第2話 狐娘は誘う

 魔狼の襲撃から数日後。アルフレッド親子はやはり行く当てのない旅を続けていた。場所が変われば資源も変わる。水源にしろ、寝床にしろ、食料でさえも安定する日は無かった。


「見て見ておとさん、お魚さんみたいでしょ!」


 広々とした湖の真ん中で、シルヴィアは大はしゃぎになった。数日ぶりの水浴びがそうさせるのだ。


「ちゃんと頭をゴシゴシしなさい。さもないと臭くなっちゃうぞ」


「臭くなるの? 臭くなったら、おとさん、シルヴィを嫌いになっちゃう?」


「そんな訳無いだろ。おとさんはね、シルヴィが100年物の生ゴミみたいな臭いでも、変わらず大好きなままさ」


「えっへへ。シルヴィも、おとさんだーーいすき!」


 ここで普通の親であれば、顔を綻ばせるくらいだろう。人によっては頭を撫でたり、抱き上げたりするかもしれない。

 しかし彼の場合は違った。肩を激しく上下させ、口からはひっきりなしに嗚咽を漏らし、涙が大雨のように頬を延々と濡らす。しかし騒がしい見栄えに反して、返答の声は酷く小さかった。


「そっか、ありがとう。ありがとう……」


 この極大なまでの反応。特に珍しいものではなく、割と頻繁に見られるシーンだ。多いときには日に3度ほどあり、そこにモコの呆れ顔まで並ぶのが常だ。


「アルフ、また泣いたのかい? いい加減うっとおしいんだけど、早く安定してくんないかな」


 湖のほとりでモコが出迎えた。猫の本能に従って水を避け、顔を洗うだけに留めたからだ。


「うるせぇ。別にお前の為に泣いた訳じゃない」


「まったく、相変わらず子煩悩だねぇ。これはもう1人くらい保護者が必要かな」


「はぁ? 何でだよ」


「キミの過剰な振る舞いが普通だと誤解しかねない。それはシルヴィアにとって足枷だよ」


「嬉しいものは嬉しい。楽しいものは楽しい。嘘偽りない気持ちを伝える事が、悪いことだとは思えねぇよ」


「キミのは限度を超えてるから言ってるのさ」


「はいはい、小言は後にしろ。それよりも飯にするぞ。シルヴィもあがりなさい」


「えぇ〜〜、もうちょっとだけ遊びたいの」


「これ以上は身体が冷えちゃうから、また後にするんだよ」


 アルフレッドは言葉の温度を巧みに使い分けつつ、食事の準備に取り掛かった。メインは三尾の淡水魚。釣り竿ではなく剛腕で獲ったもので、そこらの手頃な枝で串焼きにした。

 他には森の木々に見つけたリンゴ、引っこ抜いた野生の人参にジャガイモ。下ごしらえは最低限に、おおよそ元の形を保ったままで供出された。


「わぁいお魚さんだぁ、おいしそう!」


「うわぁ、また焼き魚かぁ。そろそろ違うものも食べたいよ」


「リンゴさんもあるの。甘くて大好きなの」


「うへぇ。せめて皮くらい剥いたら? 渋いし邪魔くさいしロクな事ないよ」


 両者は真逆の反応を示したが、アルフレッドの関心は愛娘にしか向かない。更に言えば、小骨と格闘する姿に肝を冷やし、介入しようとする手が宙をフラフラ泳ぐ。自分の食事も放ったらかしにして。


「し、シルヴィ。おとさんが骨をとってあげようか?」


「ううん。自分でやるの」


「そっかぁ、でもねぇ、骨が刺さると危ないだろう? その度に傷薬が必要になっちゃうから」


「ダメだよアルフ。薬ならもう底をついてる」


「そういう事だから、ここはおとさんに任せて欲しいなぁ。骨を取っちゃいたくて仕方ないなぁ」


「ううん、シルヴィがんばるの!」


 父としては喜ばしい事だ。自立心を逞しくし、自ら課題と向き合う姿は微笑ましい。だがそれと同時に、個人的な心配性が心を苛む。喉に刺さった骨が何らかの珍妙な事象を連続的に発動して体の奥深くまで侵入し、更に何か色々あって臓腑を傷つけでもしたらと思えば、気が気でないのだ。


「やめてくれ、シルヴィ。でも、心ゆくまで頑張って……」


「なんだい、その絶妙に面倒なセリフは」


 その様にして普段どおりの食事を進めていると、突如として緊張が走った。モコは垂れ耳を立て、アルフレッドもだらしなく垂れた顔を引き締めた。


「ねぇアルフ」


「分かってる。思ったよりも接近を許したな」


「気配を消すのが上手いね。これは魔狼よりも厄介な相手かも」


「何だって良い。敵なら蹴散らすまでだ」


 彼らが警戒する者相手はすぐに現れた。木々の隙間から、まるで待ち合わせでもしたかのような気楽さを見せてくる。


「あぁ良かった。やっと見つかったわ」


 現れた人物は若い女だった。細身で長身。整った顔立ちは、粗末なローブ姿ですら美しく思わせる。蒼い輝きの髪がアゴ先までを覆い、切れ長の眼に引かれたアイラインは赤く燃える炎のよう。だがそれよりも目立つのは頭頂に生える三角耳だろう。明らかに人の物とは違うそれは、愛らしさだけではなく獣人であることを雄弁に物語る。

 総じて獣人とは、人族に比べて魔力が強い。アルフレッド達は自然と警戒を強めた。


「知り合い……じゃないな。何か用か?」


「ええ。お礼を言いたくて、後を付けてきたの」


「お礼? 全く身に覚えがないぞ」


「ホラホラ。この前、魔狼と戦ったでしょう」


「もしかして囚われの身だったとか?」


「まさか。そんなんじゃないわ。とうとう見つかったのよ、運命の人が……!」


 女はそう告げるなり、両手を左右に広げた。すると周囲は業火に包まれ、アルフレッド達はまたたく間に紅蓮の光に照らされた。


「さぁ見せてちょうだい、原初の魔狼すら手球に取ったその力を!」


「攻撃してきたって事は、敵なんだよな?」


 アルフレッドは睨みつつも立ち上がりはしなかった。焼けた魚の腹に食らいつき、プッと口から吐き出した。それは濃紫のオーラに包まれた魚の骨だ。地面に突き刺さると、辺りの炎は忽然と姿を消した。後には木々への延焼どころか、焦げ臭さすらも残らない。


「やるねアルフ。幻術だと見破るなんてキミらしくもない」


「熱くもねぇし煙も出ねぇ。こんなもん幻だって説明してるようなもんだろ」


「そうだけど、大抵は拳で解決するじゃないか。殴ればなんとかなるって感じでさ」


「勘が当たったんだ。今日は調子が良いかもしれねぇ」


 アルフはおもむろに立ち上がると、女の傍に歩み寄った。そして手元の木串を剣に見立てて、先端を向けた。


「何のつもりだ。人の力を品定めするような真似しやがって」


 女は小刻みに震えだし、それはやがて遠目からも分かる程に激しくなる。恐怖に心を支配されたか。始めのうちはそう思われたのだが、わななく口から飛び出したのは、全く予想だにしないものだった。


「す、す……素晴らしいじゃないのッ!」


「……ハァ?」


「やっぱり見間違いじゃなかったわ、アナタの魔力! 果てしなく濃厚でほんのりと気品があって、それでいて慈悲の無いほど粗暴な暴れ方をするの。あぁ、なんて甘美で悩ましいのかしら。こんなもの100年、いえ200年探し求めても見つかるものではないわ!」


「えっ、いや、えぇ……?」


「ねぇアナタ、子供は居るけど奥さんは? 恋人は? 想い人は? 何か訳ありって顔してるわね。でも良いの、私が全部忘れさせてあげる。そして沢山子供を産んで、私達一家が無秩序で腐り果てた世界に鉄槌を……」


「落ち着けっての」


「へもすっ!?」


 怒涛のセリフを止めたのはデコピンだ。想いの丈を目まぐるしく語った女は額を押さえ、平静さを取り戻した。


「はぁ、痛かった。取り乱してごめんなさい」


「別に良いけどよ。落ち着いたか?」


「えぇもちろん。私はこれでも『冷静沈着なリタ姉さん』として通ってるから」


「おっそうか。説得力ねぇな」


「それで、ええと、うん。私は狐人族のリタって言うの。アナタの旅に連れて行ってもらえない?」


「仲間になりたいってのか?」


「そうそう。こう見えて幻術とか魔法が得意なの。料理や裁縫にも慣れてるわ。それにね、子供が寝静まった頃、色々とステキな事も出来ちゃうわ。どうかしら?」


 リタは言葉とともに身体をくねらせた。彼女の曲線は一層豊かな弧を描き、視界に強く訴えかける。

 それを目の当たりにした返答はというと、かなり鋭いものだった。


「要らん。さっさと帰れ」


「えっ、どうして!? 私の気持ちが伝わってないのかしら?」


「伝わったのは、お前が変なヤツで胡散臭いって事くらいだ」


「待ちなよアルフ。料理が得意だっていうし、連れて行ったら? キミの野性味溢れるご飯にはもうウンザリだ」


「だったら自分でトカゲでも捕まえてこい。ともかく、ダメなものはダメだ」


「そんな……どうしたら良いのかしら」


 早々、悲嘆に暮れるリタ。だが沈んだ瞳にアルフレッド達の昼食が映り込むと、再び色を取り戻した。


「あら、焼き魚なのね。犬人族の子供に焼き魚。これは大丈夫だったかしら?」


「な、何だよ。もしかして骨が……!」


「それにリンゴ、しかもそのまま。あらまぁ、ちょっと大変ね」


「リンゴの何がダメなんだ、美味い美味いと食ってたぞ!」


「一応、ジャガイモの芽は取り除いてるのね。流石にそれくらいは知ってたのかしら」


「毒があるんだろ、馬鹿にすんな。それよりも魚やらリンゴに何の問題があるんだよ」


「そうねぇ。まぁ可哀想だけど、他所の子だし。私には関係ないかしら」


 きびすを返して立ち去ろうとするリタを、アルフレッドが袖を掴んで引き止めた。この時点で既に術中に落ちたと言える。


「待て待て待て、最後まで教えてくれよ。何が問題なんだ?」


「アナタ、獣人の生体を良く知らないでしょう? だからこんな食事を平気で出せるのよね」


「だって、普通に食ってくれるから! 喜んで全部食べるから!」


「獣人は人族に比べて魔力が強い、だから食性も違うの。それと後遺症もね」


「こ、後遺症……?」


 思いもよらぬ展開に、アルフレッドは唾を飲み込んだ。

 そして次なる言葉を待つ。リタによる一世一代の大ボラを。


「例えば焼き魚。丸々1尾を犬人族の子供に食べさせると、魚になっちゃうわよ」


「マジで!?」


「1回2回くらいなら平気だろうけど、頻繁に食べさせるとね。何らかの兆候があるんじゃない?」


「そんな事は……ッ!」


「心当たりでもあるかしら?」


「い、いや。別に」


 今日の水浴びで、シルヴィアがやたらはしゃいでいた事を思い出す。心なしか、魚になりきる事に喜びを覚えていた気がしなくもない。


「それからリンゴねぇ。食べさせすぎは身体に毒よ」


「い、一体どうなっちまうんだ?」


「リンゴを愛するようになり、やがて頭に立派な木が生えるようになるわ」


「マジで!? さすがにそれは嘘だろ!」


「兆候として、ありのままのリンゴを求めるようになるんだけど。無事なのかしらね?」


「だ……大丈夫だ!」


「本当に? 思い当たるフシがありそう」


「そんな事はない!」


 アルフレッドが眼を泳がせてまで記憶を辿るのとは対象的に、モコは笑いを堪えるのに必死だ。小さな両手を口に当てて、たまに咳払いなどして衝動に堪えた。


「まぁ今のはレアケースの話だけど、料理はおざなりにして良いものじゃないわ。特に育ち盛りの子供にはウンと栄養を与えなきゃ」


「オレだって頑張ってんだよ」


「アナタを卑下するつもりは無いの。でもね、可食部だけを丁寧に取り出して、適切に処理して美味しく彩れば、お腹も心も満足するでしょう?」


「口で言うのは簡単だろ。こちとら流浪の身で、街にもロクに入れねぇんだ。そんなバカ丁寧にメシだなんて……」


「有り物で作れるわ、ちょっと見てて」


 リタは魚の串焼きを手に取ると、それを宙に投げ上げた。続けざまに放たれる魔法の刃は極めて精密で、焼き魚を3枚に下ろしてみせた。それを宙に浮かべた鍋に投じてからも、下ごしらえは続く。

 続けて人参とジャガイモを取り出し、やはり投げ上げては魔法で刻み、鍋に収めた。それからは魔力により湖から真水を吸い上げて投入。適度に調味料を加え、最後に火力十分な魔法を浴びせれば完成だ。

 手元にフワリと落ちた鍋には、香り豊かなスープで満たされていた。


「出来たわよ、魚出汁のスープ。食器も用意するわね」


 リタは倒木を見つけるなり、魔法の刃で裁断した。太い枝はあっという間にスプーンに、幹は手頃なお椀に早変わりした。

 この手際の良さには、さすがのモコも拍手喝采だ。


「うわぁ凄いねぇ。鮮やかなお手並みじゃないか。料理も美味しそうだし最高だね!」


「黙ってろモコ。こんなもん、どうせ見掛け倒しだ」


 毒味がてらにアルフレッドが一口啜った。そして次の瞬間、彼の顔が赤黒く染まっていき、口元も固く結ばれたまま開かない。ただし、胸中で葛藤している様は傍目から見てもよく分かる。


「あら? お口に合わなかったかしら?」


「違うよ。これは真逆の感想なのさ。ただ何と言うか、認めたくないみたいだね」


「そうなの。結構分かりやすい人ね」


 そんな評価が流れる最中、アルフレッドは懸命に戦っていた。美味いと認めてしまえば話は更にこじれてしまう。彼は面倒が嫌いだ。浮世の繋がりなどゴメンだ。これ以上、厄介事を引き寄せない為にも追い返すに限るのだ。


(クソ不味い、ただそう言えばお終いだ……!)


 しかしその一言が極めて難しい。汁を軽く含んだだけでも味わい深く、香りとコクも濃厚。更には温度感までもが絶妙なのだ。こうなれば具も口にしたくなるのが人情。味は、食感はどうなのか。貪(むさぼ)りつきたい衝動を堪えんが為に、彼の顔は紅潮したのだ。

 そしてようやく絞り出した声も、蚊の鳴くような弱々しいものだった。


「こ、こんな料理は、クソだ……。食えたもんじゃない」


「アルフ、素直になりなよ。さっき自分で言ってたじゃないか、嘘偽り無い気持ちを表現してるって。その振る舞いはシルヴィに良くないとは思わないのかい?」


「うっ……!」


 アルフレッドは恐る恐る愛娘の方を見た。そこには汚れなき瞳がクリンと開かれており、父の冷え固まる魂を打ち砕いてみせた。


「ちくしょうめ! 美味いよ、最高にクソ美味いよ! お店屋さんかお前は!」


「んーー、今のは大絶賛って捉えて良いのかしら?」


「ねぇねぇ、シルヴィも食べてみたいの」


「僕ももらって良いかな。匂いだけじゃ満足できないよ」


「どうぞどうぞ。存分に召し上がれ」


 それから3人は夢中になって食べ進めた。鍋満杯にあったスープは、大して待つことなくカラになる。


「さぁさぁ、デザートもどうぞ」


 続けて用意されたのは角切りリンゴ。その上に金色の糸が乗せられた様に見えたのは、蜂蜜だ。シルヴィアはもちろん、他の2人も矢継ぎ早に口へと詰め込んでは称賛の声をあげた。

 リタにしてみれば圧倒的有利な状況だ。あとはひと押し、言質さえ取れれば完了となる。


「シルヴィちゃん。私のご飯は気に入ってくれたかしら?」


「うん。お姉ちゃんのゴハン、すっごくすっごくおいしかったの!」


「そう。気に入ってくれて嬉しいわ。お夕飯は何にする?」


「わ、わ、わ。夜のゴハンもつくってくれるの?」


「えぇもちろんよ。アナタが望むなら、いつまでも……ね?」


 そこでリタはアルフレッドと視線を重ねた。もはやチェックメイト、試合終了である。こうなってしまえば、アルフレッドもとやかく言う事は無かった。

 後に魔王として君臨するアルフレッドだが、どこか脇の甘い人物だ。そんな彼がリタという知恵袋と出会えたことは幸運だと言えよう。実際、彼女は甲斐甲斐しくも、主を支え続ける事になるのだから。

 ただし頼るべき参謀を得ても、常にアルフレッドの望む結末を迎えるかは、また別の問題なのであった。

 

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