第20話 使命と種族
見渡す限りベージュ色に染まる部屋。床も壁も天井も一色なのだが、そもそも壁などという概念が存在するかも怪しい。触れてみた事など一度も無いのだから。
アルフレッドは、この世にあらざる空間を知っている。これまでに幾度となく招かれているからだ。主人であるモコによって。
「やぁ、来たねアルフ」
「来たね、じゃねぇよ。お前が勝手に呼び寄せたんじゃねぇか」
「そうだよ。だってキミってば一向に現れないんだもの。だったら実力行使さ。魂をスイッと抜き取ってのご招待をね」
「シレッと恐ろしい事を言うな」
「話が済めば帰してあげるから。さぁ座ってよ」
モコは付近で唯一の物体である、七色の球に触れ、呟いた。すると光球は宙で微かに揺れながら、女性の声を響かせた。
「命令を実行します。樫のテーブルセット、大陸史の上巻2冊、魂殺の短刀。設置完了」
その言葉通りに、何も無い空間にテーブルが出現した。卓上には2冊の本と湾曲したナイフまである。
「さてと。そんじゃお勉強を始めようか」
「どっから出てきたんだよ、それ……」
「この前も同じことしたでしょ。忘れたのかい?」
「いや、何となく覚えてるけどさ」
「何となくだって!? じゃあ勉強した内容は? キミは自分の存在が何だか覚えてるかい、言ってご覧よ!」
「超強ぇやつ」
「はぁぁ……。分かったよ、今日は復習を多めにやる事にしよう」
モコは哀しみを隠しもせずに項垂れ、椅子に座った。もう片方にアルフレッドも腰をかける。始めようか、という声とともに本は開かれた。
「キミは、いや僕達は、この星で最初に誕生した生命だよ」
「星ってなんだっけ」
「空とか海とか地面とか、そういうの全部ひっくるめたヤツ」
「あぁそうだったな、うんうんホシね」
「その生命は僕達以外にもあと2人居る。それは覚えているかい」
「反則的に強ぇヤツ、あとオレと同格のヤツ」
「うん、うん……まぁそうだね」
モコは頭を悩ませた。覚えが良いのか悪いのかが分からず、教え方に強い戸惑いを覚えた。その思慮深く思い悩む様は、猫の気楽さからは遠いものであった。
「最初に生まれた生命は4人。それぞれが特別な力を持ち、時には神として祝福を与え、またある時には災厄として猛威を振るった」
「オレさ、当時の事を何にも覚えてねぇが、色々あったみたいだな」
「僕は自分の事を便宜上、『生み出す者』と呼んでいる。思想や技術、創造力なんかを世界に授けるのさ」
「古代人の発明もお前絡みだよな?」
「そこは、うん、今は置いといて。そしてキミは『定める者』と呼ばれる。世界の調和を定め、安寧をもたらしてくれる存在だ」
「そうか。クッソやりたくねぇわ」
「一応、ここ最近の働きは及第点だよ。これからも頑張ろうね」
「お前もちっとは働け。オレばっかコキ使いやがって」
「僕は縁の下の力持ちってやつさ。キミみたいに目立つポジションじゃないんだよ」
モコはそう言ってのけると、今度は手元の本に触れた。
「さてと、復習はこれまで。今日は古代戦争と『陰らす者』について話そうか」
「やりたくねぇ……死ぬほど長いんだよ、お前の話」
「文句言わない。ホラ、12ページだよ早くして」
準備が整うと、モコは静かに朗読を始めた。それは有史以来から綴られる星の記憶である。壮大で叙情的な物語は読み応え十分なのだが、堅苦しい文体から万人受けする内容ではない。それはアルフレッドにとって、非情に飲み込みにくいジャンルだった。
「忠実なる謀臣レイアロスは病魔におかされても尚、王に苦言を呈した。『おぉ偉大なる我が君、幻狼王よ。陰らす神のおぞましき力は甚だ脅威なれど、定める神の御加護は何物にも勝る』と」
「ふごぉぉ、ふんごぉぉ……」
「ゴホン……! 彼は自身の口から溢れる血に酔ったように、熱を込めて語った。『俘虜の人族を神に供すべし。祭壇に首を並べ、生き血と臓腑を捧げ奉れば、定める神の御業を……』」
「すぴーーすぴぃ。はい、それは安全な人斬り包丁です……」
「はぁ、またこれだよ」
モコは大きな溜め息をついては、卓上のナイフを手にした。そして相手の額目掛けて勢いよく投げつけた。
「ほら起きろ、この居眠り小僧め!」
「ギャァァーーッ!」
「キミの為にやってるんだよ、ちゃんと聞いてったら」
「痛ぇぞコレ、マジで痛ぇぞオイ!」
「死なないし傷も残らないから安心して。ただ、死にたくなるくらい痛いってだけ」
「クソ猫野郎が、生え替わりの時期になっても手伝ってやらねぇからな」
アルフレッドがナイフをすぽんと抜くと、不思議にも傷跡は無く、血も一滴すら出なかった。ただし尋常でない程に痛むので、しばらくはテーブルに突っ伏すハメとなってしまう。
「じゃあ続けるよ。幻狼王とレイアロスのシーンからだね」
「もうほんとそれ勘弁してくれ! 全然頭に入ってこねぇから!」
「ストーリー仕立ての方がシックリくるじゃないか。ディティールも把握しやすいし」
「何がディティールだ、出て行くぞこの野郎」
「あのねぇ、キミが何もかも忘れちゃったから、こんな仕事ができちゃったの。少しは協力してよね」
「忘れたって、何で?」
「キミが望んだからさ。力を使い果たして眠りに就く前にね」
モコの虚ろな瞳が、遠い遠い過去の記憶を探った。それは百の年、千の月よりも遥かに遡った古代期。彼は委細を忘れること無く、今でも克明に思い返す事ができた。
戦乱で荒れ果てた大地、終わらない衝突を繰り返す人族と獣人族。陰らす神と定める神の壮絶なる死闘。そして、古代人が生み出した最終兵器。
その忌まわしき技術は神すらも戦慄させるほどだった。あらゆる生命を焼き尽くし、大地には大穴を空け、怪物とも見える巨大な雲を昇らせた。あの時の衝撃と怒りは忘れられるものではなく、モコの小さな胸に暗い影を落とす。危険な知識の大半が失伝した今も、しばしば思い返されるのだ。
「あんなもの、忘れちゃった方が良い。でも、誰か1人くらいは覚えてないとね。また同じ過ちを繰り返しちゃうからさ」
「過ち? 何の話だよ」
「何でも無い。それよりも勉強の続きをやろっか。キミには学ぶべきことが沢山あるよ」
「うげぇ、マジで止めてくれ。もう要点だけまとめて教えてくれ。それをマルっと覚えるから!」
「本当かい? 疑わしいな」
モコは怪訝になりながらも、一応は提案に乗った。最低限の必須事項をただ箇条書き的にして教えてみる。すると意外にも、アルフレッドは、これまでの騒ぎが嘘のように、余すこと無く暗記してみせた。
「じゃあ最後にテストするよ。答えられたら帰してあげる」
「オウ舐めんな、さっさとやれよ」
「キミの役割は?」
「定める者。世界に安定をもたらす使命がある。かつては獣人が崇める神だった」
「僕は何者?」
「生み出す者。新しい思想や技術なんかを授ける事ができる」
「キミにとって最も脅威的な存在は?」
「陰らす者。かつての大戦では人族側の神様を演じた。オレと同等の力量を持つ」
「彼は今どこに?」
「大陸中央、大霊山の神殿に封じられている。守役は原初の龍だ」
「龍も含めた原初の獣にはどんな役割がある?」
「地脈の交差地帯を守る事。今は全く出来ていない」
そこで会話が途切れると、モコは眼を見開いて拍手をした。肉球がポムポムと柔らかな音を鳴らす。
「えっ、本当に覚えちゃった。凄いじゃないか!」
「お前の長ったらしい話よりか、ずっと覚えやすいっつの」
「じゃあ次回のお勉強は最後の1柱、消し去る者と百万の罪について話そうか。楽しみにしててね」
「やめろマジで。今後は要約してペラ紙一枚で持って来い」
「アハハ、冗談だよ」
モコは愉快そうに微笑む。だがすぐに眼は細まり、理知的な表情に着替えた。
「ねぇアルフ。キミは獣人の神様なのに、どうして人族として甦ったと思う?」
「アァ? 考えた事もねぇよ。そういう運命だったんじゃねぇの」
「そうかもしれない。でも偶然じゃないのかもしれないよ」
「なんだそりゃ。話が見えねぇぞ」
「キミは知るべきなんじゃないかな、なぜ争いが終わらないのか。なぜ差別や迫害がまかり通るのかについて」
「そういうのマジで苦手。考えるだけで頭痛がしてくる」
「そう言わずに頑張って。そして、1人でも多くの命が幸せになるよう、『定めて』おくれよ」
「へいへい。やれるだけやりますよ」
「それじゃあ今日はこれまで、お疲れ様」
「おうよ。しばらくはやらんで良いからな」
その言葉を最後に、部屋に強い閃光が駆け抜ける。目が眩む痛みに堪えていると、気づけば自宅に戻されていた。ベッドの上だ。窓の外は白みだしており、柔らかく注いだ朝日が、隣で眠るシルヴィアの顔を染めた。
「これ、ほぼ徹夜じゃねぇかよ……」
アルフレッドは眉間のコリをほぐしては、ベッドに勢い良く倒れ込んだ。半端な覚醒が眠りを浅くする。それでも微睡みの中をうろついてみたのだが、廊下から呼び声が聞こえた。朝食の準備が出来たのだ。
薄眼だけこじ開けたアルフレッドは、眠りこけるシルヴィアを抱っこしてダイニングへと向かった。時々壁やらドア枠に身体をぶつけつつも、それなりには真っ直ぐ歩けている。
「おはようアルフ。昨晩はお疲れ様」
「このモコ野郎。お前は随分と元気そうじゃねぇか」
「僕は昼間にガッツリ寝たからね。割と平気だよ」
「次回からは昼間に開催しろ」
食卓を賑わすのは大皿のポトフ。他には小麦パンにバター、細切りの人参スティックが並ぶ。全員揃っての朝食は、食卓の彩りも手伝って賑やかだ。
しかし眠気の覚めないアルフレッドは、薄目のままでパンをかじろうとし、距離を見誤って歯を鳴らした。隣の愛娘も大差なく、人参スティックを口に入れようとして鼻の穴に刺してしまう。似たもの親子という言葉がハマる光景だ。
「王よ、お願いがあるのだが」
この日は珍しくエレナから話しかけてきた。彼女は比較的寡黙で、無用な雑談を避ける傾向にある。
「どうしたんだ、改まって」
「今日は暇を貰えないだろうか。レジスタリアの様子が気がかりだ」
アルフレッドの眠気がいくらか遠のく。胸のうちには緊張感と、多少の好奇心が熱を発して燃える。薄目でしかなかった瞳も、今となっては普段どおりの形である。
「ねぇエレナ、それだったら私も付き合おうかしら」
「リタ殿。どうしたんだ?」
「お砂糖を切らしちゃったから買い足したいのよ」
「店など開いているものか」
「それを確かめる為にも、1度くらい見に行きたいわね」
この言葉をキッカケに、他の面々もレジスタリア行きを希望した。その中で曖昧な様子を見せたシルヴィアも、結局は同行する意思を伝えた。人族の街は恐ろしく感じられるが、憧れでもあるのだ。
「お前らどうして急に……!」
その時アルフレッドの脳裏に昨晩の言葉が甦る。人族の事をもっと知れという、願いにも似たものが。
「モコ……お前何かやらかしたろ」
「アハハ。流石にそんな乱暴な真似はしないよ。今のところは傍観者さ」
「どうだか、嘘くせぇ」
「潔白を証明するものなんか無いけどね、でも1つだけ分かった事があるよ」
「何だよそれは?」
「皆ね、口では色々と言うけど、結局はお人好しって事さ」
「やけに嬉しそうに言うんだな」
「だって、種族の垣根なく仲良くしてくれるのは嬉しいからね」
朝の食卓はにわかに騒がしくなった。飯食って顔洗って着替えて荷物持ってと大忙しだ。喧騒を唯一免れたのは、我関せずと天井を泳ぐペコタンだけで、今日ものんきにピコピコと尻を揺らしていた。
「ほらシルヴィ。よそ行きの服に着替えるわよ。寝間着は脱いじゃってね」
「これボタンが取れないの。かったいの」
「はいはいグレン君。アシュリーちゃんがお着替えを手伝ってあげますからねぇ、バンザイしちゃいましょうねぇ」
「嫌だよ。というか、予備の服なんて持ってないよ」
「リタさん。赤い服を貸して欲しいのです。返り血が目立たない感じのやつ」
「ごめんなさいね。持ち合わせが無いのよ」
忙しなくも明るい空気に包まれる一行。その様子を眺めるアルフレッドの気分は、悪くないものだった。
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