳に心地良さを与えてくれた。
「2人だけでご飯って、ちょっぴり悪いことをしてる気分ね」
「そういえば皆の食事は?」
「ちゃんと用意してあるわよ、心配しないで」
「だったら良いさ」
遠くに見えるボンヤリとした灯りは、森の家のものだ。残りの家族は食卓を囲みながら晩餐を楽しんでいる所である。
「ねぇアルフ。聞いても良い?」
「何だよ突然」
「もしかしてだけど、アナタって女性にトラウマがあるんじゃない?」
アルフレッドの食べ進める手が止まった。そして瞳は深く沈んでいき、記憶の奥を見るような気配になった。
「どうしてそう思う?」
「何となくね。たまに寂しそうな顔してるし、もしかしたらって思ったの」
「トラウマ……なのかな」
彼の脳裏に過ぎる1人の笑顔。それはかつて、吸い込まれる想いで眺めたものだが、今では暗い過去である。罠に嵌められ、彼自身を罵る時ですら同じ笑みを浮かべたのだから。グランニア騎士団という絶対的な壁に守られた上で。
その日以来、どこか人を避けるようになっていた。深く知り合う事を、つまりは信頼する事を怖れてしまうのだ。
「仲間だと信じていた。しかし裏切られ、騎士団に売られた。そんだけの事だ」
「そう……辛かった?」
「吹っ切れたつもりではいる。それでも、たまに思い出している、かもしれない」
「無理に話せとは言わないわ。話したかったら聞くけどね」
「それは少なくとも今じゃない」
「分かったわ。じゃあ、教えてくれたついでに、私もちょっとしたお話をさせてらうわ」
リタは夜空を見上げ、少し眺めた。虫の音に耳を澄ましている様にも見えた。
「昔々、とある森に狐人族が住んでいました。かつては栄えた一族も、いつしかニンゲンに追い詰められてしまい、困窮していきました。安全な住処も、食事すらもままならない。辛い時期を迎えたのです」
「それってもしかして……」
「ある日、とうとう大きな戦争が起きました。結局狐さんは負けてしまい、一族は散り散りに。そんな中でのこと。どうにか落ち延びた族長は、最後の力を振り絞り、孫娘に力を託しました。大狐の能力と、1つの言葉を」
ここで深呼吸が挟まり、言葉が途切れた。心なしか、吐息が湿ったようにも聞こえてくる。
「族長様は言いました。狐の娘は妖しく笑え、そして自由に生きよと。そうして別れを迎えた孫娘ですが、自由になどなれません。ニンゲンへの復讐心が心を縛り付けるからです」
「恨んでるなら、そうかもな」
「彼女は懸命に調べました。どうすれば復讐を果たせるのか、どうやって思い知らせてやるか、必死でした。しかし、そんなある日に転機が訪れます」
リタは見上げていた瞳をアルフレッドへと向けた。互いの視線は重なりかけるも、すれ違った後に離れる。
「思いがけず、この世の物とは思えないほど美しい魔力と出会ったのです。心から虜となった彼女は、自由なる意思を取り戻し、毎日穏やかに暮らすのでした。おしまい」
リタはそこで、おどけた仕草で小さな拍手を鳴らした。
「今のはお前の話か?」
「さぁね、そうかもしれないし、違うかも知れない。でもね……」
「でも?」
「アナタに、私の全てを知ってもらいたい。その気持だけは確かね」
リタはそっと囁くと、アルフレッドの手に軽く触れた。かすかに体温が伝わる程度の触り方だ。
「お前も辛かっただろうな」
「当時はね。でも今は、だいぶ楽になったわ。皆と楽しく過ごしてるお陰かしら」
「時間が解決してくれる、ってやつか」
「アナタも同じよ。心を閉ざしてるみたいだけど、理由が分かって安心したわ」
「オレはもう乗り越えたぞ、たぶん」
「でも、心が冷えちゃってるでしょ。それは私が温めてあげるわ、時間をかけてゆっくりとね」
星空の下、リタが柔らかな笑みを浮かべた。それに吸い込まれまいと、アルフレッドは抗った。
「焦る必要なんてないわ。時間はたくさんある、そうでしょう?」
「おう、そうだな」
「アナタが心から安らげる家を作ってみせるわ、期待しててね」
「おう、そうだな」
「さっきからそればっかり。急にどうしたの?」
リタが口元に手を当てて、クスクスと笑いだす。その姿を美しいと感じる気持ちには蓋をして、とりあえず同じ空を見上げた。
満点の星空。まるで空に川でも流れているようだと、自分の関心を無理やり別の物へと向けた。ちなみに彼は、3人の中で最もリタを信用する事になるのだが、今宵の出来事は無関係ではなかった。
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