第24話 神々の住まう国
中型船が、船夫の掛け声と共に波をかき分けていく。海が蒼ければ空も青。アルフレッド父子は胸いっぱいに潮風を吸い込み、非日常を分かち合った。
「おとさん。海ってどうしてしょっぱいの?」
「何でだろうね。おっきなスープなんじゃないかな」
「ふぅん、へんなの。それに、リタお姉ちゃんの方が美味しいの」
波の高い外海は揺れに揺れた。絶え間なく視界がユラァと上下し、何人かの笑顔を奪い去る。主に損なわれたのはアシュリーの健やかさだ。
「ホロロロろぉーーッ」
手すりから身体を乗り出しては、大海原にキラキラとしたものを撒き散らしていく。他にも何人か酔っているのだが、彼女が1番重症だった。
「へぇぇ……アルフゥ、看病してくださいぃ。抱っこして頭なでて介抱してくださいよぉ」
「近寄んな、せめて顔洗ってから言えよ」
「リタァ。回復魔法かけてくださいよおぉ」
「アナタねぇ、それくらい自分でやれるじゃないの」
「無理ですってぇ、魔力なんか練れませんもん……ウップ」
「しょうがないわねぇ」
リタは指先をほの蒼く光らせると、それをアシュリーの額に近づけた。顔色は次第に血の気を取り戻していく。
「ひっ、ひっ、ふぅ。朝食ったもん全部出ましたよ。ひっひっふぅ」
「やめろやめろ、これ以上何を出す気だ」
「それにしてもアシュリー、アナタは出発前に薬を飲んでたわよね。酔い止めだって」
「アハハ〜〜ン、何のことやら……」
確かにアシュリーは乗船前に豪語した。怪しげな薬を片手に『この古代の秘薬を飲めばアラ奇跡、どんだけ船に揺られても元気ピンピンです』とのたまった。私にも分けて、という声をシレッと無視して飲み干したのだが、真っ先にダウンしたのもアシュリーだ。製薬に失敗したんだろうなぁと誰もが思い、しかし口には出さなかった。
「それにしてもメッチャ揺れますね」
「これでもマシみたいだぞ。大時化(おおしけ)だったら、桁外れに揺れるそうだ」
「恐ろしや……。あとどんぐらいで島に着くんです?」
「明日の昼には到着するってよ。順調にいけば、だが」
「これが絶望の味!? 無理です、そんなの絶対堪えられません! きっとピンク色の内臓をプリッと吐いちゃいますよぉ!」
「つうか飛べばいいだろ、背中の羽で」
「えっ……?」
「おいまさか」
それを忘れてたのか。そう問い詰める前に、アシュリーの純白の翼が開かれた。船の帆と同じく潮風受けて、豊かな広がりを見せた。
「あぁ、えっと、さっきのはアレです。下々の連中に付き合ってあげただけですから。勘違いしないでくださいね」
「そうか。お前バカだったな」
「ぐぬぬ……森の賢人をおバカちゃん呼ばわりとは。もう良いですよ。次からはどんなにお願いされても、おっぱい揉ませてあげませんからね!」
「一度も頼んだことねぇよ」
アシュリーが落ち着けば、船は平穏さを取り戻した。櫂(かい)をこぐ掛け声、帆が広がるマストの音。揺れは強くとも、開放感を感じさせる風景は、アルフレッドに心地よく映った。
「上手くいくと良いね、交渉」
モコがアルフレッドの肩の上で呟いた。
「大丈夫だろ。何とかなる」
「ヤポーネは神々の治める国だよ。人族が統治する方法とは違うのさ。そこが悪い方に作用しないと良いんだけどね」
「神? もしかしてオレと同格のヤツが?」
「彼らも強大な力を持ってるけど、僕達四柱とは成り立ちが違う。彼らは魔力溜まりから生まれた精霊なんだよね」
モコは語った。ヤポーネには大きな地脈が走り、その一部が損傷したことにより、地下に魔力が溜まる層が出来ていると。その為に土壌は肥沃であり、特殊な力を持つ生命が誕生したのだと言う。それらの異質なる存在をヤポーネ人は神と讃え、支配者として戴いた。
「彼らも中々強いよ。そして数も多い。いつものように拳で決着、とはいかないと思うよ」
「多いって、どんぐらいだよ。10とか20か?」
「僕も詳しくないけど、一説によると八百万ほど居るとか」
「八百万!? さすがに盛ってるだろ、それ」
「彼らはそう豪語してるね。だから大人しくしててよ、ほんと」
「人を暴れん坊みてぇに。オレだって、安全なら何もしねぇよ」
アルフレッドはふと、船尾の方へ眼を向けた。そこでは子供達がパンくずを撒いているのが見える。すると海鳥が集まりだし、宙空で食らいつく光景が広がった。大人からしても見応え十分。多感な子供、特にシルヴィアは凄い凄いと飛び跳ね、名も知らぬ鳥の群れに称賛を送った。
船は快調に進み、迎えた翌日。昼を前にして島影が見え、やがて港町へと辿り着いた。アルフレッドを先頭に続々とタラップを降り、2日ぶりの大地を踏んだ。
「うおっ、なんかグラグラすんな」
「船旅はこの感覚が辛いのよね」
口々に不快感を口に出しながら堪えていると、耳元にズシャリ、ズシャリと重たげな音が聞こえた。やがて傍で鳴り止むと、アルフレッドにとって異国の騎士が目の前に現れた。
「豊穣の森の魔王、もといレジスタリア王とお見受けしましたが、相違ないでしょうか!」
男の声は肌にひりつくほど大きい。背丈こそグレンと大差ないが、固太りの体つきに鍛え抜かれた跡があり、長いヒゲも威厳を感じさせる。身につける横広がりの兜、革張りの板を重ね合わせる鎧も珍しい。大陸では一枚胴が主流だ。
「拙者、鎧の神と申します。我が主ヨウコウ様に代わり、歓迎の意を申しあげますぞ!」
「歓迎……ねぇ」
アルフレッドは鎧の神一行を流し見た。武器こそ構えていないが、10人全てが槍を携え、赤い鎧を着込んでいる。言葉通りに受け止める事は難しかった。
「レジスタリア王よ、まさかとは思いますが……」
「アルフで良いぞ、面倒くせぇ」
「アルフ殿。お連れの方々はもしや……」
「あぁ、オレの家族だよ。一応、内政官も連れてきたがな」
「なんと……! まだ確たる友好関係もないのに、ご家族共々いらっしゃるとは……!」
鎧の神は全身をわななかせ、瞳を湿らせた。
「あぁ……我が国の清らさかをここまで信頼いただけるとは、感激の極み! 拙者、生まれついて幾百年の若輩者でございますが、このような美談は見聞きした事がございませぬ!」
「お、おう。若輩なのか……」
「何なりとお申し付けを! 拙者に出来る事なら何でも致しますぞ!」
アルフは涙を暑苦しく思いながらも、ふと脳裏によぎる物を感じた。クライスが『外交のセンス』を語っていたことが、ここでようやく腑に落ちた。家族連れで向かう意味を理解したのだ。
「さぁさぁ、長旅でお疲れでしょう。国一番の宿をご用意しておりますので、まずはそちらへ」
鎧は、用意した馬車に一行を乗せると、ムチを振るった。しかし車輪はない。どうやって走るのかと不思議に思えば、車体がみるみるうちに上昇し、天高く舞った。
「これより都へ参りますぞ。落ちてしまわぬよう気をつけなされ」
馬は何もない空を駆け、車体は雲に乗せられて進んでいく。乗り心地は上々。見晴らしの良さを楽しんでいると、やがて大きな街の傍に降り立った。
「空の旅はこれまで。宿まで、今しばしのご辛抱を」
都は馬車厳禁だと言う。促されるまま降りた一同だが、ヤポーネの首都が誇る繁栄は、眼を見張るものがあった。
「すげぇ、こんな建物見たことねぇぞ……」
整然と並ぶ木造建築物。瓦屋根は青々と輝き、石畳の道にはゴミひとつ落ちていない。そのクセ、行き交う人は多く、人混みの切れ目が見えないほどだ。
「色んな人が居るね。人族だけじゃないみたいだ」
グレンもやはり驚きを隠せない。通りを歩く人々が多様であったからだ。ニンゲンの姿も多いのだが、赤くて長い鼻を持つ者や、猫の顔を持つ娘の姿などの他種族も少なからず居る。その為、シルヴィアを珍しがって見るものなど1人として居なかった。
「我がヤポーネには様々な種族が共存しております。ヒト、物の怪、そして八百万の神々。互いに領分を守り、脅かす事無く暮らしておるのです」
「やおよろず?」
「八百万と書いてやおよろず。数え切れぬほどに多いという意味でしてな、本当に八百万も居るかは定かではございませぬ」
「そうだなよな、流石になぁ」
アルフレッドは肩の方を睨んだが、モコはプイと横を向くばかりだった。
「そういえばアルフ殿。本日はクライス卿のお姿が見えませぬが」
「アイツは外せない仕事があるってんで、置いてきた。どうせ役に立たんだろうからな」
「中々の切れ者にございます。弁の立つ男というのは羨ましい限りで」
「それはさておき、この辺に土産屋とかあるか? ちょっと用事があるんだが」
「あちらの橋を渡れば、大店が軒を連ねてございます。寄って行かれますかな?」
「ああ。面倒事は先に済ませておきたい」
そうして朱塗の橋を渡り終えれば、辺りは一層賑やかになった。雑踏の音に呼び子の声まで混ざり、話しかけるのも一苦労になる。
「土産物ならここが良うございます。拙者は入り口に居ります故、ご不都合あればお声がけを」
高官が勧めるだけあって、立派な店だった。食品から工芸品を取り扱っており、どれもこれもが物珍しい。アルフレッドは眼を滑らせながらも、袋から紙切れを取り出した。ついでに大きく膨らんだ革袋も。
「お土産というけど、誰に買うのかしら?」
「クライスだよ。あの野郎、働かねぇくせにオネダリだけは周到なんだよな」
「んん〜〜、律儀に買わなくても良いんじゃないの?」
「金を受け取っちまった。そういう訳にもいかんだろ」
革袋には国庫より出された1万銭が詰まっている。銭はヤポーネの通貨で、ディナは使えない。だから、渡された額の重みも今ひとつ把握出来なかった。
「ええと、土産物は……」
リストに眼を通すと思わず絶句した。まず団子。みたらしを百本。芋ヨウカンも百。他にも水飴、大福、あんみつと節操も無い要求がズラズラと。1万という金を預かっていても、足りるかすら怪しい量だった。
「ったく。団子ってのはどこだよ」
とにかく勝手がわからない。目的は食べ物だと察しはついても、手がかりは無かった。値札に書かれた文字は異国語で、どれだけ読もうが値段くらいしか分からない。そもそも全てが珍しい品なのだ。
野菜や漬物の並ぶ一角を眺めては、ただ途方に暮れるばかり。そんな最中、思いもよらぬ助けが現れた。
「ヌッフッフ。お困りの様ですね? 森の賢人のお知恵が必要ですか?」
「うっせぇぞアシュリー。オレは今、団子を探すのに忙しい」
「おっと邪険にしないで。アタシは博識ですよ。ヤポーネ文化くらい丸っと覚えてますから」
「マジかよ。じゃあ、みたらし団子ってのは?」
「ええとねぇ。コレです、コレ」
アシュリーは小さな樽を手に取った。品名には『田舎味噌』と書かれている。
「これで良いのか? 串焼きの一種だと聞いたんだが……」
「へーきへーき。中身は黄色がかった茶色でしょ? みたらし団子も同じ色なんです。きっとこれは、そのタレなんですよ」
「ふぅん。まぁ良いや。次は芋ヨウカン……」
「芋はこれですね」
アシュリーは平たい品を手に取った。品名には「乾燥芋」と書かれている。
「これがヨウカンか。さすがに百個も置いてないか」
「別に良いんじゃないですか、律儀に数を揃えなくても。チョロッと買って、余ったお金を返せば」
「まぁ、そうだな。かさばるし」
「それよりもホラ。もっとないんですか? ヤポーネ知識ならまだまだありますよ」
「ねぇアシュリーさん。アレが何か分かる?」
グレンが指を差したのは、至る所で見かける灯だ。ランプの様な物に見えてもデザインは別物。細工師の血が騒いだのか、珍しく鼻息を荒くしていた。
「あれは、トー……。トウソーロウですよ」
「トウソーロウ……逃走路?」
「そうですそうです。逃げ道を確保するための灯りですよ」
「ではアシュリーさん。あの短い剣はなんですの?」
ミレイアが指を差したのは、剣より短く、ナイフよりも長い刃物だ。
「あれは確か、ワカサギですね」
「そうですか。由来は知ってるんです?」
「かつて若い詐欺師が、時の為政者に長剣だと偽って納めたのが始まり……でしたかね」
「凄いです! さすがアシュリーさん!」
「ふふん。他にもジャンジャン聞いてくださいな。何だって答えちゃいますよ!」
得意になるアシュリー。そんな彼女をよそに、店の者が使いに何かを命じた。
「おみつ、そろそろ灯籠に灯りをつけておくれ」
「はぁい旦那様」
下働きの娘が『トーソウロウ』を手にとって店の奥へと消えた。その一方で、1人の青年が『ワカサギ』を片手に店主と話し始めた。
「この脇差しはナマクラではないか。もう少しまけてくれ」
「へぇ。そいつは無銘ですので、もう十分にお求めやすいお値段となっておりまして」
アルフレッド一同はすかさずアシュリーを見た。しかし視線は重ならない。彼女は両手で顔を覆っていたからだ。
「アシュリー、お前……」
「見ないでぇぇ! アタシを見ないでくださいぃ!」
アルフレッドは小さく微笑んだ。そして真っ赤に染まる耳元で、甘く甘く囁いた。
「時の為政者に、長剣と偽って納めたのが始まりで……」
「ギャアアア! テキトー言っちゃいましたぁ許してくださいぃ!」
「あっはっは。こいつ面白ぇな」
「アルフ。あんまり人をからかうものじゃないわよ」
「なんだよリタ。お前は途中から気づいてたんだろ? コイツがでまかせ言ってたの」
「まぁね。私は何度も来たことあるから」
「じゃあどうして黙ってたんだよ」
「んん〜〜だってホラ」
リタはアゴ先に人差し指を添えてから、朗らかに言った。
「何だか面白そうだったから」
「オレと五十歩百歩じゃねぇか」
そんなシーンを挟みつつ、アルフレッドは会計を済ませた。アシュリーの知識がデタラメだと分かった今、お土産の品々も間違っている可能性が疑われた。しかし彼は、まぁ良いかと気にも留めなかった。ついでに買った大きな竹籠にしまい、鎧の神と合流した。
「おやアルフ殿、随分と愉快そうですな」
「そう見えるか。まぁ、ヤポーネが気に入ったからな」
「それはそれは。嬉しゅうございますぞ」
初日は中々に楽しげなものだった。珍しい乗り物に、珍しい土産品、そしてアシュリーの輝かしい失態。アルフレッドにすれば文句なしに愉快な旅だ。
しかしその気分も、宮殿に赴けば大きく変わった。結論から言えば、通商条約の締結を拒まれてしまったのである。
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