第19話 やさしい嘘つき(3/4)
新学期が始まった。
休み明けの課題テストを終え、クラスメイト達は思い思いの放課後を過ごしている。
俺はなぎさと二人、中庭で昼食を取っていた。
「双葉さんたちは?」
「あかりは三枝さんたちのグループと外へ行ったよ。健太郎は大会に出てる」
「大会って、陸上の?」
「いや、流しそうめんの地区大会に出るとか何とか」
「流し……」
「あいつのやることを深く考えないほうがいいよ。どツボにはまるから」
他愛のない会話をしながら昼休みを過ごす。
たまにだが、俺たちは二人だけで昼食をとることがあった。健太郎は活動的だし、あかりは友達の幅が広い。
なにかと四人で行動することの多い俺たちだが、他に都合があるときはそちらを優先させるようにしていた。
四人で過ごすのはいつでもできる。
俺はそう思っているし、みんなも同じように思ってる感じがする。
「こないだの土曜日、あかりと買い物に行ってきた」
サンドイッチを頬張りながら、俺は計画の首尾を報告した。
「あかりが何を悩んでるのかははっきりしなかった。
どことなく、なぎさの事を意識している雰囲気はあったと思うけど」
「健太郎くんからも少し聞いた。ありがとう、真司くん。難しいこと引き受けてくれて」
「いや。あれじゃただ遊んできただけだろ」
「どんなことしてきたの?」
「アーケード街で色んな店を回ってきた。服屋でお互いの服選んだり、ゲーセンで景品とったり。
あとはケーキを一緒に食べたり、その後は適当にぶらぶらと」
「——。楽しかった?」
「まあ楽しかったかな」
なぎさは矢継ぎ早にあの日の様子を聞いた。
というかあれはあかりの悩みを探るためにセッティングした予定だ。遊びの内容はどうでもいいだろうに。
「そっか。二人でケーキ食べたりしたんだ」
なぎさはそう呟くと、なにやら手提げの中を探り出した。
取り出したのは小さなカップだった。
「デザートにみかんのゼリー作ったの。一緒に食べよ?」
「は?」
前置きもなく出されたゼリーを前に、疑問の声が出る。
「なぎさの昼食じゃないのか」
「いいの。いつもお世話になってるお礼だから」
「お礼なんてもらうようなこと」
「いいから遠慮しないの!」
透明なスプーンの先が口元にぐいぐいと押し付けられる。
「わかった、わかりました食べます」
半ば押し込まれるような感じで、俺はスプーンを口に含む。爽やかな甘さが口の中に広がって溶けた。
「おいしい?」
「美味しいよ」
「もう一口」
スプーンに乗ったゼリーが、再び口の前に差し出される。
さすがに周りの様子が気になっていた。ここは中庭。昼食どきの人気スポットだ。
同級生の女子から“あーん”をしてもらうには人目が多すぎる。
しかしどういうわけか、なぎさは俺にゼリーを食べさせようとする。断っても聞きそうにない。
俺は観念して、素早く口にゼリーを含んだ。
「おいしい?」
飲み込みながら頷いた。もちろん味はさっきと同じだ。何も変わってはいない。
「というかなぎさのデザートだろ。なぎさも食べなよ」
「そ、そうね」
我に返ったようになぎさは乾いた笑顔を浮かべた。
ゼリーを掬い、口元へ運ぶ。しかしなぎさの手はなぜかそこで止まった。
「……」
スプーンの先を見つめたまま硬直するなぎさ。
「どうかした?」
横から顔を覗き込む。目が合うと、なぎさは身体をびくっと強張らせ、座ったまま後ずさりをした。
頬がほんのり赤みを帯びている。熱中症か?
唖然としながらなぎさを見ていると、スプーンを持ったなぎさの手がまた俺の口へと運ばれた。
「やっぱり真司くんが食べて」
「え、何で……むぐ」
口を開く隙も与えずにゼリーが口へと押し込まれた。
結局、そのゼリーは全部俺の口に押し込まれて終わった。
昼休みが終わり、なぎさはひとりで自習室へと向かった。
進級試験まで残り一か月。これまで以上に、集中して勉強に臨もうとする姿勢が見て取れる。
ただ微妙なままになっているあかりとの関係が、なぎさの気持ちに影を差しているのは明らかだった。
授業の最中に手が止まったり、ため息をついたりする姿が見られるようになった。
協力すると約束した手前、この問題を捨て置くことはできないだろう。大事な時期だ。あまり時間をかけてもいられない。
なぎさのためにも。あかりのためにも。
両方の友達として。
しかしどうしたものか……。
「梶本くん」
考え事をしながら廊下を歩いていると、背後から呼び止める声がかかった。
零歩先生だ。
「どうしたの、ぼうっとして。心配事?」
「いえ」
「なぎさちゃんと双葉さんがうまくいってないとか」
分かっているなら聞かないでくださいよ。と、胸の内で悪態をついた瞬間だ。
俺の脳裏に強烈な違和感が滲んだ。
どうして、零歩先生がなぎさの悩みを知ってる?
「……。エスパー?」
唖然として漏れた呟きに、零歩先生は「
「そろそろ困っている頃じゃないかしらと思ってね。青少年の悩みなら先生にお任せ。
さ、行きましょ」
思考がまったく働かないままに、俺は保健室へと連れ込まれた。
「紅茶でいい?」
「あ、はい」
「砂糖は」
「大丈夫です」
返事をするや否や、グラスに入ったストレートティーが出された。
「お茶菓子は……ゼリーとクッキーがあるわね」
「いえゼリーは結構です」
「? そう」
そう言うと零歩先生はクッキーの缶を開け、テーブルの真ん中に置いた。
腰をかけた先生と向かい合う。俺がまじまじと見ていると、先生は上品な笑みを口元に浮かべて返した。
「どうして俺の考え事が分かったんです?」
「それはもう、顔に書いてあったから」
悠然と返す先生。さすがにそんな答えで納得できるはずがない。
訝しんだ視線を送っていると「私はカウンセラーだから」クッキーを一つつまんで先生は言った。
「私のところには毎日色々な相談事が持ち込まれるの。不登校の子の対応から、ささいな人間関係の悩み事までね。
その中で真司くんが関係ありそうなのって、それしかないと思ったから。
もちろん誰の相談事かは言えないけれど」
プライバシーに配慮したのだろう。名前は伏せられたが、たぶん相談の主は健太郎だろうなと思った。
問題を抱え込まないあいつらしい。
もう知っているのなら隠す意味もないだろう。
俺は正直に相談することに決めた。
「なぎさに対するあかりの接し方に違和感があります。
なんか探ってるような感じで……。女子同士のことに首を突っ込むのも、お節介とは思うんですけれど」
「梶本くんにとっては難しい立場よね」
零歩先生は腕を組み、うんうんと頷いた。
「原因はわからないの?」
「はい」
「なぎさちゃんにも分からないって?」
「は……あ、いえ」
そういえばなぎさには少しだけ思い当たる節がありそうだった。
ただ俺には言えないと言っただけだ。
「心当たりはあるみたいなんですが」
答えると、今度はすぐさま質問が重ねられた。
「なぎさちゃんにわかって、一緒にいる真司くんにわからないのはなぜかしら」
「え……」
「なぎさちゃんは気付けるのに、真司くんが気付けないのはどうして?」
言葉を重ねられ、反射的に先生の言葉を復唱する。
なぎさは気づけるのに、俺は気づけない……。
すると俺は一つの仮説に行き着いた。
なぎさだけが気づけるもの。
それは“嘘”だ。
「思いついたみたいね」
先生の言葉に、俺は黙ってうなずいた。パズルのピースが組み合わさるようにして、真相が形を成してゆく。
あかりは何かを隠している。
そして嘘を見抜ける体質のなぎさは、その事に気が付いてしまった。
なぎさが「言えない」と言ったのもそのためだ。友達の隠し事を自分が明かすわけにはいかないから。
隠し事をするあかりと、それに気がついたなぎさ。
今はそういう局面にあるわけか。
「でも、あかりがそうまでして隠したい秘密なんて」
考えられなかった。あんなにいい娘がどうして友達を遠ざけるほど……。
その疑問には零歩先生も明確な助言をしてはくれなかった。しかし呟くように
「人は誰しも秘密を持つものよ。そしてそれが明るみになることを、何より恐れる」
そんな言葉を漏らした。
「先生にもあるんですか?」
「もちろん。秘密があるほうが、女性はより魅力的でしょう?」
大人の微笑みで煙に巻かれた。いつも通り完璧に先生のペースだ。
「ともかくお互いを安心させるべきね。双葉さんも、なぎさちゃんも。それが解決の糸口になると思うわ。
さ、あとはキミたちの頑張りどころ。頼りにしてるわよ。少年」
「俺なんか頼りにされても」
「相変わらずね。……でもいいわ。勝手に頼りにするから」
そう言って先生は、俺のグラスに紅茶のおかわりを注いだ。
冷たい空気に混じって、上品な香りが鼻をくすぐった。
夜になってから、俺は久しぶりになぎさへ電話をかけた。
零歩先生が相談に乗ってくれたこと。そして俺の中にある推測も、隠すことなくなぎさに伝えた。
「本当はなぎさもいるところで話したかったけど」
「ううん。私が勉強しているから、気を遣ってくれたんでしょ?
それにしてもラッキーだったね。こういう時に零歩先生がいてくれて」
ラッキー、か。幸運といえば幸運だろうけど、少しタイミングが良すぎる気もした。
思えばこういうターニングポイントに零歩先生はやたら関わっている。
なぎさの留年が決まったテストの作成者も零歩先生。勉強に明け暮れるなぎさに、友達と海へ行くよう後押ししたのも先生。
それに今回も絶妙のタイミングで相談に乗ってくれた。
それも感覚としては、答えに誘導するかのような形で。
「真司くん?」
急に黙った俺になぎさが声をかけてきた。
「何でもない」
考えすぎだ。余計な考えを振り払い、会話に戻った。
「ともかく俺の予想は、さっき伝えた通り」
「——うん。私が嘘に気付いちゃったのは本当。
でもその中身は」
「分かってる。言わなくていい」
「ありがとう」
安心したような吐息が受話器越しに聞こえた。
「それで零歩先生が言うには、お互いを安心させるべきだって」
「安心?」
「その方法が俺にはピンとこないんだけど」
今度は俺が疑問を投げかけると「安心させる……」なぎさは小さく呟いた。含みのある言い方だった。
「何か思いついた?」
答えはなかなか返ってこなかった。会話がなくなるとスピーカーのノイズがやけに大きく聞こえる。
どれだけ沈黙が続いたかわからない。「なぎさ?」俺が呼びかけると、少しだけ間を空けて声が返ってきた。
「私が秘密を明かすことはないって、双葉さんに信じてもらえてばいいんだよね」
「え?」
「そしたら、双葉さんも私のことを怖がらないよね」
「ああ。けど」
嘘を明かすことがないと約束する。それは確かに最もわかりやすい決着だ。
けどそのためには言わなくてはならない。
なぎさが人の嘘を見抜いてしまう体質であることを。
なぎさが抱える、最も大きな秘密を。
「私は、それでもいい」
ぽつりとなぎさは言った。
「ずっと隠し通せることじゃない。長く付き合っていきたいなら、いつかは言わなくちゃいけないことだもの。
それで双葉さんと仲良くなれて、みんなと一緒にいられるなら、私はそれでもかまわない」
聞こえてきたのは毅然とした言葉。
しかし震えを噛み殺すような声だった。
「それで……うまくいくかな」
縋るようななぎさの声が俺の脳髄に響く。大きな覚悟と恐れが、なぎさの気持ちがスピーカー越しにも伝わる。
俺はそれに応じるように「そうだね」とはっきり返した。
うまくいくかなんてわからない。でもなぎさが覚悟したことなら、できる限り強く、背中を押してやりたいと思った。
「きっと、あかりは分かってくれるよ」
「——本当?」
「もちろん」
「本当に本当?」
「どうした? なぎさに嘘は通じないはずだろ」
「顔を見ないとよくわからないから。
それに真司くんに言って欲しかったの。大丈夫だって。
その言葉が、きっとお守りになると思うから」
お守り、か。いいのか? 俺の言葉なんかがお守りで。なんかプレッシャーを感じるな。
けど俺もやれることはやるって決めたんだ。このくらい言えなくてどうする。
「大丈夫だよ。頑張れ、なぎさ」
シンプルだけど、心を込めて声援を送った。
「ありがとう、真司くん。私、がんばるね。がんばるよ!」
そしてなぎさとはおやすみの挨拶を交わし、通話を終えた。
張り切ってたな。なぎさ。
その気合が伝わるといいな。いや、きっと伝わるさ。
なぎさの声に、なんだか俺まで前向きで、あったかい気持ちになれたような気がした。今夜は良く眠れそうだ。
そんなことを思いつつ風呂に入ろうとした矢先のことだ。スマホに通話の着信があった。
祐介先輩からだ。
「よう……梶本」
先輩はやたら元気のない声だった。
「なんかさ……なぎさの部屋からすごい嬉しそうな声が聞こえてきたんだよ。
誰かと電話してたっぽくてさ。もしかして男かな……?」
「……」
「くそう! 俺の前ですらなぎさはあんなにはしゃいだりしないのに!」
すみません先輩。その電話の相手、俺です。
先輩の愚痴はそれから15分くらい続いた。
そんなこんなで、決意の夜は更けてゆく。
——朝日が昇るまでが、今日はやたら早く感じた。
というより、時間の進みそのものが早く感じたと言ったほうが正しいだろうか。
昨日の先輩との電話がついさっきの事のように思える。
あっという間に朝が来て、昼が来た。そして夕方がやってきた。
二人で話がしたいの。
そう言って、なぎさはあかりと教室で待ち合わせをした。
「もうすぐだな」
腕時計に目を落とす。針は四時ちょうどを指していた。約束した時間まで残り二十分だ。
「落ち着いてるか、なぎさ」
「だ、だだ大丈夫」
「まるで大丈夫じゃないな」
昨日の威勢はどこへいった。
「えぇとこういう時は手のひらに人って書いて……。人って書いてどうするんだっけ」
「——。少し雑談でもしようか」
俺が笑うと、なぎさもひきつったような笑顔を浮かべた。
「渡すのは後でもいいと思ってたけど」
胸ポケットから一枚の写真を取り出した。四人で海へ行ったときに撮った写真だ。
『なぎさちゃんにも渡してあげてよ』
今日の朝、おもむろに健太郎から手渡されたものだ。
海と夕日をバックに四人が立っている。真ん中ではなぎさとあかりが並んで映っている。
健太郎は今日の事を何も知らされていない。が、勘のいいあいつのことだ。無意識ながら何かを感じたのかもしれない。
「これ、なぎさの分な」
空いた机に写真を置く。
夏休みに撮った写真の中の俺たちは一点の曇りもない笑顔で映っていた。
物音すらない教室で二人、その写真を眺める。
あの日と同じオレンジの夕日が夕暮れの教室に差し込んでいた。
「なんか……なつかしいね」
ほんの半月ほど前の出来事にもかかわらず、なぎさは遠い目で写真を見ていた。しかしその気持ちは俺にもわかる気がした。
「最近、ぎくしゃくしてたからな。けどそれも今日で終わりだ。そうだろ?」
「そうなると……いいな」
なぎさは微妙に前向きで歯切れの悪い返事をした。
「あはは。弱気でごめんね」
「いや、十分だよ」
もっとポジティブに行こうぜ! とはもちろん思った。けど言ったりはしない。
これが強がりを言うことのできないなぎさの精いっぱいだと、俺も分かってきたからだ。
そんな俺の顔をなぎさはまじまじと見た。そして。
「私、嘘を見抜ける力があって良かった」
そんなことを言った。
「だって真司くんの心の中が、他の人よりも少しだけわかるから」
何をこっ恥ずかしいことを。頬が熱くなるのを感じて反射的に顔を背けた。
本当に恥ずかしい思いをするのはこれからだとも知らずに。
「真司くん」
温かいものが、俺の胸元あたりを包んだ。
いつのまにか歩み寄っていたなぎさが、俺の背中に腕を回していた。
俺の鎖骨のあたりになぎさの額が当たる。
くすぐるような吐息が、開いたシャツの合間を温める。
「私……私ね」
愛おしくて、狂おしさをも感じさせる声が、体を伝って鼓膜を震わせた。
「嘘を見抜いてしまう力なんていらなかった。そんな力を持ってしまった自分なんて大嫌いだった。
でも、そのおかげで私は真司くんに会えた。
だから私は今、ちょっとだけ、幸せだったって思うの」
頭の中が真っ白だった。
なぎさの言葉が、体温が、俺の思考を飛ばしたんだと思う。
何も考えられないまま、俺はゆっくり腕を伸ばした。なぎさが俺にそうしたように。
その刹那だったと思う。
どさ……と何かの落下するような音が、教室の出入り口から聞こえた。
カバンを落として立ち尽くす少女の姿。あかりが呆然とした瞳で、俺たち二人の姿を見ていた。
頭は空っぽでなにも考えられる状態ではなかったけれど。
よくない事態だということだけは本能が訴えていた。
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