第19話 新体制の樹立

 この日のアルフレッドは珍しくも、自宅で不機嫌を露わにした。彼が鋭く睨みつけるのはモコのアクビ顔ではないし、その額に寝転ぶペコタンでもない。石を床に並べるシルヴィアでなければ、その様子を眺めるミレイアでもない。採集に出掛けたグレンでも、見回りに勤しむエレナやアシュリーに魔狼でもなく、リタが紅茶を淹れるのを咎めるのでもない。

 彼が睨むのは招かざる客、ダイニングに座る2人の見知らぬ男達であった。


「ほほう、ここが魔王殿のお住まいですか。心が和む造りですな。しかし、いささか梁(はり)が歪んでいるのでは?」


 寛いだ様子で言うのは、単眼鏡(モノクル)を右目に据えたクライスだ。以前はトルキンの片腕だった男だが、罷免された事で難を逃れたのだ。ただし服の端々が焦げ付きが平穏でなかったことを物語る。

 やがて、人数分の紅茶と茶菓子が並べられると、一応はもてなしの体裁が整った。


「はいどうぞ。お口に合うかしら」


「あぁ、こりゃどうも。お気遣いなく!」


 耳まで赤くして頭を下げたのはアーデンだ。先日の傷は完治まではしておらず、腿に包帯が巻かれているのだが、顔色には出していない。むしろ愛想笑いを浮かべて何度も頭を下げる程で、恐縮するにしても過剰である。その振る舞いは、隣のクライスによって静かにたしなめた。


「アーデン君。少しくらい肩の力を抜きたまえ。見苦しいじゃないか」


「お前こそ少しは畏(かしこ)まれ……ってもう食ってるし!」


「出されたものは全て平らげる。それが私の信条なのだよ」


「ちょっとくらい謹んでくれよ、頼むから……」


 アーデンがちらりと眼をやれば、アルフレッドの厳しい顔が見えた。それはさながら、噴火直前の活火山。ほんの些細な刺激で爆発しそうに思え、赤い顔を今度は真っ青に染めた。

 ポリポリと軽快な咀嚼音(そしゃくおん)が響き渡る中、ついにアルフレッドが口を開いた。重く響く調子が一層の恐怖を煽り立てるようである。


「お前らさ、朝っぱらから何の用事だ。内容次第では魔狼の餌にしてやるぞ」


「ふぉれふぁひふへいひはひた。ほふぉふっひーは」


「口の中を空にして喋れよ、レンズ叩き割るぞ片メガネ野郎」


「失礼しました。このクッキーは大層素晴らしいですね。バターの香りが芳醇で、程よい甘み、なおかつ舌触りも滑らか。このような絶品をどちらから取り寄せたのですか?」


「手作りよ。気に入ったのなら包もうかしら?」


「有り難い事です。出来れば3日分程いただけますかな?」


「フザけてんのかお前は!」


 魔王、何かの限界を迎えてケラケラと笑いだした。こんな恐ろしい笑い方があるだろうか。少なくともアーデンは見たことがない。


「お菓子は後ほど頂戴するとして、本題に入りましょうか」


「メチャクチャ図々しい。お前の心臓は鋼鉄製か?」


「我々は魔王殿にお願いがあって参上致しました。状況は逼迫しております」


「さらに頼み事かよ。首がポロンと落ちる覚悟は出来てんだろうな」


「街の者の総意です。魔王殿にはレジスタリア王として君臨していただきたく存じます」


「嫌なこった」


「承知しました。それでは菓子のご用意をお願いします」


 早々と切り上げようとするクライスを、アーデンが体ごと止めた。


「待て待てクライス! 少しは食い下がれよ!」


「断られてしまったのだ。かくなる上は長老なり、品性のマシな貴族連中を立てる他あるまいよ」


「魔王様、どうかお願いします! コイツの非礼は心から詫びますんで、話だけでも聞いちゃもらえませんか!」


「嫌だって言ったろ、お前の風穴を増やしてやろうか」


「アルフ。もう少し落ち着いて。ミレイアがソワソワしてるわよ」


 背後の気配に眼をやれば、鼻息を荒くする少女の姿が見えた。血肉が弾ける事への期待感から、小さな胸が高鳴って仕方ないのだ。


「ハァァ……。聞いてやるから、手短に話せよな」


「ありはほうほはひはふ。まふはへんほうの」


「お前はもう帰れ」


 舌先が幸福過ぎるクライスを余所に、アーデンから現状の説明がなされた。

 先日の事件は規模の大きさにも関わらず、奇跡的にも死者を出さずに済んだ。怪我人は少なからず居るのだが、いずれも命に関わる程ではない。しかし街は廃墟と化してしまった。住むべき家どころか、当座の食料すら無いという有様だ。

 そして、統治者の不在が状況を悪化させる。王家は滅び、主だった者も散り散りとなってしまい、万を超える人々を導く人間が居ない。その為に復旧の方針すら定まらず、個々が勝手に判断をしては混乱を巻き起こしてしまい、頭を悩めてしまうのだ。


「へぇ、あっそ。大変だな」


「悪条件はそれだけじゃないんです。国軍が逃げちまったんで、外国から攻め込まれるかもしれません。隣国のプリニシア、それかグランニアがこのチャンスを逃すとは思えませんよ」


「それの何が問題なんだよ」


「レジスタリアは従属国になっちまいます。辛うじて保ち続けた独立が終わるんです。街の皆は、前より更に苦しい生活に悩まされるハズですよ」


「うん。それが何?」


「年寄りも子供も垣根なく、全員が辛い日々に晒されます。飢え死にだとか、罪なき罪を着せられて罰せられるヤツだって増えるかも」


「うんうん。可哀相にな」


 魔王、響かない。彼にしてみれば、見知らぬ人間など憐憫の対象外で、むしろシルヴィアを迫害する恐れのある存在なのだ。レジスタリア人そのものに恨みは無くとも、わざわざ骨を折るような真似はしない。

 色良い返事など飛び出す事もなく、平行線を辿り続ける。交渉は、いや懇願は早くも暗礁に乗り上げてしまった。


「お願いしますよ、魔王様。皆で必死になって働きますんで」


「そもそもだ。オレにとってお前らは敵なんだよ。軍隊を寄越したりシルヴィたんを攫おうとしたり」


「そいつはトルキンの野郎がやらかした事で……」


「オレには関係ねぇ。困ったから守ってくれとか、虫が良すぎんだろ」


「その通りなのです。なんの貢物もなしに魔王様の庇護を授かろうだなんて、厚かましいにも程があるのです!」


 唐突に割り込んできた声は幼い。アーデンが目を向ければ、テーブルと大差ない背丈の少女が仁王立ちで構えていた。何だ子供かと侮るには、視線は奇妙なまでに鋭く、気迫も大人顔負けの強さがある。その為に自然と居住まいを正してしまうのだ。


「ええと、貢物ってえと、年貢ですとかその辺ですかい?」


「そんなくだらない物、魔王様は好みません。差し当たって生爪を1枚、全員分持ってきてください」


「全員って……それは赤子も含みますかね?」


「さっきそう言いました」


「参ったな。でも、爪1枚で守って貰えるなら、理解も得られそう……」


「その話ちょっと待て!」


 話がまとまりかけた頃、堪りかねてアルフレッドが横槍を入れた。そしてミレイアと正面から向き合い、真剣に言葉を連ねた。

 そんな物は要らないと。欲しがった事なんか一度もないし、この先も変わらないと。ミレイアがすかさず「では脳しょうを」と言うので、それも速やかに否定した。死んでも要らないと。


「とにかくだ。王様なんて面倒なポジション、オレはやらないからな。娘と遊ぶ時間が減っちまうだろが」


「ほぅ。つまりはご息女との時間を愛しておられると」


「当然だろ。だからお前らに構ってる暇なんかない、出て失せろ」


「ならば尚更です。玉座に昇る事を強くお勧め致します。それが最も平穏で、雑事の少ない選択なのですから」


「どういう事だ?」


 アルフレッドだけではない。アーデンも理解が及ばず、憮然としてしまう。


「我が国は為政者を欠き、国軍もありません。それはもはや国とは呼べず、他勢力に支配される事は明白です」


「それは聞いたばかりだぞ」


「では、その後はどうなるでしょう。大国の主とは貪欲であるのが世の常。豊穣の森という、大陸屈指の肥沃な大地を手中に収める事無く、ジッと眺めるだけで済まされるでしょうか」


「つまり、続々と軍隊が送られてくる?」


「ご明察。特にグランニア帝国はレジスタリアを遥かに上回る強国です。兵は精強、国力も数倍で意気も盛ん。並大抵の相手ではございません」


「グランニアの連中だって大したこと無い。何度も騎士団を撃退したんだぞ」


「着目すべきは魔緑石の活用法です。我が国は各国より大幅に遅れており、二世代は差をつけられる程です」


 その言葉にアルフレッドは1度口を閉じた。先日に相対した近衛兵は、脅威ではなかったものの、確かに一般の兵士とは格が違った。それが遥かに強化されたとしたらどうか。負ける気はしなくとも、厄介な相手のように思われた。


「レジスタリアが落ちれば、豊穣の森を守る物は何もありません。最新技術を持つ大兵が絶え間なく押し寄せる事でしょう」


「まぁ、そうなるだろうな」


「その一方で、玉座に昇り庇護を与えたなら話は逆転します。森を守る盾を、あるいは他国に突きつける剣を得る事になるのですから」


「ムカつくな、お前。口が巧(うま)すぎる」


「お褒めに与りまして光栄です。褒美は手土産の上乗せで結構」


「うるせぇ角砂糖でもかじってろ」


 再びアルフレッドは口を引き結び、長考した。強化された敵、それが押し寄せる脅威について。

 娘を守り抜く自信はあった。しかし森は、拓いたばかりの畑や家屋はどうだろう。そこまでとなると、さすがに不透明に感じる。敵の戦力も分からないのだから当然だ。

 そしてここが戦場になったとしたら、子供達を外で遊ばせる事が出来るのか。いつぞやの様に誘拐される危険性はどうか。そこまで考えると提案を無下には出来ない。かと言って、王位を継ぐことにメリットを感じていない事も事実だった。


「お前らを助けてもなぁ。どうせ獣人を迫害すんだろ、口汚く罵ったり、街から追い出したりさ」


「いえ、それは心配無用です。亜人差別に熱心だったのはトルキンを始めとした、都会人気取りの上層部ばかりです。我々にはグランニア人ほどの確執などありません」


「ほんとかよ。疑わしいな」


「今度、ご息女を伴って王都にお越しください。皆が皆、素朴で温かい気質なので、すぐにお気に召すかと」


「そりゃ素晴らしいですね……ったく」


 アルフレッドは溜め息を漏らした。それは深い深い奥の方から引きずり出した、渾身のものだ。


「少し考えさせろ。結論は後日だ」


「はい。色良い返事をお待ちしております」


「魔王様。どうかオレ達を救ってください!」


「はいはい、分かったから。さっさと消えろ」


「ではリタ殿。手土産のクッキーをお願いします。4日分ですな」


「急に言われても困っちゃうわ。今あるのはこれだけよ」


「そうですか。では穴埋めに角砂糖を追加していただければ……」


「消えろと言ったろうが、さっさと行け!」


 珍客を追い払うと、アルフレッドは椅子に身体を預けた。瞳を閉じて目頭を揉む。しばらくそうしていると、否応なしに忌まわしき記憶が蘇ってきた。グランニアで過ごした日々の数々が。


――あいつは人間の皮を被った化物だ。早いとこ消えてくんないかね。

――最初から嘘だったに決まってんだろ!

――ここまでおバカさんだと同情するわ、英雄気取りのアルフレッドさん。


 暗い言葉はやがて哄笑になり、言語ですらなくなる。蔑み、虐げる意思だけが膨らむようであり、心で何度も何度も汚らしく騒ぐ。

 アルフレッドは反射的に拳を振り上げ、テーブルを殴ろうとした。だが止めた。怒りに任せて力を振るえば、家具だけでなく家までもが吹き飛ぶからだ。

 拳を緩め、腹の奥底から息を吐いた。その溜め息で、魂の傷を舐めるかのようにゆっくりと、静かに。


(人族なんてロクなもんじゃねぇけどよ……)


 アルフレッドは背後のシルヴィア達に目を向けた。大切な石を床に並べたのだが、幼女の割には整然とした配置だった。


「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。石屋さんですよぉ」


「シルヴィちゃん。この青いやつをくださいな」


「はいミレイアちゃん、どぉぞ」


「ありがとうございます。おいくらです?」


「えっと、うんと。にまいなの」


「わぁぁ。とっても安いんですね。はい2ディナです」


「いらっしゃいませ、いらっしゃいませぇ。とってもお安い石屋さんですよぉ」


 微笑ましいママゴトである。しかしアルフレッドは胸を締め付けられる想いになった。迫害され続けたシルヴィアにとって、人族の街など数える程しか訪れた事はない。その僅かな経験からも健気に学び取り、こうして成果を披露しているのだ。


(この子は何も悪くないのに、なぜ人間どもは……!)


 再び胸の内は荒れに荒れた。親子二代にわたって煮え湯を飲まされるのは、怒りが何倍にも膨れるほどに腹立たしい。

 しかしシルヴィアの浮かべる笑みはいつもと変わりなく、その純真さが嬉しくもあり、どこか哀しく見えるのだ。


「なぁシルヴィ。人間の街に行ってみたいかい?」


「えっとね、こわいから、いいの」


「じゃあもし、皆が仲良くしてくれるとしたら? ニッコニコに笑ってたらどうだい?」


「うんとね、それなら行ってみたいの。いろんなお店屋さん、見てみたいの」


「そっか、そうだよなぁ……」


「ねぇねぇおとさん。シルヴィは石屋さんなの。いらっしゃいませぇ」


「あぁ……そうだな。ちょっと考え事がしたいんだよ。ミレイア、相手を頼むぞ」


「お任せください魔王様。両手が弾けとんだとしてもご奉仕するのです」


「怖ぇよ何する気だ」


 アルフレッドは、それから押し黙って熟考した。わだかまり、労苦の重さ、そして娘の未来を頭に思い浮かべる。自分の幸せは、シルヴィアの幸せは。繰り返し繰り返し考えるうち、1つの結論に辿り着いた。


(オレが変えるしかねぇのかもな……)


 娘が大人になる頃には、もう少しマシな世界を。その願いを叶えるのは見知らぬ誰かではない。他ならぬ自分自身なのだ。そう思い至れば、手段は1つしかない。


「リタ。今日の晩飯は要らねぇから」


「あら珍しい。どうかしたの?」


「茶菓子の返礼だ。ご馳走になってくる」


「そう……。分かったわ、家のことは任せてちょうだい」


「止めないのか。人族の事を嫌ってただろ」


「アナタが決めたんだもの。私は後を付いていくだけよ」


「後で文句を言っても知らねぇからな」


「それはこっちの台詞。王様なんて大変な仕事だけど、頑張ってね」


 その日の暮れ。アルフレッドは1人、豊穣の森を後にした。やってきたのは王都レジスタリア、クライス邸だ。屋敷の損傷は激しいものの、一応は住居の体を為しており、実際に人が住まう気配がある。

 ドアを叩けば若いメイドが丁重に出迎え、取り次ぎも早かった。


「おや魔王殿。お呼びいただければ私から出向きましたのに」


「クライス、話がある。昼の件についてだ」


「そうですか。ご丁寧にありがとうございます」


 クライスは両手を広げて突き出した。心当たりの無いアルフレッドは怪訝な顔を浮かべてしまう。


「何の真似だ、これは」


「不足分のクッキーを届けに来られたのでしょう。一日千秋の想いでお待ちしておりました。さぁどうぞ」


 魔王、堪えが利かずビンタ炸裂。それは致命傷レベルの威力だったのだが、傷薬が傍にあった事が幸いし、事なきを得た。

 そして物のついでに即位は完了した。お手軽すぎた戴冠式に、アルフレッドも「大丈夫かこれ」と3度に及んで抗議したのだが、王は王だ。魔王を為政者に据えた国が、今ここに誕生したのである。

 これを機にいよいよ大陸の動乱は鼓動を早め、息遣いらしきものが聞こえそうな程、現実味を帯びるようになるのだった。万余の軍が大陸を縦横無尽に駆け回る日々も、そう遠い未来ではない。


 

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