第34話 刺客現る
午後の日差しが降り注ぐ豊穣の森を疾走する2つの影。魔王と腹心のエレナは風のように南へと駆けていく。その様を茂みから確かめた男は唸るような声で嘲笑った。
「クックック、簡単に釣られすぎだろ。バカどもめ」
その男の胸元にあるのは、揃い羽の勲章。プリニシア軍だ。かの国は密かに軍備を整える中、ひとつ大きな手を打ったのだ。それは魔王の急所、愛娘の略取である。
いつぞやのトルキン王と同じ手段ではあるものの、今回の刺客を思えば別物だ。ニーセル・ナイト・プリニシアは、胸元にぶら下げた魔緑石を握りしめ、術式を展開した。足元の土を巻き込んで全身を覆うと、そこに現れたのは魔王アルフレッドと同一の姿だった。
「よし、完璧だ。誰がどう見ても見破れねぇさ」
ニーセルの固有魔法は優秀だ。背格好や声、体臭までも複製し、真似する事を可能としている。同等の強さまでを得ることは出来ないが、人の目をごまかすには最上級の能力だと言えた。
「それにしても、さっきの女騎士。見覚えがあるんだよな。顔を見とけば良かった……」
潜入に、特に成りすましの作戦において、ニーセルは過度なまでに慎重になっている。些細なミスが失敗に繋がる事もあるからだ。ここでしくじれば死に直結する。彼はそう確信していた。
「まぁ良い。奴らはアソコまで向かったはずだ。手早くガキをさらえばお終いなんだからな」
ニーセルは逸る気持ちを抑えつつ、しかし足早に進んだ。この千載一遇の機会を逃せば、次はいつになるか分かったものではない。揺動のため、森の南方に野営の後をいくつか残しておいた。意味のない暗号も添えたので、時間稼ぎとして十分な役割を果たすだろう。
鬼の居ぬ間に。そんな心境で目的を目指して歩いていく。
「ねぇアルフさん。ちょっと良いかな?」
その声にギクリと足を止めた。振り向けば人間の子供が呼び止める姿がある。この少年はグレンという名で、戦闘力は皆無だと知っている。しかし不審に思われる事だけは避けなくてはならない。
「や、やぁグレン。何か用でも?」
「昨日話した素材の件だけど、考えてもらえたかな。大変だと思うから、ほんと、無理にとは言わないけど」
「昨日……?」
「あれ。もしかして、話を聞いてなかったとか?」
ニーセルは動揺する心を落ち着けようとした。とりあえず話が見えなくとも、この場さえ凌げれば十分なのだ。色良い返事をして追い払うに限る。
「あぁ、アレね。もちろんオッケーだぞ」
「本当かい? 良かった、昨日は渋ってたから諦めかけてたよ!」
「だが今は忙しい。そうだな、夜まで待ってもらえるか?」
「もちろんだよ、ありがとうね!」
それからニーセルは、大きく手を振るグレンと別れた。騙した事で良心は少しも痛まない。敵国の子供など、憐れみの対象にもならないのだ。
歩き続けると光景は徐々に変わっていく。作業小屋が見え、納屋と畑が遠くに広がり、そして一面の花畑。
(見つけた、魔王の娘!)
花畑に腰を降ろして、アハハウフフと笑う2人が見えた。早速腰の袋から薬を取り出し、眠らせる準備に入ったのだが。
(あれ? どっちが本物の娘だ?)
ニーセルはド忘れした。それも無理からぬことで、この少女達は大抵一緒に過ごしていた。見分けるには獣耳が1番なのだが、どちらもスカーフを巻き付けているので、遠目からは判別が出来ない。
(クソ、思い出せ。チンタラ時間をかけてられねぇぞ)
焦りは思考を鈍らせ、理知的な答えを霞ませる。しかしニーセルも諜報のプロだ。草むらに身を潜めて手がかりを得るくらいの事は思いつき、実行に移した。
「あしたはね、おでかけね」
「そうですね。皆で出かけるのはヤポーネ以来なのです」
「おかいもの、すっごい楽しみなの」
「私もです。何を買いたいです?」
2人は会話を重ねつつも、なぜか名前を呼び合おうとしない。それさえ分かればと、ニーセルの歯ぎしりが微かに鳴る。
「えっとね、ピッカピカにキレイな石かうの。たくさん」
「そうですか。私は殺戮用突撃ナイフと、下劣な豚どもを使役する魔術書が欲しいです」
「みつかるといいね!」
「そうですね!」
見つけた。どう考えても右の方だ。ニーセルは手早く小瓶を開封し、中身を布に染み込ませた。しかしここで、小さな違和感が疑念となって脳裏によぎった。
(待てよ、なんでこいつらは名前を呼ばないんだ?)
それほど不自然な会話でないのだが、やはりその1点が気がかりだった。もし敢えての事だとしたら、どうか。一見、隙だらけに見える光景も、実は恐ろしい罠を張り巡らせている可能性がある。
よくよく見れば右の少女は異質だった。容貌こそ朗らかなであっても、時々見せる表情はおぞましく、闇夜の沼にも似た深みがある。とても演技で出せる気配ではない。諜報員の彼が看破したのも自然の流れであった。
(罠があるってんなら、こっちも裏をかいてやる。次の隙を見せた時が勝負……)
ニーセルが這いずりながら草を掻き分けていると、空から落下する影が現れた。それはそのまま彼の背中に着地し、小さくないダメージをもたらした。
「いってぇ……何が起きた?」
「アルフ、草と戯れるくらいだから暇だよね? 今日こそはお勉強を再開するからね!」
喋る猫。驚愕のあまり叫びそうになるが、寸でのところで堪えた。不思議なペットが居ることは調査済みで、モコという名だとも知っている。
「それじゃあね、この前の続きをやるよ。覚えてるかな?」
連行されたのは森の一角にある青空教室。以前は子供達に文字を教える場であったのを、こっそり借りている格好だ。
しかし、ニーセルにとってそれは些細なこと。問題は「続き」が何を指すのか知らない事である。
「ええと、何をやるんだっけ。忙しすぎて忘れちまったアッハッハ」
とにかく誤魔化す。その態度は現状を思えば最善の手段であったし、実際に不審がられる事は無かった。
「やっぱりね、知ってた。今日は『消し去る者』という神について話をするんだよ」
「消し去る者ってあれか。古代戦争の時、人族と獣人族のどちらにも所属しないで、独自勢力を築いてたやつだよな」
「えぇっ!?」
モコが両目を見開き、肩を震わせた。その眼を例えるなら、遭難者が砂漠にオアシスを見つけた時のようである。つくづく猫らしからぬ表情をするものだ。
「ごめんよ、続けて。キミの知ってる事を全て話して欲しい」
「お、おう。消し去る者ってのは妙な神様で、不要な文化とか文明を消し去っちまうんだ。そして古代人が生み出した殺戮兵器を消し去ろうとして、爆発に巻き込まれた。それ以来そいつを見た者はいない……って所か」
モコは生唾をゴクリと飲み干すと、今度は泣き笑いを浮かべながら、盛大な拍手を鳴らした。ポムポムと柔らかそうな音で。
「凄い、素晴らしい! まさか自習をしてただなんて、僕は想像もしなかった!」
「そうか。まぁ、死ぬまで勉強だからな」
「いやいや最高だよほんと。ぜひそのまま学びを進めてくれ。今後はとやかく言わないけど、たまに答え合わせをさせて欲しいな。間違ったまま覚えても意味ないからね」
「分かった。じゃあそのうち」
「うんうん。またよろしくね、僕は地脈の管理に戻るよ」
ニーセルは軽快に駆け去る猫の背中を見送った。どうにかバレずに済んだが、予想以上に時間を浪費してしまった。誘拐対象からも離れすぎている。
「早く戻らねぇと。見失ったら面倒だぞ」
耳を澄ませば丘の向こうから笑い声が聞こえてくる。遠くはない。足音を忍ばせて向かった所、背後から声をかけられた。若い女だった。
「アルフ王よ。どうしてここに?」
振り向いたニーセルは戦慄した。
「エレナ・ナイト・プリニシアだと!? どうしてここに!」
「なんだ。その名で呼ぶのは初めてだぞ」
ニーセルは心から悔やんだ。功を焦り、相手を侮り、調査を急いでしまった事を。元同僚がいるとなれば、企みが看破されている可能性は濃厚なのだ。
もしそうであれば、ここは死地だ。エレナは国でも五指に入る程の遣い手だ。ニーセルが不意打ちしても勝てる相手ではない。戦えば討ち取られ、逃げれば斬り捨てられる。活路があるとすれば、騙し通す事だけだった。
「それよりも聞いているのは私だ。レジスタリアに向かったはずでは?」
この言葉が、彼に生きる希望を与えた。魔王はまだ戻らず、エレナも正体に気づいてはいない。だとすると、全身全霊で演じるだけである。
「まぁ、そのな、ちょっと野暮用ってやつだ」
「そうか。ならばついでに、私に付き合ってくれないか?」
「何をする気だよ?」
「構えなくていい。昨日と同じことをするだけだ」
まただ。昨日だとか以前だとか、表現が省略されすぎて想像が出来ない。特に潜入する側からすれば、いちいち精神を削られる想いになるのだ。
「ではいくぞ。てやぁ!」
エレナは唐突に剣を抜き、ためらいも無く斬りつけた。咄嗟に転がった事で斬られずに済んだが、運が味方したお陰である。
「何すんだよ、殺す気かぁ!」
「あ、いや、アルフ王なら平気だろう。いつものように、紫のオーラで弾けるのだから」
「つ、つ、付き合ってられっかよ!」
「待ってくれ、次はもっと満足できる太刀筋にするから!」
「ついて来んなぁーーッ!」
ニーセルは絶叫と同時に隠密魔法を展開した。すると彼の存在が周囲に溶け込み、足音すらもかき消されてしまう。こうなれば流石のエレナも見失い、挙げ句の果てには「そうか、これは森林戦の訓練だな!」などと見当違いな喜びをみせ、やはり明後日の方へ向かって探索を始めだした。
「ふぅ、ふぅ、馬鹿め。森の中をさまよってろ!」
「アルフ、もう戻ったの?」
「今度は何ですかーーッ!」
「何って、洗濯中だけど」
リタは長く張ったロープに洗いたてのシーツを吊るしていた。
狐人リタをニーセルは知っている。魔法攻撃を、特に幻術を得意とする強敵であることを。しかも獣化という特別な力を持っており、そうなれば対抗できない事も。
相手は変われど話は同じ。舌先三寸で騙し通すしかないのだ。
「服が汚れてるわね。一緒に洗っちゃうから着替えて来て」
「お、おう」
「いつもの所にあるからね」
そのいつもをニーセルは知らない。リタが家の裏手口を見たので、そちらに向かっただけだ。
「どこだ、着替えは……」
目につく扉を静かに開けていく。物置、私室と続き、風呂場を探り当てた。ありがたい事に、脱衣所の棚には大きな文字で「きたあと」「きるやつ」と書かれており、九死に一生の気分となる。
今現在着ている服は持参したもので、魔王のものとは若干異なる。それでも汚れた服を畳んで置き、新たな衣服に袖を通した。
だが次の瞬間、廊下からけたたましい足音が響き渡り、脱衣所の扉が勢い良く開かれた。
「アルフ、これはどういう事!?」
「えっ、何が……!」
ニーセルは死を覚悟した。何らかの罠にかかり、素性を知られてしまったのだと。あいにく、護身用の短刀も手元から離してしまっている。
万事休す。しかしリタは、なぜか晴れやかな笑みを浮かべては寄り添った。
「偉いわよ、服を脱ぎ散らかすのを止めたのね?」
「えっ、えぇ……?」
「明日からもよろしくね。いい子いい子」
リタはニーセルの頭を優しく撫でると、脱衣所を後にした。彼は敵地である事もしばし忘れ、心のなかで熱く叫んだ。
(いい大人なのにな!)
その言葉はリタに向けたか、それとも魔王に向けたのかは定かでない。とりあえずは高純度の叫びであることは確かだ。
辛くも無事に着替えを終えると、ニーセルは人目を忍んで家を飛び出した。疲労の激しさから任務達成は困難だ。ここは1度撤退すべきと判断し、北へ向かって駆け出した。東は迷路で西は海、南は魔王とはち合わせる可能性から、退路は1つしか無い。
遠くに森が見える。深い森は多くの物を隠してくれるだろう。そこまで辿り着けたなら。
「あれあれぇ? アルフじゃないですか。ちこっとだけ良いですぅ?」
翼人アシュリーだ。最後の最後で最も厄介な人物に絡まれた格好だ。背中の翼は追跡には最適で、さらには謎だらけの古代魔法を操る事が出来る。ある意味で魔王よりも注意すべき相手が、関門として立ちはだかるのだ。
ただし賢人と豪語する一方で、さほど賢くないとみていた。そこに活路があると信じて最後の決戦を挑む。
「何だよ、オレに用か?」
「そうですそうです。健康増進の秘薬を作ったんでぇ、アルフに試して欲しいなぁって」
「健康……増進?」
アシュリーの手元に薬瓶があるのだが、いかにも怪しげな見た目だった。真緑の色素は薬草よりも濁った水槽を彷彿とさせる。質感も重たく、瓶が傾く度にドロリとした動きを見せ、ともかく不味そうだ。
「いや、それはちょっと……」
「いやいや、ものっすごい効くヤツですよ。ここでググッとやっちゃってくださいな」
「あぁ、その、後にしてくれよ」
「まぁまぁまぁ、お手間は取らせませんから。これをスピャアって飲んだらお終いですから」
基本的にアシュリーはしつこい。どう断っても絡みついて離れようとしなかった。
今となっては時間が惜しい。仕方なく、勇気を振り絞り、薬を瓶ごと奪い取った。
「良いね良いね、ジャンジャン飲んじゃってぇーー!」
景気の良い声とは異なり、ニーセルは地獄の苦しみを味わった。口の中は焼け付くような痛みに塗れ、生臭さが嗅覚を蹂躙していく。質感も最悪でドロドロの液体は勢いが乗らない。そのクセほんのりとした甘みがあり、ひと工夫施したような味わいが、心の底から腹立たしかった。
「の、飲みきったぞ、この野郎……」
「おぉぉ、マジすか。頑張りましたねぇ」
「これで用は済んだ……!?」
その時、脳に鋭い痛みが走り、動悸が激しくなった。荒く呼吸を繰り返しても、全く足りないのか、何度も何度も息を吸い込み続けた。
「今のねぇ、実は惚れ薬なんですよぉ。キレイに飲み干しちゃって、そんなにアシュリーちゃんが大好きですかねぇ?」
効果のほどは目に見えて現れている。後はもうアシュリーの独壇場だった。
「薬の効果は一週間! それだけあれば、邪魔くさい女どもを追い出すのは簡単です! さぁさぁ1日も早く、森の中をアタシ好みの世界に……」
この頃にはもう、ニーセルに自我など残されてはいなかった。その為に擬態の魔法が解けてしまい、身体を覆っていた物が崩れ始めた。渇いた陶器が端から自壊するかのように。
「何ですかこれ、アタシのせいですか? 違いますよね、ねぇ!?」
「アジュリィィィ!」
「ギニャァア! こっち来んな!」
アシュリーの放った拳は正確無比に突き刺さった。アゴを撃ち抜かれたニーセルは、敢えなく地面に倒れて気絶した。
「あれ、あれれ? これはもしかして……」
結果を目の当たりにして、やがて確信して頷いた。
「マジですか! アルフをブッ倒しちゃった! アタシこそが世界最強で、しかも美少女! マジやべぇ生命体が誕生してしまったぁーーッ!」
これこそアシュリーらしい思考回路である。賢人らしくないのは今更だ。
それから迎えた翌朝。アルフレッドはダイニングテーブルに頬杖をつき、気だるさを前面に押し出していた。
「うぅ、頭いてぇ……」
「珍しいわねアルフ。二日酔いだなんて」
「アーデンが地方を巡回した時に、珍しい火酒を見つけたって言うから、遅くまで飲み過ぎちまって……」
「自業自得よ。はいお水」
冷水をチビリチビリと飲んでみると、不思議な事に迎え酒を飲んでいる気分になり、それがまた頭痛を誘った。
しかし彼を襲った受難はこんなものではない。
「おはようアルフさん。結局あれから行き会えなかったね」
「おっすグレン。アーデンに用事があってな」
「平気さ。それより昨日の約束だよ、素材20点に魔力注入をお願いね」
「昨日の……?」
アルフレッドの前には、身に覚えのない素材が高く積まれた。何度も首を捻って考えてみる。しかし、不思議な現象はまだ始まったばかりだ。
「アルフ。昨日の件だけど、少し認識に間違いがあったんだよ。早いとこ勉強会を開いていいかな?」
「アルフ王。昨日の訓練は為になったぞ。今日もお願いできそうか?」
「そうだアルフ。これからも着替える時は、昨日みたくお願いね」
「お前ら昨日のオレと何してたんだよ!」
この場に答えを知る者は居ない。その為、謎は深まっていくばかりであり、誰もが眼を白黒させてまで慌ててしまう。
そこへ極めつけと言わんばかりに、アシュリーが現れた。優雅な足取りで、しかも屋内にも関わらず、翼を広げながら。
「魔王アルフレッド。いや、元魔王よ。アシュリーちゃんに臣従する覚悟は整いました?」
「お前のは本格的に分かんねぇ」
「あらあら、口のききかたってもんを教えてあげましょうか。昨日みたいに、テラトンパンチをお見舞いしますよ?」
アシュリーの得意満面な拳がアルフレッドに迫る。しかし何の効果もなく、殴ったほうだけが痛いという有様だ。
「こ、こんなハズは! アシュリーパンチ! 美少女パンチ!」
繰り返されるノーダメージの殴打。それが何十発も続けば、さすがにアルフレッドも腹が立ち、デコピンを見舞うことで手下の反乱に終止符を打った。
ちなみにニーセルだが、きっちり7日間、愛しき人を求めてさまよい続けた。そして8日目には全速で故国へ戻り、除隊を申し出るのだった。
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