第27話 真司とカナデさん(おまけ2/3)


 “今から行くね。 カナデ“


 平日18:30、ちょうど世間では部活や仕事を終えた人たちが帰途につく頃。俺のスマホにいつもの短いメッセージが入った。


 一つ深呼吸をして、侵略者の出現に備える。扉に鍵。窓に目張り。そして前回の“チェーンソー事件”の教訓を生かして、ドアにはワイヤーチェーンを取り付けた。


 流石にカナデさんもバーナーとかワイヤーカッターまでは持ち出さないだろう。……持ち出さないと思いたい。


 よし、きやがれ。


 それは覚悟を固めたのとほぼ同時だった。目張りした窓ガラスが、明らかに風ではない力によってがたがたと震えだした。


『あれ……? 開か……い』


 雨戸の外から独り言が聞こえる。今日は窓から侵入を試みたらしい。


 どういう状況になっているかは知らないが、窓のレールに手をかける不十分な状態で工具を使うことはできないだろう。


 ていうかこの家、窓の外に足場はないんだが。どうやって登ったんだ?

 

『ねー開けてよー。カナデせんぱいのお出ましだよう』


 甘えるような、懇願するような声が外から聞こえる。我が宿敵、雉場きじばカナデの口から未だかつて聞いたことのない声だ。


 勝った! 初勝利だ!


 勝ちを確信し、用意しておいたグラスにオレンジジュースを注ぐ。そしてグラスを高々と掲げ、乾杯の所作をした。


 我ながら妙な祝杯をあげていると思うが、人目がなければ怖くない。なんせ引きこもりだからな!


 グラスを口に運ぼうとした……その時だ。


『え? ……あ……っ』


 かたん、という音と、短い声が外から聞こえた。そして次の瞬間には『う……そ。嫌……』わずかな音ではあるが、確かにそんな声が聞こえた。


「——どうしたんですか、カナデさん」


 窓に寄って問う。


『落ち……助け……』


 断片的ではあるが、状況が伝わるには十分の一言だった。


 サッシに指先をかけて歯を食いしばるカナデさんの顔が浮かぶ。


 やばい、やりすぎた。居てもたってもいられなくなり、俺は窓のテープをはがし始めた。


 カナデさん対策はいつも片づけが面倒なので、なるべく早く回収のできる張り方をしていたことが功を奏し、十数秒程度でテープを全てはがすことに成功した。


 しかしその時には外からの声は聞こえなくなっていた。


 頼む、間に合っていてくれ……祈るようにして雨戸を開く。


 目の前に満面の笑みのカナデさんの顔が飛び込んだ。


 “ドッキリ大成功”


 そう書かれた看板と共に。


「グッドイブニング♪ 真司君」


 なぜか英語で挨拶を寄越し、カナデさんは窓から上半身を見せた。そして“ドッキリ大成功”の看板と、腰に巻かれた命綱らしきものと、映画でスパイが壁を登るときに使ってたヤモリの手みたいな形をした手袋を、庭へと放り投げた。


 片手で全身を支えながら。忍者かこの人。


「あらら、どうしたのかな? ハトが豆鉄砲食らったみたいな顔して」


 困惑の底から戻るので精一杯の俺に、カナデさんは余裕の笑みを浮かべて見せた。


「いや……ほっとしたの半分。あとの半分は……」

「半分は?」


「やっぱこの人、半端ないなって思って」

「目的のために手段を択ばないトコがチャームポイントなのよん」


 そんなチャームポイントは聞いたことがねぇ。よっぽど言い返したかったが声にはならなかった。


 この人のやることにはいつも思考を吹っ飛ばされる。


「さて、いまから部屋に上がらせてもらうわけだけれど……。

 真司くん。キミはさしあたって後ろを向いているといいと思うな。私がいいと言うまで」


 もう好きにしてください。そんな言葉が喉元まで出かかり、体の向きを変えようとしたその時だ。


 身体に沁みついた警戒心が叫んだ。ここで背中を向けていいのか、と。それもあのカナデさん相手に。


「どうしたの? ね、早く」

「その手には乗りませんよ。俺が後ろ向いたらまた何かするつもりなんじゃないですか」


 カナデさんを直視したまま身構える。警戒する俺と対照的に、カナデさんはきょとんとした表情を見せた。


 そして少し考えるような仕草をしたのち、小さく息をついた。


「真司くんに問題です。学校帰りにキミの家に立ち寄った私は、いまから真司くんの部屋に上がろうとしています」

「? 何を」


「そして学校からそのまま来ているため、格好はもちろん、制服のままです。

 よって今、キミの位置から見えていない私の下半身はスカートを装着しているわけです。


 そしてこれから膝を上げて部屋に上がろうとしています。


 さて、真司くんはどんな素敵な光景を見ることができるのでしょうか」


 突然の問答に、しばし間抜けな相槌しか返せずにいた。


 けれどカナデさんの言わんとしていることを数秒遅れて理解し、体が熱くなるのを感じた。


「答え、わかったみたいね。なのにまだこっち向いてる。

 すけべ」


 向けられたじと目に押されるように、ほとんど反射で俺の身体は反転した。


 恥ずかしさが大半、驚き少々。悔しさわずか、プラスその他といったところだろうか。感情のブレンドが複雑すぎて自分でもよくわからない。


 だが心の端に引っかかる何かが俺の中で囁いた。


 このまま……やられっぱなしでいいのかと。


 辱められたままでいいのか。お前も男なら一矢を報いるべきではないのか! と。


 意味のないプライドだとはわかっていた。けれど俺はそれを実行せずにはいられないと思った。





 今このタイミングで後ろを向くこと。


 即ち、カナデさんのパンツを見てやるということをッ!!!!!!!!!!






 後の事なんて考えていなかった。カナデさんがどういう反応をするかなんて読めないが、とにかくやられっぱなしで終わってたまるか。


 がばっ! と、そんな擬音が聞こえるんじゃないかってくらい、俺は思い切り後ろを向いた。


 見開かれたカナデさんの眼と、俺の視線が交錯する。


 そしてその下。眼の、顎の、胸のもっと下。そこに見えたものは。


「——さっきの問題の答えはね?」


 カナデさんは部屋に降りると、短いスカートのすそをつまみあげて微笑んだ。


「カナデちゃんお気に入りのあったかスパッツでした♪」


 畜生めッ! 


 声にならない悲鳴を上げて、俺は拳を床に打ち付けた。


「まだまだ青いわね、少年」


 俺の前の前で膝を崩しカナデさんが頭をなでる。完全に勝者と敗者の構図だった。


「先輩のぱんつを見ようとするその心意気や良し。でも修行が足りないわね。

 早く外に出て、学校に行って、社会に出て、修業を積むべきだと先輩は思うのだけれどいかがかしら」


「は……いや、いいえ」


 どさくさに紛れて外へ引っ張り出そうとするカナデさんに、思わず意図しない返事をしそうになる。


「ひっかからないかぁ」


 カナデさんは小さく頬を膨らませて言った。本当に油断も隙もあったものではない。


「ま、いいや。簡単じゃないのはわかってるもんね」


 カナデさんは立ち上がると、部屋の出入り口へと向かった。そして慣れた手つきでワイヤーのロックを外す。


 あの、今度は何を? 聞くとカナデさんは「今日はおしまい」そう言った。


「用事が済んだからね。帰るの。私もすっごく暇なわけじゃないのよ?」

「用事ってあの……何もしてなくないですか」

「真司くんの顔を見に来たじゃない」


 あんな風に窓から侵入してまで……? 窓に視線を送って訴えると、カナデさんは柔らかく笑った。


「それ以上を望んでないかといったら、嘘になっちゃうけどね。でも時間がかかることなのはわかるから。

 手段は択ばないけれど、できたら無理やりはしたくないタイプなのよ? 意外と」


「祐介先輩といいカナデさんといいどうして」


 言葉がそこまで出たとき、口元に押し付けられた人差し指がその先の言葉を遮った。


「また真司くんと部活がしたいから。そんなの、決まってるじゃない」


 裏も表もない無邪気な顔でカナデさんは言った。


「じゃーね。また来るわねー♪」


 そう言って部屋を出ていくカナデさん。


 もう来ないでください。


 いつもなら言うはずのお決まりの一言が、今日は言葉にできなかった。

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