第5話 ふたりきりの試験勉強(1/4)
「頼む、梶本! なぎさに勉強を教えてやってくれないか!」
期末考査を控えた六月の半ば。
昼食のひとときを楽しむ俺の元へ、祐介先輩が息せき切ってやってきた。
「なぎさは学校に来てなかったから出席日数は足りてないしもちろん中間考査にも出られていないこのまま期末考査も受けられなかったらまずいし受けたとしても最低でも平均点を」
「落ち着きましょう。いったん」
これから飲む予定だったミネラルウォーターを手渡すと、先輩は一気に喉へ流し込んだ。
「ふぅ……すまん、梶本」
「いえ。それで何事ですか。そんなに焦って」
「さっき、進路指導の先生に言われたことなんだが」
さすがは運動部のエース。息はすでに整い、汗も引き始めていた。
しかし表情は相変わらず曇ったまま、事情が語られる。
「このままじゃ、なぎさが留年になる」
「留年?」
話を要約するとこうだ。
先輩の妹であり俺の同級生でもある工藤なぎさは、ただいま絶賛引きこもり中である。
中学三年の受験までは普通に登校していたため進学に支障はなかったのだが、入学から三ヶ月近く、彼女は一度も学校の門をくぐっていない。
そのため進級の可否を決める中間考査も未受験であり、成績は赤点以下のからっきし。
もしも次の期末考査まで未受験となると、その時点で彼女の留年は確定。
たとえ受験できたとしても、一定以上の点数を取れなければやはり留年。
来年も一年生になってしまうそうだ。
「残念だけど俺の頭じゃ勉強を教えてやれない。
だから梶本。期末考査までの間でいいから、お前になぎさの家庭教師を頼みたいんだ」
梶本も忙しいだろうけど……。そう付け加えて先輩は頭を下げた。
俺は先輩の頼みとあらば断るつもりはない。なぎさとも一応は知った仲だ。嫌なわけでもない。
けど果たして役に立てるだろうか。その心配が大きかった。
ただクラスメイトに勉強を教えるだけの話ではない。
人ひとりの進級が。ある意味、人生の一部が賭かっているのだ。
この重責に見合った働きが俺にできるのだろうか。
「プロの家庭教師を雇ったら駄目なんですか」
そんな提案をしてみる。しかし先輩は「うちには金がない」とすっぱり断じた。
「それになにより、教わるのがあのなぎさだ。
あいつが初対面の人間とマンツーマンで勉強なんかできるわけないだろ」
「確かに」
学力を伸ばすことに気をとられて単純なことを見落としていた。
まともな会話ができるまでに俺も一か月かかったっけ。
初対面の家庭教師がものの数日でなぎさと打ち解け、勉強に集中をさせるのはちょっと難しいだろう。
「わかりました。お役に立てるかどうかはわかりませんけれど、やれるだけのことはやってみます」
「おお助かるよ! もつべきものは賢い後輩だなぁ!」
そう言うと先輩は満面の笑みを浮かべて俺の両手を取った。
「なぎさには俺から話をしておくから」
それから俺たちは少しだけ打ち合わせをして別れた。
予鈴の音に混じって、窓の外から蝉の鳴き声が聞こえた。
先輩から依頼を受けたその日の夕方。工藤家のリビングに三人の人間が顔を合わせた。
「それでは第一回“工藤なぎさを進級させる会”を開催します!」
わー! という声とともに拍手が沸き起こる。
ちなみに声の主は先輩一人だ。俺となぎさは手を叩くだけにとどめていた。
「確認するぞ。目標はただひとつ。なぎさの期末考査突破だ!
中間考査はすべて0点の扱いだから、留年を回避するためにはすべての教科で五十点以上を取る必要がある」
いつのまに作ったのか、先輩がフリップを掲げて規定の確認をする。
うちの学校では中間と期末の合計点(最高200点)のうち、50点をすべての教科で獲得することが進級の基準とされている。
なぎさは中間考査が未受験のため、今回の期末考査だけで全教科五十点越えを達成しなくてはならない。
これがなかなか簡単な話ではない。当然のことながら、テストは授業で触れた内容を中心に出題される。
一度も登校していないなぎさが点数をとるには、相応の努力と工夫が必要だろう。
「今回は別室受験を、学校カウンセラーの
教室に入るよりは集中して受験ができるはずだ」
別室受験。あるいは保健室登校と言い換えてもいい。
クラスに入れない生徒が、なんとか登校だけでもできるようにと、多くの学校で採用されているシステムだ。
是非の考え方は色々とあるだろう。それが長い目で見て、本人のためになる制度なのか。そうでないのか俺にはわからない。
しかし今回に限っては、おそらく為になる制度の方だろうと解釈した。とりあえずテストを凌がなくちゃ復学もなにもない。
「俺は今日から四日間。遠征で静岡に行かなくちゃならない。
その間、できる範囲で一緒に勉強をしてやってほしい」
なぎさと俺は頷いた。
ちなみに先輩はサッカーの選抜合宿に出るのだそうだ。
テスト週間が目前とはいえ、スポーツ特待生の先輩が合同練習に出ないわけにはいかない。
「そこでもうひとつ大事な話だが……」
急に真面目な表情に変わった先輩。俺たちは固唾をのんで続きに耳を傾けた。
「お土産は何がいい?」
のんだ固唾を思わず戻しそうになった。
「せっかくの静岡まで行くんだからな。頑張ってるお前たちの好きなもの買ってきちゃうぞ!
さあなぎさ! 何が欲しい?」
「え……私は何でも」
「遠慮するなよ! なぎさは甘いもの好きだよな。うなぎパイか? うなぎパイが欲しいのか?」
先輩の妹バカが炸裂した。苦笑するなぎさと先輩を尻目に、俺は参考書を開いた。
なるべく時間は有効に使いたい。雑音をシャットアウトして文字に集中する。
「——それじゃ梶本にも色々買ってくるよ。うなぎパイとか」
「はい(生返事)」
「実技科目もしっかり頼むぞ」
「はい(生返事)」
「ただし二人きりになるからって間違いは起こすなよ。
保健体育の実技とか始めたら許さんからな」
「はい(生返事)」
「ちょっとお兄ちゃん!?」
いままで言葉の少なかったなぎさが急に声を張り上げる。そこで俺はやっと顔を上げた。見るとなぎさの頬がほんのり赤らんでいる。
よく聞いていなかったからわからないが、先輩のことだ。きっと何か冗談でも言ったのだろう。
「冗談冗談。おっと、そろそろ時間だ。
それじゃ二人とも、勉強しっかりな」
先輩がボストンバッグを担ぐ。俺たちは玄関まで先輩を送った。
そしてリビングへと戻り、さっそく参考書を開く。
「それじゃがんばろうな。五教科だけじゃないのがちょっと大変だけど。芸術とか保健もあるし」
「うん。あ、梶本くん……」
目線をそらし、もじもじしながらなぎさが口を開いた。
「さっきの、冗談だからね」
「何が?」
さっきのが何を指すのか、聞き流していた俺にはよくわからない。
訊くと、なぎさは視線を落とし言葉を濁らせた。
「保健体育の、その……はじめる、とか」
「ああ、保健ね。別に問題はないけど」
「え、問題ないって」
なぎさは目を大きく見開いた。意外だったのだろうか。
これでも怪我をするまではプロのサッカー選手を目指していた。今でもサッカー部のマネージャーをしている俺は、栄養学やスポーツ科学に関してそれなりの知識がある。
「普通に教えられるから心配するな。むしろ得意分野だ」
「得意なの!?」
「昔はそれ関係の仕事に就くことも考えてたし」
真っ赤になった表情を引きつらせながら、なぎさがちらちらと俺の目を覗く。
なぎさが言葉の真偽を判断するとき。嘘を見抜く時にする癖だ。
「ほ、本気で言ってる……」
さすがは嘘アレルギー体質。俺の言葉に嘘がないことは見抜いて貰えたらしい。
しかしなぜ真偽を問う必要などあるんだろうか。
そんな疑問を抱くさなか
「わたしそういうのは、まだ高校生だし……その、そういう関係じゃないし……。
えと……ごめんね」
どういうわけか謝られてしまった。
「? よくわからないけど、じゃあ保健は後回し。時間のかかりそうな理数科目から手をつけようか」
「うん……」
話を切り替えて参考書を開く。
俺が参考書を開く間もなぎさは落ち着かない様子で、正座する足をよじらせていた。
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