第20話 やさしい嘘つき(4/4)
見られた。いや、それよりも。
聞かれた。
視線の交わった直後。何も言わずに走り去ったあかりの背中は、最悪の結末を予感させた。
『人の嘘を見抜けてしまう力なんて要らなかった。そんな力を持ってしまった自分なんて大嫌いだった』
決定的な告白を、あかりはきっと耳にしたのだろう。
なぎさはあかりの胸のうちを覗き見ながら、あかりと付き合っていた。
全てはそう思われる事態を避けるためだった。
なぎさが秘密を自分の口から語ることで。先に胸のうちをさらけ出すことで、あかりの警戒を解くことが目的だったのに。
——これではもう叶わない。
嘘を見抜かれることを恐れる少女と、なぎさが歩み寄ることは。
あんまりの結末に俺はただ立ち尽くすことしかできずにいた。
そんな俺の目に。
あかりの背中を追うように、教室を飛び出すなぎさの姿が映った。
なぎさの顔は、確かに前だけを見ていた。
離れていく背中はとても華奢だった。だがその背中が、立ち尽くすばかりの俺に、どれだけ力強く映ったかわからない。
誰よりも酷な思いをしたはずのなぎさが、俺よりも先に覚悟を決めて。
いつのまにか俺よりも前を走っている。
なのに俺は何をしているんだ。
無意識のうちに二人の姿を追っていた。
体の動くままに彼女らの姿を探した。自分に何ができるのかはわからない。それでも追わずにはいられなかった。
心臓が熱を帯びている。
思うに身を任せて、走って、走って、二人の姿を探した。
声を拾ったのは階段を降り切った先。家庭科室のある、廊下のつきあたりだった。
曲がり切った先に二人がいる。二人が言葉を交わしている。
「やっぱり、工藤さんはわかってたんだね。わたしが嘘つきだって」
自嘲するかのような声が聞こえた。
それは確かにあかりの声。
しかし感情のない、機械のような声に聞こえた。
「鋭すぎるとは思ってた。海の時も、ファミレスの時も。
わたしが嘘をつくたびに工藤さんは“本当?”って確認を取ってたもんね。
信じられないような想像だけど、わたしは『そうだったらどうしよう』ってずっと思ってた。
工藤さんは、わたしが本当はどういう人間なのか……見抜いてしまうんじゃないかって」
話の内容が見えてこない。俺が来る前になんらかのやりとりがあったのだろう。
それでも過去にない緊迫がそこに張りつめているのは感じた。
姿の見られないギリギリの場所に立ち、あかりの言葉を拾う。
「もう工藤さんとは後戻りできなくなるだろうから、言っちゃうね。
わたしは工藤さんがわかっているように、ひどい嘘つきだよ。
八方美人……って言えばいいのかな。
中学の頃にね。学校がすごく荒れていて、毎日トラブルに巻き込まれないようにって震えていて。
気が付いたらわたしはこんな人になっちゃったの。
家族に好かれたい。
友達に好かれたい。
先生に好かれたい。
クラスメイトに好かれたい。
誰にでもいい人に思われたい。
誰にも嫌われたくない。
この学校で、新しい自分になってやり直したい。
そのために嘘をついて、笑顔を貼り付けて。
顔色を窺って、自分を作って、演じて、演じて。
ずっとそうやって頑張った。仲間外れにされたり虐められたりしないように。
怯えてばかりの、何の魅力もない自分を隠して。
それでうまくいくって、思っていたの。誰も本当のわたしに気づいたりしないって。
工藤さんが来るまでは」
あかりの鋭い、けれど悲しい色を帯びた声が、面と向かっていない俺にまで突き刺さった。
「みんなが作り物の私を好きになってくれた。健太郎くんや真司くんと仲良くなれて、やっとわたしは自分の居場所を手に入れたんだって思った。
でも、そこに工藤さん。あなたが来た。
嘘を見抜くことのできるあなたが現れた。
怖かった。ずっと。いつ、あなたはわたしが嘘ばかりの人だと明かすんじゃないかって。
そうやってわたしの居場所を取るんじゃないかって」
「っ! 私はそんなこと言ったりしない!」
これまで拳を握りしめて黙っていただけのなぎさが、堰を切ったように言葉を漏らした。
「私は本当にあなたと友達になりたいと思ってた。だから」
「信じられないよ。そんなの」
昂ぶるなぎさの言葉に、冷や水のような声がかぶせられた。
「今はね。本当にそう思ってくれているのかもしれない。
でもいつか、わたしが気に入らなくなったり、邪魔になったりしたら言うでしょう?
わたしの人柄は作り物だって。周りに触れて回るでしょ?
——中学の頃はみんなそうだったもの。自分にとって邪魔な人は貶める。
可愛くて人気者の工藤さんなら簡単なことだよね」
「違う! 違うのに……!」
悲痛な声で叫ぶなぎさを、光のない視線が見据える。
心をあらわにしたあかりにはもう、なぎさの声は届いてはいないようだった。
気がつかなかった。
あかりはみんなに愛されているから。それだけ優しい心を持っているから。
人間関係で傷を負ったことなどない子だって、勝手に思っていた。
こんなになるほどの痛みを抱えながら、あかりは今まで笑っていたなんて。
どうして気がついてやれなかったんだ。
俺はコンクリートの壁に拳を打ち付けた。手ごたえも音もなく、ただ痛みだけがじんわりと筋肉へ広がった。
——。
俺はいま何ができる?
沸騰しかけた感情を殴った壁に受け流して、自分に問いかける。
口を挟んだところであかりの拒絶を解くことなんかできやしない。けどこのままじゃ二人が傷つくばかりだ。
止めるべきなのだろうか。無理にでも。
『いつまでも甘えてばかりの自分じゃ嫌だから』
——いつかなぎさは俺にそんなことを言っていた。
今日、なぎさは自分の力であかりと向き合おうとしていた。
だから今まで手を出すまいと思っていた。でももう、これ以上は見ていられない。
二人を止めるんだ。今すぐに……
覚悟を固め大きく息を吸う。そして二人の間に割って入ろうと踏み込む。
「あなたは嘘つきなんかじゃない」
俺が割って入る寸前。毅然とした声が廊下に響いた。
なぎさの声だった。
「あなたは八方美人なんかじゃない。作り物の人間性なんかじゃ、ない!」
なぎさが否定をしている。あかりの口にした自嘲のすべてを。
「何を言っているの? 嘘を見抜けるのなら、工藤さんは全部わかって……」
あかりが口をはさむ。しかしなぎさは止まらない。
ひたすらあかりの中に存在するはずの、あかりの弱い部分を否定した。
彼女はあかりの告白が本物だとわかっている。
それを否定するには……自分が嘘をつかなければならないと分かっているはずなのに。
“嘘をついてはならない”
その最大のタブーを犯してまで。
「双葉さんは嘘つきなんかじゃない!」
なぎさはあかりの苦しみを“嘘”にしようとしていた。
俺が駆け寄ったそのとき。なぎさの身体は糸の切れた人形みたいに膝から崩れ落ちた。
嘘をつくと起こしてしまう発作。
禁忌の代償が払われたのだ。
突然現れた俺と、前触れもなく気を失ったなぎさを目の当たりにして、あかりは身を固めていた。
その視線には気がついていた。だが俺には、説明するよりも先にやらなきゃいけないことがある。
『梶本くんにもこれを渡しておくわ。万が一の時には、お願いね』
初めて挨拶をした日に零歩先生が預けてくれた、なぎさの抗アレルギー剤を取り出した。
なぎさは薬を飲む間もなく倒れてしまった。しかしすぐに飲ませれば応急処置にはなるはずだ。
俺は錠剤を取り出し、なぎさの口に含ませた。呼吸が少し安定する。しかし動悸は早いままだった。
早いとこ休ませてやらなきゃならない。
ぐったりと横たわるなぎさの身体を支え、立ち上がった。
「——どういうことなの、真司くん。工藤さんに何が」
ようやくあかりが口を開いた。俺はあかりを振り返らず、足だけを止めて答えを返した。
「嘘アレルギーなんだ、この娘。だからなぎさは嘘を見抜ける。
そして自分自身も嘘をつくことができない」
「え?」
「嘘をつくとアレルギーで倒れてしまうんだ」
ごめん。本当は自分の口から言うはずだったのに。
胸の内で謝りながら、汗に濡れたなぎさの額をハンカチで拭った。
「あかりの話は聞かせてもらったよ。あかりがあんなに辛そうに見えたのは初めてだった。
気が付かなくてごめん。いつも一緒にいたくせに、わかってやれなくて本当にごめん。
でもさ。俺もなぎさも、たぶん健太郎も、あかりを好きなことは変わらない。
少なくともなぎさはそうだ。だからあかりの言う事を、必死で否定したんだ。
なぎさだけは本当のあかりを知っていてもなお、あかりと友達になりたがっていた。
それだけは、わかってやってくれないかな」
瞼を閉じたままのなぎさを連れて歩き出す。
あかりからの言葉はなかった。
ただ微かに、背後からすすり泣く声が聞こえた気がした。
下校時間のチャイムで、なぎさは目を覚ました。
「——ここは」
「保健室」
「私は……?」
「俺が連れてきた。三十分くらい眠ってたかな」
壁にかかっている時計に目をやり、弄っていたスマホを脇の丸椅子へと置いた。
「どう? 具合は」
「うん……身体は平気。先生は?」
「いないよ。校内の施錠に回ってる。話があるなら探してこようか」
「ううん、いい。それより双葉さんは」
視線を逸らす俺を見てなぎさが顔をゆがめた。
「や、でも大丈夫じゃないかな」
俺は繕うつもりで言ったが、なぎさはじっとこちらを見ると「——気を遣ってくれてありがとう」そう言って力のない笑顔を作った。
「やっぱり無理だったのかな。嘘アレルギーの私が友達と上手にやっていくなんて。
だっておかしいもんね。気持ち悪いもんね。
そんな子が近くにいたら、怖いに決まってるよね」
ぽつりと、白いシーツに滴が落ちる。
涙の溜まったその目には、抑え込んできた不安の全部が詰まっているようにさえ思えた。
「それでも、なぎさはあかりと仲良くなりたかったんだろう?」
「うん」
なぎさは目じりを拭いながら小さく頷いた。
「本気だった。私は双葉さんが何を隠していても、友達になりたかった。
わたしは嘘を見抜ける。だから、双葉さんが悪意のある嘘をついているわけじゃないのは分かっていたし、本当は優しい人だっていうことも分かっていたから」
「うん。俺もそう思うよ」
「でも受け入れてもらえなかった。やっぱり私なんて」
「そう結論を急ぐことはない」
なぎさの言わんとしていることをぴしゃりと遮った。しかし言葉は止められても、なぎさの表情が晴れることはない。
それはそうだ。俺が何を言っても、ただの慰めにしかならないのだから。
やはりあかりと会って、もう一度話すことができなければ。
言葉に詰まって視線を落とす。その時、保健室をノックする音が聞こえた。
「先生、戻ってきたのかな」
「いや」
俺は小さく首を振った。先生なら保健室へ入るのにノックなど必要ない。
来てくれたんだ。
俺は椅子を立ち「どうぞ」と扉に向かって返した。
出入り口の扉がゆっくりと開く。その向こうにいた人物と、なぎさの視線が重なる。
あかりが、顔を上げてそこに立っていた。
「——」
「——」
時間の流れが止まったみたいな沈黙が生まれる。
「入りなよ」
「う、うん」
あまりに気まずかったのだろう。あかりはずっと棒立ち状態だったが、俺の言葉でようやくこちらへ歩んできた。
なぎさはまだ目を丸くしたままあかりに視線を釘づけている。信じられない、といった様子で。
「真司くん。少し、外してもらってもいいかな」
そう言ったあかりの横顔には、まだほんの少し不安の色が見て取れた。けれどさっきまでとはまるで違う。憑き物が落ちたような、とても自然な表情だと思った。
「ん。俺はなんか飲み物でも買ってくるよ」
スマホを拾い上げ、ポケットへとしまう。
「工藤さん。意識、戻ってよかった」
「う、うん。心配かけてごめんね……?」
そんなやりとりを背に保健室の扉を閉める。と、同時に二人のやりとりは耳へ届かなくなった。
あの感じならたぶん大丈夫かな。
なぎさに気づかれないよう……入れっぱなしにしていたスマホの通話ボタンを切る。
小さく息をつきながら、ガラス越しに二人の姿を見た。表情は硬いが、穏やかに話している光景が見られた。
「お疲れ様。梶本くん」
その声に振り向くと、いつの間にか鍵の束を持った零歩先生が背後に立っていた。
「どう、うまくいきそう?」
「ええ。おかげさまで」
そう返すと「私は何もしていないわ」零歩先生は肩をすくめるような仕草を見せた。
「今はどういう状況なの?」
聞かれて、ここに至るまでの流れを大雑把に話す。
零歩先生にもかなりお世話になった。だから、事の顛末を話すのも義理だと思ったからだ。
俺が大方の説明を終えると、零歩先生は「やるわね、梶本くんも」となぜか俺のことを称賛した。
「アクシデントはあったみたいだけれど、なんとか二人が落ち着いて話せる状況にまで運んだじゃない」
「いえ、成行きでこうなっただけです」
「よく言うわ。あなたが“双葉さんをここに呼んだくせに”」
状況だけしか話していないのに、零歩先生にはまるで全部を見ていたような口ぶりで話した。
「なぎさちゃんと双葉さんが口論になったのを見て、あのままの二人では話がこじれると梶本くんは思った。
だから一時的に二人を引き離したのよね。
そして二人が落ち着いた頃合いを見計らって、双葉さんを保健室へ呼んだ。双葉さんはかなり気が重かったと思うわ。
でもあなたは双葉さんを安心させるために、なぎさちゃんの様子を伝えたんじゃない?
メールか……そうね。あるいはスマホを通話状態のままそばに置いておくとかして」
零歩先生の指摘に、俺は思わず息をのんだ。そんな俺に構わず、零歩先生は続ける。
「二人とも分別のある子だから、落ち着いてさえ話すことができれば、誤解を少しずつ解いてゆける。
二人をよく知っている梶本くんにはそれがわかっていた。
だからこの状況に持っていけるよう動いた。違う?」
「……。やっぱり超能力者(エスパー)じゃないですか、先生」
「いいえ。専門家(カウンセラー)よ」
零歩先生のはぐらかすような笑顔が俺へと向けられた。
「あなたやなぎさちゃんほどじゃないけれど、双葉さんも中学まで難しい環境にいた子だと聞いてた。
それでも今回のことをきっかけに、少しでも、あの子も自然体でいられるようになったらって思うわ。
それが同じく悩みを抱えているなぎさちゃんにとっても良いことだって思うから」
穏やかな微笑みが、扉の向こうにいるはずの二人の少女へと向けられる。
先生はもう確信しているみたいだった。なぎさとあかりが、少しずつでもお互いのことを理解していけること。歩み寄っていけるであろうことを。
「梶本くんのお蔭よ」
いつものように先生がそう締めくくる。だから俺もいつものように「俺のお蔭じゃありません」と返した。
二人とも難しいものを抱えていたみたいだけれど、根がいい娘なのは間違いない。
だから俺なんていなくても、いずれは上手くいっていたはずなんだ。
「俺はたまたまその場に立ち会っただけですから」
心からそう言ったつもりだが、零歩先生は
「あなたのそれも根が深いのね」
と、どうしてか少し残念そうなトーンで口にした。
「とにかく二人の件はこれで一件落着。
保健室はしばらく開けておくから、あまり遅くならないうちに帰るのよ」
最後にもう一度だけ二人のいる方へ目をやり、先生がその場を後にする。
俺は廊下に一人残され、やっと今日という日が終わったような気がした。
随分と大変なことはいろいろあったけれど、なんとか、なぎさがあかりと打ち解けられるきっかけを作ることができた。
これで人間関係の事はひとまず安心。あとの課題は進級試験のみ。その日に向けて努力をするばかりだ。
いまのなぎさなら大丈夫だろう。彼女は強くなった。困難な壁には違いないが、きっと乗り越えてゆける。
過去に立ち止まったままの俺と違って、彼女には前に進んで行ける力があるんだから。
「頑張れ。なぎさ」
足元に落としていた視線を上げて俺は呟いた。
小さなエールは扉に阻まれ、突き抜けるように伸びる廊下の向こうへと吸い込まれていった。
第五話『やさしい嘘つき』 了
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