第32話 成長する森の家
薄明かりは人目を憚るのに都合が良い。今まさに、何者かが足音を潜めつつ、願望を達成せんと動き出す。手元に石の器。詠唱は要らず、ただ念じるだけで小さな炎が灯る。
ひとつ、ふたつ。僅かな光がその人物を照らし出す。しかしまだ暗い。見えるのは黒のローブを着込み、怪しい面を着ける様くらいだ。
「ふふっ。いよいよ、はじまる」
みっつ、よっつ。器は足元で等間隔に並べられ、木目の床に置かれるとコトリと鳴った。まるで物言わぬそれが笑うかのよう。
いつつ、むっつ。それらは六芒星の頂点に位置し、魔術的な気配を匂わせた。器の間にも同じ数だけ石を並べる。それもやはり精密だ。ものさしも無いままに置いた所から、相当な慣れを感じさせた。
そして六芒星の中央に立てば、両手を勢い良く掲げ、囁いた。聞き取れないほどに小さな声、だが熱のこもった声色で。
「時は来たれり。我らが絶対なる王は大陸を制し、世界を蹂躙する」
甲高く、透き通った声だ。重々しい口調がまったくもって似合わない。
「愚かなニンゲンどもよ。震え、怖れ、死んでゆけ。その嘆きこそが主の求めし音曲に他ならない」
「ねぇ、あのさ」
「逃れる手はただひとつ。血肉を捧げよ。自らの意思で、血の通う身体を捧げるのだ。さすれば、許されざる罪が許され、穢より解き放たれた世界へと……」
「聞いてるの? ミレイアってば!」
その言葉とともに強烈な光が飛び込んできた。グレンが部屋のカーテンを開け広げ、午後の日差しを取り込んだからだ。ガラス窓からは炎をかすませる程の光量が降り注いでいる。
「もう、お兄様! どうして邪魔をするんです!」
「あのねぇ、ここは一応、僕の部屋でもあるんだよ。儀式ごっこは予定をみてから楽しんでおくれよ」
「遊びではありません! 真剣なのです!」
そういってミレイアは面を取り外した。それはヤポーネの祭りで買ったもので、ほっかむりした男が唇をコミカルに突き出している。他に面が無かったとは言え、真面目な様子には程遠い。
「とにかくね、外でやって来なよ。僕だってやりたい事があるんだ」
「いかにお兄様の命であっても承服できかねます。祈りを捧げるのは私の使命なのです」
「随分と熱っぽく語るけどさ」
「あと、外でやると皆さんに叱られます」
「その儀式は誰に求められてるのかな?」
理路整然と説得を試みるグレンだが、こればかりは譲れないとミレイアは拒絶する。最後は根負けしてしまい、兄が部屋を明け渡す事に決まった。
一抱えある素材を持って、足元の灯りをまたごうとした。だが、狂気すら感じられる怒声で、その1歩は宙に留まる。
「踏まないでお兄様! そこは魔王様の繁栄と健康を願う領域ですよ!」
「えぇ!? じゃあこっち……」
「そこもダメ、森の平穏を司る領域です!」
「じゃあこっちは」
「お兄様、お気を確かに! 酒池肉林の尻並べを示唆する領域で……」
「じゃあどこなら良いの……って、うわぁ!?」
「キャアアーーッ! 初夏仕様の超絶お祈りウルトラスーパー魔法陣がぁぁーー!」
ミレイアは眼を見開きながら右往左往に駆け回った。さすがにドタンバタンと騒がしくしすぎた。同じ階のダイニングまで伝わってしまう。
「2人とも何してるの。お家の中でバタバタしないでちょうだい」
リタがグレン達の元へ訪れると、その視界は異様なものを映し出した。大量の素材に押しつぶされて突っ伏すグレン。その回りで、ミレイアがお面を額にずり上げたままで駆け回り、足元に散らばる石で転んでは倒れてしまう。
「いや、本当に何してるの?」
それは傍目には難解過ぎる光景だった。当事者以外に知る由もないのだ。そして、それぞれの心の内も同様に。
「お兄様なんてもう知りません! あっち行ってください!」
「ミレイア、そんなに怒らなくたって良いじゃないか」
「私は真剣なのに、いつもいつもバカにしたような顔をして! それに魔王様に感謝を表さないで、いっつも机に向かってばかり! だからもう、どっか行っちゃえ!」
「……ミレイア」
無言のまま素材を回収したグレンは、ふらりと外を出歩いた。あいにくの曇り空。どうにも重たげな心地だ。実際に腰も重くしたようになり、森の傍で大量の素材を置くと、溜め息とともに座り込んだ。
これは些細な兄妹ケンカだが、彼には深く刺さるものが有る。手を取り合い、懸命に生きていた浮浪児時代には考えられなかった事だ。魔王という絶対的な庇護者の存在が兄妹の関係を変えたのだ。それだけ今が平穏だとも言える一方で、兄としては寂しさが募る。
「そろそろ、生き方を考えるべきなのかな……」
立派な大人になれと、道を示してくれた人がいる。それが誰か思い出す必要はない。その人物はすぐ目の前で、素っ頓狂なまでに明るい歌声を響かせているのだから。こよなく愛する娘とともに。
「とりさん、だぁれ?」
「とりさん、おとさん」
「とりさん、どんなの?」
「おとさん鳥は……ニョキッとポン!」
アルフレッドは、両手を合わせて曇天に向かって突き出した。ポーズに比べて顔は妙にりりしい。その様がシルヴィアには面白くて堪らず、両足で飛び跳ねながら笑顔を振りまいた。
そこでグレンが歩み寄ると、シルヴィアが飛びつくという熱い歓迎を受けた。真っ直ぐな笑顔が胸に潤いを与えるかのようだ。
「おうグレン兄様。お前も遊ぶか?」
「いや、僕は……」
「ミレイアが考えた『鳥トリ』ゲームだ。シルヴィも大喜びなんだぞ」
「そっか、ミレイアが。ちゃんとお姉さんをしてるんだね」
グレンは少し胸を撫で下ろした。儀式だ血肉だと口走るだけの子ではない。その事実が彼の心を軽くした。
「そうだ、アルフさん。お願いがあるんだけど」
「何だよ急に?」
「作業小屋を建てても良いかな。邪魔にならない場所で良いからさ」
「構わねぇけど、もしかして自力でやるつもりか? それは無茶だ、大工さんかよお前は」
「でも、僕が勝手に言いだした事だから、あまり迷惑はかけられないし。皆忙しいだろうし……」
その時、木々の向こうからいくつかの声が聞こえてきた。
「どこをほっつき歩いてんだいアルフ、そろそろ勉強の時間だよ。今日こそ『消し去る者』の話を進めようね」
また違う方からも声がする。
「王よ、どこだ。そろそろ剣術の稽古に付き合ってもらいたい」
アルフレッドは左右を睨み、最後は正面に向かって微笑んだ。
「いいぞ、建ててやる。お前の作業小屋をな」
「えぇ? 悪いよ。僕のワガママだ、場所とやり方さえ教えてくれれば……」
「ワガママをきいたから、やるんじゃねぇよ」
「えっ……?」
返事の声より先に、シルヴィアとグレンは逞しい肩に乗せられた。そして駆け抜ける。お稽古を強制しようとする呼び声から。
「利害が一致したからだ」
彼らは瞬く間に伐採所まで辿り着いた。乱雑に転がされた木材や岩などは、小屋を建てても余るほどある。それらは備蓄と言えるが、適量を見極められなかった証でもある。魔王は真面目に働きはするものの、生来からの雑な管理意識からは逃れようもない。
「さてと。バパッと建てちゃいますか」
「ねぇ、リタさんを呼んでこようか? アルフさん1人じゃ無理なんだよね?」
「おっとナメてもらっちゃ困る。オレは何度も術式とやらを見てんだよ。特に家を建てるだの、家具を作るだのは腐るほどな!」
「それは、つまり?」
「グレン。お前は細工師になりたいと言いつつ、弟子入りしようとはしないのな。親父に教わった分で足りてるってことか?」
「いや、父さんも教えてくれた訳じゃない。毎日のように、後ろから覗いてただけなんだ」
「それで良い。自分のやりたいように生きるべきだ。技術なんてもんは見て盗むくらいが丁度いいんだよ」
「自分の、やりたいように……!」
アルフレッドは虚空に円を描いた。紫の軌跡が浮かび上がり、次なる命令を待ち受けて鈍く輝く。
「術式の仕組みはこうだ。円を4分割して、それぞれ違う意味を込めて描く。左上は属性、左下は実現したい内容。その隣が発動位置で、最後に保証する魔力だ。魔力は多く出す分には問題なく、足りないと発動しない」
円の内側は滑らかに描かれていく。最も単純な構造だが、座学も無しに習得したのは見事である。完成した魔法陣に手のひらを当て、魔力を充填させる。
一瞬だった。魔王の名に恥じぬ膨大なまでの力が垣間見えた瞬間である。
「グレン。何があったかは聞かねぇが、もっと自分らしくしろ。無闇にペコペコ謝るのは止めろ」
「アルフさん……」
「頭を下げる時ってのはいつだって1つだ。分かるか?」
魔力が充填されると、魔法陣は濃紫の光を溢れさせ、雷のようなほとばしりを見せる。
「それは、愛する人の為にだ!」
魔法は発動した。山と積んだ資材が消え、原っぱには一戸の小屋が出現した。まるで地中から生えたかのように、土台から屋根までが整えられた。箱に屋根を乗せたような単純な構造だが、頑丈で、期待値以上の仕上がりである。
石で囲まれた四方の壁を手で触れてまわり、対面の壁にガラス窓があるのを確認し、グレンは率直な気持ちを述べた。
「すごい、本当にできちゃった……」
「どうよ。頑張りゃ結果がついてくるもんだろ」
「おとさんすごい! じょうずなの!」
「そうかそうか、おとさん照れちゃうぞ」
「ねぇ、アルフさん……」
「何だよグレン。まさか今更ペコペコしようってんじゃないだろうな?」
「この家って、どうやって中に入るの?」
「そりゃお前、ドアからに決まって……!」
アルフレッドは、グレンと並んで硬直した。事情を知らないシルヴィアだけが、呪縛から逃れてグルグルと駆け回るばかりだ。
翌日。グレンは朝から作業小屋にこもり、熱心に机と向き合った。全方位が壁の小屋は、魔王が力技を発揮して細長い穴が開けられた。あとは獣避けの網を垂らすのみという、応急処置にしても雑な手法であった。
それでもグレンは研ぎ澄まされていた。備え付けの机と椅子も身の丈に合っている。彼は取り憑かれたかのように、素材を磨いては失敗する。枝を削いでは折るか割るかしてしまう。
「自分らしくあれ、自分らしくあれ……!」
連日に渡り、寝食すら忘れて没頭した。寝静まった頃に部屋へ戻り、日が昇れば誰よりも早く起きる。そのため、ミレイアとはケンカ別れして以来、まともに話してはいない。せいぜい寝顔を眺めたくらいだ。その時でさえも、リタの用意した夜食を胃に詰め込みながらであるので、落ち着いて向き合うことは無かった。
「僕は間違っていたのか。本当に正しかったのか」
不思議な事に、作業に集中すればするほどミレイアの顔が浮かんだ。混じりけの無い笑顔も、先日の泣き顔も、今までのもの全てが。
「あの子にとって、儀式は大切な事だったのか。それを受け入れてやれなかった僕は……」
答えは見えない。まだ霞の向こうだ。素材を手に取って磨き、削り、割れる。何度失敗しても絶えず繰り返し、指を動かす。解き放たれた感覚が、彼に着実なる進化を促すのだ。
そのため、窓の向こうから窺う気配にすら気付かない。日に何度か現れるのだが、視線すら向けずに没頭した。彼の意識には、この狭い小屋の隅の、作業台と素材だけが存在するのだから。
そんな荒行にも似た日々を過ごすこと5日。彼はとうとう確かな結果を手中に収めた。
「やった、ようやく出来たぞ……!」
それは髪飾りだった。薄い香木を、長さを変えて横並びにした作りだ。飛翔する鳥の姿をモチーフにしている。翼の根本には、縁起物の青い鉱石を埋め込んだ。先端には小さな木の輪っかがあり、髪を通すだけで止められる構造だった。
「さて、これを早い所……!?」
辺りはすでに暗闇だ。卓上の微かな灯火が、部屋の隅を薄く照らし出す。その時ようやく気づいたのは暗がりに佇む人影で、それはミレイアだった。両膝を立てて座り、静かに寝入っている所だ。
「ミレイア、どうしたの?」
「……お兄様!? ごめんなさい、邪魔をするつもりは無かったの!」
「大丈夫。もう終わったよ」
ミレイアが飛び出そうとするのを、グレンは肩に手をやって止めた。振り向く瞳は大きく歪み、そしてポタリポタリと、涙が止めどなく溢れ出す。
「ごめんなさい、お兄ちゃん、酷いことを言ってしまって! 私のことを嫌いにならないで!」
「何を言ってるんだよ。別に嫌ってなんか……」
「お願い、見捨てないで! お兄ちゃんに嫌われちゃったら、私、私……。本当に独りになっちゃう!」
その悲痛な叫びはグレンの心に強く響いた。そもそも彼は誤認していたのだ。まだ幼いミレイアが日々健やかに暮らすには、兄の存在が欠かせないのだ。
両親を亡くし、悪党に連れ去られた過去は、彼女にとって決して軽くはない。たとえ偉大な存在に守られようとも、たかが数ヶ月で拭えるような傷ではない。
「ミレイア。君が儀式だのするのは、自分の為なんだね?」
「ごめんなさい。たまに、どうしようもなく、不安になっちゃうの。何かしなきゃ、何がしなきゃって思うんだけど。分からないの、ごめんなさい」
「謝る必要なんてないさ。キミがやりたいと思うことを頑張りなよ。僕はそうするって決めたから」
グレンは手元の髪飾りを、ミレイアの髪に通した。上手く結べなかったのだが、一応はしっかりと止まった。
「僕はミレイアの兄だ。それは死ぬまで変わらないし、止めるつもりも無いよ」
「……これは?」
「記念すべき第一作をあげるよ。真ん中の石には、幸福を授けてくれるって言い伝えがあるんだ。まぁ、実際はどうだか知らないけどね」
「ありがとう……嬉しいよ」
「さぁ、お家へ帰ろう。歩ける?」
「ちょっと眠たくって。一眠りしてから帰ろうかな」
「こんな所で寝たら風邪引くよ。ホラ、乗って」
作業小屋から出た2つの影。それらは近く寄り添っている。兄の歩みに合わせて、背中の影も同時に揺れる。
「懐かしいな。いつだったか、迷子のミレイアをこうして連れて帰ったっけ」
「覚えてないよ。そんな事」
「そうだろうね。随分と昔の話だから」
あの時は、家に戻れば両親が居た。父は酒瓶を片手にほろ酔いで、母は慎ましくも温かな手料理を用意して待っていてくれた。今となってはその光景も、過去の記憶以外に見つける事は出来ない。
変わってしまったもの、変わらなかったもの。手に入れたもの、無くしたもの。それらを等しく胸に抱いたまま、グレンは皆の待つ家へと帰っていった。
「お帰りなさい、グレン。アナタの分も残ってるからね」
リタが優しく出迎え、温かな食事を並べてくれた。アルフレッドは寝かしつけの歌を響かせ、エレナは対面に座るなり剣術論を喋りだし、風呂上がりのアシュリーまでもがグレンに色気を振りまいた。
そして隣に座るミレイアは深い眠りに落ち、兄の肩を枕に寄りかかっていた。
「まいったな。これじゃあご飯が食べられないよ」
そう語るグレンは確かに笑っていた。何か、ひとつ抜け出したような、晴れ晴れとした笑顔。彼は確かに、何らかの進化を成し遂げたのだ。
(腸詰め肉のスープだ……)
晩の食事は奇しくも、実母が好んだ料理であった。しかし味付けが違う。リタのものはアッサリとした塩味、母の方は香辛料が加えられ、軽い刺激が楽しめるのだ。だが、両者に優劣など無い。
(これはこれで、美味しいよね)
程よく冷めている。肉を口に放り込み、ゆっくりと噛み締めた。すると濃い肉汁が口の中に広がり、豊かな味わいをもたらしてくれた。
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