第35話 お買い物祭

「正気の沙汰とは思えません」


「それはお前の悪食についてか?」


 レジスタリアの城壁では、その様な会話が続けられていた。へりくだらない諫言と皮肉の応酬。執政官クライスと魔王の舌戦は、いつもに増して激しかった。


「繰り返し申し上げます。正気とは思えません」


「もう1度だけ言ってやる。お前の悪食よりはマシだ」


「私は真剣なのですが」


「だったらその菓子をどっかに預けてこい」


 夕日を浴びて、同じ方へ伸びて落ちる3つの影。そのうち1つは歪で、サクサクと鳴る音とともに縮んでいく。


(なんで積み上げたクッキーの塔を、全く崩さずに食べられるんだ)


 当初は誰もが不思議に感じたのだが、今では眼を向ける者すらいない。この世には考えても分からない事など、腐るほどあるのだから。


「クライス。お前はこの期に及んで、まだ祭りに反対なのか?」


「輸入品のうち、食料と医薬品のみ配給とし、残りは商取引を通して住民に与える。発想そのものは悪くありません。久方ぶりの休暇を大いに楽しむ事でしょう」


「だったら何が問題だよ」


「一時金についてです。全国民に大人は1千、子供に5百ディナも配るのは暴挙としか言いようがありません」


「国が傾くほどか?」


「今はさほど。しかし頻繁に繰り返せば、蔵も空っぽになりましょうな」


「たまにだよ、たまに。お前だって、ココが大勢の笑顔で満ちる所を見てみたいだろ?」


「お気持ちは理解できます」


 彼らが見るのは壁の外に広がる露店の海だ。そこではヤポーネの商人を始め、レジスタリア人、そして東方から密かに訪れた異国人が忙しなく働いていた。時には激しい叱責を飛ばしつつ、何百という数の人間が駆け回り続けている。

 それでも来場者は10万人規模だ。事前準備にはゆとりをもって3日と考えていたが、結果はギリギリ。夜通しで進めて、ようやく明日に間に合うといった状況だった。


「そもそもだ。オレはお前らに頼み込まれて担がれた王様だぞ。覚えてるよな?」


「ええ、薄ボンヤリと覚えております」


「曖昧にすんな。そんで、思い通りにやりたいなら、お前が王になれば良かったろ。今からでも譲ってやろうか?」


「そう言えば、陛下にはまだ申し上げておりませんでしたな」


 クライスは表情の変化に乏しい。しかし今は僅かに眼を細め、言外に感情を忍ばせた。積み上がるクッキー塔がカタカタと音を鳴らし、主に変わって饒舌に語るかのようだ。

 やがて1つの想いが語られる。彼は無表情な性質(たち)だが、無口と言うわけではないのだ。


「私は若輩者ながら、以前はトルキンに高官として召し抱えられ、今は陛下のお側におります。責務に励む内に、1つの現実を理解しました」


「なんだよそれは?」


「私は献策する事を好みます。しかし、責任を負うのは嫌いである、と」


「クソ野郎かよ。つうか散々引っ張ってそれか」


「そんな訳で、執政官権限を発動します。祭りは中止、輸入品は全て均等に分けて配給。ちなみに一時金は全世帯から没収し、国庫へ戻します」


「今更そんな事が出来るか」


「ご心配なく。陛下ほど英邁であれば、何か素晴らしい口実を思いつく事でしょう」


「そこもオレが考えんのか、ふざけんな!」


 睨みつけるアルフレッド。それを真っ向から受け止め、引こうとしないクライス。そして、サクリと響く香ばしい音。ふたつの影は向き合ったまま、その場で静かな衝突を繰り返した。

 そうして先に折れたのは魔王だった。


「そういや手土産がある。リタの新作だとよ」


 小袋が、クライスの左手に渡された。彼は器用にも片手で袋を開き、中を覗き見た。そうして浮かべた笑みは赤子のものの様で、邪気の欠片さえも無かった。

 明くる朝。豊穣の森は珍しくも眠気から遠い様相だった。


「よっし皆、金は持ったな?」


 アルフレッドの呼びかけにワァという声があがり、家を後にした。誰もが上機嫌なのだが、子供たちはすっかり興奮してしまった。


「凄いよアルフさん。僕、銀貨を貰うだなんて初めてだよ」


「これが噂に聞く銀の欲望……。一体どれほどの強欲共を吊り上げられるか、想像も出来ないのです!」


「ピッカピカのお金なの。これでピッカピカの石を買うの」


 子供たちの瞳は夢で一杯だ。もちろん大人だってワクワクして落ち着かず、何を買うかで大いに盛り上がった。

 そんな希望に満ち溢れたメンバーは、魔狼たちの背中に揺られ、軽快に駆け抜けていった。そして森を抜けたなら、祭り会場の端に辿り着く。


「凄い人出ね。千や2千人じゃきかないわ」


「今日だけで10万近くは集まるからな」


「うげぇ……こんなにニンゲンが集まって、気持ち悪い」


「だったらアシュリーは家で大人しくしてるか?」


「そ、そんなイジワル言わないで。ちゃんと我慢しますから」


 開催日は3日間。全国民を一度に集める事は出来ないので、地域や役職によって分割した。初日は王都住まい、2日目は地方在住者、最終日は騎士団や要職に就くものといった具合だ。商品も不公平にならないよう3等分させたため、誰もが似た条件で売買出来るという仕組みだった。


「それじゃあ迷子にならないようにな。皆で手を繋いで……」


「アルフさん! ミレイアが居ないよ!」


「さっそくかよオイ!」


 慌てて付近を探し回ると、すぐに見つかった。しかし、物陰に隠れて紐を握りしめており、何をしているのかは分からない。


「どうしたのミレイア。早くアルフさんの所へ戻ろう」


「静かに、お兄様。今すごく良いところなのです」


「いや、ほんと何してんの?」


 紐の先を辿れば、それは銀貨に括り付けられていた。そして、足を止めた青年がそれを拾い上げた。


(しめた。罠だとも知らずに!)


 ミレイアは口元だけで笑うと、一気に紐を引っ張った。


「残念でした、それは咎人を引きずり出す為の巧妙な……アイタッ!」


 ミレイア、見事に尻もちを着く。それは、青年が銀貨を持ち去ろうとせず、こちらに歩み寄ったからだ。全体重をかけてしまった為に、姿勢を保つ事は出来なかったのだ。


「はいお嬢ちゃん。今日みたいな日に落としちゃダメだよ。お買い物が台無しになっちゃうからね」


「すみません、ありがとうございます!」


 そう言って頭を下げたのはグレンだった。ミレイアは信じられない思いで去りゆく青年を睨み、実際そう言った。


「こんなのオカシイです。普通は持ち去るハズ、銀の欲望ですよ!?」


「ミレイア。誰も彼もが悪い人じゃないんだよ」


「だったら悪人が釣れるまで続けるだけです。お兄様はどうぞ心ゆくまで欲散らしをしてくるが良いのです」


「残念だったね、時間切れだよ」


「えっ?」


「はいはいミレイア。皆と合流するわよ」


「そんな、リタさん! あとちょっとだけぇーー!」


 ミレイア、連行。収監先はシルヴィアの隣。逃げ出そうにも『みんないっしょで楽しいの』という笑顔に轟沈。とても離れる気など起きず、ひたすら寄り添う事になった。


「さてと、ティーセットが欲しいわね。それから布地も」


「やっぱこういう時は着飾るもんですよね。可愛い服に、攻め攻めの下着とか!」


「砥石はどこだろう。それと、剣術の入門書あたりが欲しい所だな」


「アルフ。僕には何を買ってくれるんだい?」


「猫に一時金なんか出るかよ。お前はただの付き添いだ」


「酷いなぁ。僕とキミの仲じゃないか。ちょっとくらい美味しいものとかさぁ」


「こんな時ばっかり擦り寄んな! ヒゲが刺さるだろ!」


 魔王一家は大人も子供も賑やかにしながら往来を進んだ。しかしこの程度では目立つ程でもない。何せ凄まじい人混みだ。喧騒はかなりのもので、加えて、楽器までもがかき鳴らされている。ヤポーネ人が鼓と笛を鳴らせば、レジスタリア人も負けじとギターと共に高らかに歌い上げる。我らが祖国よ永遠なれと。

 そのいかにも華やかな様子は、これまでの王都とは全くの異質だった。物心ついた頃から都を知るグレンには、やはり驚きを隠せない。露店脇の木箱に腰を降ろし、絶え間なく流れ行く人の姿を見ては、感動に打ち震えた。


「すごい……みんな笑顔だ。貧しい人も、そうでない人も」


「どうしたグレン。買い物は済んだのか?」


「もちろんだよアルフさん。工具と皮素材を買ったよ。少しくらい貯めようと思ったけど、奮発しちゃった」


「それで良いさ。そんで、何がすごいって?」


「街の皆だよ。どこを見ても笑顔なんだ。それに、見ただけじゃ誰が偉いのかも良く分からない」


 行き交う人々は一様に薄汚れていた。衣服に意匠の違いこそあれど、多くは擦り切れ、色落ちも激しい。他に階級を示すものといえば、せいぜい仕草くらいのものだ。しかしそんなものも些細な違いでしか無く、肩を並べて祭りを楽しんでいた。

 木彫りのオモチャを持って駆け回る子供、布を吟味しては唸る婦人、そして酒の試飲を繰り返しては歓声をあげる初老の男。個人差はあれど、気兼ねなく愉しむ姿ばかりだった。


「僕は前まで、お金持ちしか幸せになれないと思ってたよ。大通りを眺めてさ、そこだけいつも楽しそうだったんだ。でも今は違う。皆が当たり前のように笑ってるんだ」


「本来はそれが正しい。貧富なんか無関係に、誰だって幸せになる権利がある。それこそ生まれや、種族も関係なく、誰だってな」


「実現したよ、今ここに! まさか、こんな光景を見る日が来るだなんて……」


「まだ金と物を配っただけだ。舵取りをしくじれば、すぐに元通りになっちまう。そうならねぇように、オレは自由な街を造りたい」


「自由な、街……?」


「生まれも肩書も関係なく、誰もが好きに学び、働ける街だ。休日には飲んで歌って、談笑したり出掛けたりと、思う存分に楽しめる。人だろうが獣人だろうが、外国人だろうが」


 アルフレッドの視線の先にはシルヴィアが居た。その手には小さな網があり、中は色とりどりのガラス玉で満ちている。その隣で笑うミレイアも数冊の本を抱えており、達成感に満ちた顔をしている。

 保護者の魔王も、実の兄も心から思う。良かった、危なっかしい物じゃなくてと。


「おとさぁん、みてみてぇ!」


 叫びながら飛んできたシルヴィアは、父の胸元で成果を見せびらかした。磨き十分のガラス玉は、それなりに高価なものだが、満足以上の輝きを見せている。シルヴィアの笑みが何よりの証だ。


「おとさんは、なにをもらったの?」


「いやいや、買ってないさ。モコにちょっと干物を買ってやったくらいだ。金をだいぶ余らせちまった」


「アルフってば贈り物のセンスに欠けてるよね。猫だから魚って、安直にも程があるよ」


「旨い旨いって喜んで食ってたろうが」


「それはそれ。僕が言いたいのはね、もっと気持ちを込めて欲しかったなと」


「想いだと? くだらん。んなもん腹に入っちまえば同じだろ」


 モコはやれやれと鼻息で落胆を現し、アルフレッドは吐息の触れた頬を掌で払った。

 そうこうするうち、他のメンバーも続々と集まりだす。


「アルフ、布をいくつか買ったわ。これで新しい服を仕立てましょ」


「あいよ、好きにしてくれ」


「王よ。木剣と入門書を手に入れた。これでいつでも剣技を学ぶことができよう」


「はいはい。怪我のないようにな」


「ねぇアルフぅ。欲望直下な服を買ったんですけど、興味ありません?」


「ありません。個人で愉しむ範囲で着てろ」


 アルフレッド、響かない。眉のひとつも動かさない。彼は比較的、物欲の薄い方であり、執着を見せる事は稀だ。

 例えば、このような瞬間にそれは起こる。


「はい、これおとさんの。いい子にはキレイなのをあげちゃうの」


「えっ。良いのかい? 大切な物のハズなのに、オレだけに……!?」


「あとはサーシャちゃん、グレンちゃんにミレイアちゃん。お姉ちゃんたちにもあげるの」


 贈与は父だけではない。しかし都合良くも発言は耳に届かず、特別感が胸の中で反響し続けた。そして叫ぶのだ。力の限り。


「よっしゃぁぁ! 祭り最高だオラァーーッ!」


「これだもの。私達のは全く興味無かったのにね」


「メチャクチャ分かりやすいですよね、マジで」


 その時、珍しい事が起きた。彼の叫びに合わせて、会場は同調する声で溢れかえったのだ。祭り最高と響き渡る声に、主催者が喜ばないハズはない。

 やって良かったと、心から感じ入った。執政官クライスの面倒な説得を乗り越えてまで漕ぎ着ける価値はあったのだ。空を見上げる。露店の隙間から晴れやかな青空が眼に映った。


――あの野郎、いつか国外追放してやるぞ。


 そう思ったとか、思わなかったとか。

 だが、この歓喜一色の様相は長くは続かない。戦雲がにわかに立ち込め、生まれ変わろうとするこの国に牙を剥いたからだ。

 プリニシア来たる。その凶報は近々もたらされるのだった。

 


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魔王様のダラ! 〜育児と世界制覇のダブルワーク〜 おもちさん @Omotty

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