第33話 進化する少女

 ミレイアはああ見えて、少し不安定かもしれない。そんな言葉を耳にしたアルフレッドは、その本人へと視線を向けた。ダイニングの傍らで、シルヴィアと手遊びに興じる姿はいつも通りだ。にこやかな笑みを絶やさず、さりげなく姉らしく振る舞っており、特別不審な所は見当たらなかった。


「違うのは髪型を変えた、くらいか」


「グレンからの贈り物らしいわ。妹想いよね」


「あいつ、やたら熱心だと思ったら。不器用な兄貴様だよ」


「ステキじゃない。あそこまで真剣になって作ってくれたのよ。感激しない訳がないでしょ」


 リタが含みの有る視線を送った。しかしアルフレッドは気にも留めない。


「なぁリタ。最近のミレイアに変わった所は?」


「さぁて。シルヴィと遊んで、そこらで石を拾っては眺めて、いつも通りじゃない?」


「そうだよなぁ」


 今のような、日常のワンシーンを切り取った範囲では、とてもじゃないが見透かす事はできない。もっとジックリ観察しなくては。いつしかそんな想いを抱いた。


「よし。今日はミレイアの動きを追いかけるぞ」


「アルフ、仕事は?」


「家族が困ってんだ。それを解決してやるのはオレの仕事。保護者だからな」


「そろそろモコちゃんが怒り出しそうだけど」


「ほっとけ。こちとら身体が1個じゃ足りねぇくらい多忙なんだよ」


「ちゃんと自分の口で伝えてよね」


 しばらく眺めていると、シルヴィアが部屋に戻っていった。ベッドにでんでん太鼓を取りに向かったのだ。

 1人きりのチャンス。話しかけない理由は特に無かった。


「ミレイア、ここでの暮らしには満足か?」


「えっ、ハイ! ご飯は美味しいし、みんな優しいしで幸せなのです!」


 ミレイアは胸元で両拳を並べて、華のように微笑んだ。その素振りに、アルフレッドは僅かに眼を細める。


「何か足りないものがあれば、遠慮せず……」


 その時、ミレイアは窓の方へ眼を向けた。眉間の間には微かな不安が刻まれている。ただの

物音に反応したにしては、少し過剰であった。

 やがてシルヴィアの幼い駆け足が聞こえ、普段どおりの様子を取り戻していく。そして2人並んで玄関から出ると、近くの花畑で駆け回った。


「リタ、どう思う?」


「強い不安と戦っているのね。時間が解決してくれるものだと思うわ」


「魔法で治せないのか?」


「出来なくはない。幻術を応用して過去の記憶を塗り替えるの。でも今度は、現実との乖離に悩まされるようになる。そして、魔法に強く依存してしまうの。心地よい方の記憶を信じるために」

 

「それは健やかじゃねぇな」


「同感よ。だから、暖かく見守るしかないと思うわ」


 果たして本当にそうなのか。こうして、ひたすら平穏な日々を過ごすだけで、全てが解決するのか。アルフレッドには別の意見が脳裏を掠めた。


「怖いのは、変われないからだ。以前の自分から進歩せず、日々の成果を得られていない。だから怯えちまうんだろう。同じ脅威が迫った時、自力で解決出来ねぇからな」


「それはそうかもしれないわね」


「ほんの些細な事でも成長できれば、気持ちも変わる。儀式なんて不確かなものに頼らず生きていけるはずだ」


「じゃあ、その確かなものは何?」


「そっから先がまだ見えねぇんだよな」


 アルフレッドは腕を組み、手をひらでアゴを擦った。椅子も傾けて、後ろ足2本の状態でユラユラ揺れる。そうして思案に暮れる様を、リタは微笑みながら見つめていた。


「何だよ、そんなに面白いか?」


「嬉しいのよ。シルヴィ以外でも、ここまで真剣に考えてくれるんだなって」


「アイツがしっかりしてくれねぇと、シルヴィが悲しむ」


「それだけ?」


「まぁ、強いて言えば、本来育つべきものが育てないのは腹が立つな」


「優しいのね。その気持を、ほんのちょっとだけでも私に向けて欲しいかな」


「お前はもう大人だろ。つうか、一緒に考えてくれよ」


 リタはまんざらでもない様子で笑うと、口をつぐんだ。人差し指をアゴ先に添えて、のんびり唸ると、首をかしげた。


「ねぇ、こんなのはどうかしら?」


 リタの提案は的確で、アルフレッドは即答でその意見に乗っかった。

 翌朝。豊穣の森に2つの絶叫が響き渡った。木々の間を必死に逃げる女、それを追う男。どちらも必死の形相をしていた。


「ひぃぃ! なんで追ってくるんですか、アルフ!?」


「アシュリーこそ何で逃げんだよ!」


「謝りますから! 昨日、腹減ってリタ特製のオツマミを夜食代わりに全部食ったことは謝りますからぁ!」


「だから、そんな話じゃねぇっての!」


 肩を掴んでようやく引き止めた。そして暴れる翼を制しながら事情を説明した。


「はぁ? おつかいぃ?」


「そうだ。獣人の村へひとっ走りして買ってこい。獣人のお前なら簡単に入れるだろ」


「北の村ですよね。ひとっ走りって距離じゃないんですけど」


「別に今日中とは言わん。明日までに帰れば十分だ」


「いやぁ他ならぬアルフの頼みならききたいんですけどね。アシュリーちゃんには、重大かつ喫緊な些事に追われてまして」


「タダでとは言わん、報酬はこれだ」


 アルフレッドは背中の荷物を置いた。ドサリと重量感があり、音だけでも大盤振る舞いである事が分かる。袋を縛る紐を解けば、アシュリーは目の色を別物に変えた。


「これは、魔緑石にマジヤベェソウ、カブレルキノコに獄炎茸……こんだけの物をどうやって!?」


「乱獲はしてねぇぞ。収穫したあとに、夜通しで魔力を放出しておいた。草だのキノコだのはそのうち元通りになる」


「夜通しで魔力って……だからそんな酷い顔してんですね」


「そこは良いだろ。んで、やるのか、やらんのか」


「もっちろんやります! 暮れまでには帰ってきますんで、追加報酬もよろしく!」


「勝手に決めんな。それから、リタがお前を探してたぞ」


「あっ、さっきの自白は口からデマカセなんで、証拠不十分ですから!」


 アシュリーは燕のごとき早さで空の彼方へと消えた。そして宣言通り、日が暮れる前に帰宅。追加報酬をねだるも、横からリタの説教をくらい、昨晩のささやかな罪にも終止符が打たれた。

 そうして手に入れた古めかしい書物は、夜の内にミレイアに譲る事になる。彼らの部屋の中で、グレンも立ち会った上でのことだ。


「私に、この本を……!」


「そうだ。それは魔術書だ。本来ならオレが読み解く所だが、あいにく忙しい」


「はい。魔王様は多忙なのです」


「そこでミレイア、お前に頼みたい。そこに書かれた魔法を全て習得してくれ」


「魔法の習得……」


「お前は、灯りを点ける事が出来るよな?」


「はい。それくらいでしたら、大丈夫です」


「だったらお前にも魔力があるってことだ。人族は比較的魔力に乏しい種族だが、鍛え方次第じゃ化けるかもしれん。やってみるか?」


 小さな手が魔術書を取って震えた。少女が胸に抱くには大きすぎる書物は、今はその腕の中にある。


「やります! 必ず全ての魔法を習得してみせます!」


「焦らなくていい。お前のやれる範囲でやるように」


「はい! 頑張ります!」


 アルフレッドは去り際に、魔術書のタイトルを見た。そこには『手品魔法事典 〜パパとママをおどろかせちゃおう〜』とある。もう少しマシなもん買ってこいと思いはしたが、ミレイアが納得すればそれで良い。

 一方でミレイアは、2人きりになると早速本を開いた。丁寧なイラストによる説明がなされているが、最低限度の文章も書かれている。


「ええと……。くら、やみをてらす、らいとに……。お兄様、何て書いてあります?」


「ごめんよ。僕も文字はあまり得意じゃなくて」


 問題は魔力より語学力だった。彼らが読めるのは、日常的に見かける単語くらいである。

 思わぬ落とし穴に、魔王一家の動きは早かった。リタ先生による特別教室だ。シルヴィアも交えた3人への教育は、関心の高さも手伝い、和やかながらも真剣に取り組まれた。


「お、と、さ、ん」


「シルヴィ、それだと『おちさん』になっちゃうわよ」


「えっと、じゃあこうなの?」


「それは『あとさん』ね。正しくはこう書くのよ」


 まだ幼いシルヴィアはさておき。学ぶのに十分な年齢に達し、生きることに貪欲である兄妹は瞬く間に文字を覚えた。簡易な文面であれば読み解ける程には成長してみせたのだ。


「暗闇を照らすライトニングで、パパをびっくりさせよう!」


「へぇ、光魔法か。なんだか格好良いね」


「じゃあ早速やってみます! まずはお腹の奥を強く意識して……」


 虚空に円。跡切れ跡切れではあるものの、確かに術式な描かれていく。聖属性、煌めき、発動は手元に。そして要求される魔力を提示し、淡青に輝く手が魔法陣に触れた。


「ライトニング!」


 するとミレイアの手のひらに金色の光が粒となって現れた。


「やった、いきなり成功……って、あれ?」


 称賛の声は尻下がりになった。光の粒がぽすんと音を立てて、煙の向こうに消えたからだ。


「失敗です、魔力が弱かったのかも……」


「平気かいミレイア? 顔色が悪いけど」


「ちょっとだけ目眩がします」


「今日はもう寝た方が良いよ、また明日頑張ろうよ」


 そうして部屋は消灯された。寝静まる室内。しかし時折ながら、辺りが明滅している事にグレンは気づいた。


「ミレイア、今夜は……」


 諌めようとした声が止まる。相手の顔に真剣な様子を見て捉えたからだ。自分も先日は同じだったかもしれない。そう思えば、止める気にもなれず、目蓋の向こうの光を受け入れた。

 それからしばらくの間、ミレイアの鍛錬は続いた。夜な夜な、小刻みに発動される魔法は、大人組にも知れ渡る事になる。


「大丈夫ですかね。ミレイアってば根性出しすぎじゃないです?」


「多分、問題ないかしら。やつれてもいないし、魔力の回復が早いタイプなのかもね」


「まぁ確かに、魔力も使えば使うほど強くなるし。悪い傾向とは思わないですけど」


「勤勉な事だ。強くなりたいと言うのなら、私が剣術を教えても良いのだが」


「やりたいようにやらせろって、アルフが言ってたわ」


 そう言った本人はどこかといえば、表で娘と遊んでいる最中だった。満面の笑みで、指先でアリの角を模した姿を晒している。その気楽さは確信からくるのか、それとも無関心なだけか、判断に迷う所だ。

 しかし一部の心配をよそに、ミレイアは解放感に包まれていた。なぞる指は日に日に精密さを増し、術式も暗記した。あとは存分な魔力さえあれば達成だ。


(もう、守られるだけの私は嫌。怯えて暮らすのはもうたくさん!)


 強い想いは時として魔力を膨らませ、期待値以上の結果を授ける。彼女の切実なる願いが何者かに届いたのか、手のひらには十分な光球が出現し、眩い輝きを発し続けた。


「できた……できたぁ!」


 誰かに知らせたい。グレンは夢の中、他の皆も変わらない。それでも彼女は部屋の外へ駆け出したのだが、それは拍手の渦によって阻まれた。


「えっ、みなさん。お揃いで……?」


「マジすか、本当に成功させちゃったんですね。ニンゲンにしちゃ凄いことですよ」


「おめでとう、ミレイア。これで魔術師の仲間入りね」


「待てリタ殿。あれほどの根性は剣術にも通じる。私にも少し時間をくれないか」


 狭い通路は皆で一杯だ。そして拍手は部屋の方からもひとつ上がる。


「やったね、ミレイア。僕は出来ると信じていたよ」


「お兄様……」


「アルフさんもそうでしょ?」


 グレンの見る方に、ミレイアも顔を向けた。そこには、不敵な笑みを浮かべる魔王の姿がある。


「よくやった。お前は過去の自分から抜け出したんだ。これからも励むんだぞ」


 ミレイアの肩が震えだす。そして熱く流れ落ちる涙が、生み出した光を受けて虹色に輝いた。


「ありがとうございます……これからも頑張ります!」


 それから彼女はどうなったか。表面的な変化は薄いものの、明確に変わったのは度胸だ。物音に反応する事も減り、浮足立った様子はめっきり見かけなくなった。魔術の稽古も頻度もほどほど。今や追い込もうとする勢いも相当に落ちた。


「グレンと一緒ね。納得するまで行かないと、夢中になってしまうんだわ」


「まぁ何だって良い。本人が生きがいを見つけたんだから。例の祈りの儀式なんかも必要なくなるだろ」


「アルフ、もしかして寂しい?」


「んな訳あるか。スッキリするっての」


 どこか、子供が手元から離れてしまったような寂しさが、彼の胸に感じられた。しかし今後の彼女を思えばやらない方が良い。それは皆が口には出さずとも、考える事であった。

 とある夜。アルフレッドは喉に渇き覚えて、1人リビングへと向かった。しかしそこには暗闇にうごめく1つの影がある。栗毛色の長い髪を後ろに縛り、輝く光を手元に留める少女が。


「ミレイア、お前何してんの!?」


「魔王様、これはお祈りの儀式なのです。この前の魔法は素晴らしくって、また理想の形に近づきました!」


「えっと、気持ちが不安定だから、やってたんじゃないの?」


「うふふふうふ。ここに咎人の生き肝を置いてぇ、こっちには肥え太った豚野郎どもの舌を敷きつめてぇ、後はですねぇ〜〜」


 ミレイア、予想に反して儀式を続行。これは不安の現れではなく、何かが吹っ切れた瞬間に目覚めたライフワークなのだ。

 とりあえずアルフレッドは懸命に説いた。グロいお供物は要らんと、そもそもウチはそんなノリじゃないと。だったら内臓をやめて皮膚にしときますと言うので、それも違うと素早く否定した。

 少女らしからぬ奇癖は、まだしばらくの間は治まりそうになかった。

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