第7話 ふたりきりの試験勉強(3/4)

 テスト初日。現国の試験を終えたところで、俺は大きく伸びをした。


 教室ではクラスメイトたちが試験の話題を肴に昼食をとり始めた。今日の試験は午前中で終了だ。


 しかし多くの生徒は昼休みを過ごしてから帰宅するという風習。というか文化みたいなものがうちの高校にはあった。


 郷に入れば郷に従え。俺も友達と昼食をとってから帰る予定でいる。


 でも……。俺は教室の隅にある座席を見た。


 一学期の間ずっと空いたままになっている席だ。


 席の主はいまごろ一人で昼休みを過ごしているんだろうか。


 いつもどおり澄ました顔で。けれど、どこか物憂げな表情をしているなぎさの顔が浮かんだ。


 なぎさは保健室で受験をしている。時間はチャイムに合わせているからテスト自体は終わっているだろう。


 顔くらい見に行ってもいいだろうか。そんな考えが頭を過ぎった。


 しかし同時に、今朝、なぎさと学校の門をくぐる際に交わしたやりとりを思い出した。


『ここから先は一人で行くね』


 新品同様の制服に身を包んだなぎさは、歩きながらぽつりと言った。


『お兄ちゃんには保健室での受験をお願いしてもらった。梶本君には今日までたくさん勉強を教えてもらった。

 だから今日は……今日くらいは自分ひとりの力でがんばってみる。

 だから学校にいる間は、気をつかわないで。二人とも自分の試験に集中して?』


 ね? 目でそう訴えかけるなぎさ。


 先輩は本気で心配そうな顔をしていた。それでも決心を曲げないなぎさを前に、『いいか! なにかあったらすぐ防犯ブザーを鳴らすんだぞ!』と言って最終的には先輩が折れた。


『大丈夫。私、頑張るよ』


 そう言ったなぎさはどこか不安げだが、それでも強い目をしていた。


 だから俺も先輩もそれ以上何も言わなかった。言えなかった。


 考えてみればテスト受けて帰るだけの話だ。そう大げさに考えることもないはずだ。


 それでも気になってしまうのは間違いなく先輩の影響だと思う。


 どうであれ本人が手出し無用だというのだ。過保護な真似は逆にうっとおしいだろう。


「おーい真司!」


 ぼんやり空席を眺めていた俺を引き戻した男の声。


 目の前にはクラスメイトの日塚ひづか健太郎けんたろうが立っていた。


「何ぼーっとしてんだよ。恋煩こいわずらいか?」


「その質問がすでに煩わしいな」


「そんなことよりメシにしようぜ」


 マイペースに話を運ぶ健太郎。いつもこんな感じなので、ツッコむ気にもならない。

 

 そういえば目の前にあったはずの机が消え、いつの間にか窓際に移動させられていた。ぼーっとしていたのはその通りらしい。


「ていうか机を動かした時点で声をかけろよ。妙な絵面になるだろ」


「お。真司も運んでおいた方が良かったか? お姫様だっこで」


「その発言、普通にキモいからな」


「そんなことより急げって! 今日はあかりがおかずを分けてくれるらしいぜっ」


 そんなことより、でとりあえず話が進む。便利な言葉だ。


 缶コーヒーを椅子に乗っけて健太郎の後についてゆく。


 着いた先には同じくクラスメイトの双葉ふたばあかりがいた。


「いいのか? あかり」


 くっつけた机の真ん中に弁当箱が置かれていた。普段あかりが使っているものより一回り大きい。


「うん。お弁当、作りすぎちゃったから。よかったら食べて」


 割り箸を並べながら、あかりが柔らかな笑顔を浮かべる。


 ——学校生活を送っていれば大体の人には“いつものメンバー”というものに心当たりがあるだろう。


 俺にとってのそれが、この三人組だった。


 健太郎は陸上部のエース。中学の頃からすでに実績があり、入学した時点で上級生にも名前が通っていた有名人。 


 物怖じしない性格もあってやたら友達は多い。それなのに何故か俺に絡んできて、よく一緒にいる。


 ワックスでかっちり固めた天然パーマがトレードマークで、遠くから見てもこいつだとわかる。性格・実績・見た目に至るまで存在感の塊のような男だ。


 一方のあかりはクラス委員を務める女の子。小柄で控えめな性格のためか、入学当初はクラスでも影は薄かった。


 遠くから通っていて、同じ中学から進学した同級生はいない。俺は4月にたまたま席が隣だったので声をかけた。


 話してみると非常に気配りのできる子で、それが少しずつ周りにも伝わっていったのだろう。今では信頼も厚く、クラス委員に選ばれた。


 そもそも愛くるしい顔立ちをしているので、遅かれ早かれ人気者になってはいただろう。


 改めて考えると、俺はなぜこのメンバーにいるんだと思う。


 二人には他に楽しく過ごせる相手がいるだろうに。


 そんなことを思いながら、あかりの手作り弁当に視線を戻す。


 卵焼き。プチトマトのサラダ。ブロッコリーとベーコンの炒め物。箱の中には色とりどりのおかずが並んでいた。


「よっしゃ! せっかくだから遠慮なくいただいちゃうぜ!

 はい真司、あーん」

「お前がやるんかい。そこはやっぱり女子だろ」

「え……わたしが真司くんに……?」


 恋人のノリで迫る健太郎はスルーし、あかりに視線を送る。

 いきなり巻き込まれ、あかりは戸惑ったように視線を彷徨わせた。


「えっと、さすがに恥ずかしいよ。

 でも真司くんがどうしてもっていうなら……」

「はい。あかり。あーん」

「あ、わたしが食べる側なんだ」


 箸でつまんだ卵焼きを差し出すと、あかりは呆気にとられたように呟いた。


「もう。せっかく二人に作ってきたんだから、先に食べてほしいです」

「——聞いたかい? 真司。

 あかりが僕のために愛情を込めて作ってくれたって」

「それ幻聴だからな」


 悪ノリを終わらせて、卵焼きを口に運ぶ。


 甘みと出汁の旨みが口の中で混ざるようにしてとろけた。


「お。旨い」

「ほんとか!」


 健太郎も卵焼きを一切れつまんで口に入れる。「何これうめえっ!」喉を鳴らしながら健太郎は大げさに叫んだ。


 本当は昼食にパンを持ってきてるけど、いま出す空気じゃないな。帰ったらおやつ代わりにでも食べればいいか。


 そんなことを考えながら弁当箱へ視線を戻した。


「お。この炒め物もいけるよ」


 健太郎に言われてブロッコリーを口に運んだ。薄口のしょうゆとみりんの味わいが絶妙だ。


 高校生の手料理とは思えない。


「確かに。かなりいける」

「ほんと? よかった」


 俺の食べる様をじっと見ていたあかりが柔らかく笑った。


「それはじめて作ったの。真司くんの口に合うかなって心配だったけど」

「やるなあ……」


 炒め物をもう一口もらってじっくりと舌の上で味わった。俺も料理はやるほうだと思うけど、こうは上手に味をつけられない。


 健太郎も次から次へとおかずを口に運んでいた。全部食うかのような勢いだ。


「こんなの作れるなんてさすがはあかり!

 毎朝僕の味噌汁を作ってくれないか」


 直球ど真ん中のプロポーズを吐きながら、健太郎があかりの手を握った。


「は、恥ずかしい冗談はやめて。

 真司くん、健太郎くんを止めてよう」

「やめろ健太郎。あかりは俺の嫁だ」

「えぇっ!?」


 悪ノリの再開に、あかりは裏返った声をあげた。


「——そうか真司。お前と女を取り合う日が来るとはね。

 ならばあかりを賭けて勝負といこう。

 “あっちむいてホイ”で勝負だ」

「臨むところだ」 

「わ、わたしの人生がミニゲームで決まりそう……!」


 あやうく少女の人生が決定付けられる瀬戸際になって、俺は「はい。終了」と号令をかけた。


 俺と健太郎はよくこういった小芝居を始める。けど大体はどちらかが空気を読んで雰囲気を戻すのだった。


「冗談はともかく美味しいってのは本当。自信持っていいんじゃないか」

「ほんと?」 

「ほんとだほんと! 毎日でも作って欲しいくらいだ」 


 男子二人で手を合わせて「ごちそうさま」を言う。あかりは花のような笑顔を浮かべて「お粗末さまでした」と言った。


 ——こうやって机並べて飯食って。馬鹿やってられるのも高校生活の醍醐味だよなあ。


 俺は二人と昼食をともにしながら、ほんの少し昔のことを思い出した。


 かつて引きこもりだった頃。俺がこういう輪に入れることなんて想像もしていなかった。


 自分の居場所があって、そこには和やかなときを一緒に過ごせる仲間がいて。それは何もかも一度は諦めかけたものばかりだった。


 でも今は諦めなくてよかったって思う。ここまで来る道は決して平坦なものではなかったけれど。


 あの日。二人の先輩が差し出した手をとって本当に良かったって思う。


 だからなぎさ。お前も来れるといいな。こっちの世界へ戻って来られるといいな。


 俺にだってできたんだ。なぎさなら、きっと無理じゃあないはずだから。





 それから俺は校門で二人と別れ、工藤家に向かった。


 着いたのがだいたい十四時過ぎ。なぎさと先輩はすでに明日の科目の勉強を始めていた。


 明日は数学A、芸術、科学、古文か。理数科目をふたつも含んでいる。なぎさにとってはひとつのヤマ場だな。


 俺は冷蔵庫から麦茶を出して二人の元へ運んだ。もはや勝手知ったる家だ。先輩もなぎさもごく自然にグラスを受け取り、お礼を言った。


「どうだった? テストの感じは」

「そんなに難しくなかった。梶本くんがチェックしてくれた問題からかなり出題されたし」

「それは良かった」


 文系科目はもともと危なげない感じではあったが、役に立てたようで何よりだ。


 今日のテスト内容を振り返ってみると、問題数は多いが捻りの少ない素直なテストだった。なぎさが50点を切ることはないだろう。


 むしろ先輩が青い顔をしているが大丈夫か?


 先輩のほうはあまり芳しくないらしい。まあ合宿やらいろいろあって勉強する時間があまりなかったからな。


 それでも先輩は、なんだかんだ言って一度も赤点を取ったことはない。追い込みをかければ乗り切れないこともないだろう。


「あと二日です。頑張りましょう。二人とも」


 俺もノートを取り出し、二人と机を囲んだ。最後の追い込みだ。


 なぎさも先輩も集中に途切れは見られない。


 このまま何もなければ無事にテストを乗り切れる。俺はそう楽観していた。





 そして続く試験二日目。この日は理系科目を含んでいたが、特にイレギュラーな問題が出題されることもなく、試験後のなぎさの反応も上々だった。


 だが三日目。俺たちも含めて、誰も予想していなかった事態が発生する。


 それは最終科目の数学Ⅰの試験時間に起こった。


 “出題

 妃名宮ひなみや 零歩れいほ


 問題用紙の隅に書かれていた出題者の欄。


 そこには事前に知らされていた教師とは別の名前が書かれていた。


 試験には傾向というものがある。そしてその傾向には、出題者のクセが色濃く反映するものだ。


 俺は事前に出題者が誰であるかを調べ、その教員が過去に作成した試験問題を入手していた。


 その過去問をなぎさに解かせたり、また傾向の似た問題を自分で作成したりもしていた。だから対策は万全のはずだった。


 けどまさか出題者が変更されるとは。一体どういう事情があったのだろう。


 それも、出題者となっている“妃名宮零歩“先生はカウンセラーの先生。数学の免許を持つこと自体知らなかった。完全なノーマークだ。


 試験問題をざっと見てみた。問題のレベルは正直、かなり高い。


 平均点はおそらく四十五……四十……。最悪、もっと低くなることだって考えられる難易度だ。


 傾向も基礎を重視した過去問とはかなり異なっている。


 嫌な汗がにじんだ。なぎさは一科目でも50点を下回れば留年が決定する。


 そうなれば先輩の思いにも、なぎさの努力にも、報いることができなくなる。


 このままじゃなぎさは……。


 いまさら焦ったって仕方がない。そんなことはわかっている。けど平常心を取り戻すことはできなかった。


 頑張ってきたなぎさの姿。それを支える先輩の姿。


 傍で見守り続けてきた色んな景色が、歪んで見えた。

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