第29話 帰ってきたよ(おまけ1/4)

 広い芝のグラウンドで、選手たちがボールを追いかけている。


 今日はサッカー部の試合。私は友達と応援に来ていた。


 相手は地区の強豪校。サッカーはあまり見たことがないけれど、レベルの高い試合をしているのがわかる。


 一方でうちの学校のサッカー部にも全国を目指せるだけの力がある、みたい。私はお兄ちゃんの応援を見に来たけれど、普通にサッカー部のファンとして集まっている生徒の姿もある。


「すごいねえ。サッカー部の人気。陸上なんて全然なのに。

 僕もサッカー部入ろうかな」


「け、健太郎くん。陸上の県記録もってる人がそんなこと言ったらだめだよ……」


 本気なのか冗談なのか。スマホに“サッカー 初心者”で検索をかける健太郎くんをあかりが嗜めた。


「いや、だって男の僕から見てもカッコいいもん。そりゃモテるって。

 あの10番、なぎさちゃんのお兄さんでしょ? ほら見てよ女子たちの反応」


 お兄ちゃんが相手のボールを奪うと、一際大きな歓声が沸いた。


 うちのお兄ちゃんはサッカー部のキャプテンで、一応エース、みたい。自分で言っているだけだから本当かはわからない。


 けどこの黄色い声を聞く限り、人気なのは本当なんだと思う。


 ……そんなにイイかな。妹の目線じゃよくわからないけれど。


 それよりも。


「あ、真司くんにボールが渡ったよ!」


 あかりの高い声に、私は思わず立ち上がった。相手の守備を一人、二人と抜き去り、ゴールへ走る真司くん。


 キーパーの人? と一対一になると、真司くんはボールを蹴り込んだ。ゴールの角。ここしかないという箇所に、まるで針の穴を通すようなシュートがネットを揺らした。


 再び会場に歓声が沸く。そんな中でも、きっと私が一番はしゃいでいた。そんな気がした。


「なぎさちゃん! 見た見た!? 真司くんが点を取ったよ!」


「見たよあかり! すごかったね!」


「……サッカー モテる 入門 ……と」


 手を握りあって飛び跳ねる私とあかりの隣で、健太郎くんは何か言いながら再びスマホをいじっていた。


 真司くんはピッチの隅で仲間のみんなにもみくちゃにされている。真司くんも嬉しそうにそれに応えていた。


 つい1ヶ月前までマネージャーに専念していた彼。でも今はプレーヤーに復帰し、こうして試合にも出ている。


 元々、部員の練習には付き合っていたこともあって、真司くんの実力はすぐチームに認められたそうだ。


「ねえ、今ゴール決めた子さ。ちょっと良くない?」


「あの子一年生よね。可愛い顔してるし、私声かけて来ちゃおっかな」


「ちょっとぉ! 先に目ぇ付けたんですけどぉ!」


 後ろの席から聞こえてきたキャピキャピした声。


 ——。


 私は試合の前からもう目をつけてたんですけど。にわかファンの先輩。


「なぎさちゃん……顔、顔」


 あかりに肩を叩かれ、私は邪念を振り払うように首を振った。


「ありがとうあかり。つい良くない言葉が出ちゃうところだった」

 

「なぎさちゃんは、素直、だもんね」


 素直っていうか嘘つけないだけなんだけどね。


 私の体質に気を遣ってか、あかりはそんな表現をしてくれた。


「でも、なぎさちゃんの言いたいこともわかる、かも」


 ——いまだに目立つ女子たちの歓声。心なしか最近、女子の応援が増えたような気がする。


 確かに、ちょっと前までマネージャーだった人がいきなり試合に出始めて、そしたら大活躍。目立ってしまうのも納得だ。


 顔だってちょっとカッコいいし。……こうして試合に出てるとちょっとじゃないかもだし。


 お兄ちゃんが言うには


『これまでサッカー部の活躍は俺がナンバーワンだったけど、真司が試合に出てからは時々もっていかれることがあるな』


 とのことだ。


 お兄ちゃんの人気はなんでもいいとして、真司くんの方はちょっとバブル的な目立ち方をしている。


 推してるバンドが急に売れ始めた、みたいな。元々のファンからしたらちょっと複雑な気分になるあれに近いのかも。


「私はテスト終わった7月くらいから目をつけてたんだけどな……」


「……。わたしは4月に隣の席になったときから気になってたよ」


「……」


「……」


「なになに二人とも。急に黙り込んじゃって」


 無言で顔を見合わせる私とあかりの間に、健太郎くんの手のひらが上下する。


 我に帰ったようにあかりが「な、なんでもないよ」と返してくれた。それで微妙になりかけた空気がリセットされた。


 ありがとう、健太郎くん。良くないマウント合戦が始まるところだったよ。


 こういうの、きっと真司くんは嫌がるよね。気をつけないと。


 私は再びグラウンドに視線を戻すと、真司くんがこっちに向かって手を振ってくれていた。


「ねえねえ。あの子、今私の方を見たんじゃない?」


「違うって! 絶対私でしょ!」


 ……。


「——なぎさちゃん。顔」


「あかりもね」


 お互いに深呼吸をして、とびきりの笑顔で真司くんに手を振り返す。


「よかった。こっちに気づいてくれてるみたい。

 ちゃんと目が合ったし」


 ——嘘は良くないよあかり。真司くんは私たち三人の方を見てるんじゃない?


 でも、なんかもう女の子として気持ちはわかるから、私は何も言わず笑顔で手を振り続けた。


 そして真司くんが再びポジションに戻ろうとしたその時。


 突然、彼の表情が固まった。


 そしてこちらに向かって、小さな、けれど丁寧な会釈。私たちの応援に対する反応とはちょっと違う。


 まるでお世話になった人の姿を見つけたかのような反応。


 振り向いて、真司くんの視線の先をたどってみる。


 その先は応援席の最後列。応援する人はたくさんいたけど、なぜかが目にとまった。


 緩やかな茶髪のツインテール。目尻の下がった優しそうな瞳。少し大きめのカーティガンの内側には、うちの学校の制服が見える。背は低いけれどどこか大人びた雰囲気があって、同級生ではないのがわかる。


 綺麗な人だった。あんな人、学校で見たことあったかな。


 私が引きこもりだったから知らないだけかもしれないけど。


 私が見ているのに気がついたのか、そうでないのか。


 その人は私に視線を移してにっこり笑った。そんな気がして、思わず体がお辞儀をして返した。


 ——それが私とこの人。


 雉場カナデ先輩との出会いだった。

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