第13話 レジスタリア王の企み

 レジスタリア城は緊張で張り詰めていた。それは統治者であるトルキン王が癇癪(かんしゃく)を起こし、連日の様に怒号を響かせるからだ。事情を知る高官は良いとして、下働きの者たちは震え上がり、ただ嵐が過ぎ去るのを待つ心地である。

 そんな日々の中、今朝はいつもに増して機嫌が悪かった。執務室からは怒鳴り声だけでなく、陶器の割れる音まで聞こえる始末。この一層の不機嫌さは、城下からもたらされた急報によるものだった。


「どこのどいつだクソッタレめ! ヴィラドをやりやがったのは!」


 国王のトルキン・ロード・レジスタリアは、手に触れるものを大小問わずに薙ぎ払った。世界有数の名画は破れ、彫刻も端が欠けるなどの大損失だ。その凄惨な光景も怒りを冷ますには至らず、結局平静さを取り戻したのは息切れであった。彼は中年に差し掛かった上に下っ腹を育つままに膨らませているので、とてもじゃないが激しい動きに耐えうる体型ではなかった。

 とばっちりを恐れた衛兵がすくみあがって立ち尽くす所を、1人の青年が訪問した。側近中の側近、執政官である。

 彼は王と違って細作りだ。濃紺に染まる艶やかな髪は後ろ縛りにして垂らし、左目に単眼鏡(モノクル)を添えている。切れ長の瞳と涼しげな表情からは知性が溢れ出ており、容貌の美しさも相まって、密やかながらご婦人の憧れとして有名だった。しかし彼は評判には気にも留めない。求めるのはただ唯一つ、仕事が滞りなくスムーズに動いてくれる事だった。


「陛下、クライスです。お呼びとの事で参上致しました」


「遅ぇぞバカ野郎! どんだけ待たせんだウスノロめ!」


「失礼しました。部下の報告を集約しておりましたので」


「言い訳するんじゃねぇ殺すぞ!」


 トルキンは手元の陶器を投げつけた。まっすぐに飛ぶ小壺をクライスは首を傾ける事で避け、背後に乾いた破壊音を聞いた。割れたのではなく、粉砕された事は耳だけで理解できた。


「落ち着きなさいませ。今の一投だけでも10万ディナの損失です」


「うるせぇ、どうせオレの金だ。それよりも調べはついたんだろうな?」


「えぇもちろん。先日のヴィラド商会に対する襲撃は、豊穣の森より現れた魔王軍に間違いありません」


「あの野郎……人が下手に出りゃ調子に乗りやがって!」


 まるで『泳がせていた』とでも言いたげな口ぶりだが、実際は手をこまねいている状態である。たとえレジスタリアの全軍を結集しても魔王の足元にも及ばない。それを正確に理解しているのはクライスを筆頭とした良識派だけで、上級貴族、特に国王などは現実から眼を背けていた。その姿勢は思考を歪ませ、結果として国策を通して現れる事になる。


「ヴィラドは良い金ヅルだったんだぞ。それをメチャクチャにしやがって……絶対に許さねぇからな」


「今ばかりは堪えてください。魔王は想像以上の存在であり、敵対するのは得策とは言えません」


「何をほざくかと思えば、このオレが負けるとでも言いてぇのか?」


「順を追ってご説明します。偵察隊が命がけで持ち帰った情報が溜まってございますので」


「おう話してみろや。魔王がどんだけの強さなのかをよぉ」


 クライスは胸元にしまった小箱を手にすると、その中から平たい緑石を取り出した。魔緑石を特別に加工したもので、微量の魔力で風景を記録できる道具である。その石をかざしてみれば、壁一面に静止画像が浮かび上がった。


「なんだこのガキは。獣人じゃねぇか」


「この少女は魔王の娘だそうです。毎日の様に何かを捕まえては、魔王と談笑しているとの事」


「魔王の娘か……。もしかして、平民どもを手当たり次第に拷問してるとか?」


「偵察隊より会話の一部も報告されているので、読み上げます」


 ここでクライスは咳払いを2つ。喉の調子を整えたのは、声色を変える事でより正確に伝えたい為である。


「あーりーさん」


「アリさんさぁ〜〜ん」


「くるっと回って」


「わっしょいしょい!」


 クライスが読み終えると執務室は静寂に包まれた。じっと聞き続けたトルキンは、しかめっ面のまま硬直している。


「では、次の報告です。配下の女達3名が……」


「待てこの野郎! 今のは何だったんだ!」


「どうやらアリさんホイ、という遊びの様です。指先でこう、角を形作りまして、2人が横並びになってから……」


「そのシーンは絶対要らねぇだろ!」


「ちなみに勝者は、娘が捕まえた虫と楽しく遊ぶ権利を得ます。この日はダンゴ虫でした」


「クソどうでも良いなそれは!」


「最後に献策を述べるのですが、ご理解いただくのに重要な一幕となります」


「戦力の話をしろ、馬鹿野郎め」


 トルキンは顔を赤く青くと忙しくして、すでに疲労の色が見て取れた。それでも淡々とした報告には休みなど無い。


「続けます。夜半過ぎ、配下の女3名が魔王を中心にして話し込んでいました」


「な、なんだ。呪いだとか、怪しげな術でも企んでるのか?」


 石を介して浮かび上がった光景は、画質の荒さと場面の薄暗さも手伝い、かなりの圧迫感を含んでいた。その圧力は、激昂するトルキンでさえ脂汗に濡れる程である。


「3名は魔王に女性の好みを聞き出そうと躍起のようです。この時も理想のバストサイズを問いかけており、遂には魔王本人に逃げられてしまったとの事」


「だから何の話をしてんだ!」


「一応、会話も報告されているのですが再現はご勘弁を。さすがに恥ずかしいというか、気色悪いですから」


「戦力の報告をしろと言ったじゃねぇか!」


「まぁまぁ、落ち着かれませ。ここからが本題なのですから」


「言ってみろ。クソみてぇな献策だったら厳罰を与えてやるからな」


「ご覧の通り、生態に謎の多かった魔王ですが、意外にも親しみ易い存在です。豊穣の森の怪物を征伐したと知られて以来、おぞましい化物だと想定されてきました。しかし報告から想定するに、我らと変わらぬ情緒を持ち合わせていると見なせます」


「何が言いてぇんだテメェはよぉ……!」


「和平の道を模索しましょう。それが最も死者の少ない手段です。また、森の富を分けてもらう代わりに、こちらからも街道整備や人手を貸すなどすれば両者とも繁栄を……」


「寝ぼけてんのかこの野郎ーーッ!」


 再び激昂したトルキンが胸元の宝石をむしり、投げつけた。今度もアッサリと避けたクライスは、壁で砕ける音を聞くと、500万ディナとだけ呟いた。


「和平だぁ? ふざけんな。あの野郎は豊穣の森を横取りしただけじゃなく、オレの稼ぎまで潰しにかかったんだぞ。下僕もろともブッ殺すに決まってんだろが!」


「何をもってして対抗なさるおつもりで?」


「国軍はまだ健在だぞ、5千の大軍で押しつぶしてやるだけだ」


「おやめなさい。5千が5万でも敵いません。無駄に死体を積み上げる事になります」


「だったら最強の冒険者を送りつけてやる! それで終いだ、クソが!」


「怒りを買うだけです。心象が悪化する前に友好的な手段を……」


「クライス、てめぇの様な腰抜けが居るから戦争で負けちまうんだ。今日限りでクビだ。2度とオレの前に現れるんじゃねぇぞ!」


 王の強権による罷免だ。普通なら青ざめて懇願する所なのだが、クライスは滑らかに失職を受け入れた。それどころか口元を綻ばせた後、スキップを踏みながら部屋を後にした。扉越しから「お暇をもらったやっほっほ〜〜い」などという上機嫌な声まで聞こえる始末だ。

 仕事を失った上でこの反応。トルキンの腹の内は煮えたぎったが、クライスの処遇など後回しだ。今は魔王への対処が最優先なのである。


「ギルドに遣いを出せ。『狂犬の牙』を連れて来いとな!」


 国王直々に怒鳴られた衛兵は飛び上がらん程に驚き、転がる様にして街へと駆け出した。そして翌日にはご指名の冒険者団が登城する事となった。


「よく聞け、冒険者の小僧ども。豊穣の森を不法に占拠するゴミを一掃する」


 トルキンは報酬の半額を押し付けつつ、短く述べた。その額は1万ディナ。一見すれば破格にも思えるのだが、命を買い叩くには安すぎる。当然、冒険者側は猛反発した。報酬が不服なのではなく、達成不可能な依頼だと拒絶したのだ。

 王命に真っ向から楯突く姿は、トルキンに深い青筋を刻みつけた。しかし交渉決裂までには至らない。狂犬の牙ほど腕が立ち、なおかつ死なせても構わない人間を、他に知らないからだ。


「分かった。だったら目標を変えてやろうじゃねぇか」


 トルキンは平たい魔緑石を片手に言った。代案の提示である。


「魔王には一人娘が居るって話だ。そいつをさらって来い。後はこっちで何とかする」


 ある意味では効果的な方針だった。相手が子煩悩とくれば、真っ先に思いつく手段である。しかし最も成果が見込めると同時に、最悪の結果に直結する道とも言えた。ギガントオーガの足元で寝転がるよりも危険で、飲んだくれに酒を預けるよりも無謀な振る舞い。

 それは魔王の愛娘に危害を加える事に他ならないのだ。


「話は分かったな、サッサと行って、小汚ぇ混じり物のガキをさらってこい!」


 しかしトルキンには先回りするだけの慎重さに欠けていた。寿命を自ら投げ捨てている事になど気づきもせず、渋る刺客を急かしてまで派遣してしまった。これを機にレジスタリア王家の命運は急激に失墜し、近々のうちに終焉を迎える事となる。その絶望的な未来を、小狡い程度の男には見通す事が出来なかったのである。

 そしてもう一つの誤算があった。


「何でオレらに頼むんだよ……チクショウ」


「強そうな名前のせいだろうね。覚えやすいし」


 狂犬の牙と呼ばれる2人は、特別に強い訳でもなかった。

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