第26話 揺れるゲツメイ
数々の悲鳴。それがヤポーネの都を支配する。親は子とはぐれ、主従も分断されと、留まって探す者と逃げ惑う者で辺りは混迷を深めていく。
「これは、魔獣?」
「違うぞリタ殿。あれはもっと厄介な連中だ」
都へ攻め寄せる敵は甲冑に身を包んでいた。手にする武器は刀に槍にとバラバラだが、それら全ては血と泥で汚れていた。更におぞましい事に、敵はガイコツ姿である。
「なるほど。エレナの言う通り、一筋縄じゃいかないかしら」
「リ、リタ。あれは何だ!?」
アルフレッドが震える肩を隠しもせず、指さした。声も裏返っており、一同は怪訝な顔を浮かべてしまう。
「あれは死霊、悪霊の類よ。倒せる手段が限られるから、上手く戦わないと」
「違う! あれはオバケなんかじゃない!」
「えっ。アナタ、もしかして……」
「何か人骨っぽく見えるが、実は違うんだろ! リタ、そうだと言ってくれ!」
強く懇願する態度に、リタは軽蔑などしなかった。むしろ腹の奥を熱くしてしまう。これほど強いのに幽霊が怖いのか。そう思うだけでリタの胸には、とろける様な風が吹き込むのだ。
「そうよアルフ。あれは、魚の骨が暴れているのよ!」
「魚の骨だって? もしかして、食い残されたのを恨んでる感じか?」
「えぇ、そんな感じよ。だから怖がる必要ないわね」
「よっしゃあ! そうと分かれば一網打尽にしてやらぁ!」
俄然やる気を出したアルフレッドは、攻め寄せる一団目掛けて猛然と駆け出した。敵は見えるだけでも百体以上の大軍だが、剛腕の前に討たれていく。肉の無い身体は拳圧を浴びるだけでバラバラとなり、地面に転がされた。
「見たか魚野郎! テメェら全員骨抜きにしてやるからな!」
そう得意気に叫ぶのも束の間。バラけた骨は糸で繋がるかの様に復元し、再び人型に戻ると進軍を開始した。足取りに怯みが有るようには思えない。
「な、何だコイツら……!」
「アルフ王よ退いてくれ、これはアンデッドだ!」
駆けつけたエレナが先頭に立ち、剣を鞘ごと横に構えた。腰だめの態勢。柄を静かに握ると、抜き打ちの一撃を横薙ぎに浴びせかけた。
「プリニシア刀剣術、神聖剣!」
刀身が夕闇に描くのは蒼い軌跡。その光を身に受けた亡霊達は、あらゆる物を粉々にされ、塵となって消えた。
「みんな、聖属性の技は使えるか? 無いなら雷でも良い」
「せーぞくせぇ? 何だそりゃ?」
「リタ殿、アシュリー殿!」
「ごめんなさい。私は火、風、それと幻術がメインで……」
「アタシは回復寄りなんで……」
「仕方ない。私が全てを倒そうじゃないか」
こうして魔王軍は陣形を組んだ。前列のアルフレッドは牽制役で、迫りくる軍団に攻撃を浴びせて足止めする。その背後にエレナ。納刀した剣に気迫を込め、頃合いを見ては大技を放ち続けた。アシュリーは後列から、魔術書による遠隔攻撃だ。魔法の刃が敵の後列を脅かし、進撃の足並みを大いに乱した。
子どもたちはリタとモコの2人に預けて、魔王軍は見事、亡者の毒牙を押し止める事に成功した。
「クソッ。次から次へとキリがねぇな」
「アルフぅ。ちこっと気になったんですけどぉ……」
「何だよアシュリー。冗談なら後にしろ」
「さっきから敵さん、増えてませんか?」
「……冗談だと言ってくれ」
確かに進撃の足は止まった。しかし、足音だけは不思議と止まず、夜闇の向こうからは間断なく亡霊が姿を現した。
「エレナ、いけるか?」
「案ずるな、まだ準備運動だ……!」
口ぶりは頼もしいが上下する肩が、万全でないことを雄弁に物語る。
アルフレッドは強く舌打ちした。自分にも決定打があれば、属性攻撃があればと悔やむのだが、手遅れでしかない。彼の魔法攻撃は、街中で放つには強すぎるのだ。
そうして見せた僅かな隙が、見逃される訳もない。屍を乗り越えたガイコツが、次々と槍を突き出した。
「うぜぇな、大人しく寝てろ!」
振り払う手が、迫る槍の全てをへし折った。すると、その時だ。彼らは眼前の光景に眼を剥いた。
「えっ、何で消えたんだ……?」
「そうか、分かったぞ! これは物に宿る亡霊なんだ。だから、血塗られた武具を壊せば除霊が出来るぞ!」
「そいつは良い事を聞いちまったなぁ!」
ニタリと頬を歪ませたアルフレッドは一転攻勢、突出して激しく攻め立てた。
「散々手間かけさせやがって! 成仏させてやっぞオラァ!」
「あはは……何か元気になっちゃいましたね」
「構わん。これで我らの勝利は揺るぎないさ」
折れる刀、槍の穂先。宿主を喪った魂は全身を散り散りにし、風に流されて消えた。
勝てる。そう誰もが予感した。しかし、無情なるモコの声が闇夜に響き渡る。
「新手だよアルフ! 北の方、街の反対側からも敵が来てる!」
「何だと!? そっちは街の連中が逃げた方向だぞ!」
「王よ、ここは私がやる。だから増援の対処は……」
「お前は休んでろ。つうか、ヤポーネの連中は何してやがる。こんな時こそ働きどころじゃねぇか!」
その叫びが天に通じたか。凛とした声が都中を覆い尽くした。
――魔防陣、悪鬼送還!
その言葉が轟くと、星空を覆い隠すほどに巨大な鉄扉が出現した。それが重々しく開けば、辺りに強い風が吹き上がり、亡霊達を吸い寄せた。そしてその全てを扉の向こうへ追いやると、何事も無かったかのように夜空が戻された。
「何だぁ、今のは……」
「妾の封印術じゃ、定める者よ」
アルフレッドの眼前に現れたのは、配下を引き連れたゲツメイだった。扇は既に開かれており、その端から除く瞳は鋭く、そして冷たかった。魔王軍の奮戦を讃える気配は微塵もない。
「来るのがおせぇよ。一時はどうなるかと思ったぞ」
「ふん、白々しい事を申す」
「なんだと?」
「鎧よ、先程申した事をここで述べよ。一言一句違えずにな」
鎧の神はゲツメイとアルフレッドの顔を交互に見ては、観念したように呟いた。
「峠の社の封が解かれました。時を同じくして、アルフ殿のご一家が、そちらに……」
「との事じゃ。これはくだらぬ企みよ。大方、窮地を救って恩を売ろうとしたのじゃろ。しかし詰めが甘かったのう。真相を知られてしまえば、敵意を逆撫でするだけじゃ」
「待てよ、オレは何もしちゃいない! 封印だって勝手に解けたんだ!」
「見え透いた嘘を申すな。年改まる毎に封印を施す手筈となっておる。自ずと解かれる道理なぞあるものか!」
「年単位って、お前こそ嘘をつくな! 一年足らずで、あそこまで紙がボロッボロになるもんかよ!」
「何じゃと? それはどういう……」
その時、地面が揺れた。激しく突き上げる振動は身体が浮く程で、都は新たな悲鳴で騒がしくなる。
「また地震か、大きいぞ!」
それが単なる振動でなかった事は、天を仰ぎ見れば明らかである。それは巨大な蛇が、寄り集まった形をしていた。首のひとつひとつに意思があるのか、不揃いな動きを晒している、
「な、なんだこの化物は!」
「こやつは、獄門の百蛇……なぜ地上に!」
ゲツメイは敵の正体を見破ると、思わず呆然とした。しかし彼女に呆ける時間など許されない。配下の兵士はこぞって指示を乞うからだ。藁にもすがる様な声色で。
「鎧よ、お前は兄上を探して参れ! どこぞをほっつき歩いておるハズじゃ!」
「ただちに!」
「他のものは民を引き連れ、大社(おおやしろ)へ匿うのじゃ! 一刻を争う、急げよ!」
弾かれたように駆け去っていくヤポーネの軍団。後に残されたのは、ゲツメイと魔王軍だけである。
「さてと、オレらはどうすんだ。ここはひとまず手を組んでだな……」
アルフレッドの提案は、ゲツメイが掲げる扇によって遮られた。
「手出しは無用。ヤポーネの民は外人の助力なぞ求めぬ。ましてや、定める者の力は!」
「お前、贅沢言ってる場合かよ! 街がぶっ壊されても知らねぇぞ!」
「妾は決して負けぬ。貴様らの容疑は不問としてやる故、どこなりと立ち去れ。早う」
「この……勝手にしろ! バカ野郎が!」
憤慨して立ち去る魔王とその一家。ゲツメイは見送りもせず、百蛇に向かって扇を鋭く突きつけた。それが舞のように虚空をなぞれば、輝く文字が宙に現れた。
「魔防陣、捕縛杭!」
すると不思議な力が作用し、無数の蛇首が地面に押し付けられた。百蛇は抵抗して起き上がろうとするが、ゲツメイも必死だ。白熱する押し合いは守る側の優勢で幕を開けた。
しかし相手も強大な魔獣である。押さえつけられた首のひとつをゲツメイに向け、口を開け広げた。その喉奥には紅蓮の炎が浮かび、辺りを焼き尽くそうとする構えだ。
「火炎の息か。ならば術式を変えて……」
ゲツメイが扇を振るったその瞬間だ。あらぬ方から吐き出された体液が彼女の身体に襲いかかった。炎は陽動。百蛇の狙いは別にあった。
「これは毒液……不覚!」
揺れる視界、かすむ瞳。生み出す魔力は断片的となり、百蛇の巨体が徐々に起き上がる。そしてとうとう、粗方の首が自由を取り戻した。
「いかん。もう1度魔防陣を……」
百蛇が鎌首をもたげて反撃に出る。ゲツメイは扇を構え、改めて舞いの姿勢をとった。しかしその刹那、彼女の耳に泣き声が突き刺さった。
「おとうちゃん、おかあちゃん、どこぉ?」
「なっ!? 童がまだこんな所に……!」
ゲツメイは咄嗟に飛び、少女の身体を抱きかかえて転がった。百にも及ぶ蛇は辺りを蹂躙し、家屋を紙くずのように粉砕した。そのひとつはゲツメイの背中に深い傷を刻みつけた。
「おのれ……!」
「ひぃっ! おねえちゃん、大丈夫!?」
「安心せい。これしきの傷、唾でも付けておけば平気じゃ」
そう微笑んで見せても、劣勢は明白。何の支えもなしに立てないゲツメイに、怪物と渡り合う力は残されていなかった。
(何をしておる兄上! 妾はもう……)
力なく睨む先には無数の蛇頭が浮かぶ。そして、開かれた口にはポツリポツリと炎が浮かび、瞬く間に火勢を強めていく。ひとたび吐き出されれば、辺りは炎の海に飲まれるだろう。
ゲツメイは少女を両手で抱きしめた。死なせるにしても、せめて最後にはぬくもりを。悲壮なる願いを抱きつつ、その時を待つ。
しかし、その願いが叶うことは無かった。彗星のごとく現れた何かが、百蛇の巨体を吹っ飛ばしたからだ。
「どすこいオラァーーッ!」
雄叫びはゲツメイにとって聞き慣れない声色だ。後ろ姿は使い古しのチュニック、擦り切れたマントをたなびかせ、直立不動に立ち塞がる。それはやはり、血に汚れても平気な装いだった。
「1人でやるっつうから頼りになるかと思えば、クッソ弱ぇじゃねぇかボケ!」
「貴様は、定める者。何ゆえ戻った」
「偉そうなバカが死ぬのは構わねぇがな。何の罪もない子供まで死んじまうのは可哀想だ」
「異国の神の助けなど要らぬ、そう申したはず……」
「お前いい加減にしろよ!」
アルフレッドの怒声は大きく響いた。それは頑迷に曇ったゲツメイの心でさえも例外ではなかった。
「お前の役目は何だ、国を、皆を守る事だろうが! どんだけ恨んでるか知らねぇがな、意地を通すのはキッチリ仕事してからホザけよ!」
「何を偉そうに……」
「為政者ならそれらしくしやがれ。使えるものは何でも使え、そんでもって口では上手いこと言って、陰でほくそ笑むくらいの事をやってのけろよ!」
「ぐぬぬ……!」
歯ぎしりと共にゲツメイは俯いた。そんな彼女の耳に、駆け寄る足音が聞こえた。その数は少なくない。魔王軍が援兵を引き連れて現れたのだ。
「アルフ、ヤポーネの兵隊を連れてきたわよ!」
「でかしたぞリタ。お前は蛇野郎に幻覚を見せろ。頭がクソ多いから全力でやれ」
「まかせといて!」
「エレナ。お前はヤポーネ兵を引き連れて、生存者の救出だ。付近の家々を回れるだけ回ってこい」
「承知!」
「アシュリー、お前はコイツらを治してやれ。怪我と、たぶん毒もやられてるぞ」
「あいあいっ、朝飯前ですよ!」
「ゲツメイ。お前はヤポーネ流の蛇料理を考えておけ」
「……何じゃと?」
「喜べ。今夜はご馳走だぞ」
魔王軍は迷いなく散開した。異国の術式が周囲を照らし、家屋には土足で駆け込み、更には古代魔法までが発動されようとしていた。それらは全てゲツメイが忌み嫌うものだ。しかしそんな光景が広がりつつも彼女は目もくれない。
ただ1人、みすぼらしい男の健闘する姿だけを見ていた。
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