第7話 魔王爆誕
街での騒動から数日後。意外にも平穏を保つ豊穣の森には、緩やかな時間が流れていた。
朝食を済ませた後、洗い物まで片付けたリタは、紅茶を愉しむ事に決めた。
「大事にならなかったのかしら。それならそれで助かるのだけど」
例の件については、まだ誰にも話せずにいる。なんの脈絡もなしに『魔王だと名乗ってケンカ売ってきちゃったわ』だなんて、流石の彼女も口には出せない。その為、腹に重しを抱えた様な日々が続くのだ。
独りきり、出口のない物思いに耽るうち、入り口が開かれた。手早く仕事を終えた仲間が戻ったのである。
「たっだいまぁ。なんか美味そうなもの飲んでますね」
「おかえりアシュリー。今日は肌寒いでしょ。だから温かい紅茶をと思って」
「良いですね、アタシも1杯貰えます?」
「じゃあお湯を沸かすわね」
ティーセットはまだ無い。魔法で沸かした湯を鉄の器に集め、茶葉が混ざらぬように木椀へと注ぎ込む。雰囲気こそ損なわれるものの、茶葉の渋みと砂糖の甘さは変わらない。
「かぁぁ腹にしみますね。堪んねぇですよ」
「今日は随分と早かったわね。サボり?」
「まさかまさか。ここ最近ね、ニンゲンが森に現れなくなったのですよ。そのお陰で作業がめっちゃ捗りまして」
「そう……それは良かったわね」
「まったく、ニンゲンどもときたら欲深で困りますよ、何でもかんでも根こそぎ持ってくんですから。慎ましくチョビッとだけなら、アタシだって見逃してやりますがね」
この話はリタにとっても朗報だ。魔王の存在を匂わせた結果、レジスタリア人が警戒して侵食を踏みとどまったのだから。あながち悪手でも無かったと、独り胸を撫で下ろすのだった。
それから程なくして帰宅したのはアルフレッド親子だ。娘の方はいつも通りの笑顔。元気いっぱいにダイニングを駆け回っては段差で飛び跳ねる。そして父親の方はというと、仏頂面に不機嫌さを重ねがけして、椅子にドッカリと座り込んだ。吐き出される溜め息も、疲労と怠惰を織り交ぜたニュアンスがある。
「お帰りなさい。今日は冷えるでしょ、紅茶でもいかが?」
「寒いっちゃあ寒いが、冷たいのをくれ。喉が渇いてる」
「じゃあすぐに用意するわね」
「アルフ、随分とご機嫌斜めですね。良かったら森の賢人ことアシュリーちゃんが相談に乗りますよ?」
「斜めなんてもんじゃねぇよ。とうとう騎士団がちょっかい出して来やがった。10人も居なかったから偵察だと思うがよ」
「へぇ。そりゃ面倒臭そうですね」
その時、流し台からゴトンと目立つ音が鳴った。リタが手を滑らせて木椀を落としたのである。ごめんなさいと、小さく謝罪されたことで話は続けられた。
「マジ面倒くせぇわ。すぐに追っ払ったんだがよ、捨て台詞に魔王がどうのとホザきやがった。訳わかんねぇ」
「なんか唐突ですね。魔王だなんて、おとぎ話じゃないんですから」
「お待たせアルフ、紅茶よ」
「おうよ……ってどうしたんだ、汗びっしょりだぞ!?」
確かにリタは顔中に大汗をかいている。それはアルフレッドの気怠げな瞳が見開く程のものであった。
「んん〜〜、今日はちょっと暑いのかしらね」
「さっき寒いって言ってたじゃねぇか」
「気にしないで。それよりも話が途中だったんじゃない?」
リタは強引に話題を戻し、流しで洗い物を始めた。手元に洗うべき食器など残されていないのだが。
「これからも騎士団がやってくんのかな。こちとら静かに暮らしたいだけだってのによ」
「いっその事、いにしえに伝わる魔王を自称しちゃえば良いんじゃないです? そしたらニンゲンなんかビビリまくると思いますよ」
「何だよ、そのいにしえに伝わるってのは」
「遥か昔のこと、人族と獣人族の大戦がありまして。そん時は互いに一柱の神を崇めて戦ったんです。んで、そのどっちかの神様が魔王を名乗ってたんですよね」
「ふぅん。知らねぇわ」
「古代の魔王が現代に復活、人族が歪に支配する世の中を正す。面白そうじゃないです? 傲慢なニンゲン共が怯えまくるとか、ワクワクしますよ」
リタにすれば願ってもない話だ。この提案に乗り気だったなら、今日までの懸念も解消されるのだから。
「嫌だね。そんな邪魔くさいこと、頼まれたってやらねぇ」
しかし現実とは非情であった。
「もったいないですね。アルフだったら、やり方次第で世界征服とか出来ちゃいそうなんですが」
「知らん。どうでも良い。オレはシルヴィと穏やかな日々を過ごせりゃ十分だ」
「そこにちょびっとくらい、全土掌握なんかを足してみません?」
「死んでもごめんだ。場合によっちゃ豊穣の森を捨てて、北にある獣人の国に逃げる事だって考えてるからな」
「うへぇ。そればっかりは思い留まって欲しいですね」
取り付く島もないとはこの事だ。リタとアシュリーの思惑を知ってか知らずか、野心の欠片すら見せようとはしなかった。そして、シルヴィアが挑戦するお父さん登りを満面の笑みで受け入れ、上手上手と褒めちぎるあたり本心のようである。彼に立身出世の願望はない。平穏で、飢えない暮らしであれば良いのだ。
それから迎えた夕暮れ。勢ぞろいした調味料による、豊かな晩餐が振る舞われようとした頃の事。聞き慣れない怒号に住処が揺れた。
「出てこい、ここはレジスタリア王の土地だ。速やかに退去せねば、国の威信をかけて誅滅するぞ!」
アルフレッドは肉団子を口に運ぼうとした瞬間だった。これには空腹も手伝い、色濃い苛立ちを隠そうともしなかった。
「誰だこの野郎、メシ時だぞオラァ!」
怒り任せに飛び出したのだが、出迎えたのは大軍だった。それは広々とした草原を埋め尽くす程の規模で、3千を超える兵士が1軒の家を取り囲んでいた。
「おやおや。魔王などと聞いて駆けつけたが、ペテン師の間違いか? どこからどう見ても人族の冴えない男ではないか。住処も城ですらなく、チンケな小屋ときたもんだ」
あちこちで嘲笑う声がする。数の多さに緩んだのか、標的の人物が貧相であるのに安堵したのか、歯を見せる者まで現れた。
「何の用だ、この野郎。死にたくなけりゃ消えろ、目障りだ」
「ハーーッハッハ。国一番の精鋭、キルナッサス騎士団と対峙しても尚うそぶくか。これは余程の大物だなぁ、口先だけだが」
騎士団長は、馬上のままで更にアゴを上向けて、口ひげの先を指で摘んだ。
この態度にはアルフレッドも怒り心頭だが、拳を握りしめて堪えた。無闇に戦えば血で汚れる。そうすればシルヴィアは哀しみ、ミレイアが大興奮する事は確実だからだ。
「聞こえなかったか、消えろ。たった1つの命を大事にしやがれ」
「やせ我慢も大概にするのだな。魔王を自称し、我らの進出を阻止したかったのだろう。目の付け所は悪くないが、実が伴わねば絵に描いた餅も同然。家人ともども死に絶えるが良い!」
「だから、魔王とか訳分かんねぇ事を……」
話は途中で遮られた。リタが口を出したのである。
「そうよ。彼は、我が主は魔王なのよ。無駄な犠牲を出す前に逃げ帰ることね!」
「おまっ、何言ってんだよオイ!」
「覚悟を決めてアルフ。力を示さなければ何も得られないわ」
「ハッハッハ、汚らしい獣人まで匿っていたか。救いようの無い事だ。穢れは焼き払うに限る」
キルナッサスが指を鳴らすと、配下の兵士は一斉に動き出した。後列の弓部隊が火矢を構え、そして一斉に放った。
射掛けられる無数の矢。それがこの男の怒りを買わないハズも無い。
「オレんちに何しやがんだボケェ!」
苦労して建てたマイホームだ。更に言えば、中では愛娘がピーマン炒めを相手に全力の戦いを仕掛けている最中なのだ。濃紫の猛りは一層に凶々しく煌めくのである。
アルフレッドの振り払う手に従って生じたのは吹き下ろしの旋風だ。刮目すべき威力は、油で燃える火を消してしまうほどで、矢も地面に叩けつけられて転がる。余波として伝わる風ですら大嵐のようで、甲冑姿の兵が転ばされる程である。
熟練の魔術師でも簡単にできる芸当ではない。圧倒的武力、まさしく魔王と呼ぶに相応しい力を誇示したのであった。
「なぁ!? 何だ今のは!」
「団長、兵は浮足立っております。ご命令を!」
「ぐぬぬぬ……!」
「団長!」
慢心した兵は崩れると脆い。そのため、一度も刃を交える事なく、敗走する気配を滲ませてしまう。
「かかれ! とにかく突っ込め! 敵はたったの2人だ、一斉攻撃で撃滅してしまえ!」
「そ、総員! 突撃ぃ!」
もはや戦略など無い。ヒステリックな号令が無謀な攻撃を敢行させた。もちろんアルフレッドに慈悲はない。前進して独り戦場に身を投じ、比類なき力を存分に活躍させた。
迫る剣を手刀でへし折り、すかさず返した蹴りが鎧を引き裂く。槍の穂先が向けられれば大きく跳躍し、宙空から手のひらで薙ぎ払った。するとまた暴風が生まれ、甲冑姿の兵たちが枯葉の様に吹き飛ばされていく。
レジスタリア軍にすれば劣勢どころではない。これは悪夢か、はたまた処刑か。もはや兵士に闘志は欠片もない。しかしこの期に及んでもなお、団長は攻撃命令を叫び続けた。
「良いか、休みなく戦え! 決して手を緩めるでないぞ!」
キルナッサスは勇ましく命ずるのだが、馬首は真逆の方を向いていた。そして僅かな供だけ連れて馬を走らせる。方角は南、レジスタリア方面であった。
「逃がすかよボケが!」
アルフレッドは足元に転がる矢を拾い、渾身の力で投げつけた。それは見事キルナッサスの肩に的中した。ただし、矢がへし折れていた事が災いし、軌道に狂いが生じてしまう。獲物を落馬させる予定だったのだが、落とすどころか大きな弧を描きつつ浮かびあげ、天高くまで飛ばしてしまった。そして、星空の彼方まで連れ去る事となったのだ。
「チッ、逃したか」
団長の逃亡と、消滅。騎士団にはもはや戦う意思は残されておらず、ジワジワと後退を始めた。アルフレッドは追撃する代わりに「キレイにしてから帰れ」と注文をつけ、負傷兵や散乱した武具の回収を命じた。
「あの様子だと、流石に生きてないんじゃないかしら」
「まぁ別に良いか、あんな小者は。それよりもリタ、なんで魔王だとか名乗らせやがった!」
思いの外強い語気に、リタは内心怯んだ。しかしもう後には引けない。もはや説得する以外に手段は残されていないのだ。
「それが最善の策だからよ。別に叱られるような事でもないわ」
「どこがだよ。おかげてレジスタリアと戦争になっちまった。クソ面倒くせぇ争いに巻き込みやがって、どうしてくれる!」
「じゃあ聞くけど、全面戦争を避けたら良かったの? そうしたら、ニンゲンが豊穣の森をアルフに任せて、良き隣人として暮らせたと? そんな訳でしょ。森を追い出されるのが関の山よ」
「交渉の余地があったかもしれねぇだろ」
「まさか。ニンゲンの欲に限度なんか無いわ。それに獣人を嫌悪してるもの。私達と折り合いが付くことはあり得ないわよ」
「だからって、魔王を名乗ってまで居座ろうとは思わねぇ。北に行けば……」
「北の、獣人が治める国まで逃げるって? 確かにシルヴィにとって悪い話では無いわね。でも人族のアナタは拒まれ、入国すら叶わない。傍で成長を見守る事も出来なくなるわね」
アルフレッドは思い知らされた。意外にも選択肢の少ない状況に、そこそこ呆然自失となってしまうのである。
「そういう事よ、アルフ。アナタが望む未来を歩んでいくには、ここで力を示さなくてはならない。確たる意思と力を知らしめる必要があるの」
「何でこんな事に……。オレはシルヴィと静かに暮らしたいだけなんだ」
「時には戦う事も必要よ」
「馬鹿らしい。頑張ったってロクな事になんねぇよ。こんなの世の中じゃ尚更だ」
アルフは毒づきつつ家の中へと戻った。するとすかさず、シルヴィアが眩い笑みで出迎えた。その手に空っぽの木椀を携えながら。
「おとさん、見て見てぇ! ピーマン全部食べれたの!」
「おぉ凄い、頑張ったじゃないか! エライぞぉ」
「あらアルフ。頑張ってもロクな事にならないんじゃなかったかしら?」
「うるせぇな。今はそんな話するんじゃねぇ。シルヴィの前だぞ」
努力がなんだ、頑張ったからなんだ。アルフレッドは心の陰から、後ろ向きな言葉が溢れ出るのを感じた。しかし、愛娘の笑顔を見る内、じんわりとした温もりが持論を霞ませてしまう。
「頑張ったもんな、本当に偉かったぞ」
その言葉は、シルヴィアよりも彼自身の耳に響き渡った。
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