第6話 ふたりきりの試験勉強(2/4)
翌日。俺は答案用紙に赤ペンを走らせる作業から手をつけた。
先輩のつてで手に入れてもらった過去問。なぎさは昨日から今日にかけて、主要教科の模擬テストに取り掛かっていた。
これを使えば現時点の学力を測ることができる。効率よく“合格点”を目指すには必要なプロセスだ。
英語(リーディング) 44点
英語(ライティング) 47点
日本史A 49点
世界史A 52点 以下略
参考程度にしかならないとはいえ、過去の定期テストをなぎさがここまで解けるのは驚きだった。
さすがに理数科目は点が取れていないものの、文系科目に関してはすでに50点前後を記録している。授業にまったく出ていなかった生徒の点数とは思えない。
「賢いんだな。なぎささん」
するとなぎさはペンを走らせながら「学校の時間はなるべく勉強するようにしてたから」と答えた。
どうやら引きこもっている間も、自分なりに学習を進めていたらしい。
少しだけ希望が見えた気がした。
ゼロからの状態で全教科50点の獲得。かなり厳しいと思っていたが、文系科目は今の時点でもそこそこの点が見込める。
理数科目に絞って教えれば間に合うかもしれない。黙々と見直しをするなぎさを見て、俺も頑張らなくてはと思った。
「そろそろ休憩にしようか。過去問6つもよく頑張ったな。お茶入れてくるよ」
「あ、私がやるよ?」
「いいよ。座ってて」
「あ……じゃあ冷蔵庫にケーキがあるみたいだから」
なぎさの許しを得て冷蔵庫の扉を開ける。
冷蔵庫の中央段には色とりどりのケーキが……十個くらいは並んでいた。
「か、買いすぎだろう」
どれだけケーキが好きなんだなぎさは……いや、違うか。なぎさは外に出ない。これを買ってきたのは先輩だろう。
先輩だって自由に使える金はそんなにないはずなのに。妹バカここに極まれり、だな。
とりあえずお茶と十個のケーキをお盆に乗っけてなぎさの元へ運ぶ。
「お待たせ」
声に反応したなぎさが顔を上げる。
ケーキの群れが目に入ったのだろう。なぎさは固まった表情でペンを落とした。
「なにこれ」
「見ての通り、ケーキの群れです。なんと合計3800キロカロリー。丸二日はこれで食いつなげるぞ」
「身体に悪すぎるでしょう……」
ケーキがあるのは聞いていたが、十個あるのはなぎさも知らなかったらしい。
唖然とするなぎさを一瞥してティーポットを傾ける。紅茶がグラスの氷をゆるく溶かした。
「せっかくだし食べよう。日持ちするものでもないし」
そうして二人で向き合い、紅茶を傍らにケーキをつつく。
なぎさは珍しく屈託のない笑顔でケーキをほおばっていた。甘いものが好きというのは事実のようだ。
「おかわりする?」
残り八個のケーキを指すと、なぎさは首を横に振った。
「いい。あんまり食べると太るから」
「なぎささんの体格ならぜんぜん問題ないと思うぞ」
勧めてはみるが、それでもなぎさはおかわりを固辞した。おいしそうに食べてたんだけどな。
ダイエットか? いや、笑顔が少ないことを除けば芸能人ばりの外見を維持しているなぎさには必要のないことだ。
俺の怪訝な顔に気がついたのか、なぎさは自分からその意図を話した。
「ほら……私、あんまり外に出ないでしょ。油断するとすぐ太っちゃうもん」
「気になるのか?」
「当たり前じゃない」
むくれるなぎさ。その辺りの思考は、ちょっと俺にはわからなかった。
自分が引きこもっていた頃は人の目なんか全く気にしていなかったから。男子と女子の違いだろうか。
って言っても初対面の俺の前にジャージ姿で現れた光景は忘れられない。見た目を気にするなら服装が先なんじゃないかって思う。
——ん? そういえば。
「なぎささん、ジャージ着なくなったね」
今日のなぎさは普通に女の子らしい私服を着ていた。いや、今日だけじゃない。最近はずっとそうだ。ジャージ姿なんて最初の数回しか見ていない。
俺の指摘に「それは、その」と歯切れの悪い返事をなぎさは返した。
「梶本くんがいるのに変な格好できないし……」
「……」
「——い、いまは変な格好じゃないよね?」
「あ、うん。大丈夫。似合ってるよ」
ちょっと不安げになったなぎさに慌ててフォローの言葉を入れる。
まさか気を遣われていたなんて。少しは距離が縮まったんだなあって思う。
「よかったぁ。ネットで流行は調べてるけど、しばらく外で服とか見てなかったから」
「今の服装で充分だと思うけどな」
「そんなことないよ。服の流行りなんてすぐ変わっちゃうんだもの。
ちゃんと流行についていかなくちゃ。いつまでも引きこもってばかりじゃいられないと思うし」
そう言って再び参考書を開くなぎさ。
そんな彼女を見ながら、ケーキに伸ばしていたフォークを持つ俺の手は止まっていた。
いつまでも引きこもってばかりではいられない。
ケーキを断ったのも、服装を気にしているのもそういう理由だったのか。
俺が引きこもっていたときは、自分の外見に気を配ることはなかった。世間に姿をさらす気のない以上、人からどう見えるかを意識する優先度が低かったからだ。
けどなぎさは違うようだった。いつかはこんな生活をやめなきゃいけないと思っている。
外に出ようともがいている。
だから少しでも自然に元の日常に戻れるよう、自分に出来る範囲の努力を続けてきたのだ。
家での勉強を続けていたのもそのためだろう。今の自分が少しでも未来の自分の、あるいは周りの人の負担とならないように、と。
中学までと比べて高校の勉強は急に難しくなる。誰の助けも借りずに勉強するのは大変だったはずなのに。
食べかけのケーキに落としていた視線をなぎさへ戻す。彼女はいつのまにかフォークを置き、再びペンへと握り替えていた。
「ちゃんと考えてるんだな」
声をかけると、なぎさはノートの文字を追いながら言葉だけを返した。
「これ以上迷惑をかけたくないもの。お父さんにもお兄ちゃんにも。
それに梶本くんにも」
「迷惑だなんて思わないよ。だってこんなに頑張ってる」
本心からそう言うことができた。きっと先輩がいても同じ事を言うだろう。
「迷惑なんて気にすることない。それより今は勉強に集中、だね」
「——うん」
クーラーの音と、ペンの走る音だけが沈黙の空間に流れる。
窓の外から差し込む光もいつの間にか暖かみを帯び、空にはうっすら星が浮かんでいた。
テストまで残り一週間ちょっとか。風鈴の描かれたカレンダーを一瞥して、俺はぼんやりとノートに視線を落とした。
正直なところ、合格できるかは五分五分だ。授業に出なかった数ヶ月の遅れは簡単には埋められない。
それが現状であり、現実だ。けれど。
それでもなぎさはがんばってる。だから俺も、なぎさの努力に見合うだけの手助けをしよう。
そんなことを思いながらページに付箋を貼ってゆく。
ふたりきりの試験勉強は日が完全に沈むまで続いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます