第14話 狂えなかった狂犬

 王都レジスタリアから現れた2つの影が豊穣の森へ向かって進んでいく。知る人ぞ知る冒険者、狂犬の牙が出撃したのだ。

 ただし馬ではなく徒歩で。そして急ぐような素振りをみせず、むしろフラフラとした足取りで、目的地に近づいては遠ざかる事を繰り返した。


「はぁ……最悪だ、チクショウ」


 肩を落とすのはリーダー役のフレッド。軽装鎧に長剣を背負う優男だ。歳の頃は20代後半と若いのだが、界隈ではベテランと呼ばれるだけの実績がある。だが、狂犬呼ばわりされる凶々しさはどこにもない。


「なんで断らなかったのよ。こんな危ない橋、命が100あっても足りないじゃないの」


 隣を行くのは仲間のクゥス。折り目の丁寧なローブに樫の杖。手入れの行き届いた長い髪は美しく、顔立ちも整っているので美人の範疇なのだが、全力で浮かべる渋面のせいで台無しだ。そして、不機嫌さを隠そうともしない淑女からも、凶なる気配までは見当たらなかった。


「仕方ないだろ、あのトルキンだぞ。しかもブチキレのな。下手に断りでもしたら即座に処刑。運が良くて死ぬまで牢屋暮らしって所だろ」


「だからって無茶よ。私達だけで魔王城に攻め込むだなんて……」


「こうなったのも妙なあだ名のせいだ。クソが」


 彼らが狂犬の牙と呼ばれる以前は、ベアナックルという名の中堅冒険者として知られていた。だがある日、依頼の途中で風土病を患ったことがある。幾日も高熱を発し、全身を駆け巡る痙攣から歯をむき出しにして食いしばった。結果として一命を取り留めたもの、代償は依頼の未達成という、不名誉極まるものだった。

 界隈の仲間たちは皮肉を込めて、2人を『狂犬の牙』と呼ぶようになる。しかしその、いかにもな響きが強そうであり、また達成率の高さを感じさせる為に稼業は繁盛した。名指しの依頼は止むこと無く、寝床を温める暇すらない。彼らも実態を伴わない名に甘受したのだが、とうとう身の丈を上回る仕事と向き合う事態を迎えてしまった。


「ねぇフレッド。いっその事、逃げちゃおうよ」


「馬鹿言うな、ご丁寧にも騎士団の見張り付きなんだぞ。そんな真似したら明日にでも手配書が出回る事になっちまう」


「はぁぁ、1万ディナ程度で監視だなんて。しみったれた国王よね」


「もう腹をくくれよ。娘をさらって都まで逃げる。それだけが生存ルートだぞ」


「簡単に言うけどさ。作戦くらいはあるの?」


「まぁな。さすがに手ぶらじゃない」


 その時、2人の行く手を阻む影が飛び出した。それは1匹の魔狼であり、大きな犬歯を見せつけつつ唸る。


「魔獣か、やるぞクゥス」


「待って。1匹じゃないわ!」


「えっ……」


 木々の隙間に茂みの向こうで光る真っ赤な瞳。左右を見渡し、背後を振り返っても光景は酷似する。次から次へと現れた魔狼は、四方の全てを瞬く間に塞いでしまった。

 かつてない群れの規模が2人から戦意を奪う。尻を着いて震え、肉塊と化すしかない未来に絶望するばかりだ。

 しかし残虐なる猛襲は始まらなかった。その代わりに群れが割れ、1人の女が現れた。綺羅びやかな銀の胸甲は高位の証。しかしそれよりも、なぜ人族が魔狼を手なづけているのか、フレッドは信じられない想いで凝視した。


「見知らぬ顔だな、貴殿らは何者か」


 問いかけは鋭くも、敵意の感じられない響きだ。それが恐怖心を僅かばかり和らげ、フレッドもようやく口を開くことができた。


「お、お、オレ達は旅の者で。高名な魔王様とお近づきになりたいなぁとか考えてしまって。なぁクゥス?」


「えぇ、えぇ、そうなんですぅ。私は止めたんですけどね、フレッドがどうしてもって言うもんですからアハハ、ハ……」


「ふむ、つまりは親交を結びたいという事か。ならば門前払いには出来んな。通行を許可しよう」


「ありがとうございます! ありがとうございます!」


「館は道なりに行けば辿り着く。私は任務があるので、ここで失礼を」


「ご、ご丁寧にどうもぉ……」


 小さく指笛が鳴ると、人魔混合の警備隊は風のように消えた。後には腰を抜かした狂犬だけが残る。

 彼らは辛うじて命を拾った。それと同時に、達成の見込みは失ってしまった。魔王だけでなく配下ですらも規格外の戦力だ。仮に娘と接触できたとしても、無事に逃げ帰る可能性はゼロに等しい。


「もう止めようフレッド。サッサと逃げちゃおうよ」


「ああ言った手前、館には行かなきゃならんだろ。嘘だとバレれば八つ裂きにされるかもしれない」


「だけどさ、このまま行ったとしても魔王の子を連れ去るなんて出来る? 魔狼に食い殺されるに決まってるじゃない」


「娘を人質にすれば良い。刃物を突きつけながら都まで逃げれば、後はなんとかなる」


「ハァ……どうしてこんな眼に遭わなきゃなんないのよ」


 2つの足取りは重く、鉄球付きの枷でも付いたかのよう。後ろ髪を引かれるどころか巻き取られる様な気分だが、1歩はやがて千里にも通じる。彼らはとうとう深い森を抜け、草原地帯へと辿り着いてしまった。


「ここが魔王の住処か。想像したのと全然違うな」


「ねぇ、あそこに子供が居るけど。違うかな?」


「よく見ろよ。あれは男だろ」


「ほんとだ。アタシ好みの美少年だったわゲヘヘ」


「絶対に妙な気を起こすなよ」


 丘陵の草むらで、少年が花摘みをする姿を見た。彼は来訪者を見るなり会釈をし、にこやかな笑みを浮かべた。


「こんにちわ。おじさん達はお客さんかな?」


「おじさん……オレもそんな歳になっちまったか」


「ちょっとフレッド。そんな小さな事は後で悩みなさいよ」


「おばさんも初めまして、だよね」


「おばさん……美女冒険者10選にも載ったこの私が……。大人の魅力をみっちり仕込んでやろうかしら」


「やめろ馬鹿。お前もガッツリ効いてんじゃないか」


 引きつり笑いのフレッドは少年と会話を重ね、娘の所在を確かめた。今は館の傍で遊んでおり、幸いにも魔王は不在だという。しかし成功の目が出てしまったのは不運かもしれない。

 僕は仕事があるからと、少年が別れを告げる。2人は再び歩き出し、道と言うには粗末な、草を薙いだだけの土を踏みしめて行く。すると程なくして辿り着いた。


「ここで、良いんだよな?」


 丘から見下ろしたのは1軒の小屋だ。城でも館でもなく、単純な造りの民家だった。


「でも子供が遊んでるし、合ってるんじゃないの」


 家の傍には花壇があり、そこで舞う蝶を相手に少女が戯れていた。しかし問題は、少女が2人居る事だ。


「たしか犬人族の子供だったよな」


「そうだけど、どっち……?」


 最後の関門は娘当てゲーム。目星はもちろん犬耳なのだが、間の悪い事にどちらもスカーフを頭に巻いていた。正確に見分けられるほど、彼らは魔王軍について知らされていない。こうなれば接触するしか無かった。


「こんにちは、お嬢さん。ちょっといいかなぁ?」


「アナタたちは誰ですか」


「今日はね、お嬢さん達にプレゼントを持ってきたんだけどね」


「私は、誰ですかと聞いたのです。答えてください」


 一回り分大きい方の少女は眼を吊り上げた。年の割に鼻が利くのである。

 フレッドは舌打ちを噛みしめると、袋から秘策を取り出した。所詮は子供だとみくびりながら。


「ほぅら見てごらんよ。街で流行りのフワリ飴だよ、美味しそうだろう?」


 差し出したのは綿状の飴細工だ。手の上では溶けず、しかし口に放ればジュワァと甘く消える。この不思議な菓子は純白の見た目がウケたこともあり、上流階級の人々に絶大な人気を博した逸品なのだ。

 しかし少女は要らないと言う。1点あたり2千ディナの超高級菓子であっても、懐柔は叶わなかった。その代わりに小さい方は興味津々となり、気軽に菓子を受け取った。そして無警戒に食べては、甘い甘いと跳ねて喜んだ。


「お菓子は要らないと。じゃあこっちはどうかな? ピッカピカに綺麗な宝石だよ」


 食い物がダメなら光り物。紺碧の輝きを見せるそれは宝石のフェイク、すなわち偽物なのだが仕上がりは精巧だ。子供の眼で見極められる代物ではない。しかしここでも大きい方の少女は再び首を振った。結局はこちらも、小さい方の手のひらに収まる事になる。


「まいったなぁ、お嬢さんは何が欲しいんだい?」


 そう問えば、あどけない口からはおぞましき言葉が紡がれた。腐肉を求めると。咎人の生き肝を欲すると臆面もなく言い放ったのだ。


――こいつだ!


 フレッドは大きい方を魔王の娘と判断した。クゥスも同様であり、お互い見合っては頷いた。

 さすがに彼らはベテランである。無闇に警戒を与えぬように微笑みを絶やさなかった。しかし悪巧みの裾までは隠しきれず、僅かばかりの緊張感を生み出してしまう。それはこの場においては致命的な大失態であった。

 例えば母グマの傍で子グマを脅かせば、あるいは大鳥のヒナを奪おうとすればどうなるか、答えなど考えるまでもない。


「ねぇお嬢さん。ちょっと向こうでお話でも……」


 その言葉は最後まで続かなかった。遠くの丘が煌めいた刹那、突如として1人の男が眼前に現れたからだ。遅れて轟く爆音に暴風、そして地響き。魔狼や、それを束ねる女とは次元の違う存在感。言葉などなくとも直感で理解できた。

 この男が魔王なのだと。

 容貌は平凡な中背中肉の若者で、衣服も粗末。とても大人物とは思えないのだが、ブレッド達は自分の死を覚悟して硬直した。


「誰だ、お前ら」


 魔王の視線が辺りを一巡する。そして見慣れぬ宝石を目に留めた。


「シルヴィ。その石はどうしたんだい?」


「そこのおじちゃんがくれたの。アメもおいしかったの」


「そっかぁ。美味しかったのか。でもね、知らない人から物をもらっちゃいけないよ」


「でもね、甘かったの。これもピカピカなの」


「うんうん。でも、おとさんと一緒じゃなきゃ、知らない人と喋っちゃいけないよ。物ももらっちゃダメだ。分かったね?」


「……わかったの」


 魔王は小さな手のひらから石を受け取ると、俯く子供の頭を優しく撫でた。


「ミレイア、よく頑張ってくれた。シルヴィを守ってくれてありがとう」


「私、何もできませんでした。追い返す事も、全然……」


「怖かったろう。無理するな、十分だったぞ」


 魔王はもう1つの頭も優しく撫でた。それからは、硬直する2人の客まで歩み寄り、足を止めた。


「お前ら、ラッキーだったな。未遂じゃなかったら踏み潰してた所だぞ」


「あ、あの……」


「つうか何者だよ。なんで子供達にちょっかい出したんだ」


「オレ達は、その……」


「言えねぇと、つまりはあれか。お前らは少女趣味の、しかも人さらいまでやらかすクズどもであると」


「避けられぬ依頼の為に、不本意ながらご息女を連れ去ろうと目論みました、魔王陛下!」


「私は少女に対し、特別な感情を持ち合わせておりません、魔王陛下!」


 討たれるにしても、不名誉な誤解は避けておきたい。そんな想いが彼らの口を瞬間的に滑らかにした。それからも尋問を続けようとしたが、止まる。背後の小屋で入り口が開き、非難の声があがったからだ。


「アルフ。家の傍で飛ぶのは止めてちょうだい。せっかく片付けた食器が散らかったじゃないの」


「リタ。今は取り込み中だ」


「あら、話し声がすると思ったら。お客様かしら?」


「客か。あるいは刺客だろうな」


「随分と振れ幅が大きいのね。とりあえずお茶でも用意しようかしら?」


「そこまでしなくて良い」


「それとも、子供たちに聞かせてあげたいの?」


 アルフレッドは小さく舌打ちした。確かに、子供の前でする話ではない。


「話は中でジックリと聞かせてもらおう。文句ないよな?」


 ギラリと光る魔王の瞳。それを前にして否と言えるだろうか。


「はい、お邪魔します……」


 フレッドは消え入りそうな声を出すのがやっとだった。


「おじちゃん、おばちゃん。またね!」


 父親の覇気に反して、娘の方は朗らかな別れを告げた。フレッド達に『また』があるのかは、魔王の腹ひとつである。

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