第26話 真司とカナデさん(おまけ1/3)

 うららかな春の日差しが、自室の床と、そこに寝っ転がっている俺を照らした。


 なつかしいコミック本を片手に寝返りを打ち、ごく稀に体を起こしては飲み物を口に運ぶ。


 青春真っ盛りの中学2年生にあるまじき怠惰の時間を謳歌していた。


 ああ


 素晴らしきかな


 青春の無駄遣い


 わけのわからない一句を胸の内で吟じ、読み終わった漫画をくしゃくしゃのベッドに放り投げる。


 父親の実家に下宿暮らしをすることになって2か月。部活を辞めて1カ月。


 最初は時間を持て余した引きこもりライフも、俺の身体に馴染みつつあった。生き物にはその場所の水に馴染む力があるという。


 水がないのであれば、水がない生活にも馴染める力があるということなのだろうか。


 腹が減った……ような気がする。何か腹に入れるかな。暇つぶしに。


 数時間ぶりに腰を上げると、体の節々から小気味のいい音が鳴った。それに混じり、机からスマホの振動音が聞こえた。


 着信の内容に興味はなかった。しかし、まともな生活をしていた頃の習性が残っていたのだろうか。何の意識もなくスマホに手を伸ばすと、俺はメッセージを開いていた。

 


“顔がみたくなっちゃった。いまから祐介くんと家に行くね☆

カナデ“ 



 可愛らしい挨拶と、手短な要件がカナデさんからのメッセージには記されていた。


 へぇ、カナデさんたち来るんだ。


 カナデさんが来る……。


「……。ッ!」


 声にならない声が喉の奥から漏れた。そしてすぐさま俺は押し入れを力いっぱい開けた。


 ビニール袋から真新しい金具を取り出す。南京錠だ。それをドアに取り付ける。


 そして次は板と釘を取り出し、部屋の出入り口に打ち付けた。


 全ては彼女のとして、通販で取り寄せておいたものだ。


 あとは……窓だ。俺は雨戸を閉め、更にガラス窓をテープで張り付けた。災害対策に使われる強力な目張り用テープ。


 左右に力を加えてみる。よし。ピクリとも動かない。


 進入経路を塞いだことを確認し、部屋の中央で感覚を研ぎ澄ます。


『おじゃましまーす♪』


 階下から朗らかな声が聞こえる。


 どうも婆さんは獣の侵入を許しやがったらしい。


 くそ、入れるもんなら入ってきやがれ……!


『あれれー? 鍵がかかってるよ。ねえ、入れてよー』


 かちゃ、かちゃと扉が振動する。


『もしくは出てきてくれてもいいんだよー?』


 勘弁してくれ……。俺は決して扉の外の相手に聞こえないトーンで悪態をついた。しかし膝の震えは止まらない。


『——しょうがないなぁ。じゃあ自分で開けるね。

 状況開始』


 その言葉を最後に、かちゃかちゃと震えていたドアノブの動きが止まる。


 そして数秒の沈黙の流れた瞬間だ。ドアと壁の隙間から、無数の刃の生えた楕円形の金属が俺の前に突き出された。


 ノコギリ? いや違う。


 チェーンソーだ。


『すいっち、おん♪』




 ウ“イィィィィィィィッッ!!!!!!!!!!!!!




 可愛らしい掛け声とともに、刃の回転が始まる。壁の削れる音と、唸るようなエンジン音が六畳の部屋に鳴り響く。


 マジかよこの人!


 俺は両耳を押さえながら、その場にへたり込んだ。チェーンソーの刃が目の前で上下し、留め金を吹っ飛ばしてゆく。


 南京錠は火花を上げながらも10秒くらいは耐えていた。が、それ以上の足止めにはならない。


 張ったばかりの防衛線が無残な破片となって床に散ってゆく。


 絶、句。


 それ以外に表現のできない心境のまま、呆然と扉の倒れる姿を目で追った。


 ただの“侵入口”と化した場所の先には、白いブレザー姿の少女がチェーンソーを抱えて立っていた。


「久しぶりね、真司くん。1日ぶりくらいかな?」


 カナデさんがニコっと笑う。俺はひきつった笑顔さえ返すこともできず、金魚みたいに口を空けていた。


「あれれ? 先輩に挨拶は? 礼儀がなってないぞぉ」


 そう言ってひときわ笑顔を輝かせると、カナデさんの抱えている重工具のエンジンがかかった。


 ウィィッィィィッィ!!!! とけたたましい音を立て、刃が回る。


「お、お久しぶりです先輩!」

「え? なぁに聞こえないよ? 大きな声でお願ぁい」

「おひさしぶりですせんぱいっ!!!!!!」


 腹の底から声を張り上げたところで、ようやく彼女に抱っこされているモンスターは唸り声を止めた。


「カナデ……これさすがにやりすぎじゃないか?」


 床に飛び散った金属片を見下ろし、カナデさんの一歩後ろに立つ祐介先輩が言った。彼は俺の所属していたサッカー部の先輩で、部長でもある。


「だいじょーぶ、家主の許可はもらってるし。それに今日はちょっと力技でいくって言ったでしょ?」

「チェーンソーを使うとまでは聞いてなかったけどな……」

「もう! 可愛い後輩が外に出る為なんだから、細かいこと言わないの!」


 細かいか?


 たぶん俺と祐介先輩の意識はその瞬間、確かにシンクロしたと思う。だが弱い男子二人は何も言い返すことができなかった。


 見た目だけで言えば、カナデさんは見るからに「か弱い乙女」だ。大人しい印象を与えるタレ目に、緩やかなツインテール。ぶかぶかのブレザー。身長は俺の肩ほどしかない。威圧感なんて言葉からは程遠い少女だ。


 こんなチェーンソーさえ手にしていなければ。


「さてと、真司くん。そろそろ引きこもり卒業して、部活に戻る気になってくれたかな?」


 腰を下ろし、俺と同じ目線に合わせてカナデさんが問う。俺は目を逸らすと細かく首を横に振った。


「な、なりませんよ」

「もう歩けるくらいには治ったのよね。運動不足は身体に毒よ?」


 カナデさんは俺の足に視線を釘づけた。事故で傷を負った俺の足に。


「ええ。確かに、日常生活に支障のないくらいには戻りました。

 でもまだ駄目です。心の傷が癒えませんから」


 俺はハンカチで涙を拭うような仕草をして見せた。場を誤魔化すためのジョークのつもりで、だ。


 しかしカナデさんは「それを言われるとやりづらいなぁ」と軽いため息をついた。ハリセンか何かで突っ込まれるかと思っていただけに意外だった。


「ま、いいわ。選手を元気づけるのもマネージャーの仕事だものね。……じゃじゃん!」


 大仰な効果音を口にすると、カナデさんはバッグから折りたたまれたピンクの布を取り出した。開くと、それはエプロンだった。


 そしてなぜかエプロンのポケットには、スクール水着がしまいこまれていた。


「真司くんの為に用意してきてあげたのよ。

 さて問題です。これを使って、私はどうキミを元気にしてあげるのでしょう?」


 エプロンに、水着? それらを同時に使って元気に……。


 瞬間、脳裏にはあらぬ映像が。あられもない映像が浮かんだ。


「ね、ね? 想像力と妄想力を働かせて考えてみて?」


 カナデさんが吐息のかかる距離でささやく。甘い匂いが鼻をくすぐる。祐介先輩も心なしか頬を紅くして目を逸らしていた。


 男子二人の意識は確かにシンクロしていたと思う。


「ぶぶー、時間切れ。正解は」


 言うとカナデさんは刻んだ野菜の入ったタッパーを取り出した。


「エプロンだもの。料理に決まってるよね」





「「え? 水着は?」」





 俺と先輩の声が重なった。カナデさんは目を細めると「水着はたまたま入ってたのよん」悪戯な笑みを浮かべてそう言った。


 エプロンのポケットにたまたま水着が入ってるなんてことあるか?


「なぁに? 二人はどんな健全な想像をしてくれちゃったのかな?」


 ぐうの音も出ない男子二人。俺と先輩が押し黙るのを見て、カナデさんは満足げだった。


「じゃあ私は簡単なもの作っちゃうね。どうせ何も食べてないんでしょ?」


「……」


「台所借りるね。祐介君は扉の修理をよろしくっ」


「え、直すの俺?」


 面食らった裕介先輩を残し、カナデさんは台所へと消えた。


 登場から退場まで嵐のような人だ……。再び俺と先輩の考えはシンクロしたと思う。







 部屋に残された男子二人で、扉の修理に取り掛かった。


 祐介先輩はカバンから工具や釘を取り出すと、手際よくドアをもとの状態へと修繕していった。


 さすがはカナデさんの彼氏。ある程度の無茶は慣れっこのようだ。


「カナデからドライバーとハンマーを用意してくれって言われたけど、こういうことだとは思わなかったな」


 祐介先輩は笑いながら金槌を持つ手を動かした。


「まあ、いつもむちゃくちゃな方法でお前を外に出そうとするけどさ。カナデはカナデなりに考えてやってくれてんだ。

 それだけはわかってやってくれな」

「——どうして、ここまでやるんです」


 部屋に散乱した木の破片を拾い上げて、俺は尋ねた。


 カナデさんは全国を目指すサッカー部のマネージャー、祐介先輩は部のリーダーだ。決してヒマな立場の人たちじゃない。


 俺は事故の前まで確かに上手いと言われるプレーヤーだった。でも事故で傷を負った今となっては、もう二度と昔と同じプレーはできないと医者に言われた。


 戻ったって戦力にはならないのだ。それは二人も知っているはずなのに。


 俺の問いに先輩は考える間もなく返した。「やりたいからやっているだけだ」と。


「またお前が外に出ることができたら、一緒にプレーをしたいと思ってる。

 純粋にそれだけなんだよ。カナデも、俺もさ」


 先輩はあっけらかんと言った。


 その温かい言葉はもしも。もしも俺が事故に遭う前の俺であったなら、自棄になる前の自分であったなら、心を揺さぶられた言葉かもしれないと思った。


 いつかは事故で壊れたものが治って、元の生活に戻る日が来るのだろうか。


 カナデさんと祐介先輩の差し出す手を取って、外に出る日が来るのだろうか。

 

 そう思ったとき一瞬だけ、カナデさんと祐介先輩と、並んで立つ自分の姿が眼に浮かんだ気がした。

 

 でもすぐにそれは消えて、元の空虚な六畳間が視界を満たした。


 俺はため息を呑みこんで視線を落とした。金槌の釘を打つ音が、妙に耳の奥に響いて聞こえた。

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