第25話 放たれる魔

 老舗の宿で夜を明かした翌朝。アルフレッド達は鎧の神に連れられて、王宮へとやってきた。その造りはやはり大陸の物とはかけ離れており、一同は圧倒された気分になる。


「すげぇな、何だか神々しいぞ」


「最高神の住まう処ですからな。手入れは万全にございますぞ」


 紅い鳥居をくぐれば、足が玉砂利を噛む。シャクシャクとした感触は面白く、シルヴィアなどはしきりに飛び跳ねて堪能した。


「文武百官、皆様のご来訪を心より喜んでおりますぞ」


 出迎える列は整然とし、深々と頭を下げた。政務を担う神官に巫女、警備を任される衛兵。見かける顔ぶれもヒト、狼顔、天狗に狐面。人妖入り交じる光景も、今となっては驚く事もない。

 屋敷に入る時は靴を脱ぐ。脱いだら揃える。独特な作法に従った後は、板張りの廊下を歩んでいく。左右には庭園があり、幼子が鞠を蹴っては駆け回る。その声が堅苦しさに微かな和らぎを与えた。


「この先でヨウコウ様がお待ちですぞ」


 扉の前で控える2人の下女が、横開きに開けた。それが3枚。最後に数段ばかりの階段を登れば、行き止まりだった。

 

「何だよ、誰も居ねぇじゃん」


 見えるのは2つの祭壇だ。横並びのそれらは左の方が若干、台座が高い。


「ご、極彩丸が無い! ヨウコウ様はいずこか!」


 鎧の神は左の台座の前で腰砕けになった。上下左右を見渡しても、本来あるべき神刀はどこにも無い。

 その直後の事。隣の祭壇に祀られた反物が、ひとりでに傾き、その布地を広げた。鮮明な赤を見せつけながら螺旋を描くと、やがて1人の少女が姿を現した。


「げ、ゲツメイ様……」


 鎧の神は、目を白黒させつつも平伏した。ゲツメイと呼ばれた少女は、反物と同じ色味の着物を着ている。長い黒髪は毛先が切り揃えられ、それが幼い印象を与えるが、実際に体つきも小さい。年の頃は10代半ばくらいにしか見えず、鎧武者が恐縮する様子とは不釣り合いだ。

 しかし威厳は十分であり、放たれる声も為政者としての厳しさに満ちていた。


「鎧よ、兄はいずこかへ出掛けた。しばらくは戻らぬだろうよ」


「なんと……。本日は大事な大事な顔合わせが有ると、あれほどしつこく申し上げましたのに!」


「兄の考える事は分からぬ。大方、どこぞで暴れまわっておるのだろ」


 どこか諦めを感じさせる口ぶりだ。それからゲツメイは、鋭い目をアルフレッドに向け、口元を僅かに歪ませた。


「そなたが魔王とやらか。いかなる野蛮人が来るかと思えば、中々の男ぶりじゃのう。妾の手元に置き、愛でたいくらいじゃ」


 この不敵な笑みに、魔王の三幹部は態度を固くした。リタは耳を鋭く突き立て、エレナは眼を吊り上げ、アシュリーなどは歯を剥いてまで唸った。

 それらの反感を鼻で嘲笑ったゲツメイは、僅かにアゴを持ち上げた。すると辺りには、ツンとした空気が張り詰めていく。


「しかし、侵略者となれば話は別。調印の儀など、断じて見過ごす訳にはゆかぬ」


「お待ちくだされ。彼らは友好の使者であって、そのような者共ではございませぬ」


「女官どもより聞いておる。何でも、膨大なる物資を買い求めたいのじゃろ。それこそ、国が傾きかねない程の量を」


「それは、その……破格の値での取引が故に」


「成果は大金か。ならば一層タチが悪い。確かに商人どもは喜んで荷を送るであろう。たとえ民が飢えて苦しもうともな」


「か、過剰なる取引は、厳しく取り締まるという方針が」


「ヒトの欲を甘く見るでない。愚か者め」


 ゲツメイは一喝して鎧武者の口を塞いだ。そして扇を素早く開き、自身の口元を隠した。桃の花が乱れ咲く、華やかな扇だ。


「妾の言葉、理解したであろうな。即刻立ち去るが良いわ」


「ゲツメイ様、この儀はヨウコウ様が……」


「兄には妾からキツく叱っておく。あのお調子者に外の事を任せるのも、今後は考えなくてはならぬな」


「どうかご再考を! レジスタリアは王のご家族を伴ってまで望んでおるのですぞ!」


 鎧の頭が一層低くなり、魔王一家の姿がいよいよ露わになる。髪飾りだ何だとおめかしする女性陣はマシな方で、その主の姿は目に余るみすぼらしさだ。着古しのチュニックとマントは薄汚れており、擦り切れも激しく、とても国賓の装いとは思えない。

 血で汚れても構わない出で立ち。ゲツメイにはそう見えてしまった。


「家族連れというのなら観光を愉しめば良かろう。おあつらえむきに今宵は祭り。都の外に出れば風光明媚な絶景。女子共を喜ばせるのに不足せぬわ」


 土壇場での拒絶に、レジスタリア側は大困惑だ。伴った内政官は慌てふためき、魔王一家も言葉が出ない。

 そこで沈黙を保ち続けたアルフレッドが、口を開いた。それは起死回生の一手となるのか。


「ゲツメイと言ったな。オレには魔王と、レジスタリア王の他にも肩書がある」


「ほう。それがどうした」


「待ってアルフ、それは言わないほうが……!」


「オレは『定める者』と呼ばれる存在だ。かつては神として君臨してたそうだ。仲良くすればオイシイ見返りがあるかもしれんぞ」


「な、なんじゃと……!?」


 ゲツメイは眼を開いて震えた。効果のほどはどうか。期待に反して良い結果を出せなかった事は、モコが項垂れる姿からも明らかだった。


「貴様があの、定める者か! かつては手下を引き連れ、外人同士の戦に明け暮れては大地を血肉に染めた凶々しき神。あまつさえ馬鹿でかいキノコ雲で世界を蹂躙しようとした、あの定める者か!」


「えっ。オレってそんな感じだったの!?」


「忘れたとは言わせぬ! あの雲の火勢は我らの元まで届いたのだぞ! 皆で団結する事で滅亡だけは免れたものの、傷つき倒れる神は少なくなかった!」


「いや、その頃はちっとばかし覚えがなくてだな」


「出て失せよ! 明日には船を用意させる、それで国へ疾く帰れ。二度と妾の前に阿呆面を晒すでない!」


 凄まじい剣幕で追い出され、結局はご破産となってしまった。


「おかしいな。オレって実は悪名高いのか?」


「効くかどうかは相手によるよ。ヤポーネは、古代戦争のとばっちりを受けた国だからね。僕ら四柱なんて、仇みたいなものさ」


「なぁ鎧の神様よ。このまま帰るしかねぇかな?」


「いえ、ヨウコウ様とお会いできれば、覆す事も可能にございます。内務はゲツメイ様、外務はヨウコウ様のお役目にございますゆえ」


「そのヨウコウってのはどこに居るんだ。そもそも、そいつが外してたから面倒になったんだぞ」


「面目ござらん。ひとまずは心当たりのある場所を探しに参りましょう」


 それからは探索だった。練兵場に赴き、空振りだと知れば女官の詰め所。そこでも不在で、宮殿を出て街の酒場を片っ端から見て回った。しかし、どこまで行っても手がかりすら見つからなかった。


「おかしい。ヨウコウ様はいずこへ……」


「この足取りで、どんな奴なのかは大体把握したぞ」


「愛刀を携えておられるなら、練兵場かと察したのですが」


「もう良いよ。今回はツイてなかったんだ。出直すしかないだろうよ」


「アルフ殿。お力になれず、心よりお詫び申し上げます」


「気にすんな。お前のせいじゃねぇよ」


 脳裏に浮かんだのはクライスの仏頂面だ。帰ったら覚えてろよと、確かな怒りを胸に刻み込んだ。


「帰国は明日だ。船が出るまでは遊んでて良いよな」


「それはもう。都では盛大な祭りがありますので、存分にお楽しみを……おや?」


「なんだよ、地震か?」


 突き上げるような縦揺れ、続いて横に長々と揺れた。騒ぎ出すほど大きくはない。


「止みましたな。ええと、それでは明朝に使いを出します。それまでどうぞ、ごゆるりとお過ごしあれ」


 鎧の神は、悔しさを滲ませながらも頭を下げた。そして彼は一度も振り返る事無く、群衆の中へと溶け込んだ。


「さてと、色々あったけどさ、とりあえず楽しもうぜ」


「おとさん。あれなぁに?」


「何だろうな、お面かな。変な顔してらぁ」


 都は昼間から祭りの様相だった。道々には露店が並び、食べ物にオモチャにクジ引きにと、多様な娯楽を展開していた。子供達はもちろん大喜び。先程の退屈を忘れるかのように、お面を頭に飾り付け、弓矢を射っては細工物を手中に収めるなどして祭りを楽しんだ。

 一方で大人たちも、イカ焼きだの寿司だのと食らいつき、珍味に舌鼓を打っては顔を綻ばせた。


「んん〜〜やっぱり醤油って美味しいわね。少しくらい買って帰ろうかしら」


「そんじゃこの、チュートロってのも買っていきましょうよ。馬鹿クソ美味いじゃないですか」


「それは日持ちしないわよ。帰りの船で傷んじゃうと思うわ」


「魔法で凍らせりゃ平気じゃないですか? お米とまとめてピキィンと」


「まぁ、それなら大丈夫かもね」


「リタ殿。このイカのテンプルとやらも凍らせれば長持ちするか?」


「天ぷらね。湿るから不味くなっちゃうわよ」


「それは困る! このサクサクとした食感が美味だというのに……!」


「エレナがご飯に執着するって珍しいわね」


 やがて日暮れを迎えた頃。魔王一家は場所を変え、寂れた神社までやって来た。小高い丘から望む町並みは、灯籠の灯りが無数に浮かんでおり、穏やかなひとときを演出してくれる。夕闇から伝わる賑やかさも、遠い分だけ胸に響くようだった。


「良い国だな。ゲツメイとかいう奴を除けば」


 皮肉めいた口調のアルフレッドを、モコが横からたしなめた。


「巡り合わせだよ。彼女も悪人って訳じゃないさ。むしろ……」


「分かってる。立派な指導者なんだろ」


 拒絶の理由は民の困窮だ。この国は珍しくも、下々に至る人間までを視野に入れた政治がなされている。実際、都には浮浪者然とした姿を1度さえも見かけてはいない。かつてのレジスタリアとは比較にもならなかった。


「ねぇねぇグレンちゃん。これ何なの?」


 遠くでシルヴィアが問いかけた。そこには小さな祠がひっそりと佇んでおり、鉄扉には大振りな御札が貼り付けられていた。もちろんグレンが知るはずもなく、首をかしげるばかり。アルフレッドは何の気無しに歩み寄ると、そちらの方に眼を向けては足を止めた。


「なんだコレ。随分ボロボロだけど」


 元々は白い紙だったのだが、日焼けと雨風による劣化が激しい。それでも、赤と黒の文字で描かれた模様は眼を惹く程の美しさで、アルフレッドも思わず顔を寄せて眺めるようになる。


「リタが使う術式と全然違う。オレはこっちの方が好みだな」


「あら。私より好みって、聞き捨てならないわね」


 背後からかけられた声には若干のトゲが垣間見えた。


「ちげぇよ。この紙に書いてある術式の話だ」


「術式? どこにあるの?」


「いや、だからこの紙に……」


 改めて振り向いてみれば、扉に貼り付けられた御札が無い。それはなぜかバラバラに粉砕されており、地面の上に降り積もっては、一迅の風によってさらわれた。


「今の、大丈夫か……?」


「アルフ。一体何をしたの? ここは多分、良くない何かを封じる場所なのよ」


「何もしてねぇって! ただ古びた紙を眺めてただけで……」


 その時だ。都の方から叫び声が上がると、それがいくつも重なって聞こえるようになる。


「何の騒ぎかしら……嫌な予感がするわ」


「とにかく行ってみよう。急ぐぞ!」


 アルフレッドはそう叫ぶなり、勢い良く坂を下っていった。心を焦りでガッツリと曇らせながら。


(いやいや、オレのせいじゃないよな。指1本触れてねぇし!)


 ひたすら自分に言い聞かせつつ、大勢の人が逃げ惑う道へと躍り出た。そこで眼にしたのは、見るもおぞましいガイコツの兵士。血サビに汚れた武具に身を包み、一歩一歩と着実に攻め寄せてきた。


(だから、絶対オレのせいじゃねぇぞ!)


 アルフレッドはダメ押しとばかりに、胸中で叫んだ。 

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