第9話 なぎさ、学校へ行く(1/4)

 転校生が美少女なのは、いわゆる一種の都市伝説だと有識者は語る。


「不利だと思うんだよ。やっぱり」


 朝のホームルームがはじまる10分前。


 ゼリー飲料のパックを握りながら、日塚健太郎はクラスの女子たちを見渡した。


「可愛い子、ってのは顔だけの話じゃない。


 性格。キャラクタ。ファッション。特技。色んなベクトルを並べて、突出したモノを持ってる娘がいわゆる魅力的な少女。


 それが“美少女”ってやつなのさ。


 その点、転校生は不利としか言いようがないね。顔だけで判断される。


 ハッキリ可愛くなけりゃ美少女だと見なされるのは難しいはずだ。


 その上、受け入れる側に変な期待も混じるだろ? ハードルまで上がる」


「——言いたいことはわかった。けどこれから来る女子の話をお前がしているのだとすれば、前提がおかしくないか?

 “工藤なぎさ”は転校生とは違うぞ」


「初めて学校に来るなら同じだろ。考え方次第じゃ、転校生よりもっと不利かもしれない。


 だからさ。今日はじめて顔を見せる“工藤なぎさが美少女かどうか“というこの賭け。

 僕は『うーん、悪くないけど美少女って言えばどうかなぁ……』って展開に賭けるよ。


 負けるなんてとても思えないね」


 ゼリーを飲み干したらしい健太郎が不敵に笑う。


 今にもフハハ、とか笑いだしかねない悪役面だった。朝から元気で羨ましい。


 ていうか女子の見た目で賭けをするのはどうなんだ。


 こいつが悪い奴じゃないのを俺は知ってるが、話だけ聞かれたら怒られそうな気がする。


「まあ何でもいいけど。

 その賭け、判定はどうするんだ」


「僕の完璧な論理を知ってなお挑むか。さすがわが戦友、真司。

 いいだろう。負けを知るのも一興。思い知らせてくれようッ!」


 いや挑むとは言ってないけど。


 それにしてもセリフの端々に滲む敗北のフラグがえぐい。


 そんな心情など知らずか、健太郎は隣の席の女子、双葉あかりを指差した。


「判定はあかりにやってもらおう。それがいちばん公平だ。


 工藤なぎさを見た僕の顔が“にやけたか”をあかりがチェック。


 にやけたら真司の勝ち。表情が変わらなければ僕の勝ちだ。


 負けたほうが勝者とあかりに飲み物奢り。これでいいね」


「あの」


 あかりはおずおずと手を挙げた。


「女の子の評価をするの、わたしはちょっと……」

「大丈夫。あかりは俺のにやけ顔を評価するだけだから」


 それはそれで気が進まない仕事だろうな。あかりが困惑の表情を浮かべている。


 ——そんなやり取りをしていると予鈴が鳴った。クラスメイトたちがせわしなく自分の席へと戻って行く。


「まあ僕の負けなんてあり得ないけどな。

 真司。今日はフルーツ牛乳をご馳走になるぜ」


 そう言って頬をぱしんと叩く健太郎。戦闘モードらしい。


 なかなか精悍な顔つきをしている。動機だけが残念でならないけど。


 アホな友人から目線を戻すと、ちょうど担任が教室へ入ってきたところだった。それに続いて本日の主役、工藤なぎさが姿を見せた。もちろん全員の視線が集まる。




 ……え、モデルさん?




 誰かの呟きが聞こえた。皆が少女の容姿に見入っている。


 釘付け、という表現がこれほど似合う状況もなかった。担任がなぎさの紹介らしいことを言っているが、たぶん誰の耳にも届いていない。


 ちなみに健太郎の顔を見たら顎が外れていた。この反応は判定に入るんだろうか。


「はじめまして」


 黒髪のポニーテールを揺らして、少女が小さくお辞儀をする。


「工藤なぎさです。これからよろしくお願いします」


 長いまつげを伏せるようにしてなぎさは微笑んだ。けれど誰も反応できない。見とれたままだ。


「……?」


 時間が止まったかのような空気。なぎさが戸惑ったように小首を傾げた。


 やっぱりこうなったか。


 俺は軽く手を叩いた。それに続くように、ちらほらと拍手が続いて周りを巻き込んでゆく。


 また担任が何事かを言っていたが、拍手にかき消されて何も聞こえなかった。


 不登校少女のデビュー初日。


 トラウマと秘密を抱えたなぎさの学校復帰は、熱狂にも似た歓迎ムードの中で幕を開けたのだった。







 一年生にアイドルばりの美少女が現れたという情報は、瞬く間に学校中を駆け巡った。


 もちろん表立って騒ぎ立てる人は少ない。なぎさは不登校明け初日の生徒なのだ。生徒たちもそのあたりの配慮は心得ている。


 だから漫画みたいに、なぎさの元に不自然な数の生徒が群がることはない。周囲の反応はというと、クラスの女子がかわるがわる彼女に話しかけ、ときどきミーハーな生徒が廊下から眺める程度のものだった。


 なぎさもその程度は許容の範囲内らしい。集まってくる生徒と愛想よく付き合っていた。


「工藤さん、休んでいた分の授業わからないよね? よければこれ。授業ノート」

「ありがとう。えと、三枝さん」


「あれ? 名前って……」

「集合写真を見て覚えたの。三枝香里さん、だよね」


「え!? なんか嬉しい!」

「すっごーい! じゃあ、あたしなんかもわかっちゃったり?」

「ん……芳川宮鼓さん」


 なぎさの周りで黄色い声が沸く。それに混じって隣から健太郎のでかいため息が聞こえた。


「真司」

「何だ」

「コーヒー、ブラックだよね」

「ああ。濃い目のやつな」


 勝者の要望を確認すると、健太郎は軽く両の手のひらを掲げた。


「カンパイだぜ」


 完敗? いや、乾杯か。健太郎もいい感じに骨抜きにされたらしい。


 普段の健太郎ならすぐにでも連絡先を聞きに行くところ。なのにこんな状態になるってことは、余程の衝撃を受けたと見える。


 傍に座るあかりもまた熱い視線をなぎさに向けていた。芸能人とかそういう人を見る眼に近かった。


「あかりは声かけに行かないのか?」

「あ……うん。でもいっぱい囲まれてるし、工藤さんが疲れちゃうといけないから」

「そっか」


 あかりはなぎさの調子を気にかけているようだった。この辺りがあかりのあかりたる所以だと思う。


「じゃー僕、落ち着いたら話しかけに行こうかなあ。でも何を話そうか」


 独り言のようだが、どうも俺たちに聞いている感じだ。


「クラスメイトだし、別に普通でいいだろ」

「けどあんな美人だぞ? さすがに動揺を隠せないよ。

 こんなの、うちのベランダから落下したとき以来かもしれない」


 確か健太郎の家ってマンションの6階だったよな。あとでその話聞いてみよう。


「真司、ちょっと練習に付き合ってくれ」

「練習?」


「声をかける練習だよ。なぎさちゃんに話しかける設定で」

「まあ……わかった。俺が工藤さんの役をやればいいんだな」


「頼んだぜ。それであかりは」

「わたしにも役があるの?」

「あかり役な」

「え、何それ……?」


「よし、それじゃアクション!」


 戸惑うあかりを置き去りのまま、健太郎がメガホンを振る動作をした。


「はじめまして、工藤さん。僕は日塚健太郎」

「はじめまして。工藤なぎさです」

「どうかな。少しはクラスに慣れたかな」

「はい。おかげさまで」


「良かった。でも君は可愛いからすぐ人気者になれるよ」

「そんな……。

 でもあかりさんのほうが可愛いですよ」


「——。え、わ、わたし!?」


 俺と健太郎が沈黙のままあかりを凝視する。


「あ、ありがとうございます」


 なんとか答えが返され、健太郎と再び向き直る。


「いやいや、あかりも可愛いけど君だって負けてないさ。あかりも可愛いけど」

「そう……ですか? あかりさんには負けてしまいますけれど、ありがとうございます。あかりさんには負けてしまいますけれど」

「じゃあせっかくだから、あかりに可愛さの秘訣を聞いてみようか」


「え……え?」


 殺人的なキラーパスに、あかりの眼がふらふらと泳いだ。


「あかりさん。僕たちに可愛さの秘訣を教えてください」


 ……。

 …………。


「は、早寝早起き……です」


「はい、カットォ!」


 健太郎の掛け声で小芝居に区切りがつく。俺は軽く首を鳴らし、ペットボトルのウーロン茶を口に運んだ。


「完璧なシュミレーションだったね。僕ら」

「そうだな。本番もこの調子で行け。あかりもナイスリアクションだった」

「……」


 あかりは視線をふらふら彷徨わせて、口を開こうとしては、言葉を飲み込むような動作をした。


 何だろう。言いたいことがありすぎて、逆に何も言えなくなっているような感じだろうか。


 後でちゃんとフォローしとかなきゃな。俺は昼の予定に“あかりへのデザート献上”を加えた。


 ちなみにあかりを悪ふざけに巻き込むのは、彼女を置いてきぼりにしないためだ。遠慮がちなあかりは俺たちと一緒にいても、どうしても口数が少なくなってしまう。


 巻き込むのはあかりが仲間だからだ。健太郎いわく「あれもひとつの愛の形」らしい。


 その健太郎はプチコントの出来に満足したらしく、晴れやかな表情をしていた。最初は俺もこのノリに戸惑ったけど、今はわりと楽しんでやれている。


 奇妙だけど、そんな関係は居心地がよかった。


「よっしゃ、テンション上がった!」


 健太郎が勢いよく席を立った。実行フェイズに突入するらしい。


「それじゃ話しかけに行ってくる!」

「あの」

「おう!

 って何ぃッ!?」


 健太郎の表情が固まった。その先には、先ほどまで話題の中心にいた少女の姿があった。


 なぎさは自己紹介のときと同じ、花のような笑顔を健太郎に向けていた。


「あ、ごめんなさい。お話の途中だった?」


 顔色を窺うようななぎさの言葉に、健太郎は


「いやいやいやそんなことはっ。大丈夫だし余裕ですよ!」


 と上ずった声で答えた。なぜ敬語なのかはよくわからない。


「ありがとう」


 そう言ってなぎさはまた微笑んだ。


 間近で向けられる美少女の笑顔。健太郎は眼がハートマークになっていた。


 こんな状態で相手できるのか? そんなことを思っていると、なぎさはゆっくりと健太郎から俺へと視線を移した。


「話したいことがあるの。

 梶本くん。少しいいかな」


 俺?


 突然のお誘いに、俺は声も発せず自分の首元を指差した。






 なぎさの後について廊下に出た。


 人影もまばらな廊下。なぎさは相変わらずの表情で俺と向かい合っている。


 さすがに無理しているような気がした。愛想を維持するのって、そう楽なことじゃない。


「誰も見てないし、普段通りでいいんじゃないか」

「ううん、大丈夫。学校ではそれらしくいたいから。それより私……どうかな。ちゃんとやれてるかな」

「やれてるも何も百点満点だ。さっきの自己紹介も完璧だった。練習の成果が出てたよ」


 練習。それはさっきのコントみたいなやつじゃなく、ちゃんとした挨拶の練習だ。


 登校を翌日に控えた昨夜。俺たちは祐介先輩を交えて、自己紹介の練習をしてきたのだった。


 その様子がこちら。



『——です。これからよろしくお願いします。

 ……ふぅ。どうだった? ちゃんと喋れてるかな』

『最高だ! 可愛かったぞなぎさぁ!』

『言葉遣いは?』

『最高だ! 可憐だったぞなぎさぁ!』

『……。今日の天気は?』

『最高だ! 輝いてたぞなぎさぁ!』


 だめだこの人。俺となぎさの思いが同調した瞬間だった。


 もとから妹を溺愛している先輩だが、一生懸命にがんばるなぎさを見て興奮がオーバーフローしたらしい。平常心が失われている。


『梶本くんはどう思った?』

『良かったと思うよ。けど少し表情が硬いかな。緊張してるのがわかった。それが普通だろうけど』

『表情……ね。わかった。気をつけてみる』



 そしてなぎさは繰り返した。真剣な顔で、なんてことない自己紹介を何回も。


 それはきっと、なぎさが昔の俺と同じ気持ちだったからだと思う。


 怖いんだ。人前に出ることが。


 数ヶ月ぶりに学校に戻るなぎさにとっては当たり前のことが、特別なこと。だから怖くて、それを誤魔化したい一心で頑張ってるんだ。


 写真でクラスメイトの名前を覚えてきたのもそう。自分の枷であり、引きこもりとなった原因でもある“あの体質”に抗おうとする意志が、今のなぎさからは感じられた。


「がんばってるんだな」


 胸の底からそんな言葉が出た。なぎさは一瞬驚いたような顔をしたが、小さく「うん」と返事をして、恥ずかしそうに俯いた。


「それで、なんの用事だったんだ」


 予鈴が鳴り出したところで俺は時計に目をやった。休み時間はもう四分しかない。


「何か用事があったんじゃないのか」

「え? あ、えと」


 雑談がしたくて呼び出したわけではないだろう。今のなぎさは会話の相手に事欠かないだろうし。


 聞いたらなぎさの視線は宙を彷徨った。黙って待つと、なぎさはやっと口を開いた。


「今日のホームルーム後、進路相談室に来て。大事な話があるの」

「呼び出して、しかも大事な話? やばい心の準備が……」

「ち、違うよ!」


 なぎさが顔を紅潮させて声をあげた。


「零歩先生が呼んでるの! こ、告白とかじゃないからっ!」

「お……おう。なんかごめん」


 冗談のつもりだったのにすごい怒られて、俺は反射的に謝ってしまった。


 っていうか告白とか一言も言ってないのに。


「それにしても零歩先生の話ってなんだろうな。俺、全然しゃべったことないけど」


 零歩先生はカウンセラーの先生だ。生徒からの相談と保健室業務を兼務している。数学の免許も持っていることが先日わかったが、確か授業は担当していない。

 

 まるで健康体の俺は保健室のお世話になる機会もなかった。だから一度も話したことはない。


 なぎさはまだちょっとむくれていたが、聞くとすぐ答えを返してくれた。


「定期テストのときとか、今まで梶本君が色々してくれたのをお兄ちゃんが話したの。

 そしたら零歩先生が、梶本くんにも話を聞いてもらうようお願いしましょう、って。私がクラスに溶け込むのに力になってくれるかもしれないからって。

 けれどその……梶本くんは迷惑じゃない?」


「全然」


 俺は即座に首を横に振った。


「大して力になれないと思うけど、協力できることはする。そう約束しただろ。迷惑とか考えるなって」


 なぎさはじっと俺の眼を見た。


 誰かが言葉を口にする時はいつもそうするように。


 そして小さく


「ありがと」


 そう言ってぺこりと頭を下げた。少しはにかんだ笑顔で。


「いやこちらこそな。美少女の登場で、灰色の青春が華やかになったよ」


 気恥ずかしくなった俺は軽口に逃げた。


 なぎさも表情を緩めてくれた。俺の知ってるいつものなぎさの顔だ。


「それは嘘。そんなこと思ってないでしょ」

「嘘じゃなくて冗談。さ、そろそろ戻ろう」


 もうすぐ三限の授業が始まる。教室の戸を開け、俺たちは授業の準備を急いだ。

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