第17話 やさしい嘘つき(1/4)

 終業のチャイムが鳴るのと同時に、教室のあちこちから疲労のため息が聞こえた。


「暑い……暑すぎる」


 第三ボタンまで開けたシャツの胸元に、下敷きで風を送りながら健太郎が愚痴を漏らした。


「なぁ真司。クールビズってさ、暑さを軽減するために涼しい服装をすることだよね」

「そうだな」


「政府が推奨してるんだよね」

「らしいな」


「女子のスカートも暑さで短くなったらいいのに」


 熱気で頭をやられたとしか思えない発言を残し、健太郎は机に突っ伏した。


 夏休み補習の後半戦。むせ返るような熱気の中の講義には、さすがの健太郎も気力を削られたらしい。声にハリが無くなっている。


「大丈夫? 健太郎くん」


 後ろの席で授業を受けていたなぎさが声をかける。健太郎は机にへばりついたまま顔だけを横に向けた。


「あぁ……お花畑の向こうでばぁちゃんが手を振ってる」


 ちなみに健太郎のばあちゃんはご存命だ。こいつが見ているのは誰のばあちゃんなのだろう。


 反応に困るボケになぎさも苦しい愛想笑いを浮かべた。


「真司くん。健太郎くんって暑いの苦手なの?」

「いや、気温そのものより“暑い中での勉強”が堪えたんだと思う。なぎさは結構平気そうだね」


「うん。授業中は集中してたから。でも今は少し暑くなってきたかも。双葉さんは大丈夫?」

「え、あ、うん。平気……だよ」


 なぎさの振りに、あかりがはっとしたように返事をした。


「なぎさちゃんもあかりも強いなー。僕もう動けない」

「そうか。じゃあ俺ら昼飯行ってくるな」

「いやそこは置いてくなよ!」


 焦ったように健太郎が起き上がる。その反応を見てなぎさがくすりと笑った。


「よーし。もう暑いとこイヤだし、ファミレスでも行こうぜ!」


 グーを突き挙げた健太郎に「行こう行こう」となぎさも小さく拳をあげた。


 こういう反応もするんだな。馴染む努力の一環なのかもしれないけれど、健太郎のノリに合わせるなぎさが新鮮に見えた。


 というか最初のツンツンしていた頃を知っている分、余計に可愛らしく見える。


「——かわいいよね。工藤さん」

「え」


 見透かしたかのような呟きに、思わず間抜けな声が漏れた。


 横には、俺と同じようになぎさへ視線を向けるあかりの姿があった。


「なぁにを言う! あかりだって負けてないぜ。自信持て!」


 呟きを聞き拾ったらしい健太郎が親指を立てる。「そ、そんなことないよ……」あかりはなぎさから視線を外すと、困ったような笑顔を浮かべた。


「ではクーラー利いたお店へレッツゴーだ!」


 健太郎の仕切りで俺となぎさが席を立つ。しかしあかりは椅子に腰を掛けたまま、机上のカバンに目を落としていた。


「どした? あかり」


 俺の質問に、あかりは「ごめんなさい」と申し訳なさそうに両手を合わせた。


「今日ね。用事があるの」

「まじで!? 飯行ってからじゃ間に合わないのか?」

「え、あ、うん。その……ごめんね」


 残念そうな健太郎の反応に、さらに申し訳なさそうな顔をするあかり。


「用事じゃ仕方ない。謝ることじゃないよ。だよな? なぎさ」

「——双葉さん。どうしてもだめ?」


「え、その……ごめんなさい」

「……。

 そうなんだ。また今度、双葉さんも一緒に行こうね」


 なぎさがうまく相槌に合わせてくれ、その場が収まる。


「ありがとう、真司くん。……工藤さん」


 あかりはほっとしたような声で、そう言葉を返した。


 こんなやり取りを経て、今日は三人で昼食へ向かうことに決まった。


 挨拶を交わし三人で教室を出る。


 出発間際、なぎさだけが最後まで、教室に残るあかりのことを気にかけていた。







「避けられてる気がする?」


 健太郎がトイレに立った矢先、藪から棒な相談をなぎさが切り出した。


「あのあかりが? なぎさのことを?」


 何度も聞き返す俺。そして聞き返すたびに、なぎさが律儀にも首を振る。


「あかりと何かあったのか」


 今度は首を横に振るなぎさ。


 その反応に俺は「じゃああり得ないだろ」と間髪を入れず返した。


「あかりはわけもなく人を避けるような娘じゃない」

「うん。私もそれはわかってる。でも……」

「どうしてそう思う?」


 何か思うところがあるのだろう。すぐれないなぎさの表情が引っかかり、俺はなぎさの言葉を待った。


 溶け始めたアイスコーヒーの氷がカラン、と涼しい音を立てた。


 店内のBGMと雑音が沈黙を埋める。


 なぎさは何度か口を開こうとしては躊躇う仕草を見せた。が、最終的に


「ごめんなさい。理由は、言えないの」


 心苦しそうに、微妙な返事を寄越した。


 避けられている原因はないのに、そう思う理由は言えないというなぎさ。


 一瞬、どういう思惑がそこにあるのかはわからなかった。けれど俺は「わかった」と、それ以上追及しない構えを示した。


 言わないのとは違う。


 なぎさは「言えない」と言ったからだ。


「でも確かに、あかりとのやりとりはぎこちないとこあるな」


 言われてみれば海に行った時も、ここに来る前のやりとりでも、ぎこちなさを感じた節はある。


 愛されキャラのあかりにしては少し様子がおかしい。


「なにか悩んでる、とかかな」

「なになに何の話?」


 アイスを浮かせたソーダを片手に、いきなり健太郎が割って入る。突然の出現になぎさがびくりと体を震わせた。


「あれ、どしたのなぎさちゃん。なんかまずい話でもしてた?」


 健太郎の指摘になぎさが押し黙る。嘘をつけない彼女はこの手の追及をごまかすことができない。


「いや、あかりがなんか悩んでるんじゃないかって話」


 嘘を交えず、しかしなぎさの体質に話が及ぶことはないよう答える。


 健太郎は俺が代わりに答えたことを不自然に思う様子もなく「悩みねー」そう言ってアイスの上のチェリーを頬張った。


「健太郎はそう思わないか。あかりの様子がちょっと変だとかさ」


 聞くと健太郎は「僕、悩んだことないからわかんないな」そうしれっと答えた。


「悩む暇があるなら、一分一秒でも早く何かやったほうが得じゃん?

 悩むって行動に利点があるとは思えないね」


「お前は凄いな」

「お。褒められた!」


 胸を張る健太郎。俺となぎさは呆気にとられるばかりだった。


 悩むという言葉を感覚ではなく、行動と捉えるか。やはりこいつはどこか人間離れしている。


「でもさ。あかりが困ってるならそれを放っておくわけにはいかないよな。

 というわけで真司! あかりの悩みを探るんだ!」

「は?」


 放っておけない~のくだりまで恰好良さげだったのに、なぜか最後を他力で締めくくる健太郎。


「どうして俺を名指しする?」


 聞くと「そりゃあかりに聞くなら真司でしょ」と、ストローをくわえながら健太郎は答えた。


「ね。なぎさちゃん」


 あらぬタイミングでなぎさへとフリが向けられる。


 なぎさは少しだけ迷ったみたいだが頷いた。


「双葉さんがいちばん心を開いているのは真司くんだと思う」

「だから何で」

「だってあかりはさ。真司と話すときだけ、はっきりモノ言うじゃん」


 今の今まで自覚していなかったことを、さも当然のように二人が言う。


「あかりはいつも気を遣って話すよな。言葉を選ぶみたいにさ。

 けど話しやすいのかな。あかりは真司と話すときだけ『あの』とか『えと』みたいに間を置かないで喋ってる。

 気づいてなかったのか?」


「いや気が付くもなにも」


 寝耳に水もいいところだ。自分が話しやすいタイプだなんて一度も思ったことはない。


 しかしなぎさも健太郎の言葉に頷いて聞いている。


 多数決で言うところの二対一。


 あかりの悩みを探る役は、俺がやる流れらしい。


「わかった。やってみるよ。

 けど過度な期待はしないでくれ。カウンセラーじゃあるまいし」


 前置きを挟んだ上での答えに健太郎は「カウンセラーね……」呟いて手を口元にあてた。


「まぁとりあえずやってみてよ。やって損なことはないだろうし。

 手伝えることは何でも手伝うからさ。頼んだぜ」


 そう言って健太郎が俺の肩に手を置く。


「——。期待はするなよ」


 俺は健太郎の手を払うと、携帯のカレンダーを開いた。


 来週の土曜日が空いている。補習もない。


 誘うならこの日だ。アドレス帳を開き、俺は意中の女の子へメッセージを送った。

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