第22話 夢と真

 リタが朝食を作る間、三々五々とダイニングに寝ぼけ眼が集まり、揃って食事を摂るのが普段の光景だ。しかし今日は少しばかり様子が異なる。


「ふんふふ〜〜ん。1皿出来上がりぃ〜〜」


 リタがこの上なく上機嫌なのだ。いつも愛想の良い彼女だが、今に限っては鼻歌交じりで、機嫌の良さを隠そうともしない。


「はぁいシルヴィ。あなたの分よ、召し上がれぇ」


「ほぇぇ……すっごいの! お花畑みたい!」


 シルヴィアは眠気を吹き飛ばして眼前の皿を見た。平たい丸皿にはフルーツが盛り沢山だ。下敷きに薄切りのリンゴが赤と黄の線で円を描き、乱切りにしたバナナとパイナップルが内側に敷き詰められる。中心にはブルーベリーが整然と並べられ、その1つ1つの皮に十字の切れ込みを入れて僅かばかり開いている。手間をかけた甲斐あって、ツボミにも似た美しさが眼を惹いた。

 他にもスープで温野菜、バターパンと、栄養バランスも問題のない食事が整えられたのだ。


「グレン君とミレイアちゃんの分もあるからねぇ、ちょっとだけ待ってくれるかしら?」


 シルヴィアと同じものがテーブルに乗ると、彼らも眼を輝かせてまで喜んだ。


「メチャクチャ凝ってるなぁ。今日って何かのお祝い?」


 グレンは問いかけるが、リタはクスクスと笑うばかり。


「あぁ素晴らしいです。ここなんか煩悶する豚野郎みたいで堪りません!」


 いくらかズレた感想はさておき、朝食は続々と並べられる。バターパン、温野菜スープ、冷トマトに肉巻きポテト。朝から豪勢な食卓は、ごく一部を除いて歓声を持って受け入れられた。


「おいリタ。何でオレだけメニューが違う!」


「んん〜〜精をつけて貰おうと思って」


 なぜかアルフレッドだけ鉄板焼きだ。よく焼けた1枚肉には、スライスされたニンニクが山のように積み上げられている。朝の胃袋には難敵過ぎる一品だった。


「今日のリタ、気味悪いくらい機嫌が良いですね。何かあったんです?」


 アシュリーが輪切りのトマトを口にしつつ問いかけた。


「うふふ。昨日は凄く良い夢を見てね、目覚めが最高の気分だったの。シロユメクサのお陰かしら」


「なんだ夢ですか。んなもん、子供じゃあるまいし」


「内容はね、私が皿洗いをしてた場面なんだけど」


「うわ、夢の中でも所帯じみてる。さすがに可哀相ですよウケケ」


「いつものように片付けてたら、後ろからアルフが抱きしめてきたの。それでソッと囁いたわ。『そんなもん後にしちまえ』ってね」


「何それ、ちょっと羨ましいんですけど」


「そこからは、もう、凄かったわぁ……。アルフってばあんな性癖があったのね、意外にも」


「おい! 夢の中だろ、現実に輸入すんな!」


 だから自分だけメニューが違うのか、精力をつけさせる理由はこれか。一応の流れを理解したアルフレッドは、ニンニクを端に避け、肉に岩塩を添えて口にした。


「良いですねぇ。夢かぁ、最近見てませんよ。アルフはどうです?」


 アシュリーが何気なく問いかければ、アルフレッドは少しむせた。


「おやぁ? その反応。どんなスケベなのを見たんですか。ホラ言っちゃいなさい、誰を肉欲の海に沈めたのかを!」


「ちげぇよ、そんなんじゃねぇ!」


「だったら何です?」


「クライスだよ」


「えっ……。アルフってそういう感じの」


「いい加減シモの話から離れろ!」


 アルフレッドが語る夢の話はこうだ。高笑いするクライスが街中の菓子を喰らい、巨大化していくものだ。やがて彼の毒牙は豊穣の森にまで迫り、シルヴィアの菓子までも奪おうとする。果敢に挑む父。しかし相手は何故か薄絹のように捉え所がなく、あらゆる攻撃が通用しない。万事休す。娘の菓子は一体どうなってしまうのか。


「……という所で目が覚めた」


「何ですか、その気になるようでクッソどうでもいい内容は」


「オレに聞くなよ。つうかクライスの野郎、巨大化する前に始末しとかねぇと」


「夢の話でしょ、アルフ。現実とごっちゃにしないで」


「リタはちょっと前の発言を振り返れ」


 話し込むうちに朝食は終盤だ。何人かは食べ終えたという所で、馬のいななきが聞こえ、続けてドアがノックされた。予定にない訪問者である。


「誰だ、こんな朝っぱらから」


 魔王自らが出迎えた、その客とは。


「おや陛下。おはようございます、クライスです。本日は執政官として報告がありまして……」


 バタン。まずは門前払い。続けて内鍵をかけ、食器棚でバリケードを作るという徹底ぶりで侵入者を拒んだ。しかしクライスは、この程度で引き返すほど『慎み深い』男ではない。


「ほぅ。お食事時でしたか。デザートはこれからでしょうか、私の分もお願いします」


 隣の窓から顔を覗かせて言った。この男を態度だけで追い払うのは不可能である。


「お前にくれてやる菓子はない。さっさと消えろ焼くぞコラ」


「一応は、喫緊のご相談です。それから菓子は必須の報酬となりますので、お忘れなきよう」


「給金なら国庫から払ってるだろ!」


「それはそれ、これはこれです。さぁ早く中へ入れてください」


 結局は家族の説得、主にシルヴィアの「かわいそう」という声により、クライスは許された。魔王の館へ足を踏み入れる事を。


「今朝方、いささか悪い夢を見ましてな」


 それが会話の切り口だった。現実主義者らしからぬ振る舞いを、アルフレッドは鼻で嘲笑った。


「夢と現実をゴッチャにすんなよ。まだ寝ぼけてんのか?」


「ご存知ありませんか、夢とは暗示です。心に根付く願望や希望、時には不安などが視覚化されるのですよ」


「御託は良い。さっさと報告してどっか行けよ」


 アルフレッドは横を向いて言った。その一方で、クライスは視線を正面に向けたままで、口調を変えようともしない。


「夢と申し上げましたが、中々に戦慄させられるものでした。国中で食料が不足し、皆が飢えて倒れるというものです」


「おうそうか。犯人はお前だろ、今のうちに国外追放してやろうか」


「そこで気になって調べたのですが、危惧した通りでした。このままでは飢饉が起こる可能性が高いのです」


「……そりゃどういう事だ」


「陛下は慈悲深くも、トルキン共から奪った諸々を国庫に納めてくださいました。金品から食料まで全てを、です」


「だってウチらは要らねぇし。邪魔になるだけだ」


「また、国軍が管轄していた大量の兵糧も、我ら国民に開放していただけました。8千の兵が半年は籠もれるほどの保存食を」


「兵士のほとんどが居ねぇんだ。蔵に積んでても意味ねぇだろ」


「しかし、それでも足りません。こちらを御覧ください」


 広げられた羊皮紙には、端から端までビッシリと文字数字が刻まれており、アルフレッドは目眩を覚えた。彼でなくとも眼が泳ぐこと請け合いの資料だが、クライスは指をなぞって説明を続けていく。


「我が国には王都と地方合わせて20万近い人民が暮らしております。そのうちの半数が都住まいです」


「メチャクチャ多いんだな」


「その都住まいの人々が、全ての財を失ったのは痛手でした。備蓄食料も灰となった今、生半可な供給では追いつかないのです」


「兵糧と、ぶん取り品じゃ足りねぇと?」


「はい。このままですと、一ヶ月のうちに尽きてしまいます」


「今年の収穫はどうなんだよ。色々と食い物が穫れるだろうが」


「今年は不運にも麦が凶作です。野菜や果実の収穫も先の事ですので、当面は狩猟や漁業に頼らざるを得ません。もちろん供給は不安定。次の収穫期まで保つかどうかは分かりかねます」


 更にクライスは続けた。食料だけでなく、衣服に家具、医薬品やら仕事道具やら娯楽品などあらゆる物が不足しているのだ。そのくせ金銀財宝やら美術品が腐るほど有るのは、何とも皮肉な話である。


「状況は分かった。んで、何が言いたい? お前は困った困ったと騒ぐだけのヤツか?」


「もちろん策をご用意しました。そうでなければ、3日分の菓子を要求したりはしません」


「どんなに献策しても、出すのは一人前だけだこの野郎」


「こちらを御覧ください。大陸地図です」


「聞けよオイ」


 紅茶を端に避けて広げたのは、卓上を占領するほどに巨大な地図だ。南方にレジスタリア、北に寄り添う豊穣の森。東に行けばプリニシアで、その国を北から東を囲むように広がるグランニア帝国と従属国家群。残りの北西部は獣人が治める唯一の国、獣人連合がある。

 こうして全体図を見せつけられると、レジスタリアはさほど大きくはない。グランニアの従属国よりはマシ、という程度だった。


「不足分は他国より輸入するに限ります。何物も製作するには時を要しますが、完成品を買ってしまえば輸送を待つだけで済みます。幸いにも、国庫には凄まじいまでの財で埋まっております」


「あっそ。じゃあ買えば良いじゃん」


「しかし、話はそう簡単にはいきません」


 クライスは角砂糖をプリニシアの上に置いた。レジスタリアより若干大きな国だ。


「我が国は魔王陛下を主と認めました。それが各国の反感を買っておるようでして、大掛かりな通商ルートは封鎖されてしまいました」


「何だそりゃ。動きが早ぇな」


「個人規模の、ささやかな量でしたら可能なのですが。10万を食わせる程となると、国境で必ず妨害される事でしょう」


 クライスは角砂糖を国境線まで進めると、1度止め、口の中へと放り込んだ。


「ではグランニアはどうか。こちらも期待するだけ無駄です。レジスタリアに向かうルートは、同じ関所を通る事になりますし、そもそもかの国も通商には応じない構えです」


「じゃあさっきと同じ結果になるよな」


「更に言えば、グランニアは獣人を憎悪する傾向があります。我が国の、特に陛下のご信条とは反りが合いませんな」


 クライスは新しい角砂糖を地図中央で止めて、再び口の中に放り込んだ。コイツは砂糖を食いたいだけだろ、アルフレッドは強い確信を得た。


「最後に、獣人連合は国交すら断絶しております。今の状況ならば友好を結ぶことも可能でしょうが、時を要します。今日明日にという訳には参りません」


「おい。それが事実なら孤立無援じゃねぇか。どっから買うつもりなんだよ」


「大陸に無ければ海に求めましょう」


 クライスは砂糖壺に手を伸ばしたが、アルフレッドが止めた。それから、指でなぞれと厳命した。


「唯一で現実的なルートです。海の向こうの島国、ヤポーネを頼りましょう」


「ヤポーネ。聞いたことねぇな」


「大陸情勢とは無縁の、独立独歩の国です。独特の文化が花開き、土壌は豊か、四季の風情溢れる素晴らしい国と聞いております」


「良いじゃねぇか。そこから買えよ」


「ただし縁遠い国です。通商の実績はおろか、まともな国交もない状態なのです」


「だったら獣人連合と同じだな」


「種族間の軋轢が無い分、遥かに与(くみ)しやすい相手かと」


 アルフレッドはアゴに手をやった。クライスの説明は確かにもっともで、異論など挟みようも無かった。微かに反発したい気持ちがこみ上げるのは、個人的感情というものだ。


「やるとして、どう進めんだ」


「実は、高官クラスでは話がまとまっております。残すは統治者同士の合意と、調印くらいです」


「それはオレに出向けって事か?」


「少なくとも呼び寄せる事は出来ません。譲歩して中間地点の島々や海上で、となりましょう」


「ふぅん。ヤポーネねぇ」


 基本的には出不精のアルフレッドだが、そこそこの関心を抱いた。かの国はどんな風景かと考えるだけで、胸が高鳴るのだ。


「良いぞ、こっちから出向いてやる。家族も連れて行っていいか?」


「なんと……それは御子様も伴われると?」


「そうだよ。安全な国なら見せてやりたい」


「えぇ、治安も良いと聞くので危険はないかと。それにしても、ご家族を連れてですか……なるほど」


「な、なんだよ」


 クライスは眼を細めつつ、口角を持ち上げ、薄っすらと開いた唇から前歯の先だけ見せた。これが彼なりの笑顔である。普段の仏頂面も手伝って、不気味というか、含むものを感じさせる表情だった。


「陛下の慧眼にはただ平伏するばかり。その外交センスはどこで培われたのですか」


「急にすり寄んな、気色悪ぃ」


「ともかく、船の準備などを進めておきます。最短で半月ほどとお考えください」


「あいよ。じゃあ話は終わりか?」


「左様です。では始めましょう、めくるめく魅惑のひとときを!」


 腰を浮かせてテーブルに前のめるクライス。アルフレッドは仕方ねぇと目配せをし、リタに用意を促した。

 そうして出されたのは待望の菓子。手作りクッキーである。


「おぉ、待ちわびましたよ。この為だけに働いていると言っても過言では……」


 クライスの表情は一呼吸のうちに目まぐるしく変化した。出された皿を恍惚とした顔で受け入れ、すぐに笑みは曇り、やがて真顔になってうつむいた。

 例えるなら、長年の苦労の末に世界の端まで辿り着いた後、ようやく手にしたのが絶望の種だったような。そんな様子だった。


「あんまりだ……この仕打ち、あんまりでございましょう……」


「嘘だろお前、泣いてんのか?」


「私は今日という日を楽しみに楽しみに頑張って参りました。それこそ昨日は寝ずに働いたというのに……!」


「メソメソすんな、それで1人分だぞ」


「私をみくびらないでいただきたい! この程度、一呼吸のうちに平らげる事が出来るのですぞ!」


「ですぞじゃねぇ! ガタガタ抜かすと追い出しちまうぞ!」


 そこへ折り悪く、外から子供達が帰ってきた。お菓子があるとリタに呼ばれたのである。


「えっ。何でクライスさんが泣いてるの?」


「グレン兄様、見てはいけないのです。大人にも事情というものがあるのです」


 極めて子供じみた事情をよそに、グレン達にもクッキーが配られた。しかし、いかに焼きたての絶品であろうとも、男泣きで湿る室内では美味いはずもなく。ただポリポリと渇いた音が、遠慮気に響いた。

 そんな最中に動いたのはシルヴィアだ。彼女はクライスの傍まで寄ると、自身の皿から1枚取り出し、こう言ったのだ。


「シルヴィのクッキーあげるの。だから、なかないの」


 この子はどこまで最高なのか。一同は頬を緩ませ、クライスの涙も止まる。幼女の純粋な優しさが場の空気を一挙に塗り替えたのだ。


「御子様、ありがとうございます。感謝の念とともに頂戴致します」


 クライスは濡れた袖もそのままに、ゆっくりと手を伸ばした。それはシルヴィアの差し出した1枚、ではなく、彼女の皿を掴んだ。そしてその全てを自身の皿に移し替えてしまった。

 皆が絶句して凍りつく。そして、暴れ馬よりも猛々しく怒り狂ったのは、やはり父親だった。


「クライスこの野郎! やっぱり正夢だったじゃねぇかーー!」


 襟首を引っ掴み、ドアを開けるなり、クライスを力任せに投げ捨てた。


「いっぺん死んでこいよバーーカ!」


 その声は、超高速で青空を飛ぶクライスの元へは届かなかった。

 それからどうなったか。生身の身体で空に投げ出された彼だが、魔法は使えない。しかしこれまでに学んだ航空力学や物理学を駆使して、運動エネルギーの制御を試みた。マントを巧みに操って速度を殺し、落下地点も調整。やがて南方の海に着水して危機を脱した後に、この一言。


「ここは港町の沿岸か。移動の手間が省けたな」


 ちなみにクライスの菓子は、アルフレッド親子の腹に収まった。



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