第31話 帰ってきたよ(おまけ3/4)
早朝。私は深呼吸をして家を出た。
まだ空が白くなって間もない時間帯。冷たくて澄んだ空気の中、どこからかバイクの音が聞こえてくる。
部活を頑張ってる人たちってこんな早くから学校に行くんだ。
私は目を擦りながら、大きなバッグを肩にかける兄の姿を思い浮かべた。
って言っても、今日の私はお兄ちゃんよりも早起きをした。
朝練に行く途中ならさすがに誰とも鉢合わないはず。そう思ったからだ。
サッカーの試合を境に、真司くんの人気は衰えを見せない。もちろん話す機会がないわけじゃないけれど、一緒にいる時間は明らかに少なくなってしまった。
そこに現れたカナデさんという存在。大丈夫だと思うけど……思いたいけれど、真司くんが他の女の子といい感じになっちゃうんじゃないかって、不安になってきたのだ。
なので今日は早起きして、髪型のセットとか、肌の手入れに時間をかけて家を出た。髪留めを選ぶのにすら15分くらいかかった。
朝は一分一秒でも寝ていたいタイプのくせに。
こんなことをするのははじめて。こんな気持ちになったのははじめてだった。
——ただ私は部活をしていないから、本来こんな時間に登校することはない。お兄ちゃんと真司くんと3人で登校するときもあるけど、それは朝練がない時だ。
そうなれば当然、真司くんは聞いてくるはず。こんな早くからどうしたのって。
この間は答えを準備してなかったから慌ててしまった。なので、図書館で自習をするからついでに、という言い訳を用意しておいた。
ちゃんと参考書はカバンに入れてある。嘘にはならない。
『こんな朝から自習なんてえらいな。なぎさ(頭ぽんぽん)』
『そんなことないよ。それでね、数学でちょっとわからないところあるんだ。
真司くんさえよければ、また勉強教えて欲しいな(上目づかい)』
『なぎさは頑張り屋さんだな。
いいぜ……手取り足取り教えてやるよ(キラン)』
——うん、いい……。これでいきましょう。
なんか都合が良すぎる妄想っていうか真司くんのキャラもおかしかった気がするけど、真司くんの数少ない不満は押しの弱いところだ。なのでそういうキャラ変は大歓迎。
心なしか足取りが軽やかになる。角を曲がると真司くんの家の軒先が見えた。そして。
その家のピンポンを連打しているカナデ先輩の姿が見えた。
「ちょ……っ!」
私は思わず先輩の元に駆け寄った。
え、嘘。なんでいるの?
気になるところは色々だけど、ひとまず早朝の呼び鈴連打は見過ごせない。そう思った。
「あ、なぎさちゃんだ。おはよっ!」
「おはようございます……じゃなくて!
朝から何してるんですか! 家の人の迷惑になりますよっ」
「だいじょーぶよ。この家のピンポン、故障しててすっごい音小さいから」
「え……?」
初耳だった。お兄ちゃんと真司くんを迎えにきたこともあったけど、普通に出てくるから気にしたことがなかった。
「でも、カナデ先輩。どうしてそんなことを」
「だってよく遊びに来てたし。っていうか」
——遊びに来てた? っていうか?
「……うふふ?」
口元を隠しながら、先輩が意味深に微笑む。
……すー、……はー。
落ち着くのよ私。まだ慌てるような時間じゃないわ。
わかっている。真司くんの時もそうだったけれど、この人はおちょくっているのだ。
取り乱したら先輩の思うつぼ。いいようにはさせないんだから。
そんなことを思っていると、玄関から真司くんの姿が見えた。
「あ、おはようなぎさ……とカナデ先輩?
え、どうして二人で」
二人で来たわけじゃなくて、単なる偶然だ。それを真司くんに伝えると「いつの間に仲良くなったのかと」と笑った。
いえ。仲良くなってはいないです。
「こんなカワイイ女子を二人もはべらせちゃって。真司くんもやり手ねぇ」
「はは……。でも、なぎさは朝練の時間に出るのは珍しいよね。なんか用事?」
——来たこの展開。シュミレーション通り!(カナデ先輩がいる以外は)
「えっとね。勉強が難しくなってきたから、図書室で自習しようと思って」
「こんな朝から? 偉いな」
「そ、そそそんなことないよ」
そそそ? 私が噛んだ部分を繰り返しながら首を傾げる真司くん。
イメージ通りの流れなのにどもってしまった。練習と本番は違う。
もう一度。落ち着いて、
「それでね、数学でちょっとわからないところあるんだ。
真司くんさえよければ、また勉強教えて欲しいな」
「いいよ。練習上がったら暇だから、いつでも言って」
そう言って真司くんは優しく微笑んだ。
よしっ! うまく約束を取り付けられたよ!
頭ぽんぽんはなかったけれど、おおむね計画通り。頑張って言って良かったぁ。
「あら。真司くんって教えられるほど数学得意なの?」
「まぁ、得意な方です」
「それじゃあ保健体育の実技はお姉さんが教えてあげちゃおっかなぁ?」
「——。……ちょっ!」
ふわふわした気分から引き戻されて、私は裏返った声を上げた。
油断も隙もない!
「そ、そういうこと平気で言わないでください! 真司くんだって男の子ですよ? 本気にしたらどうするんですか!」
「いや本気にしないけど……」
「えー? ホントよぉ。半分は」
長いツインテールの先を指でくるくるさせながら、流し目を送るカナデ先輩。
わずかに肌がピリッときた。これは嘘の感覚。
よかった、冗談なのは本当みたい……いやちょっと待って。半分は?
あとの半分は何?
「——カナデ先輩の言うことを全部気にしてたらキリがないよ。なぎさ。
こんなノリだけど、悪い人じゃないから」
私へのフォローなのか、先輩へのフォローなのかわからないこと真司くんが言う。
「それより、カナデ先輩こそなんですか。朝早くから」
歩きながら、隣のカナデ先輩に真司くんが尋ねた。
そう、それ。そもそもなぜこんなタイミングで鉢合ってしまったのか。ずっと聞きたかった。
カナデ先輩は歩いている方をそのまま見ながら答えた。
「そんなの、真司くんの顔を見にきたに決まってるじゃない」
先輩はすごく自然に口にして。
「先輩はいつもそればっかですね」
真司くんもすごく自然に返した。
まるでそれが、何十回と繰り返した日常みたいに。
そのくらい自然なやりとりだった。
「カナデ先輩は……真司くんとどういう関係なんですか?」
私は思わず口にしてしまった。二人はキョトンとした顔で顔を見合わせている。
「——あれ、なぎさちゃん。もしかしてこの間のお返し?」
「どうなんですか……?」
こっそり握った拳が、震えた。
カナデ先輩はおばちゃんみたいな身振りを添えて「ただの中学の先輩と後輩よ」と答えた。
「嘘」
ただの、じゃないよ。私にはわかるもの。
私の呟いた声が聞こえてしまったのだろう。カナデ先輩は、はじめて困ったような表情を浮かべた。
「俺が中学の頃に引きこもりだったのは、なぎさにも話したよね」
黙ってしまったカナデ先輩の代わりに答えたのは真司くんだった。
「家に引きこもっていた俺を外に出してくれたのが、このカナデ先輩なんだ」
引きこもっていた真司くんを……外に出した?
胸のうちで呟きながら、私の頭には一日中ジャージ姿で過ごしていた頃を姿が浮かんでいた。
何もかもが辛くて。自暴自棄になって。そんな頃が私にはあった。
そんな時に手を差し伸べてくれたのが真司くんだった。
真司くんが私を暗闇から救い出してくれた。それがどれだけ嬉しかったかわからない。
——真司くんにもそんな時期があって。苦しくてどうしようもない時期があって。
その時、そばにいたのがカナデ先輩だったんだ。
真司くんが世間話のように、昔の話をしてくれている。でも全然耳に入ってこない。
カナデ先輩は心配そうに私に視線を送り、何か話を振ってくれている。でも何も答えられなかった。
泣きそうになるのをこらえるので、今は精一杯だった。
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