第6話 人族の街は

 大陸西部に位置する豊穣の森は、あらゆる国からも干渉されない空白地帯だ。西は海、東は深い森で、今はアシュリーの手によって天然の迷宮へと変貌している。そのため、外部と接触するには南北のいずれかを目指す必要がある。最寄りの街は南にあり、そこはレジスタリアという国の都があった。


「もうちょっとだからね、頑張ってちょうだい」


「ワオォン!」


 リタは1人、偵察もかねての買い出しを任されていた。最寄りの街と言っても歩いて1日、走って半日の距離だ。わざわさわ足を使ったりはしない。従順なる魔狼の背に乗り、疾風の如きスピードで獣道をひた走るのだ。

 ちなみに魔狼達はどこで嗅ぎつけたのか、豊穣の森の一角に居座るようになっている。そして警備に馬代わりにと、アルフレッドの暮らしに役立つことを何よりの誉れとした。


「凄い速度ね。助かっちゃうわ」


 リタは揺れる髪に手ぐしを通しつつ褒め称えた。足を揃えての横座り。周囲に人目などなくとも、大股開きするような真似はせず、ただ優雅な振る舞いに徹した。いかなる時も品位を保とうとするのは彼女の美点なのである。


「ここら辺で良いわ。はいご褒美よ」


 魔狼に差し出すのは一欠片の燻製肉だ。熟成から濃い香りを宿し、噛めば噛むほど旨味が溢れるとあって、獰猛な獣ですら子犬の如き喜び様を晒してしまう。


「帰りもよろしく。あと、ニンゲンには見つからないようお願いね」


 そうして約束を交わすと、リタは単身での潜入を開始した。レジスタリアの都は王の住まう拠点とあって、その規模もさることながら、守りも堅牢だ。街をグルリと取り囲む防壁は高く、門番の警備も厳重だった。


「そこの女、止まれ」


「見ない顔だ。身分証は持ってるだろうな?」


 リタは頭から布を1枚被って獣耳を隠してはいるが、入り口を通り抜けるには不十分だった。一般人からかけ離れた妖艶さが、やはりというか眼を惹いたのである。


「仕方ないわね、ここは魔法で……」


「おい貴様、勝手に動くな!」


 手早く描かれた術式が幻術を生み出した。相手の身動ぎすら許さないほどに鮮やかな手際だった。


「あ、あが……」


「私はお買い物に来ただけよ、通してもらえるかしら?」


「ど、どうぞ、美しいお嬢さん」


「あらお上手ね、ご苦労さま」


 そうして難なく虎口を突破すると、向かったのは雑貨店である。中央通りの石畳を歩き、荷馬車や通行人とすれ違う。その何気ない一幕でも目ざとく付近を分析した。


(商店に品が山積み、貴婦人多し。家屋は数え切れない程。大陸南部の最大都市は伊達じゃないのね)


 通りで軒を連ねる商店は人の出入りが盛んで、金銀を片手にした商談が大賑わいだ。名産品は飛ぶように売れ、大金による取引をしては、荷馬車に積み込まれていく。

 一方で貴族の子女も負けじと大勢の家来を連れ歩き、豪華絢爛な品々を惜しげもなく買い漁った。店員も腰を過剰なまでに折り曲げて迎え、奥歯まで見える笑みを絶やそうとしない。


(商いは上々、国力は高そうね。だけど……)


 視線を路地の方へ向ければ光景は大きく変わる。身体を投げ出して横たわる男の瞳には、現在と未来が無く、在りし日の何かを夢想するかのようだ。ボロ服を着込む少年少女も、何を待つでもなく膝を抱えて座り込む。好き好んでそうするのではない。彼らには立ち上がる気力すら残されていないのだ。

 レジスタリア王都の光と影。わずか数歩の距離の間に両者を隔絶する何かがある。その見えない壁は品位に欠けており、よそ者のリタですら顔をしかめる程であった。


(貧富の差が絶望的ね。これだから人族は浅はかなのよ。温かなスープと寝床さえあれば、それだけで生きていけるのに)


 偵察はもう十分だ。そもそも眺めて気分の良いものではないと、伏し目がちになりながら歩いた。やがて目当ての店を見つけて扉を押し開けた。こじんまりとした店内、カウンター越しの店主から声をかけられた。


「いらっしゃいお嬢さん。何をお求めで?」


 店主は形式的には歓迎しつつも、あまり熱心ではなかった。単眼鏡(モノクル)の先にある小石を眺めるばかりで、客の方を見ようともしない。


「買い取って欲しい物があるの。見てもらえるかしら?」


「ええどうぞ。ここへ置いて貰えますか」


 卓上に置いたのは淡く光る小石だった。随所に刻まれた緑色の線は、自ずと発光し、その様が店主の関心を引き寄せた。


「これは……魔緑石ですな。しかも中々に純度が高い」


「お眼鏡に適う品かしら?」


「もちろんですとも。しかし運が悪い。魔緑石は値崩れを起こしましてな、先月の半値がせいぜいといった所です」


「それはなぜかしら?」


「豊穣の森が解放されたせいですよ。おぞましき怪物は消え、緑と平和が取り戻されました。その結果として、森の富を吸い上げる動きが始まったのです」


 そこでリタは、アシュリーのぼやきを思い出す。最近森の中で、やたらと人族を見かけるようになったと、苦々しい顔で。


「だから、魔緑石も余るようになってきたと?」


「私も商売なのでね、買い取りはします。ですがお嬢さん。貴女の事を思えば、しばらく手元に置いておく事をオススメしますよ」


「ありがとう。でも気遣いは無用よ、買い取ってもらおうかしら」


「この純度なら350ディナが3点。それで宜しいですか?」


「問題ないわ。ちなみにこの店では、食品や調味料は扱ってるの?」


「いえ、うちは骨董品や魔術品をメインとしてますので。そういった品でしたら、噴水広場へお行きなさい。すぐにお望みの店が見つかる事でしょう」


「ありがとう、また来るわね」


「良き午後を」


 思ったよりも安く買い叩かれてしまったが、それ程気にかけてはいなかった。望みの品を揃えるのに1千ディナも要らないからだ。

 それよりも気がかりなのは周囲の気配だった。我が物顔で練り歩く人々に紛れ、異質でしかない視線が感じられたのだ。


(つけられてるわね、腕が立ちそう。でも、監視の技はお粗末だわ)


 リタは気付かぬフリをしつつ買い物を続けた。噴水広場からほど近く、食品店で食材と調味料を買い揃え、一応の用事を終えた。


(まだ見張ってるのね。でも仕掛けてくる気配はない。面倒にはならないかもね)


 相手の出方を低く見積もったのは失敗だった。彼女らしくもなく読みが浅いのは、人混みに晒され続けたことで勘が鈍ったせいである。


「抵抗するな、大人しくしろ」


 リタは突然、両腕の自由を失った。左右から伸びた手は力強く、彼女の筋力では2人の屈強な男を振り払うことは難しい。


「いつの間に……離しなさい」


「悪いが、そいつは無理な相談だ」


 気安い口調で、それこそお茶にでも誘いかねない調子で、1人の男が語りかけた。短く切り揃えられた黒髪、頬に戦傷。軽装鎧が包む鍛え抜かれた身体は、腕組みするだけで筋肉の強固さが見て取れた。


「アナタは……!」


「オレの存在には気付けても、他の連中はノーマークだったようだな。まぁその為にバレバレの気配を出したんだがな」


「一体何者なの? 名乗りもせず、しかも女性を手荒に扱うだなんて、無作法の極みだと思わない?」


「おっとこれは失礼。オレはレジスタリタ騎士のアーデンだ。まぁ、平民出の雑用係みてぇなポジションだがな」


「へぇ、その騎士様が私になんの御用? この国では買い物をするだけで罪になるのかしら?」


「へへっ。アンタみたいな美人を手荒に扱うのは不本意だ。だが、魔法を使ってまで侵入したってんなら話は別だぞ」


「何の事だか分からないわ」


「見てたんだよ。アンタ、門番に幻か何かを見せて通ったろ。随分と手慣れてやがる。見逃すには、ちょいとばかし強すぎってもんだぜ」


「そう。仕方ないわね、大事にしたくなかったけれど」


 リタは両腕を掴まれてもなお、指先を走らせた。宙空に術式を描き、幻術を発動させたのだが。しかし騎士団の面々に効いた様子は見られない。


「無駄だよ。精神攻撃を使うのは前もって知ってんだ。対策しない訳がねぇ」


 アーデンは首元をまさぐると、真鍮の鎖を引っ張った。無骨で、デザイン性に乏しい首飾りだが、効果の程は十分だった。


(これは厄介ね。かと言って、こんな場所で攻撃魔法を唱える訳にもいかないし。獣化もダメね、正体を明かせば騒ぎが大きくなってしまう)


 無闇な殺生は彼女の主義に反する。しかし、この窮地を凌ぐ手段も限られており、思案するほどに汗が頬を伝う。

 結局、選んだのは幻術だった。ただし今度はひと工夫を凝らした上で挑む。


(相手の動揺を誘えば効くかもしれない。でも、行きずりの人だし、何の弱みも知らないのよね)


 大の男が慌てふためき、冷静さを失う言葉とは何か。どんな人物かも知らない相手に、何を言えば突き刺さるのか。目まぐるしく思案する間も、貴重な時間は過ぎ去っていく。


(どうしよう、アルフだったなら……)


 脳裏に彼の姿を浮かべた。笑う顔、腑抜けた寝姿、そして果敢に立ち向かう背中。すると、それが逆転とも言える策を授けるのだった。


「さてお姉さん。ちょっと付き合ってもらうぜ。キレイな身体で、そもそも生きて帰れるかは上役次第だから。悪く思わんでくれよ」


「戯言ならこの辺にして貰えるかしら。さもないと大変な事になるわよ」


「随分と威勢が良いねぇ。何かすんげぇ後ろ盾でもあんのかい?」


 リタは、アーデンが好奇心を寄せて近づくのを見た。左右の男の耳目も十分に集めている。つぶやくだけでも存分に聞こえた事だろう。


「私は魔王アルフレッドの右腕よ。私に対する侮辱は王への侮辱。慈悲の無い報復を望むのかしら?」


「ま、魔王だって!?」


「読んで字のごとし、膨大なる魔力で覇を唱える王よ。アナタ達の敵う相手だと良いわねぇ」


「そ、そんなデタラメ……誰が信じるか!」


「豊穣の森に居座り続けた怪物はどこへ行ったと思うの。里帰り? それとも休日デートかしら」


「ま、まさか、その魔王とやらが……」


「そのまさかよ。敵に回せば命は無いわ、こんな風にね!」


 リタは再び幻術を展開したのだが、今回は実に効いた。心の動揺を誘ったのが功を奏した。

 彼らの眼に映る血の海や肉片は、魔王への恐怖も相まって、強烈な心理的ダメージをもたらした。腐臭すら誤認する幻だ。心の平衡など容易く失い、手首を握りしめる2本の腕も力なく緩み、離れて落ちた。


「それじゃ御機嫌よう。しばらく幻と遊んでなさい」


「あ、あが……ッ」


 こうして自由を取り戻したリタは、まっすぐに門を通過して帰路を急いだ。足早に急ぐうちに魔狼が駆け寄って並走し始める。すかさず背に乗り、一応は追手の気配を確かめつつも、北へ向けて疾走していった。


「はぁ……咄嗟の事とはいえ、大口を叩いてしまったわね。アルフが知ったらどんな顔するかしら」


 騎士団相手に騒ぎを起こしたのだ。何事もないハズがない。しかしアルフレッドにどう説明したものか、さすがの彼女も分からず思案顔になり、狐耳も力なく垂れる。

 やがて、前方に見慣れた家屋が見えてくる。心に安堵と不安を均等に抱えたまま、帰宅した。


「リタお姉ちゃん、おかえんなさい!」


 奥からシルヴィアが駆け寄り、リタの胸元に飛び込んだ。最初は戸惑いを見せたのだが、空いた方の手で幼い身体を抱き寄せ、そして優しく告げた。


「ただいま、シルヴィ。いい子にしてたかしら?」


「うん、おとさんとアリさん遊びしてたの!」


「そうなの、良かったわねぇ」


 屋内でアリとは。リタに理解は出来なかったものの、とりあえず頭を撫でておいた。遅れてアルフレッドが奥から顔を覗かせた。


「ただいまアルフ。今戻ったわ」


「おかえり。街の様子はどうだった?」


 その問いかけにリタは唾を飲んだ。胸の中を駆け巡るざわめきを奥に追いやるかのように。それからは咳払いをひとつ挟み、滑らかな口ぶりで答えた。


「んん〜〜、特に変わった点は無かったかしら」


 とりあえず、ごまかす事に決めた。



 

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