第30話 大国の触手
グランニアの帝都には今、豪華絢爛鳴る馬車が整列していた。掲げる旗は大陸東部の各国のものだ。他国より一段上にプリニシア、そして全てを見下ろすかのようにグランニアの国旗が翻る。
国王のみが参加権を持つ首脳会議である。大会議室は列国の王が肩を並べて座り、正面に座るはずの大陸覇者の姿を求めた。しかし、そこには皇太子が居るのみで、肝心の皇帝が見当たらなかった。
「アイレス殿下。陛下はいずこへ……」
問いかける声には、鼻で笑いつつ返した。
「父なら来ぬよ。私だけでは不服かね、プリニシア殿?」
「いえ、滅相もございません!」
「貴公の腹のうちは分かるぞ。誰に媚びるべきか知りたいのだろう」
皇太子の言葉に、一座は小さな笑いを起こした。彼はグランニア皇帝の実子であり、皇位継承権第一位を持つ男である。あだ名は赤獅子。精強無比の騎士団を率いる団長で、軍団が駆け抜ける道は必ず赤く染まると囁かれる事から名付けられた。
早い話がナンバー2の立場である。更に大陸最強ともうたわれる騎士団を率いる男だ。30にも満たない若者であるのに、老齢に差し掛かった各国の王を十分すぎるほどに圧倒した。弱小国とはいえ、血みどろの政争を勝ち抜いた猛者たちである。そんな彼らであっても、そして唯一の独立国であるプリニシア王であっても、歯向かえない程の圧力。アイレスはそれだけ死線をくぐり抜けてきた、という事の証明であった。
「さて諸君。お集まりいただいたのは他でもない。レジスタリアでの政変だ」
アイレスは椅子にもたれかかりながら言った。上着のサーコートは黒地に金刺繍ときらびやかなデザインだが、見るものは皆、血に染まる姿ばかりを想像してしまう。そして、その血が自分のものでない事を静かに祈る。艷やかで黒い長髪も、妖艶に見えなくもないが、酷薄な印象の方が強かった。
「魔王を自称する何者かが、レジスタリアと豊穣の森を掌握した。今は混乱が生じておるらしいが、いずれ厄介な勢力となる事は確実だ」
「トルキン王の所在は?」
「我が国に迎える予定だった。しかし消息は絶たれている。主だった者も全てもだ」
これには参列者も動揺を隠せない。大抵の国はレジスタリアよりも国力で劣るのだから。
「諸君らには通達済みだが、改めて命ずる。レジスタリアには麦の一粒とて渡してはならん。奴らが欠乏し、干上がって弱るまでは手出しする事も禁ずる」
「殿下、それはいささか消極的では? 連中が大人しく自滅するとも思えません。窮乏すれば、奪い取れとばかりに侵略される可能性が」
「ならば貴国だけで戦うかね、プリニシア殿。そなたは独立国の主だ。私とて強制など出来ぬよ」
「わ、我が国だけでは……!」
「ならば足並みを揃えていただきたい。もうしばし待てば、勝利の美酒を共に愉しめようぞ」
アイレスは懐から小さな石を摘み、見せつけた。夕暮れに染まる室内で、真昼のような光が辺りを照らし出す。
「そ、それは一体……?」
「まだ多くは明かせぬが、特別に名だけ教えてやろう。これは真魔石というものだ」
「真魔石ですと!? 失われた古代技術ではございませんか!」
「左様。しかし驚くのは早い。我が国が誇る科学力にて兵器としての運用法を開発中だ。試験は順調。実用段階へ入ることも、そう遠い話ではない」
「さすがはアイレス殿下、神すらも恐れおののく手腕にございますな。このローラン、心服つかまつりました」
「神……か」
アイレスは鼻で笑うと、腰の剣を抜き放ち、テーブルを上から貫いた。
皆が青ざめるなか、取り分け顔色が酷いのはローラン王だ。何か気に触ったのか、そう考えてみても彼に心当たりなどない。血を見ることになるのか。にわかに戦慄が駆け抜けるが、誰かしらが斬られる代わりに高らかなで宣言された。
「聞け、諸君。もはや神だの魔王だのといった人ならざる者の時代は終わった。これより科学の時代となる。魔王も、魔獣も獣人も一切を滅ぼし、あらゆる富を手中に収めよ。至高の風紀を味わい尽くしてやるのだ!」
オウ、と頼もしい声が響き渡る。心を1つに束ねたアイレスは、それからも主導権を握り続けた。会議が終われば酒宴で、皇帝に代わって賛辞の雨を浴び続けた。
宴が終わって夜更けを迎えれば、各国の王は闇夜に蠢き出した。謀略に政争、あるいは金儲けの相談など、私欲にまみれた密談が取り交わされた。そんな中で病気と偽り、一足先に故郷へと戻る馬車がある。翻るのはプリにシアの国旗だった。
「あの若造め、ワシに恥をかかせおって。何が手出し無用だ……!」
押し殺した怒りは濃い。同乗する側近はうつむき、馬車を操る御者の手元も震えてしまう程だ。
レジスタリアが攻め込むとすれば、隣国のプリニシア以外あり得ない。グランニアが軍の派遣を禁じたという事は、事実上、見捨てたという事だ。それには「守られたくば従属せよ」という意図も込められている。
プリニシア王は全てを理解した上で、侮辱だと解釈したのだ。
「よかろう。ならば我が国だけで成し遂げてみせよう。アイレスの腑抜け顔を見るためにもな!」
彼は腹を決めた。レジスタリアとの開戦に向けて、今舵を切ったのだ。だがさすがに老練であるために、大きな動きは自ら戒めた。
「全軍に通達、戦備えを進めよと。ただし目立つ真似は慎め。グランニアに、もちろんレジスタリアの連中にも気取られぬよう、ゆるりと進めよ」
「ハハッ! 各団長へ内密に通知いたします!」
「魔王め、首を洗って待っていろ。我が魔装騎士団が、必ずや貴様を葬るであろう……!」
つぶやいた声は低い。そして憎悪で凍てついたかのように、冷たかった。
一方その頃。魔王は遥か彼方で恨まれているとも知らず、のんびりと風呂に浸かっていた。改装を終えたばかりの新品で、それなりにアイディアを盛り込んだ浴場である。
明かり取りの窓は広く、天井と壁の境目の全てに外の景色を映し出す。そして部屋の四隅の壁に設置した石の容器は、微量の魔力で火が灯る仕組みだ。湯船は切り出した岩で造られており、手足を伸ばして湯に浸かりつつ、灯りと夜景を交互に楽しめた。そうしていると、一日の疲れすらも溶ける様な心地になる。
「やっぱ広い風呂は最高だな、頑張って正解だった」
「おとさん、みてみて! おさかなさん!」
「こらこらシルヴィ。お風呂で泳いじゃいけないよ」
「父君の言う通りだシルヴィア。湯船で遊ぶべきではない」
横から放たれた苦言に顔をしかめたのは、アルフレッドの方だった。
「エレナ、何でお前まで入ってんだよ」
「身辺警護は私の役目だ」
「おっそうか。だったら服を着ろよ、真っ裸になる理由なんてあるか!」
「武装した姿が見えては寛げないだろう」
エレナは言葉通り、あらゆる衣服を脱ぎ去っていた。そして浴室の片隅にジッと控えている。一応首からタオルを引っさげているので、姿勢もあいまって、肝心な部分だけは絶妙に隠されている。しかしアルフレッドは、そうだと分かっていても落ち着けなかった。
「風呂くらい親子水入らずにしてくれよ、マジで」
「アルフ王よ、背中を流そう。遠慮など無用だ」
「それ終わったら出てってくれよ……」
湯船から離れたアルフレッドは、壁に向かって腰を降ろした。その背後でエレナが泡立てる。自家製の石鹸はリタが遊び半分で作ったものだが、香りは豊かで使い心地も良い。キメの細かな泡が背中をなぞり、首に触れる。
「いってぇ! そこはやめろ!」
「どうした。首が痛むのか?」
「日焼けしたんだよ、しみるから避けてくれ」
「それは拒否する。身綺麗は王者のたしなみだ」
その言葉を最後に、柔らかな何かが背中の泡越しに登っていく。並んで2つ。形を変えながら肩まで行くと、実にムニンとした塊が首を包み込んだ。
これには魔王とて堪らず、飛び跳ねてまで驚いた。
「何してんだお前ぇ!?」
「不快か? これをやれば大抵の男はイチコロだと聞いたんだが」
「誰に吹き込まれた?」
「アーデン殿だ。以前、警備の打ち合わせで何度か顔を合わせた」
「おっそうか。あの野郎覚えてろ」
握り拳を手のひらに叩きつけて、不愉快さを明らかにした。しかしそんな怒りも、愛娘が大笑いする事で霧散していく。
「あはは、おとさんおもしろーーい!」
「えっそうかい? 今の面白かった?」
「ねぇねぇ、もっかいやって?」
「んんん……何してんだお前ぇ!?」
2度目はひょうきんに。わざとらしく顔を作って演じる。それが一層ウケたらしく、大きな大きな波で湯が溢れ出た。反響する笑い声も、にわかに荒れた心を落ち着かせるようだった。
風呂上がり。ダイニングで冷たい水を1杯飲み干すと、首に鋭い痛みが走った。ピキリとした鋭さに、思わず咳き込んでしまう。
「あらどうしたの、風邪?」
リタが声をかけると、首筋の方へ眼をやった。
「痛そうね、赤くなってるじゃない」
「薬って残ってるか? 塗り薬とか」
「残念だけど切らしちゃってるわ、ごめんなさい。氷で冷やしてみる?」
「そうだな、頼むよ」
アルフレッドは、氷魔法を浴びせたタオルを受け取り、患部を冷やした。火照りが癒え、感覚も鈍っていくのが心地よい。
その間シルヴィアは、ミレイアの前で「なにしてんだ、おまえぇ!」と叫びながらピョンと飛んだ。それからはミレイアと代わる代わる飛び跳ね、共に腹を抱えて笑い転げた。
その様子を眼を細めつつ眺めていると、通りがかったアシュリーに絡まれた。
「どうしたんです? 首やられました?」
「ちょっとな。辛くはないが、苛つく程度には痛む」
「ほほぉ、そんな時はこれです! 安眠枕!」
「いや、首が痛いのは日焼けのせいで……」
「さぁさぁ遠慮しないで。古代技術がみっちり詰まった渾身の一品ですよ。良い夢を見ながら爆睡すること請け合いです」
強引に押し付けられた格好だが、結局は受け取る事にした。痛痒くとも、それほどの品であれば安眠できると踏んだからだ。
深まる宵闇。隣では愛娘がバンザイの姿勢を取りながら寝入るのが見えた。灯りの魔力を絞って消し、カーテンを開いてから、彼も眠る事にした。安眠枕。効果のほどはいかに。
「うぅ……やめろ……くるな……」
うなされる程の悪夢。目覚めればまだ夜半で、額に嫌な汗が滲み出している。安らかには程遠い目覚めに、アルフレッドは不審がった。
再び枕に頭を沈めると、あるかなきかの声が、布地の奥から聞こえてきた。
――アシュリーちゃんを選びなさい。アシュリーちゃんと生涯を添い遂げなさい。そんでもってアシュリーちゃんに森のあらゆる富を譲りなさい。
枕を壁に放り投げると、愛用の品を引っ張り出して眠りについた。寄せては返す痒みが気がかりで、結局一度も深く寝入る事無く、夜が明けた。
「おはようアルフ。今日は早いのね」
「水をくれ。身体が死ぬほどダリぃわ」
「あら大変。本格的に風邪でもひいた?」
程よく冷えた1杯の水。一気に飲み干しても、身体の覚醒には程遠い。
「眠れなかっただけだ。今日は絶対に働かねぇからな」
「別に構わないけど。それより昨日のとこ、随分と赤くなっちゃったわね。アシュリーに治してもらう?」
「やめてくれ。何されっか分からねぇ」
「そう、だったら仕方ないわね」
リタはアゴ先に指を添えて、最後に一言だけ告げた。
「しばらくの間は、首の心配をしなきゃダメね」
アルフレッドは返答代わりに唸り声をあげ、卓上のパンをムシャリと噛んだ。
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