第23話 降りてくる言葉
豊穣の森。青空の下、草原を駆ける一頭の狼。その背中にまたがるのは赤子で、小さな両手がたてがみを掴む。サラスワネェの息子だ。
彼はケタケタと上機嫌に笑いつつ、魔狼の子守を堪能していた。野生の勘により絶妙に抑えられた速度が、赤子にとって程よいスリルと興奮をもたらすのだ。首も座って長く経つので、母親から見ても危険の無い遊び方だった。
その様子を見て取ると、息子の方に背を向けて語りかけた。
「ええと、それでは始めますねぇ」
サラスワネェが向き合うのは2人、アルフレッド親子である。この珍しすぎる組み合わせは、声楽レッスンの為だった。歌を学ぶべき、という苦言がとうとう講師を呼び寄せたのだ。魔王の名を使ってまで。
「では私に続いてください。アァエェイィオォウーー」
「あーーえーーいーーおーーうーー」
「声はお腹からですよ、さんはい」
「おとさん。お腹からって、どうやるの?」
「そりゃ、その……どうやんの?」
父子はズブの素人だ。一切の理論も技術もない。イチから声楽を叩き込むのは至難の業なのだが、サラスワネェは慣れたもので、特に驚きもしなかった。
「良いですか。歌とは、身体を楽器として扱う演奏なんですよ」
そう言って彼女は袋から小道具を手に取った。鳥を模したそれは、腹の膨らみを押すと仕掛けが作動し、甲高い音を鳴らした。プイ、プイプゥと。
ちなみにそのオモチャは、シルヴィアに譲られた。キラキラと輝く瞳は他に何も見えなくなり、しきりに腹を押しては鳴らす事を繰り返す。
「歌は口から出すものではありません。身体の中の芯を震わせるイメージです。だから腹の底から出す必要があるのですね」
「その、腹からってのが分からなくてな」
「美味しいものを嗅ぐ時ですとか、そんな時と似てますよ」
「こ、こうかな……」
「すみません、ちょっと触りますね」
サラスワネェが手を伸ばしてアルフレッドの腹に触れた。数度の呼吸。それを確かめると、筋が良いと褒め称えた。
「次はお腹の力で強く吐き出すのです」
「これで良いか?」
アルフレッドは空に向かって強く息を吐いた。それは高圧力の気流となって空を貫き、薄雲の端を切り裂いた。
「やべぇなコレ。普段使いできねぇ」
「ま、まぁ、あれですよ。力加減はおいおい会得いただくとして……」
それから続けて音感トレーニングに移った。サラスワネェが取り出したのは6本式の弦楽器。その形状は膝に乗せやすい形状のボディに、ポッカリとした穴が開けられた物だ。
「それは何だ?」
「ギターという楽器ですよ。ご存知ありませんか?」
「オレの知ってる楽器は、タルとか食器とか
、そんなもんだな」
「あはは。タルも良い音しますよね。ですが、こちらも負けてはいませんよ」
しなやかな指が鋭利な音を刻みだす。低い音から段階的に高くなり、そして精密な音階を7つの音で弾き出した。
「おっ、すげぇな。気持ちいい音だ」
「その通りです。この世界には、心地よい音というものが存在し、歌でも同様なんですよ」
「じゃあ、今みたいな音を出せれば歌もうまくなると?」
「理屈の上ではそうですね」
「よし。早速やってみよう」
意気揚々と学びだすアルフレッドだが、そう簡単には運ばない。ギターと声の高さを合わせようとしても、ほんの僅かにずれてしまい、強烈な不快感を覚えた。隣でプイプゥとなるオモチャも足枷だ。結局のところ、アルフレッドの音感は進歩が見られずに終わる。
「わっかんねぇ。歌って死ぬほど難しいんだな」
「魔王様は、なぜ歌を学ばれるのですか? もしかして、意中の女性に愛を囁く……」
「違うぞ。全然違う」
前のめりに否定。続けて、娘の為だと説明した。
「オレの歌が下手過ぎてな。いっぺん教わってこいと言われたんだ」
「そうでしょうか。声質はキレイだと思うんですけど」
「まぁ、テキトーに歌ってる自覚はある。それが丸わかりなんだろう」
「音楽の本質としては、その方が正しいのですよ。心に浮かび上がった情景を言葉やリズム、そしてメロディに乗せるだけですから」
「乗せるだけって言うけどさ」
「では、やってみせますね。今、感じ取ったものをそのまま出します」
そうして、小さな咳払いの後に紡がれたのは、心地よい歌だった。繊細で透明感のあるメロディが風に誘われ、青空に溶けてしまうかのようだ。
◆ ◆ ◆
つむじ風
蒼く煌めく草花撫でて
恥じらう雲の裾を抜ける
霊峰遥か遠くに望み
眩き童の笑みに綻ぶ
◆ ◆ ◆
静かに歌い上げたサラスワネェを、アルフレッドは拍手をもって讃えた。
「へぇ、凄いな。上手じゃねぇか」
「心に浮かぶものを、そのまま表現しました。豊穣の森はイメージが湧きやすいですね」
「ねぇおとさん。シルヴィも歌いたいの」
「全然良いぞ。でもシルヴィはお歌を知ってるのかな?」
「どうぞお嬢様。思い浮かんだ言葉を並べるだけでも、十分なのですよ」
促されたシルヴィアは頬を染め、耳を小刻みにおじぎさせた。それから飛び出した歌は、言葉が弾んでいるような、生命力に溢れるものだった。
◆ ◆ ◆
わんちゃんと クマさんが
どっしんこ どっしんこ
痛かったね 痛いかったね
モニュッとコロコロ どっしゃんしゃん
◆ ◆ ◆
そう一気に歌い上げると、すかさず大きな拍手が鳴らされた。
「わぁ可愛いですねぇ。お嬢様のお歌は元気一杯で……」
「凄いぞシルヴィ! 天才だ、きっと天才に違いないぞ!」
「わぁいシルヴィ、いっちばーーん!」
「そうだぞ、この世界で1番だ!」
「じゃあね、次はおとさんなの」
「うぅんと……オレかぁ」
娘にせがまれて、アルフレッドはひとまず咳払い。それからまた咳払いをし、居住まいを正しては咳払い。身をよじったり、息を吸い込んでは大げさに吐いたりするのだが、一向に歌が紡がれる気配は見られなかった。
「どうしました? 心に浮かぶ言葉をスッと出すイメージですよ」
「いや、うん。分かっちゃあいるんだがな」
「何か気がかりでも?」
「娘に、シルヴィに下手な歌を聞かせ続けるのは、酷かと思ってな。サラのような上手いヤツを雇って、寝かしつけを頼もうかとすら考えている」
「そうなのですね、フフッ……」
「何で笑うんだよ」
「いえすみません。一国すらも倒してしまったお方が、こんなにも繊細だとは思わなくて」
サラスワネェは手を口に添えて笑った。愉快そうなだけでないのは、子を持つ1人の親として共感する部分がある為だ。
「その繊細さは、芸術を楽しむ上で大変役立つものですよ。ぜひ大切にしてくださいね。それから心尽くしと真心も」
「そういうもんかよ」
「私はそう思います。シルヴィアお嬢様は、お父様のお歌が好きですか?」
「うん、すきなの。とっても楽しいの」
「これが答えですよ、魔王様。お嬢様を想うお気持ちは、確かに届いているじゃないですか」
「それで良いのか? オレは間違ってなかったのか?」
「はい。魔王様は必要なものを全てお持ちですよ」
風が駆け抜けた。それはまるで、ひと所に固まる暗雲を連れ去るかのように。
「さてと。折角のお勉強です。小手先の技術となりますが、いくつかお教えしますね」
それからは、歌を彩る細々とした技が伝えられた。音感よりお手軽という事もあり、比較的習得は容易だった。
そして日暮れが迫るとリタの呼ぶ声が聞こえ、サラスワネェ母子も魔狼に乗って帰路に着いた。
「今日はサラおばさんが来てたんだね。何の用事だったのかな?」
豊かな食卓を全員で囲む。賑やかな晩餐は、グレンの問いかけから始まった。そうなれば後は流れだ。
「きっとジュジュチュ師なのです。何らかの呪いを試したのです」
「へぇサラが来てたんですか。ちっとくらい顔を出せば良かったですね」
「プイ、プゥゥ」
「サラ殿のご子息はきっと大物だぞ。魔狼の背に跨る姿の勇壮さと言ったら。将来は立派な騎士になる事だろう」
「プィッ、プイプゥ」
「んん〜〜、シルヴィはもうおネンネかしら?」
今日も満足するまで遊んだ幼子は、早くもウツラうつらと首を傾けていた。その都度にオモチャが鳴るので、誰の眼であっても見逃しようがない。
「まぁ仕方ないな、寝かしつけるか」
アルフレッドは抱きかかえると、グレンに声をかけた。
「ついてこいよ、良いものを見せてやる」
「僕に? 何だろう……」
腑に落ちないグレンだが、ひとまずは言われた通りにした。1階、アルフレッド父子の部屋。愛娘をベッドに寝かせると、喉を鳴らし、丁寧に歌い上げられた。本日の集大成である。
◆ ◆ ◆
シルヴィ、シルヴィ、シルヴィちゃん
きゃわいい、きゃわきゃわ、シルヴィちゃん
んっほぉぉおもうホント最高だこの子ぉおおん
バイバイおやすみ また明日
◆ ◆ ◆
静寂、そして静寂。
アルフレッドは無言のまま、薄手の毛布を安らかな寝顔に寄せると、獰猛(どうもう)に微笑んだ。
「どうだグレン、別人のようだったろう?」
「えっ、何が!?」
「今日は歌の手ほどきを受けたんだ。呼吸法にアクセントにリズム感とか色々な」
「あ、あぁ、そういう……」
「でもな、サラが言ってたぞ。オレは歌に必要なものは全部持ってたってよ。真心もって頑張れってさ」
「待って、僕は別にアルフさんが下手だなんて思ってないよ」
「いや、でもこの前……」
「僕は、一曲くらいまともに覚えたら、と言いたかったんだ。歌詞が独特すぎるし、他人に聞かれたら恥ずかしいだろうしで」
再び静寂。今度は多少の気不味さが上乗せされている。
「なぁんだ、そういう事かよ! すっげぇ考えちゃったじゃん!」
「アルフさん、声が大きいよ。シルヴィちゃんが起きちゃうよ」
「おっといけねぇ。そんじゃ寝かしつけが終わったことだし、風呂入ろうぜ、風呂」
「うわっ、また脱ぎ散らかして。リタさんに怒られちゃうよ」
「一番風呂、グレン兄さんといただきまぁす」
「待ってよアルフさん!」
2人の賑やかな声は食卓まで届いた。それは食後のティータイムを愉しむ女性陣の元に、温かなものとして聞こえ、小さな笑いを誘った。
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