第14話 少年少女の夏休み(2/4)
「——というわけで、夏休みは海へ行くことになりそうです。なぎささんも一緒に」
放課後の保健室。俺は零歩先生を相手に、事の顛末を報告していた。
なぜか二人きりで。本当にどうしてこうなったのか自分でもよくわからない。
カウンセラーの零歩先生と廊下でばったり会い、ちょっと世間話を交わしただけのつもりだった。しかし会話に相槌を打つうちに、自然となぎさの様子に話が移っていったのだ。
もちろん本人のいないところでなぎさの話を積極的に出そうとは思わない。
しかし自分の話をしているうちに、どういうわけかなぎさの情報が先生に伝えられていた。
この人と話していると不思議なような、どこか引っかかるような気分にさせられる。
俺は考え事をしながら、ティーカップへ口をつける零歩先生を見ていた。
「そう。クラスでうまくやれているのね、なぎさちゃん。
よかったわ。梶本君のおかげね」
「そんなことありません。友達ができたのは本人の努力の賜物です」
「それはもちろん。けれどきっかけを作ったのは梶本くんでしょう?」
確かに健太郎やあかりと引き合わせたのは俺だ。だが健太郎は放っておいてもなぎさに声をかけただろうし、あのあかりがクラスメイトを敬遠することなどありえない。
クラスにあの二人がいた時点で、現状はある程度約束されたも同然だったのだ。俺の力なんて全く関係ない。
「僕は何もしていませんよ」
そう返すと「そう謙遜するものじゃないわ」零歩先生は少し陰のある微笑を浮かべた。
「もう少し自分を認めてあげてもいいはずよ。梶本くんは」
零歩先生が何を思ってそんな話をするのかはよくわからなかった。
だが水掛け論になるのも面倒だ。
「努力します」
そう返すと零歩先生の表情はいつもの上品な微笑みに戻り、この話題はそれで終わった。
嘘をつけるのって楽だと思った。
「それで海へ行くことなんですけれど」
「ええ、行ってくるといいわ。気分転換も大切なことよ?」
みなまで言わずとも、零歩先生はわかってくれているようだった。
「いくら休み明けに大事なテストだからって、勉強ばかりじゃ逆にはかどらないもの。
先生は大賛成だってなぎさちゃんにも伝えてあげて。でもハメを外しすぎたら駄目よ?」
「大丈夫です。健太郎もあかりも節度をわきまえる学生ですから」
「日塚君に双葉さん、それに梶本君。まるで問題の起きそうにない顔ぶれね。
安心して送り出せるわ。気をつけて行ってきなさい」
「——ありがとうございます」
零歩先生からお墨付きをいただくと、俺は紅茶のお礼を言って保健室を出た。
扉にはめられたガラス窓の向こうに零歩先生の姿が見える。先生は書類になにやらペンを走らせている。
その姿に視線を送りながら、さっきのやりとりのことをぼんやりと思い浮かべた。
『日塚君に双葉さん。まるで問題の起きそうにないメンバーね』
零歩先生は健太郎とあかりのことまで知っているのか?
この学校って千人くらい生徒がいたよな。健太郎なんかは確かに目立つ生徒だけど、下の名前を出しただけでわかるものなんだろうか。それもどんな人物かまで。
カウンセラーの先生は生徒のことに詳しいって聞くけど、まさか全員を把握してるんだろうか。だとしたら半端ないな。
感嘆のため息を残し、俺はその場を去った。部活の時間が迫っている。
試合も近い。頭を練習モードに切り替え、今日のメニューを考えながら歩いた。
夏休みに入ってからも、日暮れまで続く練習は毎日のように行われた。
選手たちの練習が7時まで。ミーティングの終わる頃には街灯に明かりが灯っている。
マネージャーの仕事を終えると、人影はほとんどなくなっていた。部室の施錠を確認して校門へと歩く。
試合の直前はこういう日も多かった。下校時間が過ぎると、学校は別世界のように静かな空間へと変わる。
だから帰りがけに誰かと会うのは珍しかった。
祐介先輩が倉庫の前で大きく手を振っていた。
「まだ帰ってなかったんですか」
「自主トレだよ、自主トレ。秘密の特訓ってやつだ。梶本もお疲れ」
「いえ、先輩も。気合入ってますね」
「そりゃあな! いっこ上の先輩たちにとっちゃ最後の試合だ。一緒に全国まで行きたい。
それに俺の奨学金もかかってるだろうし」
祐介先輩はにやりと笑うと、指で輪っかを作って見せた。
先輩はサッカーの推薦でこの学校に入り、その実績から授業料もろもろを免除されている。彼にもまた懸命になるだけの理由があるのだった。
「梶本が選手やってくれたらもっと楽に勝てるんだけどなぁ?」
どうよ? といわんばかりに流し目を送ってくる。俺はいつものように「冗談キツイです」そうあしらって返した。
中学の頃から100回くらい繰り返したやりとりだ。もはやお約束に近い。
「今の俺じゃ戦力になりませんから。マネージャーで頑張ります」
「お前は本気でそう思ってるから説得が難しいよ。
ま、いいや。気が変わったらいつでも言ってくれ。準エースの座が待ってるぜ」
「考えておきます」
気など永久に変わらないと思うが、そう返事をした。
「それはそうと梶本。夏休みのことで話があるんだが」
急に改まった感じになると、先輩はにわかに歩をゆるめた。
「試合前の調整ですか? だったらノートに」
「それじゃなくて、なぎさの話」
鞄に手をかけようとする俺を先輩の言葉が制した。
「本人から聞いたんだけどさ。梶本。
お前なぎさと海に行くって本当か?」
先輩の声色に身が固まる。
ちらりと横をうかがうと、先輩の視線がまっすぐこちらに向いているのに気がついた。
「まぁなぎさが言うなら嘘なわけがないよな。でも一応お前の口からも聞いとくぜ。
俺の可愛い妹と遊びに行くってのは本当か、梶本」
「——。説明をさせてください」
返答よりも先に前置きが口をついた。
先輩は何か危険な勘違いをしている。そんな空気がひしひしと伝わったのだ。
真司。お前はいま般若と問答をしていると思え。
俺は自分に言い聞かせると、ひとつ大きく深呼吸をした。
「実は夏休みになぎささんとクラスの友達と4人で海に行くことになりました。決してデートとかじゃなく、皆でわいわい遊ぶ感じですね。
俺の他には日塚と、あかりって女の子もいます。今回はなぎささんの歓迎もかねて集まろうということで、別に深い意味はないんですけどね。デートとは違うわけですし」
……。自分で言っててめちゃくちゃ言い訳がましく聞こえる。
さすがに不自然だっただろうか。大事なことを二回言ったのは逆効果だったか?
視線が彷徨う。明らかに戸惑った様子の俺に「別にそういう意味じゃないぞ」そう言って先輩はふっと笑った。
「まぁ少しは心配だけどさ。けどそれ以上に嬉しいよ。なぎさがまた友達と一緒に遊びに行けるようになるなんて、ちょっと前までは考えられもしなかった。
そりゃあ嘘で家族がばらばらになったトラウマもあるし、なぎさの嘘アレルギーが解決したわけでもない。
それでもあいつはちゃんと前進しているんだ」
話しながら先輩は遠くを見ていた。その視線の先には、普通に友達と遊んで、普通に家族と過ごせていた頃の妹の姿が映っているのかもしれない。
いつか先輩が話してくれたなぎさのトラウマが俺の脳裏にも甦った。
先輩となぎさは幼い頃に母親を亡くし、その後は父親の手ひとつで育てられてきた。そんな一家に転機が訪れたのはなぎさが中学の頃。父親が二人に再婚の相手を紹介したときのことだ。
見たことのない女性がいきなり母親になるかもと聞かされ、さしもの先輩も言葉を失った。多感な時期のなぎさも複雑な気持ちだったのは想像に難くない。
しかしなぎさは笑顔で父親の再婚を祝福したのだそうだ。
うちにお母さんができる。お父さんも寂しい思いをせずにすむ、と。
なぎさは精一杯、新しい母親に好かれようと努力をした。その先に新しい幸せが待っていると信じていた。
その幸せがまやかしであることも知らずに。
「――父さんが再婚相手に騙されて、残ったのは借金だけだった。
おまけに信じていた女に裏切られたショックで、なぎさがあんな体質になったって知った時はさ。うちはもう終わったかと本気で思った。
でも何とか声をかけ続けて、零歩先生や梶本に相談できるようになって、なぎさが学校に行けるようになって……夢を見ているみたいだ。本当に。
って、ちょい語りすぎか。俺」
「いえ、そんなことは」
照れを隠すように頭を掻く先輩に合わせながら、はっきりと答えを返した。
俺だって覚えている。初めてなぎさと顔を合わせた日のことを。
あいつは初対面の俺に敵意を剥き出しに接してきた。部屋の外にさえろくに出られなかった。
そうすることで、人と交わる恐怖から必死で身を守っているかのように見えた。
そんななぎさを先輩は一人で支えてきたのだ。借金を返すために働きづめの父親にかわって。零歩先生に出会うまで、ずっと一人だけで。
だからほんの小さな進歩にさえ、先輩が感極まるのも分かる気がした。
それだけのものを、きっと彼は積み上げてきたのだから。
「まぁ先輩が過保護なのは間違いないですけどね」
変な空気になるのも嫌だろうと思い、軽口に切り替える。「そうかぁ?」そう返す先輩も、いつのまにやら普段の調子に戻っていた。
「別に過保護じゃないぞ。ただ人よりちょっと妹が大好きなだけだ」
「それって」
「誰がシスコンだっ!」
「まだ何も言ってませんけども」
どうやら自覚はあるようだった。まあなぎさもそんな先輩を嫌がったりしないし、大事にされているならそれに越したことはない。
無条件で味方してくれる存在が家族にいる。それはすごく心強いことだと思う。
当のなぎさもいたって前向きだし、健太郎やあかりと友達になることもできた。零歩先生だって気にかけてくれている。
なぎさが独り立ちする日もそう遠くないように思えた。それこそ、俺のフォローなんていらないくらいに。
——まあ、それが今日明日のことってわけでもないだろう。任されていることはきっちりやる。その上で楽しく過ごせたらいいか。
そんなことを考えながら先輩とともに帰途へとついた。夜の空気はいつのまにか肌に心地いい温度に下がっていた。
七月が、もうじき終わる。
夏本番が楽しみだった。
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