なぎさに嘘は通じない!

ここプロ

第1話 つけない嘘(1/4)

「なあ、頼む。うちのなぎさを外の世界へ連れ出してくれないか」


 ……。


 ——え、外の世界へ連れ……え?


 春もうららかなある日の昼下がり。


 俺のもとに舞い込んだのは、思わず二度聞きしそうになるような、まさしく謎の依頼だった。


「こんなことを頼めるのは梶本しかいないんだ!」


 そう言ってがばっと頭を下げる青年。は、ひとつ歳上の先輩だった。


 俺がマネージャーをやっているサッカー部の2年生にして主将。


 工藤祐介先輩だ。


「あ、頭を上げてください!」


 深々と頭を下げる先輩に、俺は慌てた。


 ここは普通科の高校。一年生の教室。


 上級生が頭を下げる光景は嫌でも視線を集める。それも先輩みたいな有名人となればなおさらだ。


 とりあえず外に。そう言って先輩を廊下へ連れ出した。注目を遮るように、後ろ手で扉を閉める。


「引き受けてくれるのか? さすが梶本。話がわかるな!」


「まずその頼みというのを詳しく聞かせてもらえますか」


 息の粗い先輩をなだめるように言う。


「すまん。妹のこととなるとつい」


 先輩は頭を掻いて苦笑いをした。


「単刀直入に言う。うちの妹、なぎさはひきこもりだ」


 ひきこもり。思わずその言葉を胸のうちで繰り返した。


 自分の殻に閉じこもる、心の病。快活な先輩の口から聞くのは珍しい言葉だ。


「もう6月になるけど、入学式から一度も学校に来れてない。

 自然と気持ちの整理がつけばと思ってたけど、もうそろそろ限界なんだ。

 なぎさの単位と! 俺の心配がっ!」


 先輩の涙目が俺に迫った。背後は壁。逃げられそうにはない。


「い、いったん落ち着きましょう」


 とりあえず肩を掴んでいる先輩の手を引き離した。


「ひきこもり、ですか。外の世界へってそういう意味だったんですね。

 でもなんでそんな頼みを俺に?」


 おい、お前ちょっと引きこもりを矯正してこいよ。


 なんて頼みは普通、部活の後輩に言いつけるようなことじゃない。


「専門家に頼むのが妥当だと思いますけど」


 当たり前の意見を返す。すると先輩はしれっとした顔で言ってのけた。


「え、だってお前が専門家じゃん。お前も三か月引きこもってたし」

「——。……二か月と三週間ですよ」


 突っ込みにため息が混じった。


 確かに俺は中学のころ、いわゆる“引きこもり生活“を謳歌していた経験がある。母校が同じだった先輩はもちろん知っている。


 しかしそれを指して専門家と称されるのは初めての経験だ。


「カウンセラーとか教師とかは、もうさんざん手を尽くしてくれたさ。でもだめだった。

 だったらもう経験者しか頼るアテはないだろ。

 餅は餅屋。引きこもりには引きこもりだ!」


「その理屈はどうかと思いますが」


 目には目を、みたいな感じになっている。いやこの際そんな話はどうでもいい。


 百歩譲って俺が引きこもりの専門家であるとしよう。


 けど決して引きこもりを治療できる専門家ではない。


「ほかならぬ先輩の頼みですし、力になりたいのは山々です。でも正直、お役に立てる自信がありません」


 丁重にお断りを申し上げる。しかし先輩も必死なのだろう。まるで退く姿勢を見せない。


「頼む! やるだけやってくれ! 大事な妹なんだ!」

「無理ですって!」


「頼む!」「無理です!」


「頼む!」「無理です!」「頼む!」「無理です!」「頼む!」「無理です」「頼む!!」「無理です」「頼む!!」「無理です……」「頼む!!」「無理……」「頼む!!」「む……「頼むッ!!」


「——。話してみるだけ……ですよ」


 結局、押し切られるまで三十秒と保たなかった。


 これがNOと言えない日本人と、YESと言わせる日本人の差なのかもしれない。


「あんまり期待しないでくださいね」


 力なく吐き出すと、先輩は


「いーや、期待する! 無理してくれとは言えないけどな」


 そう言って笑った。


 その顔が本当に嬉しそうで。だから俺はこう返すしかなかった。


「やるだけ、やってみます」


 そんな返事はしたものの。正直、このときの俺は何もわかっていなかった。


 この口約束が。


 元・引きこもりの俺と、現・引きこもりの彼女との出会いが——


 静かで、穏やかで、無気力な俺の学校生活を劇的に変えてしまうことを。








——なぎさに嘘は通じない!——








 さてその日の放課後。俺は先輩の家に赴いた。


 ごく普通の一軒家。そこに、先輩は妹と二人で暮らしている。


 先輩の父親は単身赴任に出ていて不在。母親は先輩が小学生の頃に亡くなったらしい。


 だから先輩が学校にいる間、妹はずっと家にひとりでいるわけだ。


 心配な気持ちもわからなくはないな。俺は先輩の後について、静かに玄関を上がった。


「俺に急用が入ったって設定でいこう。その間、なぎさには客である梶本の相手をするよう伝えておく。

 梶本は俺が戻るまで妹と喋ってみてくれ。少しでもたくさん。今日はそれだけでいい」

「妹さん、俺(きゃく)の相手なんてしてくれるんでしょうか」


 引きこもりが来客を快く迎えるとは考えにくい。先輩も微妙な顔で首をひねった。


「どうだろうな……。でも兄妹仲はそんな悪くないはずだし、梶本に会うくらいの頼みは聞いてくれると思う。

 ってか思いたい」

「妹さんってどんな感じの人なんですか」

「おぉ! よくぞ聞いてくれた!」


 俺の質問に、先輩は嬉々として妹のことを語った。


 大半が妹の可愛さを語る内容だったが、そんな中にもふたつほど興味を引かれる内容があった。


 ひとつは先輩の妹が俺と同じクラスに所属していること。あまり気に留めたことはなかったが、うちのクラスには新学期から一度も姿を見せていないクラスメイトがいる。


 名前は、工藤なぎさ。それが先輩の妹さんなのだそうだ。


 そして二点目は、その工藤なぎさが特殊な能力を身につけていることだった。


「うちのなぎさには、嘘が一切通じない」

「——え?」


 思わず間抜けな声を漏らしてしまった。


「それ、どういう意味ですか」

「父親が詐欺にあったことやら、家族関係のごたごたやらが災いしてね。まあ原因について詳しい話は省くけど、なぎさは嘘ってモノに対して限りなく過敏な体質になったんだ。

 どんなに優しい言葉をかけても、それが本心からのものじゃなければ一瞬で見抜かれる。何人ものカウンセラーがそれで部屋から追い出された」


「あの、その話どこまで」

「もちろん全部、本当だ」


 即答だった。

 真剣そのものの顔。冗談を言っている感じじゃない。


「相手の表情とか声色、身体の微細な震え、態度。そういうトコに現れる違和感……みたいなのが、なぎさにははっきりと見えてしまうらしい。

 もちろん心が読めるわけじゃない。でも言葉が嘘かどうか判定に関してだけ言うなら、なぎさの目を欺くことは不可能だ。

 その精度は兄の俺からも保障しておくよ」


 不可能……呟いて、俺は息をのんだ。


 話がもし本当なら、それはもう鋭いとかどうとかの次元じゃない。超能力の領域だ。


 それこそ素人の出る幕ではないんじゃ?


 口に出そうとして顔を上げると、先輩はすでにリビングの出入り口にいた。 


「じゃ、俺は出かけることをなぎさに伝えてくる。なにか問題が起こったら連絡をくれ。あとは頼んだぞっ!」

「え、ちょ!」


 かちゃっ。呼び止める声は、扉の閉まる音に掻き消されていた。


 嘘が100%見抜かれる。そんな人間と接したことはない。


 ソファの背もたれに身体を預け、天井を仰ぐ。先輩の言葉が耳に残って消えなかった。

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