第28話 真司とカナデさん(おまけ3/3)

 日が傾き、時計の短針が6の数字を回る。


 部活の終わる時間帯がやってきた。襲撃者の動きが活発化する魔の時間帯が。


 机上のスマホが振動したのは、時計から目を離した矢先の事だった。着信の相手も内容も、予想した通りのものだった。


 “カナデせんぱい参上のお知らせ  カナデ”


 ——さて準備だ。


 俺は防衛線の準備を始めた。メッセージが来てからカナデさん本人が仕掛けてくるまで、いつもは大体15分。それまでに仕掛けを完成させなくてはならない。


 俺は取り寄せた特殊なテープを窓と扉に貼った。刃物で切ることはできず、はがす際は専用の溶液を必要とするものだ。


 母親から振り込まれる生活費はほとんどがカナデ対策費として計上されている。あのクソ家族もこんな金の使い方をされているとは思わないだろうな……。


 かなり細かい部分にまで貼ったが、10分とかからず作業を終えることができた。


 我ながら見事な手際。度重なる襲撃でスキルアップした自分の成長を感じる。


 こんな成長いらないが……。


 かなり時間が余ってしまった。しかし油断はならない。パワーとトリックを駆使してくるあの雉場カナデを前にして、余裕などあるはずがないのだ。


 神経を研ぎ澄まし、部屋と一体になる。秒針の音が鼓動と重なる。


 これぞ引きこもりの極致。


 カナデさん。引きずり出せるものなら、やってみるといい。


 ——。


 ——。


 ——。……。


 ちらりと時計に目をやる。メッセージからちょうど15分が経過した。


 まだ誤差の範囲だ。このまま警戒を持続する。


 ——。


 ——。


 まだか?


 いやいや、揺さぶりをかけてきているのかもしれない。油断するな。


 ——。


 ——。


 ——30分以上経ったぞ。遅いな。電車でも遅れているのか?


 集中力が途切れてきたのだろう。最初は振り払えていた雑念が濃くなってゆくのを感じた。


 色々と考えながら……表現はおかしいかもしれないが、俺は待った。40分。50分。まだ来ない。


 スマホを再び見る。メッセージが来てから一時間が過ぎた。彼女がメッセージを送ってからこれほど間を空けたケースは、これまでに一度もない。初めてのことだ。


 気が変わって帰ったのか?


 いやでも、来ることをわざわざメールで送るくらいだ。来ないならそれも連絡してくるだろう。


 だったら……相手も準備に手間取っているのだろうか。テープで密閉された窓と扉を交互に見ながら考える。


 うん、それならあり得るな。もう少し待とう。


 いや来てほしくないのに、待つって言うのも変な話だけど。


 いろいろと自分に言い聞かせつつ、俺はさらに待った。しかしまた10分経っても、カナデさんの気配すら感じない。


 なんだこれ。どういう事だ? 例のない事態に身体がざわつくのを感じた。


 こちらの動揺を誘っているというケースも最初は考えたが、どうもそういう感じじゃない。昨日は俺を心配させて窓を開けさせたが、あくまでも“出入り口を作っただけ”だ。


 昨日みたいな方法で俺を外に出すなんて手を、カナデさんは取らないだろう。


 そういう人じゃないのは、一年間部活で付き合ってきてよくわかっている。


 だったら何だ? また何か大がかりなことをしようとして……。


 そこまで考えたとき、俺の脳裏に今までカナデさんのやってきたことが浮かんだ。


 チェーンソーを使ったり、窓から侵入したり。奇天烈な印象ばかりが先行していて気付かなかったが、思えばかなり危険なことを彼女はやってのけている。


 その過程で何かがあっても不思議じゃないのではないか。


 今までは何もなかったけれど、今日も同じことが言えるか?


 俺はすぐさまスマホをとった。自分から誰かに連絡を取るのはいつ以来だろう。


 5周ほどコール音が鳴ったのち、留守番電話へとつながった。どういう状況かは知らないが、少なくともカナデさんが電話に出られない状況にあることは確かのようだ。


 もしも自分のためにカナデさんに何かあったら……。


 想像して、心臓が跳ねた。俺は立ち上がり、扉を思い切り引いた。しかし貼ったばかりのテープがひっかかって開かない。


 舌打ちをしながら溶液をぶっかけ、爪の先ではがしてゆく。軍手は用意していたが使うのは忘れていた。


 5分ほどで剥がし終えると、俺は部屋着のまま玄関へと走った。


 廊下で家主の婆さんとすれ違った。


「どこへ」と婆さんが聞いた。「外に決まってるだろう」そっけなく答えて、俺は土ひとつついていないシューズに足を入れた。

 

「左様ですか」


 婆さんの声を遮るようにして、玄関の扉を閉めた。


「お気を付けて。真司さん」


 婆さんのそんな声が、最後に後ろから聞こえた気がした。








 夕方の空気は冷たくて、とても澄んでいた。


 遠くで鳥の泣く声。電車の音。木が風になびく音。


 色々な環境音が、懐かしく聞こえる。


 家の周りにカナデさんの姿はなかった。次に可能性が高いのは、学校。俺は駅へと走った。


 通学定期は期限が切れていた。切符の券売機へと並ぶ。2・3人の列さえ今はもどかしい。切符の券売機に人が並ぶなんてそんなないだろうに。なかなか投入口に入ってくれない硬貨にさえ苛立った。


 やっとのことで切符を手に入れ、改札へと向かう。


 そこには見覚えのある姿があった。


「真司……くん?」


 カナデさんは目を丸くして俺を見ていた。



 大きく膨らんだ買い物袋を受け取り、俺はカナデさんと並んで家路についた。


「ごめんね。遅くなって。それに……心配、かけちゃったね」


 部屋着のままの俺の姿を見て、カナデさんはばつが悪そうに言った。


 俺は何も言わなかった。ただ小さく首を横に振った。


「料理の材料、あれこれ悩んでたら電車に乗り遅れちゃって。しかも寝過ごして県境近くまで行っちゃうしっ!」


 私の馬鹿! そんな風に言ってカナデさんは地団太を踏んだ。


「ごめんね。私のせいで……その、無理させて。足だって」


 カナデさんは何度も謝った。でも、違う。わかっている。


 無理をさせているのは自分だ。謝らなければいけないのは、俺のほうなのだ。


 だからもう、言わなければいけないと思った。


「カナデさん。今まで、ありがとうございました」


 足を止め、俺はカナデさんに頭を下げた。「え?」カナデさんは小さく声を漏らした。


「カナデさんが俺のために一生懸命になってくれたのはわかっています。けれどどれだけよくしてくれても、今の俺は、カナデさんに何もお返しすることができません。

 足はもう昔のようには戻らない。

 それにあの事故から俺は……」


 確かめるように胸の真ん中に手をあてた。この期に及んでも、俺の心臓は平静に動きを保っている。


 事故で全部を失って、その時から熱を忘れた心が、確かにそこにはあった。


「俺はもうカナデさんや祐介先輩みたいに、熱くなれない。

 壊れたままなんです。スポーツをするにも何をするにも一番、大切なものが。

 そんな俺じゃあ、もう一緒に部活をやる資格なんてない。それがはっきり分かったんです。だから俺は……」


 ——だから俺は全部を諦めようと思った。


 俺が諦めれば先輩たちも諦められるだろうから。俺を置いて前に進めるだろうから、と。


 俯きながら言葉をつむぐ俺を、カナデさんは真剣な顔で見据えていた。そして


「中二の少年が悟ったような口を利くんじゃありません!」


 そう言ってハリセンで俺の頭をひっぱたいた。


 いやどこに持っていたんだ。ツッコみたかったが、カナデさんの顔は真剣そのものだった。


「いい? 長いけどよく聞きなさいよ」


 背伸びをして、カナデさんが俺の胸ぐらをつかむ。


「真司くんの言う事は全部が間違ってるわけじゃない。確かにあの事故をきっかけに、真司くんはたくさんのものを失った。昔のキミと同じじゃないのは私たちにだってわかってる。


 でもね。真司くんは真司くんでしょう。

 私たちと一緒に部活をして、一緒に悔しがって、たくさん笑って、同じ時を過ごしてきた『梶本真司』はキミ自身でしょうが。


 だったらちょっと変わってしまったくらいで、私たちがキミを見捨てる理由になんてなるかッ!」


 そこまで一気に言い切り、カナデさんは俺の胸に顔をうずめた。肩で大きく息をしている。


 彼女の、熱を感じた。


「失くしちゃったなら、取り戻せばいいよ」


 今度はつぶやくようにして、カナデさんは言った。


「外に出たら、いっぱい色んなことがある。その中でちょっとずつ、ちょっとずつ取り戻していけたらいいよ。

 真司くんがサッカーをまた始められるまでには時間がかかるかもしれない。でも私や祐介くんは、きっと一緒にいるから。


 私じゃだめだった真司くんのトラウマだって、いつか壊してくれる人と出会えるだろうから。


 だから……」


 先輩の真剣な言葉。それでも心臓は全く普段の調子とは変わらない。心にまでは届かない。


 それでも、理解だけはできていた。


 カナデさんたちが、一緒に部活をしていた頃を今も大切に思ってくれていること。


 自分自身が見捨てた俺を、見捨てないでいてくれていること。


 そして俺がこれからどうすべきなのかということも。


「とにかく、今日は帰りましょうか。積もる話は明日……」


 そう口火を切り、そして


「学校で」


 そのように、言葉を続けた。






 

 それからしばらく経って、俺は一人の少女と出会うことになる。



「——嘘。しかもばれるとわかっていて嘘をついてる。

 あなた、何者?」

 


 ジャージに身を包む美少女は、冷めた瞳を俺に向けた。


 嘘の通じない少女。


 俺と同じで、心に傷を負った少女。


 向き合って、いつかの自分を見ているような気がした。


「……元、引きこもりだよ。言ってみれば専門家みたいなもんだ」


 答えながら、俺は汗ばんだ手を拭った。


 自分の嘘が全て見抜かれる。今までに感じたことのない怖さ。


 でも、目は逸らさなかった。向き合おうと思った。


 先輩たちがそうしてくれたように。


 差し伸べた手が何かを変えることだってあるんだ。


「お兄さんに言われてきたんだ。

 引きこもりの先輩として。君の話を聞きにね」






『真司とカナデさん』   了

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