第11話 はじめての遠征

 豊穣の森を縦に貫く影が3つ。目にも留まらぬスピードは、さながら夜空を駆ける彗星のようだ。

 その先頭を行くのは魔王アルフレッド。乗り気でないのを隠そうともせず、あくびを漏らしたかと思えば腹を乱雑に掻く。そんな仕草を晒す間も足だけは止まらず、人智を超える速さには全く陰りを見せない。


「なんでこんなに早く走れるんだろ……」


 グレンは魔狼の背中にしがみつきながら、前を行く姿を凝視した。そこから隣に眼を向ければ、エレナが必死に追いすがる姿も見える。彼女も過分な程に速いのだが、顔色からしてアルフレッドには到底及ばない。この場で分かるのは、それくらいのものだった。

 唖然としながら行軍を眺める事しばし。深き森をあっさりと抜け、眼前に街道が見える様になる。道の先にあるのは王都レジスタリア。走って半日の距離を既に走破してしまった事になる。


「凄い……この人達は本当に……?」


「そろそろ降りろ。こっからは歩いてもらうぞ」


「は、はい! わかりました」


 魔狼を一旦森の方へと返し、一行は夜の街道を歩き始めた。月明かりのお陰で行く手を見失うほど暗くはない。そもそも遠くの平地には、煌々と輝くかがり火があるのだから、足取りはスムーズだ。悪く言えば向こう見ずだ。


「あの、魔王様?」


「アルフでいい。畏まった口調もいらん」


「ええと、アルフさん、大丈夫? 見回りとか居るかもしれないけど」


「お前は余計な事を気にするな。それよりも、商会の位置は知ってるんだろうな?」


「それはもちろん。噴水広場から1本裏手に入った所にあって……」


「知ってるなら良い。あとで道案内を頼むからな」


 それからも我が物顔で夜道を進んでゆくが、幸いにも見咎められる事はなく、グレンは胸を撫で下ろした。しかし、王都が近づくにつれ、徐々に顔が青ざめていく。


「外門が閉まってる……!」


 警戒は厳重だった。入り口は鉄扉で固く閉ざされており、見張りの数も十分のように見える。


「朝まで待たなきゃダメかな。でもこうしてる間にも、ミレイアは……!」


「エレナ、偵察に行ってこい」


「任された」


 ここでも対応の早さが、グレンの危惧を置き去りにした。やがて暗がりからエレナが現れ、朗報を告げた。


「北西に綻びがある。居眠りする衛兵を見かけたぞ」


「よし。夢の世界から戻る前に行くか」


 話がまとまれば迅速だった。アルフレッドはグレンを肩に担ぎ、エレナからは縄を受け取る。それから夜空を舞うと、一息で城壁の上に躍り出た。すかさず縄を降ろしてエレナを引き上げ、裏階段を降りたなら既に侵入は成功していた。


「すごい……こんな簡単に潜り込めるだなんて」


「気を抜くなよ。まだ妹は敵の手中なんだぞ」


「う、うん!」


 グレンの先導で路地裏を進んでいく。辺りは薄暗いとはいえ、姿を隠せる程ではない。その為、浮浪児に連れられた大人、特に銀鎧の女騎士は悪目立ちした。

 それでも騒ぎ出す者は居ない。少年少女は木箱の中を漁り、飲んだくれは安酒の瓶を枕に横たわるばかり。せいぜい野良猫が毛を逆立てて威嚇したくらいだ。


「あそこだよ、アルフさん」


 グレンの指が物陰から伸びる。その先には、大きな屋敷があるのだが、どこか不穏な気配が漂う。屋敷を覆う壁は高く、入り口では不必要な程かがり火が焚かれている。更には周囲を守る男たちの存在も異様で、殺気立つ気配を隠しもしなかった。


「中に何人居るんだろう。僕がコッソリ見てこようか?」


 グレンも何かしら働きたい。そんな想いからの提案だったが、無意味だった。アルフレッドはエレナを従え、さも1杯飲んでいくかという気楽さで、正面から乗り込もうとしたのだから。


「止まれ。何モンだてめぇ」


「ここにミレイアという女の子が居るだろう。返してもらうぞ」


「フザけた事言ってんじゃねぇ。殺されてぇのか」


「もう1度言ってやる。大人しく返せ」


「うるせぇんだよボケが!」


 見張りの男達は剣を抜き打ちざまに斬りかかった。それよりもエレナの拳の方が早く、1人は鼻っ柱を潰されて気絶した。しかし、それはマシな方だ。

 もう片方はアルフレッドの払う手のひらに襲われてしまった。たったそれだけの事で、男は不条理にも回転して転がっていく。さながら疾走する馬車の車輪だ。不運な男は壁に衝突しても止まることを許されず、そのまま90度の角度を登り、夜空を舞うこととなった。

 そして重力に従って屋根に叩きつけられる。命が辛うじて残されたことは、幸運のお陰としか言えない。


「今のは何の騒ぎだ!」


「おいテメェら! ヴィラド商会にケンカ売ってタダで済むと思うなよ!」


 気色ばんだ男たちが屋敷の中から次々に飛び出した。そして果敢にも、いや無謀にも攻めかかるのだが、結果は同じだ。エレナによって泡を吹くほどの打撃を受けるか、あるいは魔王の手のひらで夜空を散歩するか、そのどちらかに帰結した。

 この光景に最も驚いたのはグレンだった。想定を上回る強さに、腰が抜けてしまったのだ。


「アルフ王よ、粗方は潰したと思われる」


「よし。お邪魔すっか」


 アルフレッドが背後に手招きをした。それでグレンは、ほとんど這うようにして後を追いかけていく。


 そうして踏み込んだ屋敷の中はというと、やはり豪邸だった。エントランスは大部屋の大理石造り、真紅の上質な絨毯が道を成し、各部屋へと繋がる回廊まで続く。

 そして回廊から見える中庭も上等で、手入れの行き届いた草木に彩られ、水路が鳴らす水の音も心地よく響く。極めつけは室内外を問わずに置かれる調度品で、豪奢なことに全てが高級品であった。住まう者たちの悪辣さに反して、美しい輝きを放つのだ。


「へぇぇ。中はご立派なもんだな、金持ち趣味ってやつか」


「王よ。まさかとは思うが、盗みを働くつもりか?」


「誰が。頼まれたってやるかよ」


 アルフレッドは絵画やら壺やらを視線を巡らせ、裸婦の銅像をペシリと叩いた。それは50万ディナくらいだと聞けば、半笑いになりながらも像のフトモモに耳垢をこすりつけた。

 

「さぁてと。囚われのお姫さんはどこですかねっと」


 捜索は騒がしく。木目の美しい扉を蹴破り、周囲の気配を探っては次の部屋。やがて出入りが面倒になり、壁に大穴を空けながら屋敷を巡った。終いには外壁をも破壊したので、豪邸は無惨にも虫食いだらけとなってしまう。


「ううーーん。やっぱ居ねぇか。気配がしなかったもんな」


「えっ。だったらここまで壊す意味あったの!?」


「別の場所に匿われてんのか、そうだとしたら厄介だ」


「王よ、こっちに来てくれ」


 エレナが通路の脇を指さした。そこは行き止まりだが、床に錆びついた扉がある。


「これは……正解ルートかもな」


 取手を引くと酷く軋む。力任せにこじ開けてみれば、そこは降り階段だった。ムワッとむせかえる湿気と酒の匂いから、鼻を摘みながら降りていく。


「ここは詰め所か、見張りか。いよいよ信憑性が増してきたな」


 目に飛び込んできたのは小部屋だ。薄汚れたテーブルには酒瓶と大皿に盛った木の実。そして賭け事でもしていたのか、カードと小銭が辺りに散らばっていた。アルフレッドは卓上の木の実を鷲掴みにし、口にするなり「塩加減イマイチ」と辛辣なコメントを残した。

 その次に向かったのは小部屋の奥だ。


「ここが1番怪しいぞっと」


 鉄扉は観音開き式なのだが、どこにも持ち手が無い。仕掛け扉である。しかしそんな小細工も魔王の前では無意味、ただ蹴破られるだけだった。

 進んだ先は一層薄暗い部屋だ。かなり広く、暗がりには至る所に鉄格子が見えた。


「ミレイア、無事だったのか!」


「お兄ちゃん!」


 格子を隔てて兄妹が抱き合う。震える手も、滴り落ちる涙や嗚咽も、全ては生きている証であった。


「待ってて、今鍵を探してくる……」


「はいはい退いてね、お2人さん」


 場違いな声とともに牢屋はアッサリ壊される。歪んだ格子の間から何人もの少年少女が飛び出した。ちなみに彼らの手枷も、手刀によって完全に取り払われた。


「みんな、急いで逃げよう!」


「待て待て。走ると転ぶからな、一列になってゆっくり歩け。前の人を押さないように」


「えぇ……?」


「さぁ行くか。傷薬なんて無いからな、怪我しても知らんぞ」


 帰路も逃走劇には程遠い。まるで施設見学でもするかのように、整然と並び、堂々と歩を進めた。階段を昇り、回廊をひたすらにお行儀良く。


「なぁエレナ、お前の字はキレイか?」


「どうした急に。一応は程々に書けるが」


「ちょっと思いついたことがある。あとで一筆頼む」


「何を企んでいる。良い顔してるぞ、得物を見つけた獅子のようだ」


「そいつは後でのお楽しみってやつだ」


 どこまで行っても緊張感は欠片もない。そしてとうとう屋敷から脱出したのだが、最後の関門が行く手を阻んだ。辺りを屈強な男たちが取り囲んでいる。手には斧だの槍と物々しい。

 その私兵の中央が割れると、中からでっぷりと太った小男が現れた。


「オレの居ねぇ隙に、随分と派手にやってくれたじゃねぇか。えぇ?」


 この男こそ商会の主、ヴィラドだ。顔を紅く染め、肩を痙攣したかのように震わせており、今にも噛みつきそうな気配である。


「野郎ども、男の方はぶっ殺せ。女は殺すな、顔を傷つけんなよ!」


 ヴィラドの号令にオウという返事。辺りを揺るがすほどの大音声は、子供達から立ち上がる気力を奪い去った。絶望の結末。三方から押し寄せる敵。

 さすがの魔王も分が悪いかといえば、全くそんな事は無かった。猛々しい怒号は悲鳴に取って代わられるのだから。


「ぐぇ……っ!」


「なんだ急に、どうした……ギャアア!」


 アルフレッドが手を差し出すと、男たちは1人2人と吹っ飛んだ。魔法にしては威力が小さい。かと言って、魔力を精密にコントロールできるほど、彼は魔法に長けてなどいない。この反撃を真っ先に看破したのは腹心のエレナだった。


「ほう、木の実を投てきしたのか」


「いちいち相手をしてらんねぇだろ」


 攻撃の正体は、地下で拾ったオツマミだ。それを指先で投げつけ、悪漢どもを牽制したのだ。しかしその威力は十分。男たちは肩や胸に風穴を空けつつ、背後の扉まで吹っ飛ばされた。彼らに余生が残されるのかは運次第だろう。

 繰り出された反撃は、もはや掃討戦だった。間もなく、両足で立つのはヴィラドだけになってしまう。


「さてと。取り巻き連中は片付いたな」


「な、なんだこの化物は……! 本当に人間か!?」


「さぁな、別に何だって良いだろ。少なくとも、お前のような外道とはモノが違ぇよ」


 アルフレッドはそこで背後に眼を向けた。そこには、シルヴィアと同じ年頃の幼女の姿も少なくなかった。


「お前の命くらいは助けてやろうと考えてたが、気が変わった。この手で殺さねぇと気が済まねぇわ」


「ひ、ひぃぃ! 来るなぁ!」


 ヴィラドは慄(おのの)きながらも腰の袋を叩きつけた。甲高い音と共に割れたのは魔緑石だ。それは特別な技法により、魔法陣が自動生成され、凶暴なる魔獣を喚び出してしまった。


「は、はは。どうだ! さすがにコイツには敵うまい」


「魔緑石で召喚か。こんな使い方もあるんだな」


「さぁやってしまえ、草原の覇者と呼ばれし魔狼よ!」


 必死にひり出した奥の手だが、もちろん不発だ。魔狼はアルフレッドと眼が合うなり身体を硬直させ、その場で腹を見せて転がった。


「おい、何をしている! さっさと戦わんか!」


「はいはい。もう遅い時間だぞ。ヴィラド君おやすみなさ〜〜い」


「や、止めてくれ。ワシは国王にも繋がりがある……!」


「ちょっくら永久に眠っちゃいましょうね〜〜」


 この晩を境にヴィラドの姿を見たものは居ない。

 空けた朝。都の人々は、特に商会の陰に怯え続けた貧民層は、口々に事件について噂しあった。始めは恐怖混じりに、やがて目の色を変えて現場を訪れる事になる。

 悪行三昧だった男の裁かれた跡を見る為ではない。全ては1枚の看板が関心を惹いたからだ。それは教養を感じさせる美しき書体で、魔王の名前付きで書かれていた。


――中の物はご自由にどうぞ、早いもの勝ちだぞ!


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