第16話 少年少女の夏休み(4/4)

 合流したとき、健太郎となぎさは浜辺の隅でビーチボールを打ち合っていた。


「お、真司。パラソル立ててくれたんだってな。サンキュ」

「いや」

「後でジュースおごるからさ! さて、アレ始めよっか」


 健太郎はどこからか拾ってきた木の枝で、地面に線を描いた。


 広い四角形の枠に、中央を走る一本の直線。スポーツのコートのようだ。


「ビーチと言えばビーチバレーで決まりでしょ!

 第一回、健太郎杯の開催を宣言します!」


 そう言うと健太郎は片手を高らかに掲げた。


「早速チーム決めをしよう!

 男女別れてペアを作ろうか。僕と真司のペアじゃ強すぎるし」

「真司くん、バレー上手なんだ?」

「いやからっきし。健太郎が適当なこと言ってるだけだって」


 バレーなんてやったこともない。俺があかりの質問に首を横に振ると、健太郎は「よく言うよ」と口を尖らせた。


「その気になれば僕くらい運動できるくせに」

「け、健太郎くんくらい!?」


 そんなわけないだろ。健太郎は陸上で県記録を持っている男だぞ。


「二人ともあっさり騙されない。もういいから始めよう。チーム分けはじゃんけんでいいよな」


 勝手に話をまとめて拳をみんなの前に突き出した。


 三人ともそれにつられてグーを前に出す。なぎさだけがまだ少し驚いた表情のまま健太郎のほうを見ていた。


「さーいしょーはグー」


 一度目のじゃんけんで俺の勝ち抜けが決まる。そして二度目のじゃんけんを残りの三人で行う。


「健太郎くんは何を出すの?」

「お、何? なぎさちゃん心理戦?」

「グー?」

「そうだねぇ……じゃあグー出しちゃおっかなぁ」


 なぎさと健太郎がそんなやり取りをしながら、二度目のじゃんけんが決着。


 ペアはなぎさ・あかりペアと健太郎・俺ペアに分かれた。


「ってこれじゃ男女混合のペアにならないじゃん!」

「まぁハンデつければいいだろ。もう決まったし」

「何が悲しくて男同士のペアを組まねばならないのさ……」


 そっちが本音か。意気消沈する健太郎を差し置いてなぎさへボールを渡す。


 サーブ権は向こうから、男子は左手打ちのみのルールでゲームを始めることにした。


「頑張ろ。双葉さん」

「う、うん。よろしくね工藤さん」


 なんだかぎこちない二人だった。


 そしてこちら側には「ちくしょう! せめて真司より活躍してやるからな!」と意気込む健太郎。なんとも温度差のある両軍だ。


「いくぞ! おりゃぁぁぁぁぁ!」


 俺のあげたレシーブを、超人的な跳躍で捉えコートに叩きこむ健太郎。


 本業じゃないとはいえさすがのプレイングと言ってよかった。運動部のエースなだけはある。


 しかし驚きなのは女子の動きだった。おそらく本気ではないものの、なんと健太郎のスパイクをなぎさが拾ったのだ。


 しかもその拾ったボールをきっちりとあかりが上げ、なぎさが再びこちらのコートへ返してくる。


「マジかっ」


 完全に決めたつもりで立っていた健太郎は慌ててボールを追った。そして何とか拾うことができたものの、俺がその球を正確に相手のコートに返すことができなかった。


 女子チームに最初の得点が入る。


「ウソだろ……」


 健太郎が呟く。俺も思わず頷いていた。


 なぎさが引きこもり時代も自分で運動を続けていたのは知っていた。それにしたって運動神経は悪くない。


 そしてあかりも普通にトスを上げてくるとは。しかも連携まできちんとつながっている。


「実は相性いいのかもな。あの二人」


 向こうのコートではなぎさがあかりにハイタッチを求めていた。


「やったね、双葉さん」

「う、うん」

「トス、すごく綺麗だったよ」

「そ、そうかな。ありがとう工藤さん」


 しかしそわついた感じなのは相変わらずだった。


 その後も大した得点差がつくこともなく、試合は最後まで試合として成立していた。


 それぞれやりたいように動く健太郎と俺より、女子のほうがチームとしていい動きができているくらいに思えた。


 そして二ゲーム目を終え、キリのいいところで昼食を取る。


 あかりの弁当に加え、ちょっとしたものを海の家で買ってきて並べた。そして午後はスイカ割りとか砂の城を作ったりとか、健太郎の提案で休む間もなく色々な遊びをした。


 そして夕方。最後のイベントが幕を開ける。


「締めはやっぱこれだよね」


 手をだらりと下げた健太郎は、懐中電灯を顎から照らしながら声を出した。


「夏の夜と言ったらやっぱ肝試しでしょ。だよな、真司」

「いや花火とかいろいろあるだろ」


「そんで肝試しといったら男女のペアが基本だよな、真司」

「別にそうでもないと思うが」


「というわけでこれから岩場の祠へ二人一組で向かいます」


 聞けよ。と、そんな突っ込みも許さずに健太郎が話を進める。


「そんで今度こそ。今度こそ男女のペアで行くことにするんだからな!

 さすがにこればっかは真司がペアじゃ御免だぞ!

 というか今日の僕のペア、真司の率が高すぎだろッ!」


 健太郎は拳を震わせながら主張した。


「別に誰とでもいいだろ」

「いーや、嫌だね!

 例えば。例えばだぜ、真司。真司は僕が『キャッ☆』とか言って腕にしがみついてきたら嬉しいか?」


「ぶっ殺したくなるな」

「だろ!?  いや怖っ!

 だから今度こそちゃんと分ける!」


 理論は無茶苦茶だったが、言いたいことはわからないでもなかった。


 ちらりとなぎさ達のほうを向く。さすがに健太郎が可哀そうに見えたのかもしれない。それぞれ目で承諾の合図をくれた。


 まず健太郎と俺がジャンケンをする。健太郎が勝った。そしてなぎさとあかりがじゃんけんを始める。一回のじゃんけんであかりが勝ち、俺のペアはなぎさに決まった。


「じゃあ洞窟の向こうで合流な! 行こうあかり!」

「う、うん」


 意気揚々と出発する健太郎にあかりがついてゆく。あかりはちらりと視線をよこしたが、すぐに洞窟の闇に呑まれ姿が見えなくなった。


 健太郎のはしゃぐ声だけが小さく反響して外にまで漏れてくる。


「健太郎くん、すごく盛り上がってたね」

「そりゃあようやくヤツの目的が達成されたんだからね。

 ——というかなぎささんのせいでもあるけど。こうなったの」


 今日一日にやったチーム分けじゃんけんの数々を振り返って、思わず笑いが漏れた。


 なぎさはじゃんけんの度に健太郎へ何の手を出すか聞いていた。健太郎はただの心理戦だと考え、特に意識もせずそれに答えていた。


 そこに罠があるとも気づかずに。


「なぎささんは嘘を見抜く。だったら健太郎が何を出すか、あいつの返事から全部わかってたはずだよね」


 その指摘に、なぎさは隠すそぶりもなく頷いた。


 そう。なぎさは相手が返事さえすれば自在にジャンケンの結果を操れる。今日のチーム分けは全てなぎさの意図した結果に分けられたのだ。


「けどどうしてそんな事を」


 聞くとなぎさは「双葉さんともっと仲良くできたらって思って」少し翳りの混じる笑顔で応えてくれた。


「健太郎くんはああいう人だから、私のことにもすぐに受け入れてくれた。梶本くんもこんな私なのに辛抱強く相手をしてくれて、友達になってくれた。

 でも双葉さんとはまだ距離があるかなって。それで今日は少しでも距離が縮められたらって思ったの」


「なるほど。だからあかりとのペアになぎささんは拘ったわけか」

「うん」

「健太郎への嫌がらせかと思ってた」

「そんなつもりじゃないよ」


 俺の冗談に、なぎさが珍しくあどけない笑顔を見せた。


「それでね。今日はせっかくの機会だから双葉さんとたくさん話そうって決めていたの。

 けれどなかなかうまくいかなくて」


「確かに。なんか二人とも固かったね」


 俺の返事になぎさが頷く。


「何がいけなかったのかな」と呟くなぎさに、俺は「難しく考えることないよ」と楽観的に返した。


「俺や健太郎にだってあかりはすごく気を使う娘なんだ。

 今でこそそんな感じじゃないけど、出会った当初はバリバリの敬語で話されたんだぞ」


「そうなの? 今は想像ができないけれど」


「うん。でも健太郎が引っ込みがちな俺やあかりをうまく引っ張ってくれて、やっと今くらいにまで打ち解けられたんだ。

 だからさ。焦ることなんてない。きっと自然に打ち解けられるようになる」


「そうかな」

「そうだよ」


「そっか……」


 なぎさはまだ含みのあるような呟きを漏らした。だけど表情は、いくらか気持ちが軽くなったように見えた。


「どうしてもって言うならまずは呼び方からチャレンジする?」

「呼び方?」


「おもむろに『あかりん』って呼んでみるとか」

「は、ハードル高いよ」


 首をぶんぶん振って否定するなぎさ。ポニーテールが忙しく揺れている。


「まぁそれは冗談にしても、名前で呼ぶくらいはいいと思う。段階を踏んでさ」

「段階……じゃあ」


 なぎさは繰り返すと、真っ直ぐに俺のほうへ視線を向けた。


 近い距離。昼間のアレと同じ構図だった。


「段階、踏むね。……真司くん」


 なぎさが俺の名前を呼んだ。


 ……いや違う。


 俺を名前呼んだ。


「なぎささ」


 言葉を返しかけた俺の口元に、なぎさが人差し指を立てる。


「私のことも、なぎさ、って呼んで」


 胸のうちをくすぐる様な声でなぎさがそう言った。


「——」

「——」

「——」

「——。ダメ……?」


 子犬のような目でなぎさが俺を見上げる。俺は精一杯の力を込めて首を振った。


「いや、いやいやいや! ダメじゃない。駄目じゃないけど……」


 けど。けど何だ?


 言葉を見つけられずに、上ずった声ばかりが口から洩れる。


 しばしの沈黙が流れた。


 その沈黙を破ったのは、洞窟の向こうから聞こえる健太郎の声だった。


「おーい、真司、なぎさちゃん。まだかーっ」


 あまりに到着が遅いから心配したのかもしれない。微かにだが、あかりの声も健太郎の声に交じって聞こえた。


「——呼んでるね」

「——ああ」

「行こっか」


 その言葉に頷いて、なぎさの横に並ぶ。道中、なぜだか俺たちは何も言葉を交わすことがなかった。


 洞窟はそんなに距離はなかったはずだが、到着までの時間がやけに長く感じた。


 到着すると健太郎が「何かあったのか」と聞いてきた。それをなぎさが「大丈夫、心配かけてごめんね」と、いつものように返した。


「良かった。……何もなかったみたいで」


 あかりがほっと胸を撫で下ろしていた。それでようやく俺も「遅れてごめん」そう普通に返すことができた。


「健太郎たちこそ何もなく、無事に着いたのか」

「——むしろ何もなさ過ぎて不満だったよ」


 健太郎が苦い顔をする。そのわけを小声であかりに尋ねると


「わたし、お化けとか平気なの」


 と申し訳なさそうに答えた。


 何から何まで健太郎は気の毒な男になっていた。


「せっかく健太郎に気を遣ってペアを操作したのにな」


 脇にいたなぎさに耳打ちすると、なぎさは相槌のような笑みを浮かべた。


 しかし何も言わなかった。


「でもさ、健太郎。ここもなかなかいい場所だぞ」


 俺の言葉に、健太郎が顔を上げる。


「うん。夕日、すごく綺麗」


 そこは人の手が入っていない海岸で、自然の中に夕日が映える場所だった。


 穏やかなオレンジの光が水面に煌めき、散りばめた宝石の様にさえ見える。


「——まぁいいや! 今日楽しかったし!」


 いつもの調子を取り戻したかのように健太郎が伸びをする。


 それから「そうだ!」と思い立ったように俺たちの手を引いて、海岸を背に立たせた。


「カメラあるの忘れてた。せっかくだからさ。記念写真撮ろう!」


 いきなりの提案は相変わらずだったが、誰一人として戸惑うことはなかった。


「そういえば私たち、写真ぜんぜん撮ってなかったね」

「遊びに夢中だったもんね」


 あかりとなぎさが顔を見合わせて笑う。


 普通で自然な笑顔だった。それが妙に微笑ましく見えた。


「よし、タイマーをセットできた! 並んで並んで」


 健太郎が駆け足でこっちへ向かってくる。タイマーは10秒らしいが、健太郎は3秒くらいでこちらに並んだ。


「なぎさちゃん、ちょっと見切れるかもしれないからもうちょい左へ頼む!」

「うん。真司くん、少し詰めるね」

「了解。……なぎさ」


 俺となぎさの腕が触れる。半袖からすらりと伸びる少し日焼けした腕は、俺の体温より少し温かかった。


「——え?」


 耳に届いた呟き声。


 ちらりと視線を向けると、あかりが驚いた顔で俺を見ていた。


「こら真司、あかり! もうシャッター切るって!」

「あ、悪い」


 健太郎に諌められ、視線をカメラのほうに戻す。


 あかりが何かを言いたげな表情をしていたのは分かった。


 けれどそんな疑問も健太郎の「はい、チーズ!」の一言で頭からかき消された。


 レンズの脇が光り、それを追うようにしてぱちりと音が鳴る。


 なぜだかこの時撮った写真は一生の思い出になるような気がした。


 きっといい思い出になるだろう、と。


 この先に何が起こるか、俺は何も分かっていなかったから。






◇◇






 そして楽しかった時間は終わり、日常がやってきた。今までとはまた違う新しい日常が。


 夏休みに撮った写真の中の俺たちは一点の曇りもない笑顔で映っていた。


 音のない教室。


 俺たちはその写真を眺める。


 あの日と同じオレンジの夕日が、夕暮れの教室に差し込んでいた。






第四話『少年少女の夏休み』  了

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