第12話 恩返しは唯一つ

 レジスタリアの騒動の翌日。朝食を終え、身を休めるアルフレッドだが、すっかり頭を抱え込んでいた。


「どうしてこうなった……」


 昨晩の救出劇にはまだ名残がある。その片割れの兄は、昨夜のショックが冷めやらず、ただボンヤリと天井を眺めていた。魔王の尋常でない強さが、童心に強い衝撃を与えてしまったのだ。そしてもう1人、妹の方もやはり家の中に留まっている。

 本来なら他の子供達と同様に、親元なり仲間の元へなり帰すつもりでいた。しかしこの兄妹だけは成り行きから、1度連れ帰ってしまった。すると夜更しして待つシルヴィアが、出迎えるなりこう告げたのだ。


「いらっしゃい。今日からグレンちゃんとミレイアちゃんのおとさんは、おとさんがなるの」


 中々に理解しにくい台詞だが、早い話、アルフレッドが兄妹を養えという事だ。降って湧いた養子縁組。さすがの父も受け入れがたく、強い口調で異を唱えた。


「あのねぇシルヴィ。そこまでの話となると、ちょこっとばかし難しいかなぁ。お家だって狭くなるし、ご飯の用意も面倒だろう?」


「おとさんが、おとさんなの」


 シルヴィア、半歩も譲らず。しかも今度ばかりは女性陣までもが賛同するという大劣勢だ。

結局アルフレッドは抵抗することを諦め、その日は早々と眠りについた。

 そうして迎えた朝が今なのだ。大きな溜め息。積み重ねた徒労感が大挙して押寄せてくる。何かに励むほどに、予期せぬ結果がつきまとうので、ついつい打ちひしがれてしまうのだ。


「なぁグレン。人生ってなんだろうな?」


「それを子供の僕に聞かれても……」


「だったら別の話をしよう。お前の妹はちょっと変だぞ」


「僕も昨晩からはそう思ってるよ」


「なんとかしろよ。たった1人の妹だろ」


「しばらくすれば落ち着くと、信じてるよ」


 噂をすれば奥の方からミレイアが現れた。アルフレッドの前を横切ろうとした時、スカートの端を摘んでお辞儀、それからは流し場の方へと歩いていった。


「リタさん、ここに良く切れるナイフがあるか、問いかけたいのです」


「ナイフは……置いてないわね、どうかしたの?」


「魔王様へ捧げる供物が欲しいのです。咎人の臓腑、脳漿(のうしょう)、髄液とかでも良いです」


「あらそう。アルフの為に働きたいのね。でも危ないからダメよ」


「大丈夫です。きっちり始末しますんで、確実に仕留めてから奪うので、失敗なんかないのです」


「ダメなものはダメ。別の事をして遊びなさい」


「うぅ……。魔王様に喜んで欲しいのに……」


 これが少女ミレイアの現在だ。本来は年相応の、10歳らしい無邪気な少女だった。ここまでの変貌を許してしまったのは、やはりと言うか昨晩の事件である。

 鮮やかで斬新なる脱出劇、他の追随を許さない圧倒的すぎる強さは、魔王と呼ぶに相応しい。その鮮烈な記憶は多感な少女の脳裏に刻み込まれ、心酔するまでになったのだ。少し勢いづいて狂信的にまで傾いたのは、彼女なりのお茶目なのである。


「お許しください、魔王様。当面は腐肉も臓腑も捧げることが出来ないのです」


「いや要らんし。1回でも頼んだことあったか?」


「でもご安心ください。道具さえ揃えば、すぐさま供物をご用意するのです」


「おっと、この子は人の話を聞かねぇぞ」


 再び頭を抱えそうになるが、1つだけ良い傾向が見られた。それはシルヴィアとの関係性だ。仲睦まじくする姿は、まるで本当の姉妹と見間違うほどだ。

 歳の近い女の子が居るだけで助けられる面もある。それはアルフレッドやリタが懸命になったとて、決して入り込めない領域なのである。


「ミレイアちゃん。おいでおいで」


「はい何でしょうか!」


「たからものが、いっぱいあるの。見せてあげるの」


「わぁぁ! 嬉しいです、ぜひお願いします!」


 両者に種族の壁はない。ミレイアにすれば敬愛する魔王の娘であるし、恩人の子だ。そういった背景も手伝ってか、人族の持つ敵愾心(てきがいしん)や偏見とは無縁だった。思考が柔軟な年頃というのも好材料だ。

 ダイニングの隅で語らう2人の少女。それは心を和ますのに十分な光景だった。アルフレッドはリタから差し出された紅茶を受け取ると、眼を細めてそちらを眺める事にした。


「ミレイアちゃん。これみて、キレイな石なの」


「ほほぉ、赤くてピカピカしてるのです」


「おとさんがね、シルヴィにくれたの」


「なるほどなるほど。これは察するに龍の心臓ですね?」


 ここでアルフレッド、むせる。熱々の紅茶が気道を焦がし、思わず涙目になってしまった。しかし少女たちはそんな事態に触れもせず、珍妙な座談会は続く。


「これもキレイなの。白くてスベスベの石」


「なるほどなるほど。これはきっとギガントオーガの前歯ですね、希少品なのです」


「こんどね、みんなでね、おかいものへ行きたいの。おこづかいでね、キレイなの買うの」


「ふむふむ。つまりはニンゲンどもを滅ぼすために遠征なさるのですね。あぁ、いったいどれだけの愚者を葬るおつもりなんでしょう。そうだ、白い服を着ていきましょう。きっと真っ赤でステキな柄が描かれるに違いないのです!」


 ここでアルフレッド、限界を迎えた。無粋は百も承知だが、口出しせずには居られない。


「ミレイア、ちょっと良いか」


「はい喜んで。魔王様がお呼びなら霊山の天辺だって!」


「お前の返し、さっきから全部間違ってるぞ」


「えっ!?」


「それとな、ウチらはそういうノリじゃねぇから」


「えぇーーッ!?」


 その顔はまさに青天の霹靂といった様子。衝撃を隠そうともせず、四つん這いになって心痛に堪えた。少女なりに魔王らしさを考えた末での事だが、ことごとくが受け入れられなかったのだ。

 そんな彼女をシルヴィアが率先して慰めるのだから、相性は良いように見える。少なくともアルフレッドは娘の友人として認めることにした。変わり者であることには、ある程度眼をつぶりつつ。

 それから数日後、豊穣の森は相変わらず平穏な日々を迎えていた。仕事の役割も明確だ。大人たちは何らかの仕事に従事し、子供達はまとまって遊び回る。この頃にはアルフレッドもグレンの真面目さを評価しており、シルヴィアの子守役として認めていた。少年には対処できない事態、例えば残忍な悪漢が現れたとしても、魔狼とエレナがすり潰す手筈となっている。

 だからアルフレッドも安心して、目の前の農作業に集中できるのだ。


「アルフさん。ちょっと良いかな」


 腰を伸ばして一休みしていると、グレンが声をかけてきた。その向こうでは、シルヴィアとミレイアが蝶を追いかける姿が見える。


「どうした、何か問題でも?」


「あのさ、もし余ってたらで良いけど、ナイフを貸してくれないかな」


「お前……。言っとくがな、供物とかそういうの要らねぇから」


「あぁそうじゃなくって。何か素材とかあれば、僕もお役に立てると思ったんだ。一応細工師の子供だし、父さんの仕事ぶりはずっと見てたんだ」


「素材ねぇ。まぁ、たまに狩りをするからな。そん時に皮とか爪とか余らせてるぞ。たまに鉱石なんかも拾うかな」


「ちょうど良いよ。それを僕に任せてくれないか。最初のうちは下手かもしれないけど、必ず売れるような物を作ってみせるよ」


「ナイフはまぁ、有るっちゃあ有る」


 アルフレッドの懐から取り出された物は小ぶりで、武器として使うにはお粗末すぎた。しかし一応は手入れを済ませており、鞘の中に眠る刃には十分な切れ味がある。

 グレンは待望の品を前にして、口の動くままに言葉を連ねた。どこか熱に浮かされたような気配がある。


「良かった。それを僕に貸しておくれよ。手持ち無沙汰で肩身が狭かったんだ。今日からでも頑張って働いて、稼げるだけ稼いで、アルフさんに恩返しを……」


 そこで幼い口が止まる。ナイフを逆手持ちにしたアルフレッドが、柄でグレンの額を小突いたからだ。痛みは無くとも意表を突かれた形だ。真意を読みきれなかったグレンは、額の柄をそのままに眼を丸くした。


「えっと、どうして……」


「その歳で金だなんだと言うんじゃないよ。ガキはガキらしく、大人に甘えてりゃ良いんだ」


「でも、僕達は本当の子供じゃないし」


「今更2人くらいどうって事ねぇよ。食ってくだけの金はあるんだ」


「だけど、家に住まわしてくれるて、ご飯も出してくれる。それにミレイアを助けてくれたお礼だってまだ……」


「ミレイアから聞いたぞ。親を亡くしてからお前が頑張って2人分稼いだんだってな。強ぇよ、中々出来る事じゃない」


 唐突な言葉ではあったが、少年の胸中は激しく揺さぶられた。心に渦巻く複雑な感情は、うねりを生み、やがて落涙となって現れた。


「良いか、もう無理しなくていい。お前はお前の人生を生きていけ。ここには家事やら魔法やら、剣術の先生が居るだろ。好きなように学べば良い」


「僕は、どうしたら良いの。アルフさんには返せないくらい大きな恩があるんだ」


「そうだな。じゃあ立派な大人になれ。そして稼いだ金で酒でも奢ってくれ」


 額に乗せられた柄は、ゆっくりとグレンの目の前に移された。貸してやる、の合図だ。


「それがお前に出来る、唯一の恩返しだよ」


 グレンは滲む瞳を袖で拭うと、ナイフを手にした。鞘を払ってみる。すると、曇りなき刀身が日差しを受け、眩いほどの輝きを見せた。


「すごい、キレイだね」


「一応は想い出の品だ。好きに使っていいが、壊さないよう気をつけてくれ。もっとも、オレが使ったんじゃ、その日の内におっ欠いちまうがな」


「もちろんだよ。絶対大切にするね」


 そう言って鞘にしまおうとした時だ。背後から甲高い歓声が、まるで地面から吹き上がったかのように巻き起こる。


「お兄様、とうとうナイフを手に入れましたのね!」


 成り行きとはいえ、ウカツすぎた。ミレイアが抱く刃物への執着心は、数日眠ったくらいで忘れる程度ではない。


「グレン、逃げろ」


「えっ。でもどこへ?」


「良いから走れ、ここが恩の返しどころだぞ!」


「さっきは唯一だって言ってたじゃないか!」


「だったら唯二つだ、とにかく逃げんだよ!」


 グレンは急かされるままに駆け出した。その背中を追うミレイア、それを遊びだと解釈したシルヴィアも続く。


「待ってください、お兄様!」


「捕まらないよ。僕は駆け足に自信があるからね」


「そんな事は初耳です!」


「この前自信がついたんだよ!」


 追いかけっこは長々と。彼らは付近の丘陵を駆け回るうち、本格的に遊びらしくなり、笑い声が聞こえるようになった。腰にナイフを差した少年の顔には、確かに屈託のない笑顔が浮かんでいた。


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