第15話 少年少女の夏休み(3/4)

 八月中旬。海水浴場は人でごったがえしていた。


「これは待ち合わせ場所を決めとかないと迷子になるね。

 よし。みんな、着替えたら出入り口の前で集合!」


 健太郎の仕切りでなぎさ・あかりの女子組と別れる。海の家の更衣室はロッカーにほとんど空きがなく、ほどなくして俺と健太郎も別れてロッカーを探した。


 やや手間取ったが、無事に準備を済ませて集合場所に向かう。


 そこには右手にビーチボール。

 左手に浮き輪。

 口にシュノーケル。

 首からはカメラを提げた健太郎がいた。


 “完全体”という単語が意味もなく頭に浮かんだ。


「どれだけ満喫するつもりなんだお前は」


 そういうボケのつもりだろうか。そんな可能性も考えて一応は突っ込んでおいた。


 しかし健太郎は逆に「真司こそ何だその恰好はッ!」と返してきた。


「泳ぎにビーチバレーにスイカ割り、夜は花火にBBQ! 両手の指じゃ足らないイベントがここに待ち受けているんだぞ?

 そんな機会に装備がビーチバッグ一つとは何事か! 海に失礼ではないかッ!」


 ……。

 わかるようでよくわからん。


「そういえばあかり達は?」


 話を逸らすつもりで聞いてみる。健太郎はサメのビーチボートに空気を入れながら首を横に振った。どうやらまだ姿を見せていないらしい。


 まあ女子の更衣室のが混んでそうだしな。ぼんやりと更衣室のほうへ目をやると、にやけ顔の健太郎がサメを片手に俺の脇をつついた。


「なぁなぁ、真司。お前はどう思う」

「何が」

「何が、じゃないだろ。水着だよ水着。

 あかりとなぎさちゃんがどういう水着で出てくるか、妄想するだろ当然」


 当然か? そうは思ったが、悲しいかな、そこは俺も男だった。


 そんなの言われたら想像するに決まってる。


 二人とも控えめな性格だし露出は少な目かな。ワンピース系とかそういうタイプだろうか? 色は淡い系をイメージするなぁ。柄は水玉とかシンプルな感じか?


 そこまで考えたところで、頭を強く振った。


 いやダメだ。あんまりアホな妄想するのは止そう。健太郎じゃあるまいし。


 俺が自分を戒めていると、隣から健太郎の独り言が届いた。


「二人とも大人しいから肌はあんまり出さなそうだよね。ワンピースとかスクール系とか?

 色はピンクとか水色かなぁ。水玉とかもありそうだよな!」


 俺は天を仰ぐと、無言で健太郎をはたいた。


「え? え!? なんで今殴られたの!?」

「すまん。なんか悲しくなって」

「なんだそうか……って何が!? 意味わかんないんだけど!」


 健太郎が俺の肩をゆする。当然の抗議に俺はもう一度謝って、後からかき氷をおごる約束をした。「なら許すぜ」と言って満面の笑みを浮かべる健太郎。ちょろい男だ。


「にしても遅いなぁなぎさちゃんたち。せっかくカメラ用意して待ってるのに」

「そのカメラは水中カメラじゃなかったのか」

「当然さ。魚と美少女、どちらに興味があるかなんて言うまでもない」


 相変わらず欲求に真っ直ぐな男だ。まぁそれで悪いことをする奴では決してないし、この件は放っておくことにしよう。


 そんな話をしていた矢先だった。


「お待たせ」


 そんな声が俺たちの耳に届いた。健太郎とともに視線をやると、小走りにこちらへ向かうなぎさとあかりの姿があった。


「ごめんなさい。遅れちゃって」

「——」


 二人の姿に思わず立ち尽くした。


 なぎさは薄い水色のビキニに、青いハイビスカス柄のパレオを腰に巻いたクールな色合いの水着で上下をまとめていた。つばの大きな麦わら帽子も相まって涼しげな印象を受ける。


 あかりの水着は白のホルターネック。薄い桃色のフリルが、あかりらしい柔らかな印象を出していた。


 二人とも予想に反し露出多めな水着だが、似合っていた。


 思わず言葉を失ってしまうくらいに。


「どうしたの? 梶本くん」


 何も言葉を発せない俺になぎさが聞く。


「いや、驚いてたんだ。可愛すぎて」


 ——などと言えるわけもなく、無言で健太郎のほうを見る。健太郎は口を空けたまま凝視していたが、やがて眩しいほどの笑みを浮かべて親指を立てた。


「二人ともほんと最高だ! 二人とも素材がいいからさ、分かってはいたよ? でもこれは予想以上ってもんでしょう!

 ほんと生きててよかった! 神さまありがとうッ!」

「お、大げさだよ。健太郎くん」


 あかりが身体をもじもじさせている。なぎさは健太郎の言葉が100%の本音であるのを感じ取ったようで「ありがとう」と、混じり気なしの微笑みで応じた。


 その横顔がまたいつもと違って見える。


 なかなか動悸が収まらなかった。


「梶本くん?」


 視線に気がついたのか、なぎさが俺を覗き込んできた。


「どうかしたの? なんだかいつもより口数が少ないけれど」

「いや、何でもないよ」


 答えるが、なぎさは首を傾げて俺の目を見た。なぎさが嘘を感じた時にする仕草だ。


「——嘘。何か気になることがあるんだよね。遠慮しないで言って」


 咎める感じとは違う、優しい表情でなぎさが迫る。


 距離が近づき、見上げるなぎさの顔と、胸元が一緒になって視界へと入ってくる。


「ね?」


 小さく動くなぎさの唇。全身が固まって、視線が外せない。


 言い逃れはできそうになかった。観念して、俺は口を開いた。


「正直、健太郎と似たようなこと考えてた」

「え? それってさっきの……」


 歯の浮くような健太郎の叫びが脳裏に過ぎる。


 目を逸らすと、なぎさははっとしたように口元を押さえた。すると時間差でなぎさの頬が赤らみ、俺に向いていた視線は宙へと逸らされた。


「そ、そう……だったんだ。ごめんね梶本くん。変なこと言わせて」

「いや、いいよ。けど二人には秘密な。特に健太郎には」

「秘密ね。うん、秘密……」


 なぎさは繰り返すと、また口元を押さえて何かを呟いていた。


 俺みたいなむっつり系からこんな告白されたらそりゃ戸惑うよな。


 けどそれ以上に動揺しているのは言った本人なのだということはわかってもらいたい。


「ホント、あかり可愛すぎるぜ! 僕と同じ墓に入ってくれないか」


 ああやって自然に自分を表現できる健太郎はすごいと改めて思う。というかあれは本当に同じ思春期の男子なのだろうか。


 ハイテンションの健太郎が目に付いたのか、気がつくと周りの視線がちらほら俺たちに集まりはじめていた。


「もういいだろ健太郎。そろそろ泳ぎたくなってきた」

「だな! 行くか! 海が僕を呼んでいる!」

「あ、健太郎くん準備運ど……」


 あかりがそこまで言ったとき、健太郎の姿はもう声の届かない距離にあった。陸上部エースの脚力は砂浜でも如何なく発揮されたようだ。


「すごいね。健太郎くん」


 なぎさが感嘆の声を漏らす。健太郎のノリに慣れつつあるなぎさも、まだ完全に順応とまではいかないようだった。


「まぁあいつは良くも悪くもデタラメな男だから。

 ごめん、なぎささん、あかり。健太郎を追っかけてくれる?」

「うん。体操は大事だもんね。行こ。双葉さん」

「う、うん」


 あかりはちらりと俺に視線を送ると、なぎさに手を引かれて健太郎の足跡を追って行った。


 俺はその背中を見送ると、健太郎の投げ出した荷物を拾った。そして辺りを見渡しながら歩く。


 海の家や水場の近くのスペースはほぼ埋まっている。荷物を置けそうなのは岩場の傍になりそうだ。


 少し遠いけどわかりやすくていいかな。


 俺は荷物を置くと、健太郎のカバンからはみ出したパラソルを引き抜いた。







 パラソルを広げると、四人がぎりぎり入れそうな日影が砂浜に生まれた。


 昼ごはんはここで食べても問題なさそうだ。次は、と。


 健太郎の荷物を引き寄せて中身を漁る。中には手持ちの花火、トランプ、小型の水槽など大量の遊び道具がザクザクと出てきた。


 四次元ポケットがあるならこんな感じだろうと思う。


「しかしこれだけ荷物があってなぜアレがないんだ」


 呆れ半分に呟くと、


「はい。真司くん」


 声とともに、横から探していたものが差し出された。そこには遠足用のレジャーシートを手にしたあかりがいた。


「さんきゅ、あかり。健太郎たちは?」

「浅いところで泳いでるよ」

「あかりも行ってていいのに」


 俺の言葉にあかりが首を振った。


「真司くんだけに準備してもらっちゃ悪いよ。わたしも手伝うね」

「気が利くなぁ」

「それは真司くんのほうです」


 あかりはびしっと人さし指を立てて言った。


「もう敷いちゃってもいいの?」

「うん。あ、重りはそっちのペットボトルね」


 指示を受けてあかりが動く。あっという間に設置が完了してしまった。


「よっし。準備完了。あとは昼ご飯をどうするか」


 海の家、シーサイドレストランはもれなく人の列ができている。今のうちに注文聞いて並ぶほうがいいだろうか? 


 そんな考えを見透かしたのか、あかりは自分のバッグから包みを取り出した。


 それは学校で見慣れた、あかりがいつも弁当箱を入れている巾着袋だった。


「少しだけど、おかずになるものを作ってきたの。よかったらみんなで食べよ?」

「さすがあかり。抜かりないな」

「ホウレンソウ入りのだし巻き卵もあるからね」

「あ、それ俺が好きなやつだ」


 何から何までかゆいところに手の届く娘さんだ。

 

 あかりが弁当箱の蓋を開くと、中には色とりどりのおかずが綺麗に収められていた。


「野菜がたくさん入ってるのもすげえ助かる。あかりの弁当がなかったら栄養が偏って死んでるかもしれない」

「それは大げさだよ。でも真司くん、いつもパンばっかりだから……たくさん食べてね?」


 いろんな食材がバランスよく入った食事。レパートリーも豊富で、新メニューらしきものもある。何より作るたびにあかりの腕が上がっているのがわかる。

 

 まじで専属栄養士になってほしいと思った。


 俺は色々あって婆さんと二人暮らしだけど、あの人の作る料理に箸をつけない。というか喉を通らない。


 一日一食しか食べないから、昼に食べているものが栄養源の全てだ。たまに野菜ジュースは飲んでるけど、あかりはそんな俺の食事を気にしてくれている。


 この子がいなかったら俺はどうなってたんだと、今更になって思った。


「ほんとよくできた娘さんだ。いいお嫁さんになるな」

「もう……真司くんまで健太郎くんみたいなこと」

「いや本当に」


 それは日ごろから思っていることだった。あかりは俺の周りにいる誰よりも人のことを見ている。だから誰よりも人に好かれる。そういうところを友達として尊敬しているのだ。


 俺の言葉にあかりは小さくうつむくと「そんなに褒めてもらえるようなことじゃないの」そんなふうに呟いた。


「わたしは立派なんて言ってもらえるような人じゃない。

 よく気がつくって言ってもらえることもあるけど……ただキョロキョロしてるだけの子だから」


 なぎさじゃないが、それは本心からの言葉だとなんとなく思った。


 そしてそんなあかりの姿は、誰かに似ているような気がした。


「——さ、準備できたね。真司くんも行こう? 健太郎くんも工藤さんも待ってるよ」


 少し引っかかるものはあったが、いつもと変わらない表情のあかりを前に「そうだね」とだけ返して彼女の横に並んだ。

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