第31話 打掛は舞う

 ヤポーネより積荷が届く。その報せをアルフレッドは自宅で聞いた。クライスによってではなく、和装姿の一団から告げられたのだ。彼らは魔王の家に訪いを入れると、2合のツヅラを地面に置いた。仕草は粛々と。僅かな衣擦れが聞こえるくらいで、風のざわめきの方がやかましい程だ。

 アルフレッドは娘を抱きかかえつつ、おごそかな「儀式」を眺めていた。そして開かれたツヅラの中には、それぞれ真っ赤な打掛と、鎧がある。どちらも見覚えのあるものだった。


「久しいのう魔王殿。息災かえ?」


 人化したゲツメイが、扇子を開き、優雅に仰いだ。一歩下がって鎧の神も、恭しく頭を下げた。


「なんだ、お前らか。久しぶりって言うが、まだ一ヶ月くらいしか経ってないぞ」


「そ、そうだったかのう? 月日の流れとは時として奇妙に感ずるものよな」


「アルフ殿。ゲツメイ様は貴殿にお会いできる日を心待ちにされておりました。それこそスズリに向かえば墨を溢れさせ、何か羽織れば前後ろを逆にしてしまい、まさに心ここに在らずと……」


「鎧よ。その良く回る口を閉じぬと、蔵に閉じ込めてしまうぞ」


「ひっ……」


「つうかさ、お前ら何しに来たんだ? 暇なのか?」


「荷を、荷を持ってきてやったのじゃ! ここへは報告のついでに、頭領どうしで親睦でもと思ったまでじゃ!」


 顔を赤くして怒鳴ったのだが、やがてハッと気付きうつむいた。そして扇で口元を隠しつつ、耳まで赤くした顔で覗き込むようにして、上目遣いとなった。切り揃えた前髪が、あどけなさを残す目元が不安な胸の内を映して揺らぐ。


「それとも、迷惑だったかのう? 急におしかけたりして……」


「いや、歓迎する。狭苦しい家だが入ってくれ」


「まことか!? 嘘偽りあるまいな!」


「出禁はクライスだけだ。他は基本的にオッケーだぞ」


「その名は国の重鎮ではなかったか?」


 アルフレッドは招き入れる間、笑みを噛み殺していた。国賓の歓待である。それはアシュリーとの森の管理や、モコの勉強会などとは比較にならない程に重責だ。堂々とサボれる口実があるのなら全力で活用する。ただそれだけだ。

 客を通したのはダイニングキッチン。特に贅を凝らした点は無く、割と平凡な内装だ。それでもゲツメイにとっては全てが珍しく、顔を四方に向けては眼を輝かせた。


「ほほぉ、あらゆるものが全て違う。ここまで合致せぬとは、逆に心地良くすらある」


「いらっしゃい。お茶をどうぞ」


 リタがすかさず紅茶を出した。まともなティーセットは無く、注いだのも木椀だ。


「そ、そなたも一緒に暮らしておるのか?」


「えぇそうよ。それが何か?」


「ふふん。別に、当然の事であるな。下僕が王の元に暮らして奉公するのは」


「随分な言い草ね、奥さんに向かって」


「お、お、奥方じゃと!?」


「リタ、誤解を生む言い方をすんな。ゲツメイも真に受けんな、冗談に決まってる」


「そうね、ごめんなさいアルフ」


 リタは去り際、不敵な笑みを向けた。言葉など不要。一言すらなくとも、ゲツメイは完璧に理解した。アルフは渡さないという意思表示を。

 辺りはなぜか一気に冷え込む。鎧の神などは両手で木椀を手に取り、暖を取る始末。歓迎ムードから遠ざかる中、1人の幼女が明るく染めた。


「あっ、着物のお姉ちゃんだ!」


「おぬしは確か……しるびぃと申したな。息災か?」


「はくさい?」


「元気かと聞いておるのじゃ」


「うん、元気なの! きょうもきのうも元気なの!」


「そうかそうか。またヤポーネへ来ると良い。父上と共に、親子2人でのう」


 そこでゲツメイの視線がリタの瞳に激突する。睨み合って煌めく火花。熱いぶつかり合いは、周囲に強い冷え込みをもたらし、鎧の神などは自身の金具を打ち鳴らしてまで震えた。

 それでもアルフレッドは首の裏を乱雑にかきむしり、皮が剥けてきたなどと呟く有様だ。彼に人たらしの才能があるのか、あるいは当事者意識に欠けているのかは判断に迷うところだ。


「返礼じゃ。今度は妾から茶を振る舞おう」


 ゲツメイはそう言うなり、シルヴィアを抱きかかえて外に繰り出した。アルフを先頭に3人が追いかけると、外では既に準備が整えられていた。配下が事前に用意したのである。


「なんだこれ。何が始まんだよ」


「いつ頃からか知らぬが、茶の作法を説くものが現れてな。妾も最初は呆れたものだが、やってみれば意外に面白い」


 ゲツメイは漆塗りの下駄を脱ぐと、ゴザの上に正座した。開いた傘に少し隠れるような位置だ。その傘も、黒い柄と骨が淡青の油紙を美しく際立てた。まるで青空が零れ落ちて舞い降りたかのようだ。

 鎧の神は離れて控えたので、客として座るのはアルフ達3人だけだ。正座という文化になど慣れていない。アルフレッドはあぐらをかいて、その上にシルヴィアを座らせた。リタも足を揃えての横座りだ。


「大人しく待っておれよ。紅茶などとは比較にならん旨い茶を愉しませてくれようぞ」


「うふふ。よっぽど自信があるのね、楽しみだわぁ」


「静かにせい。気が散っては一座建立とはいかぬわ」


「そうね。ごめんなさい」


 ゲツメイの言葉に偽りはない。茶杓を縦に構えて、帯から取り出した布で拭う。大振りな黒の茶碗も同じく、丁寧に。その仕草ひとつひとつに念が込められているようで、動作の全てに「止め」がある。彼女は今、真剣勝負の真っ最中なのだ。

 しかし肝心のアルフレッドには想いが届かない。彼は退屈な段取りなど眼もくれず、両手を後ろに向いて空を見上げた。鳥の鳴く声と、火をかけられた茶釜から鳴るコポコポとした音が、楽しいと思っただけだ。


「大陸では茶葉を煮出す所を、ヤポーネには違う飲み方もある。粉末の茶葉を溶かして飲むのじゃ」


「マジかよ。なんか苦そう」


「これがな、意外とそうでもない……」


 ここでゲツメイはほんの一瞬だけ気を抜いてしまった。すると、どんな力が作用したのか、粉末茶を入れた茶碗がブリンと空に向かって投げ出されてしまった。天高く舞う黒い点。これも作法かと、不思議に思って眺めていると、違う事が分かる。ゲツメイがかつてない程に慌てふためいたからだ。


「あぁっ! 溜まりに溜まった余計な力が一気に発散されて、こんな事に!」


「いや、そうはならねぇだろ」


「早う止めるのじゃ、あれは国でも指折りの逸品じゃぞ!」


「何だってそんなもん持ち出した!」


 しかし想いを裏切るかのように、茶碗は地面に落ちるなり坂を転げ落ちていった。ゲツメイが裾をはだけてまで駆ける、駆ける。しかし茶碗も段差や小石で軌道を目まぐるしく変えて、迫りくる手を華麗に避けてみせた。


「魔王殿、力を貸してくれい!」


「しゃあねぇな……って、あれはアシュリーか?」


 丘の切れ目に金髪がフラフラと揺らぐのを見た。茶碗は車輪のように回転しながら、一直線に駆け続けた。


「あっしゅ、あしゅあしゅ、アシュリーちゃん。天下無敵の翼美人〜〜、とっととひれ伏せゴミどもよ〜〜」


「おーーいアシュリー。その黒いやつ止めろ」


「えっ、何です? 黒いのって……のわぁ!?」


 残念ながら失敗だ。アシュリーがちょうど踏み込んだ足の下に茶碗は潜り込み、ツルンとした動きで更に加速した。その流れでアシュリーは華麗に転んでしまい、スカートが完全にまくれ上がる事態に陥ってしまう。


「覗くなよ魔王殿、乙女の醜態じゃぞ」


「頼まれたって見るかよ、あんな小汚ぇもん」


「ちょっとぉ! ちゃんと毎日替えてますから、めっちゃキレイですから!」


 憤慨するアシュリーを置き去りにして、ゲツメイと魔王は駆けていく。茶碗は意思を宿したかのように飛び跳ね、あるいは木々の隙間をくぐり抜け、森の中を超高速で疾走し続けた。


「なんという事じゃ、これでは茶器の価値が……!」


「どうしたよ。兄貴に怒られちまうか?」


「あれ1つで城が建つ。それ程の逸品、汚したでは済まされぬ!」


「えっ、マジで!?」


「いや、この際価値など大きな意味はない。あの茶碗は……」


「おっ、あれはエレナじゃねぇか!」


 後ろ姿だが、見間違いようもない赤髪に銀鎧。あいつなら止められると、アルフレッドは胸を撫で下ろした。


「おおいエレナ、そいつを止めてくれ!」


「その声はアルフ王か。止めろとは……ってうわぁ!?」


 振り向いた瞬間には、すでに茶碗が眼前に迫っていた。瞬きのうちに鼻っ柱に直撃するだろう。だが、彼女は武術を極めた猛者である。ほんの一瞬の間に、滑らかな拳打で対処してみせた。


「甘い! この程度で私から1本奪えると思うなよ!」


「何やってんだバカ!」


 キャッチではなく裏拳が炸裂した。それで新たな力を得た茶碗は向きを変えて、暗い森を疾走していく。


「止まれ、止まれぇーー!」


 ゲツメイが飛んだ。迫る指先。遠い。いや、右手は茶碗を騙す為のフェイク。すかさず左手も伸ばし、縁に触れると、がっちりと掴んだ。


「やった! やっと捕まえ……」


 しかし今度はゲツメイが止まれない。勢いづいた身体は前に後ろにと重心を目まぐるしく変え、やがては盛大に転んでしまう。一応は止まる事が出来たのだが、彼女は聞いてはならない音を聞いてしまった。


「……べちゃ?」


 ゲツメイは沼の手前で倒れ込んだのだが、真っ直ぐ伸ばした手がギリギリ届いてしまった。城と同等の価値を持つ至高の品は、異国の地で汚泥に塗れたのである。


「あぁ、黒茶碗が……金色絵付けの黒茶碗が……」


 追いついたアルフレッドは珍しくも戦慄した。割れこそしなかったものの、側面は傷だらけで、挙句の果てに泥まみれとなった名器は、どう償えば良いのか。ゲツメイのミスを発端としていても、森のメンバーがきっちりとアシストを決めてしまっている。とてもじゃないが他人事と切り捨てるわけにはいかなかった。


「その、なんだ。お前の国の城ってディナ換算でいくらくらい?」


 弁償は国庫から出してもらおう。反対されればクライスにおっ被せよう。そんな腹づもりも、ゲツメイが流す大粒の涙が溶かしてしまった。


「金の問題ではないわ。これは、そなたに贈ろうと思って持ち出した品なのじゃ」


「オレに? そんなバカ高いもんを、どうして?」


「そなたは王という身にありながら、酷く粗末な器で茶をたしなむと聞いた。せめて1つくらいは、身分に相応しい物をと思ったまでじゃ」


「あの木椀はオレが作ったやつなんだがな」


「見ようによっては趣深い椀であったとしても、やはり1つくらいはと思ったのじゃ」


 ゲツメイは軽やかに軌道修正をしつつも、結論だけは譲らなかった。

 彼女はアルフレッドの無頓着さを気にしている。いかに強大な力を誇り、義に厚かろうが、見栄えが貧しければ侮られる。叶うことなら国を捨てて、家の一切を取り仕切りたい所だ。もちろん自分を慕う民を裏切る事はできない。ならばせめて、ゆかりの品くらいは傍に置いて欲しい、そんな願いを秘めていたのだ。

 そして最高の器で淹れた茶を、全身で楽しんでもらいたい。心尽くしを存分に味わってもらいたい。そんな想いから打ち出した野点の茶会も、今となっては肝心のものがない。


「恥ずかしい所を見せた。妾はもう、引き揚ようぞ……」


 この頃にはもう、普段から見られる気丈さはない。もともと華奢な体つきだが、座り込んだ姿は一層に小さく見えた。


「それ、寄越せよ。オレにくれるんだろ?」


「そのつもりじゃったが、傷だらけの上に汚れておる。贈り物にする訳には……」


 口ごもるゲツメイから茶碗を取り上げた。泥の湿った臭いが鼻まで伝わってくる。


「よし貰った。返せと言われても遅いからな」


「魔王殿。妾に気を遣わんで良い。そもそもが、詰まらぬ失敗が原因なのだから」


「ゴチャゴチャ言うな、ついてこい」


 そうして2人が向かったのは丘の上の畑だ。育つ苗はどれも葉茎が逞しく、命の輝きすら目に見えるようだ。その畑の脇には水瓶がある。河の水を汲み上げたものだ。そこから手桶で救い、汚れた茶碗を洗い始めた。2度3度と繰り返すうち、その労力に応えるかのように、美しい輝きを取り戻した。


「キレイになったな。十分だろ」


「しかし傷は残っておるし、絵付けも欠けてしまった」


「別に飲む分には平気だろ。汚れても洗えば良いし、傷だって気にしなきゃ無いのと変わらねぇ。ちょっとくらい壊れてても使えりゃ良いさ」


 ゲツメイは眼を見開くと、緩やかに微笑み、やがて声をあげて笑い始めた。


「そなたは、妾の話を聞いておったのか?」


 沈みきった心は鞠のように膨らみ、そして弾んだ。流れた涙も忘れてしまうほどに。


「じゃあ続きを頼む。茶を飲ませてくれるんだろ?」


「任せよ。極旨の1杯を振る舞ってやろう」


 ゲツメイは傷のついた茶碗を受け取ると、更に心が温かになった。それは胸の高鳴りを呼び、頬まで昇っては赤く染めた。帰る最中、並んで歩く顔をまともに見れず、器の端ばかりをずっと見ていた。


(この男、何という度量なのじゃ。妾は、もう……)


 やがて戻った野点のお茶会。その頃にはシルヴィアは蟻の巣を見つけては遊び、リタも傍に付き添っている。そして残されたヤポーネ人が気不味く立ち尽くすのみ、という中々に悲惨な光景だった。

 気を取り直して茶を入れる。今度のゲツメイは完璧だった。あらゆる所作を美しく演じ、最高とも言える1杯を出すことに成功したのだ。


 万事、成功したのだが……。


「うわっなんだこれ、メチャクチャ苦いじゃねぇか」


「いや、それは慣れておらぬせいじゃ。飲み進めるうちに病みつきになる……」


「マジで無理。これ捨てちゃって良い?」


「アルフ。それはさすがに失礼よ。残りは私が貰うわよ」


「じゃあリタにやるよ。全然飲めたもんじゃねぇわ」


 ゲツメイは先程とは別の意味で顔を赤くした。そして、ググッと引き寄せられた心は真逆の方へと反発した。一時は心酔するほど惚れ込んだのだが、結局は3歩進んで2歩半下がる位置に落ち着いた。


「やっぱり異国の者はダメじゃのう」


 帰国の船旅で、ゲツメイは誰に言うでもなく漏らした。だが辛辣な言い回しの割に、口調はどこか温かな響きが感じられた。

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