第29話 次なる一手
ヤポーネからようやく帰宅した魔王一家。船を織り交ぜた行程は疲れを倍加させ、豊穣の森に着いた頃には、何人かが眠りこけてしまう程だ。出迎えに現れた魔狼の背中に乗り、見慣れた森を駆け抜けていく。
そうして戻った自宅には、クライスが1人待ち受けていた。呼んでもないのに。
「お帰りの頃かと思い、参上しました」
「お前……こちとらお疲れ様なんだぞ、オウ?」
「まぁまぁ。お手間は取らせませんので」
「まったく。だが、一応積もる話はある。出向く手間が省けたと考えてやるか」
「では中へどうぞ。成果をお見せいただきたく」
「オレんちだ。引きちぎるぞ」
子供たちはリタに預け、テーブルでクライスと向き合う。すると話を切り出す前に、クライスが両手を突き出した。催促するようにヒラヒラと揺れるのが苛立ちを誘う。
「国書を預かっている。それから調印の時の……」
それら国家機密レベルの品々は、クライスの平手が横一文字。全てを払い除けた。
ハラリと床に落ちる機密文書。その間はというと、彼の顔色は微塵も動かず、いつもの仏頂面であった。
「何すんだよ。テメェの首も床に並べてやろうか」
「お戯れを。こんな紙クズどうでも宜しい。私が求めるのは、ヤポーネが誇る菓子でございます」
「何でオレはお前を執政官に抜擢しちゃったんだろうな」
既に察しをつけていたアルフレッドは、テーブルに土産物を並べた。それから耳にしたのは、いい大人が撒き散らす金切り声だった。
「お前さぁ、突っ伏して泣くほどの事かよ?」
「味噌って、全然違うし……。芋って、そうじゃないし……」
確かに彼が要求した品は1つとして置いてない。みたらし団子は、樽状の小さな容器に詰め込まれた田舎味噌に差し替えられた。芋ようかんも乾燥芋だ。他にも細々と求められた品は一切なく、その代わりに祭りで買いすぎた天狗のお面が、申し訳程度に並べられた。
クライスの哀しみは、望みを絶たれた苦痛は深く、重い。泣き顔も、すでに三日三晩嘆き続けたような悲壮感がある。
見かねたリタが、コトリと皿を置いた。
「しょうがないわねぇ。ほんとは子供たちに買ってきた物だけど」
そこには、ちんまりと可愛らしい球が3粒並んでいる。色味も、白に黄色桃色と華やかである。
「こ、これは……?」
「コンペートウよ、新作なんですって。今日はそれで我慢しなさい」
「甘やかすなよ、リタ」
クライスの震える指が皿を鳴らし、未知なる菓子に触れた。硬い、そして軽い。うっかりすると指先から落としかねず、左手を下に添える事で、大惨事から免れようとした。
静かに、丁寧に口元へ運ぶ。しかし指先は唇から離れて鼻の方へ向かった。そっと息を吸い込み、コンペートウを左の穴、右の穴と交互に香りを愉しむ。匂いは強くない。
そしていよいよ唇が開く。指先は口の中へ。舌の真ん中にへこみを作り、そっと安置すると、手は膝の上へ。それから大きく息を吐きだし、瞳を閉じる。
ジュルリ、ジュルリ。唾液が徐々に菓子を溶かし、砂糖の濃い甘みが漂い始める。
――今だ!
クライス、ここで鼻から息を強く吸い込んだ。すると口中を満たすまろやかな甘味が喉を伝い、身体の隅々まで駆け巡った。
それからは、万感の想いと共に天井を見上げ、肩を震わせた。頬を伝う熱い涙は、荒れた心に降り注ぐ慈雨のようだ。
「なんという……美味。結構な、大変結構なお点前で……!」
「長ぇよ! 1個食うのにどんだけ時間かけてんだ!」
残りはオレが食わせてやると、アルフレッドが奪おうとしたその時。クライスの細腕が皿を掴み、引き止めた。
「コイツ……どこにそんな力が!」
想いは魔力を高め、命の輝きを増大させる。なんの訓練もないクライスが拮抗できたのも、甘味にかける情熱の賜物だ。
しかし話として美しくはない。浮かべる形相も般若、悪鬼、怨霊も同然だ。ダダをこねてまで得た執着の結果であり、当然ながら誰も彼の力を讃えようとはしなかった。
「ふぅ……。では陛下、ついでに仕事の話もしましょう」
「やっとかよお前。待たせすぎだろ」
クライスが至福の時間に酔いしれる間、状況は様変わりしていた。子供たちは風呂に向かい、エレナやアシュリーは部屋で荷解き。リタは土産の調味料を粗方並べ終え、アルフレッドも2杯目の熱い紅茶を飲もうとする所だった。
そこまで待たせても悪びれないのは、クライスの持ち味と言えるかもしれない。
「実を申しますと、一連の出来事についてはおおよそ掴んでおります。先行して帰国した内政官より聞きましたので」
「そうかよ。すげぇ大変だったぞ」
「ぜひ、陛下の目線からもお聞かせください。思いつくままで結構です」
アルフレッドは順を追って説明した。初日から最後までの出来事、街の賑わいに住民の様子、他種族が調和する世界。
それらをクライスは、相槌も打たずに聞いていた。手元の紅茶に角砂糖を5つ放り込み、ザラリとした質感に変えて、ズルズルと一息で飲み干した。
「そうですか。やはり、中々の曲者でございますな」
「それは誰の事だ?」
「もちろん国王ヨウコウです。ゲツメイ殿は堅物ですが分かりやすい性質で、むしろ与(くみ)しやすいお方ですな」
「アイツは、ただのヘラヘラ笑うだけの兄ちゃんじゃねぇ。それはハッキリと分かる」
「しかし警戒する程でもありません。あくまでも取引の相手なのですから」
クライスは砂糖壺からひとつ、角砂糖を取り出すと、不敵な笑みを浮かべつつかじった。カキリと響く音が何とも意味深である。
それに続けて羊皮紙を取り出すと、卓上に広げた。随所には細かな数字が刻まれており、アルフレッドに頭痛を食らわせる程のものだ。
「交易は月2回。食品と日用品を主とし、布地、家具、医薬品なども輸入します。それらは全て配給し、住民に広く渡るよう取り計らいます」
「買い込む数量には気をつけろよ。あんまり多いとゲツメイがキレるぞ」
「現在は、獣人連合へ使節団を送る事も検討しております。そちらが上首尾に運べば、ヤポーネに大きな負担をかけずに済みます」
「じゃあ基本的には順調なんだな」
「いえ、そうとも言い切れません。さすがに、街の住民には疲れが見え始め、復興作業も滞るようになりました。苛立ちのせいか、最近は衝突も増えたとアーデンより報告されております」
「働きづめだもんな。たまには休ませろよ」
「娯楽がありませんからな、効果は薄いでしょう。せいぜい、河の水を酒に見立てて飲み、木椀を叩いて歌うくらいです」
「そうか。気晴らしが出来ないっつうのも辛いな」
「今は多くを望むべきではありません。いずれ名案も浮かぶことでしょう。それまでは粛々と復興に向けて励めば良いのです」
クライスの手がまた砂糖壺へ伸びた。しかし、蓋は魔王自らの手によって封鎖されている。
「お前、砂糖を食いたいだけだろ!」
「誤解です。演出の為に必要な小道具なのです」
「そもそも紅茶も砂糖まみれだったじゃねぇか! 家に帰って自宅の菓子でも食ってろよ!」
「これぞまさしく、隣の砂糖はなお甘し、でございますな」
「そんな格言ねぇだろ。捏造すんな」
それからいくつかの応酬はあったものの、結局はクライスを追い出した。静けさを取り戻した自宅。しかし手元には先程の資料が残されており、あの不敵な笑みが思い出されると、思わず破り捨てたくなる。
「あの野郎。仕事だけは妙に出来るからな、すげぇ扱いにくい」
記された数字は、向こう3回の交易について記す見積もりだ。概算の費用とその対価が、細かな項目で区切られていた。それを眺めるうちにアルフレッドは気づく。
「嗜好品や贅沢品まで取り寄せるつもりか」
彼に咎める意思はない。レジスタリア人は休みなく働き、復興作業に勤しんでいる。たまには酒でも飲んで、歌に踊りにと楽しみたいだろう。しかし今は、酒も楽器もほとんどが塵と消えてしまった。
金は余るほどにあるのだ。国が傾く程でなければ、出し惜しむ気にはならない。それどころか、胸に微かな引っかかりが同情心すら呼び起こした。
「不公平だよな、マジで」
ヤポーネの都を闊歩する人々、酒宴で酔い潰れて高いびきの面々。まだまだ鮮明な記憶を辿れば、苦味にも似たものが感じられた。
「何が不公平だって?」
正面に座ったリタが、紅茶を置きつつ訪ねた。それからティーポットを傾けてアルフレッドのカップにも注ごうとしたのだが、それは手で制される。
「ヤポーネ人は幸せそうだなって。ひたすら貧乏暮らしに苦しんで、何もかも焼かれたレジスタリア人とは別物だ」
「確かにそうかもね。生まれた場所が少し違うだけなのにね」
「それっておかしくないか。生まれは選べねぇのに、場合によっちゃ死ぬほど苦しめられるとか」
「仕方ないわよ。そういうのを運命って言うんじゃないかしら」
「言葉の上では分かるけどよ……」
アルフレッドが腕組みをしてボヤく姿に、リタはくすくすと笑い始めた。
「何だよ?」
「アナタ、随分と変わったわよね。ちょっと前まではニンゲンを毛嫌いしてたのに」
「別に……今だって大差ねぇよ」
「うふふ。気を悪くしないで。アルフが楽しそうにしてるから、ついね」
「これが楽しそうに見えるのか?」
「だいぶね」
含みのある言い回しだが、アルフレッドはその日の内に忘れた。しかし、例の同情心だけは一向に陰りを見せない。それは夜半の、ベッドに横たわる最中でも同じだった。
「何かこう、パァッと楽しめる事は無いもんか。これからの人生に期待できそうなやつを」
瞳を閉じるが眠れない。そのまま取り留めもない事を考えていると、腹に衝撃が走った。シルヴィアの足が振り下ろされたのだ。わざとではなく、単なる寝相が悪さをしただけだ。
愛娘は眠りに落ちた今でさえ、でんでん太鼓を握りしめている。ヤポーネの祭りで買ったものだが、すこぶる気に入ったようである。露店で買うという経験も楽しんでくれたらしい。お小遣いとして渡された50銭で何が出来るか、どう楽しめるかを大興奮しながら駆け回ったものだ。
「全然離さないんだよなぁ……」
娘が蹴飛ばした毛布を、もう1度肩までかけてやる。安らかな寝顔、トンとなる手元の太鼓。それらを目の当たりにするうち、ふと鮮明な閃きが脳裏を駆け抜けた。
「これって……すげぇ面白ぇんじゃねぇか!?」
アルフレッドには確信があった。皆が喜んでくれると、日々の労働にくたびれた人々を笑わせる自信があった。
夜が長く感じられる。早く陽よ昇れと、夜明けを待ちわびながら浅い眠りを繰り返した。やがて、窓から降り注ぐ眩さに気づくと、ベッドから飛び起きた。寝癖もそのままに玄関に向かって一直線に駆け抜ける。
「おはようアルフ……って、何事?」
「リタ、朝飯はいらねぇから!」
「えっ。どうしたの急に」
「これからクライスんとこ行ってくる!」
扉が閉まるとともに、嵐でも通り過ぎたような静けさが残った。呆気にとられたリタだが、やがてクスクスと笑い出す。まるで、遊びを我慢しきれない子供のような顔を見たからだ。
その一方でアルフレッドは明け方の森を全力疾走していた。風圧だけで周囲の草木は大きくしなり、驚いた鳥が青空へと逃げていく。魔狼に乗るなどという手間さえも惜しんだ結果だ。
「配給止めて買い物祭り、配給止めて買い物祭り!」
アルフレッドは念仏の様に繰り返しながら、昨夜の閃きを頭の中で整理した。具体的には食品や医薬品など、生存に必須のものを除き、配給を停止する事だ。
その代わり住民には一定額の金を配る。金があれば当然、何がしかの物が欲しくなる。そこで輸入品による大規模な市を開き、各人の望むものを買わせれば良い。酒を飲もうが珍味を買おうが、上等な絹やら家具を買おうが、全ては自由だ。
「これは盛り上がるぞ、みんなニッコニコにしてやるからな!」
やがて見えるレジスタリア。門まで回り込むのが煩わしく、一息で壁を飛び越えた。着地した先に居たアーデンが腰を抜かして倒れ、一声かけてからクライス邸を目指した。
風の様に門を飛び越え中庭を抜け、豪邸の入り口を叩けば、メイドが狼狽えつつも応対した。クライスは執務室に居るといい、案内を受けると部屋に押し入った。
「おうクライス聞けやオラ。昨日の話だが……」
そこまで言い放つが、眼を見開いて絶句した。執務室には不似合いすぎるカマド、器具を完備した調理台に水場と、異質なるアレコレが勢ぞろいしていたからだ。
「おや陛下、奇遇ですな。私も昨日の一件が気がかりでして」
そう語るクライスの手元で、ボウルと泡立て器が踊り狂う。その腕前は鮮やか。頭上のスカーフも、どこか誇らしげに映る。
「何やってんだお前?」
「検証です。今しばらくお待ちあれ」
泡立て器を持ち上げると、フワリとしたツノが立つ。続けて手に取る一抱えの壺。それを逆さにして中身の全てをボウルに投入。粉で溢れかえりそうになるも、再びかき混ぜてなじませる。
「ふむ、頃合いか」
「お前、何を作ってんだって」
「仕上げにこちらで完成です!」
小瓶の封を切って中の液剤をポタリと垂らせば、ボウルの中身はたちまち天井まで伸びた。白い煙のようにしか見えないが、れっきとした個体であり、プルプルとした感触を保ったまま自立した。
「お味の方は……うむ、程々か」
「そろそろ説明しろ。黙って付き合うのも限界だぞ」
「昨日話題となりました、隣の砂糖はなお甘しについて、体験していただこうかと」
「オレに食えってのか。そのいかにも怪しげな何かを」
「ご安心を、毒ではございません。さぁ、さぁ」
ズイと押し出されてプルプル震える物体。アルフレッドは顔をしかめつつも、端を一掴みして口に放り込んだ。すると突然、目眩にも似た頭痛が駆け抜け、その場でのたうち回った。
「甘ッッ! なんだこれ、甘すぎだろ!」
「フフフ、やはり! よその家の菓子は何倍にも甘く感じると、たった今実証されましたな!」
「そんな訳あるか……うん?」
アルフレッドは口の中にザラリとした食感を覚えた。それは舌に溶けると、温い甘みを喉に伝えた。
「これ、単純に砂糖の入れすぎだろうが!」
「そんなバカな。むしろビターと言って差し支えない……」
「バカはお前だ! 血管に砂糖詰まらせちまえ!」
撤退は素早く。開けた窓から天空に躍り出て、着地するなり全力で駆けた。鳥よりも狼よりも速く、自身の影すらも置き去りにするような俊足だった。
間もなく帰宅。家族はまだ朝食の最中で、リタが小首をかしげて語りかけた。
「随分と早かったわね。用事は済んだのかしら?」
それは2度目の目眩、そして出動。おかわりの疾走は1度目よりも騒がしいものとなった。
「忘れてたぁーーチクショウがぁーーッ!」
再訪は入り口からではなく、窓から侵入。
クライスは眉1つ動かさずに出迎えた。そして王の名案を聞いてもなお、表情を変えようとはしない。
「そんな話の為にわざわざ? ご苦労な事です」
魔王憤激。室内の机を全てひっくり返すという残虐行為に及び、散々罵倒を吐き捨てて立ち去っていった。
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