第3話 戸惑う女騎士
アルフレッドら一行は、リタという狐人の参謀を仲間に加えた。差し当たって食事の質が大幅に改善された事により、旅も順風満帆、意気揚々とした足取りで歩いていく……とはならない。彼らはいまだに、目的地すら決めきっていなかったのだ。
「やっぱ拠点が必要だよな。この先もずっと根無し草とか、しんどいぞ」
安住の地が無いというのは辛いものだ。来る日も来る日も居場所を変え、真新しさを面白く思う一方で、安心感の薄さが疲労を積み上げていく。
「辛いのは言わずもがな、じゃないか。せめて雨風くらいは凌ぎたいよ」
どこかに住まうとしても簡単ではない。肥沃な土地や利便性の高い場所は既に人族が押さえており、大小問わず街や村が造られている。では人里離れた山中の、水源や食材の豊かな場所となると、そちらも先住民が陣取っていた。
先日見つけた洞穴など、熊の親子の棲家だったが為に一悶着あった。正確に言えば歓迎はされたのだが、いざ同居しようとすると敬遠されてしまい、退去せざるを得なかった。
他の場所も毒蛇が占拠したとか、気弱なオーガ達が泣いて許しを乞うなどあり、とにかく寝ぐらの確保は難航するのだった。
「何度も言ったけど、その辺に住んじゃおうよ。住めば都。慣れてしまえば快適だって」
「そうは言うけどさ。水も食物もねぇとこに居座っても仕方ないだろ。それからグランニアの連中に見つかれば、最悪逃げなきゃならねぇ。どこでも良いって訳じゃねぇだろ」
この様なやり取りは毎日のように繰り返されている。一刻も早く家を持ちたいモコと、吟味しようとするアルフレッド。性格からすれば逆の意見を持ちそうだが、お互いに持論を一貫して持ち続けた。
いつもなら議論は平行線で終わる所、今は第三勢力のリタが居る。彼女は思案顔を挟んだかと思えば、さも名案でも閃いたかのように、温め続けた意見を述べた。
「ねぇ、豊穣の森はどうかしら?」
「豊穣の森?」
「えっ。正気かい?」
2人の反応は割れた。間の抜けた顔のアルフレッドはさておき、モコは苦笑を浮かべて難色を示した。芳しくない様子ではあるが、提案は止まらずに続けられる。
「大陸西部にある空白地帯よ。どこの国にも属していないし、森の中にも広々とした平地があるから、住むには丁度良いかしら。もちろん水源も豊かよ」
「西部ったってどの辺だよ」
「待ってて、今地図を出してあげるから」
「何でそんな高級品を持ち歩いてんだ」
「ちょっとね、世界をさすらうのが趣味なの」
そうして取り出された一枚の紙はコンパクトなサイズ感だ。ちょうど見開きの本くらいの大きさで、実用的であり、かさ張らない。その地図に今、小石が1つ乗せられた。大陸でいう中央からやや南に外れた場所である。
「ここ辺りが現在位置。グランニアとプリニシアの国境付近ね。警備が甘いのは緩衝地帯のせいかしら」
「そうかもしれねぇ。そんで、その森はどこにあるんだ?」
「大陸中央にある大霊山を迂回して西に。やがて深い森に行きつくの。そこからはもう豊穣の森になるわね」
「結構でかいんだな。個人宅を構えるような広さじゃないだろ」
「そうね。だからこそ資源が潤沢なの。土壌はどこよりも豊かで、作物の実りが常識外れだと聞いたことがあるわ」
「へぇ、良さそうじゃん」
「しかも森は軍隊の移動に不向きだから、追手を差し向けるにしても南北の開けた道まで迂回する必要があるわ。南は人族の勢力圏だけど、北は獣人が治める敵地。実質、1方向からしか攻められないという、守るにも適した場所ね」
「何だ最高かよ。そこに家を建てて住んじまおうぜ」
アルフレッドの気安い声に緩みを見たのか、シルヴィアが些細なイタズラをした。現在位置として置かれた小石の側に枝やら雑草を並べては、ごっこ遊びに興じたのだ。
「がおーー。ドラゴンだぞぉ、食べちゃうぞーー」
「こらこらシルヴィ。今は大事なお話中だから、もう少し待ってなさい」
「いいやアルフ。あながちお遊びって訳でもないよ」
「どういうこった?」
「ねぇリタ。そこまで詳しいのなら、これも知ってるんでしょ? 豊穣の森の怪物を」
モコの問いかけに、リタは静かに頷いた。特に誤魔化す素振りは見せない。
「何だその怪物って奴は?」
「豊穣の森が豊かなのは理由があって、地下に魔力線という地脈が走ってるんだ」
「ちみゃく?」
「簡単に言えば、土地の豊かさを裏付けるものさ。大元の太い線から枝分かれして、大陸のあちこちに分散してるんだけど、豊穣の森の下には最も太い線が息づいてる。しかも縦横の2本。世界でもトップクラスに肥沃な土地だと断言できちゃうね」
「そりゃ結構だがよ。何でそこまでの土地が放ったらかしになってんだ」
「その理由が、いつの間にか居座るようになった怪物さ。こいつは実に厄介な魔獣でね。人族ごときじゃ逆立ちしても倒せないんだ」
「ふぅん。でも良い土地なんだよな。どうして教えてくれなかった?」
「厄介な魔獣が居るって言ったでしょ。こいつは流石のキミでも勝てないよ」
「何だよ。やる前から負けるって決めつけんな」
「違う。僕は勝てないと言ったんだ。確かにキミは一時的な勝利を得るかもしれないけど、敵はすぐに復活してしまう。魔力線の力を喰らって生きる怪物だからね。言っちゃあ不死身なのさ」
その言葉には有無を言わさぬ説得力があった。同時に、盛り上がった気分に冷水を浴びせる効果も十分だ。
「そりゃ無理だ。不死のバケモンなんてオレでも手に余る」
「待って。対策ならあるの。私とアルフなら上手く行くわ」
「なんだ、何か名案でもあるってのか?」
「もうすぐ新月を迎えるでしょ。その頃は魔力線の力が一番弱まるのよ。アルフが相手を無力化して、私が魔法で封じる。これで倒せると思うの」
「ふぅん。モコ、どう思う?」
「試してみる価値はありそうだけど。五分五分、いや、分の悪い作戦なんじゃないかな」
「じゃあ、一度くらいやってみても良いか。それで倒せりゃ儲けもんだろ」
「僕は止めないよ。どうせ戦うのはキミだからね」
「じゃあ決まりだ」
「それにしてもねぇ、リタは珍しい魔法を習得してるね。幻術もそうだし、封印まで出来るんだからさ」
「ちょっとね。旅をしてるうちに色々と学んだのよ」
提案が受け入れられたとあって、リタは珍しくも飛び跳ねてまで喜んだ。
遊びが解禁されたと感じたシルヴィアも両手を掲げて喜びを表した。何が嬉しいのかは分からずとも、同じ気持ちを分かち合いたいのである。
「話が決まれば急ぎましょ。新月まであと5日。ギリギリ間に合うかどうかね」
「仕方ないな。疲れた奴はオレが担ぐとしよう」
「それから無駄な体力は使わないように。怪物との戦いは万全の態勢で臨みましょう」
「分かったから。ともかく行くぞ」
方針が決まれば動きは鋭敏だった。大霊山の麓をグルリと回りつつ丘陵地帯を縦断しようとした。
足早による移動だ。まずシルヴィアが保たなくなり、アルフレッドがおんぶした。モコは始めから歩く気など更々なく、シルヴィアの背中の上で丸くなった。そこまでは想定内であったが、トドメにリタが足の不調を訴えた。結果としてアルフレッドの右肩にシルヴィア、左肩にリタが座り、頭上でモコが寝転ぶという事態になってしまう。
極めつけは背中の大荷物だ。元からあった物にリタの分が加わり、重量感もさる事ながら、歪なバランスのせいで酷く背負いにくい。そんな曲芸じみた移動は圧倒的強者からでさえ、容赦なく体力を奪い去るのだ。
「マジでフザけんな。力を温存する話はどうしたんだよ」
「頑張ってねアルフ。お陰様で私は消耗せずに済むわ」
「オレがヤベェだろ、それくらい言わなくても察しろよ」
「でも年頃の男性って、乙女の柔肌で昼夜に渡って駆けると言うわよね。効率的な態勢だと思わない?」
「どこの変態だよそれ、知らねぇし」
「ねぇおとさん。お水ちょうだい」
「よしよしオッケー。この辺で休憩を挟むぞ」
アルフレッドは2人を肩から降ろし、頭上のモコも引きずり下ろして、草地に座り込んだ。さすがの彼も疲れを見せてしまう。怠くなった肩を回し、凝り固まった首筋をほぐした。こうまでしてもギリギリ間にあうかという距離。休憩も長々と取ることは出来ず、僅かばかりの時間だった。
短い休みを貪る気分で横になる。しかし不運な事に魔獣と出くわしてしまった。ただし標的はアルフレッド達ではない。何者かが必死に戦う局面を目の当たりにした格好だ。
「あれは、ドラゴンだな。戦ってるのは人間か?」
「騎士団っぽいね。旗色はだいぶ悪い。あのニンゲン達は殺されちゃうかもよ」
「あっそ。まぁ世の中は弱肉強食だ。強い奴に刃向かった運命を呪うしかないだろうよ」
「念の為に聞くけど、助けないのかい?」
「休憩中だ、当たり前だろ。それに騎士団なんか関わりたくもねぇ」
アルフレッドにとって人族の騎士団など同情する価値も無い。平穏を乱すだけの外敵であり、たとえ断末魔の叫び声を聞いても、眉ひとつ動かさない自信が彼にはあった。
戦地は十分に離れているので、巻き添えになる心配もない。長居する予定も無いのだから、危険性は皆無と言って差し支えない。
そう見込まれたのだが、ドラゴンが獄炎の息を吐いた事によって事態は急変する。岩をも溶かすと言われる炎は、遠く離れたアルフレッド達にも余波が伝わった。と言っても実害など無く、せいぜいシルヴィアが「あつい」と漏らした程度である。しかしながら、その言葉は父の激情を誘うのに十分すぎた。
「ざっけんなトカゲ野郎! うちのシルヴィアたんが大火傷を負ったらどうしてくれんだ!」
一度怒りに火がつけば手に負えない。アルフレッドは高速で攻めかかると、まばたきの内にドラゴンに肉薄。拳を振るって腹に深々とした一撃を突き刺した。
悶絶して倒れるドラゴン。だがこの程度で許される訳もなく、尻尾を掴まれては長々と振り回され、終いには天高く投げ飛ばされてしまう。そしてトドメの一撃が怒声とともに放たれた。
「粉々に消えちまえやオラァーーッ!」
アルフレッドは右手に魔力を充填させた。濃紫に輝くそれは、やがて紅色に染まり、確かな熱量も持つようになる。そして力なく浮かぶドラゴン目掛けて投げつけられた。
次の瞬間に起こったのは大爆発だ。空にもう一つの太陽が生まれたかのような眩しさに、目を開けていられる者など居ない。凄まじい閃光、肌を焦がすような爆風。それが収まった頃には、巨体を誇るドラゴンは影も形も残されていなかった。
恐るべきは父の過剰なまでの愛。微かであっても愛娘に毒牙を向ける行為は、死体を残す事すら許されぬ蛮行であると、明確な態度で示したのである。
「やべぇ、寄り道してる場合じゃねぇわ」
我にかえったアルフレッドはすぐに戻ろうとした。しかしその足は、満身創痍の女騎士によって引き止められる。
「助かった。見ず知らずの御仁に助けられるとは、私はまだ死ぬべきでは無いらしいな」
「おっそうか。拾った命を大事にしろよ、じゃあな」
「待ってくれ。私はエレナ・ナイト・プリニシアと言う王国騎士だ。是非ともお礼がしたいのだが」
それを聞いてアルフレッドは、内心で舌打ちした。やはり騎士。宿敵のグランニア所属ではなくとも、唾棄すべき相手なのだ。お礼を口にする女を睨みつけてしまうのも因縁が故である。
「どけよ、オレは忙しいんだ。それにお前を助ける気なんか無かったぞ」
「そうなのか? だが恩人は恩人だ。手ぶらで帰しては騎士道にもとる。時間は取らせないので、少し待ってくれないか」
「なぜ足止めを。何を企んでやがる」
「企むなどと……私はただ」
その時、起伏の大きな丘陵から人影が現れた。1人2人と顔を出し、やがて10人以上の男たちが辺りを囲んだ。甲冑姿の騎士団。しかし、傷だらけのエレナに比べてずっと整然とした姿の男たちである。
「ハッハッハ。魔獣退治などと貧乏くじを引いたかと思えば、思いがけない幸運に巡り会おうとは。なぁ、お尋ね者のアルフレッド君」
「その兵装は……。いつものクソどもか」
今度はアルフレッドも本当に唾を吐いた。結果的にとはいえ、グランニア騎士団の一派を救ってしまった事が腹立たしくなる。
「一応警告してやるよ、退け。そうすりゃ殺さないでやる」
「フフン。大手柄を前にして手をこまねく者が居ようか。これで我が隊は国一番の、いや大陸随一の騎士団と呼ばれるであろう!」
槍の先を揃えた騎士達が三方からアルフレッドに迫った。もはや戦闘は避けられない。そう思われたのだが、エレナが割って入った。足を引きずる素振りからは、決死の覚悟すら感じさせた。
「待て、この御仁は我らを助けてくれたのだ。恩に報いるどころか、刃を向けるとは、グランニア騎士団には恥というものが無いのか!」
肩で息をする程に消耗しているのに、凛とした声の響きだ。これには末端の騎士も気圧されるのだが、団長の男だけは涼し気な顔のままである。
「分かっとらんなぁ、プリニシアの田舎騎士殿。騎士とは主に剣を捧げし者。グランニア皇帝閣下のご下命は、何よりも優先される。すなわちその男を討ち取るは大義、いや天命と変わりないのだ」
「正気なのか! 任務を放り出して魔獣から逃げ回り、挙句の果てに恩人に剣を向けるとは。もはや外道の振る舞いではないか!」
「やれやれまったく。これだから女は使えぬ。忠義の何たるかを知らぬなら、村にこもって機織りでもやっておれば良いのだ」
「道を極めるのに男も女もあるものか!」
剣を抜き放とうとするエレナだが、肩を掴まれて後ろに放り投げられた。勢い余って尻から倒れ、眼前にアルフレッドの背中を見た。
「ほほぉ。どういう風の吹き回しかね。貴様が女とはいえど騎士を守ろうなどと」
「これが最後の忠告だ。退け。愛娘の傍で血を流したくねぇ」
「馬鹿め、この数を見てまだホザくか。流れるのは貴様の血だ!」
団長の合図で槍は突き出された。10を数える穂先がアルフレッドの身体を貫かんとする。しかし、その切っ先はひとつとして彼の身体に触れる事はなかった。濃紫のオーラが、まるで鋼鉄の鎧であるかのように、全てを防いでしまったのだ。
「化物め! 槍ではダメだ、魔緑石を……」
慌てて腰の袋をまさぐる団員たちだが、その動きは間もなく止まる。
「この程度で殺せると思ったか、クズどもめ!」
アルフレッドが怒気とともに殺気を撒き散らした。それは歴戦の戦士であっても気絶する程であり、グランニア騎士団は根こそぎ倒れ伏してしまった。
無事であったのは、背後に佇むエレナくらいのものだ。
「魔獣からは逃げ回り、恩人には牙むいて、最後はスヤスヤとおねんねか。ご立派なもんだよな、人間様の騎士道とやらは」
誰に言うでもなく、アルフレッドは呟いた。興が冷めたのか、それからは不機嫌そうな足取りで仲間の方へと戻っていく。
「待たせたな。やっぱり寄り道なんかするもんじゃない。ロクな目に遭わねぇからな」
それだけ言うと、一行は先を急いだ。力なく項垂れる女騎士などには目もくれずに、ただ淡々と。
アルフレッドは軽率な振る舞いを心から後悔した。ニンゲンを助けた事もそうなのだが、休憩はしっかりとろうと。二度と面倒な事には首を突っ込まないぞと、2人と1匹を担ぎながら痛感するのだった。
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