第32話 帰ってきたよ(おまけ4/4)

 昼休み。私は一人、中庭にいた。


 昼間の空気も冷えつつある11月の中庭は人影もまばらだった。


 あかりにお昼を誘われたけど、今日は断った。朝のこともあって、なんとなく真司くんと顔を合わせづらかったからだ。


「——わかった。なぎさちゃん、また今度ね」


 誘いを断られたあかりは理由を聞かなかった。


 聞かれたら、嘘をつけない私はなんて答えていたんだろう。困ってしまう。


 それを見越してあかりは何も聞かなかったのかもしれない。


 私が理由を言わない時は、言いたくない時。気持ちを汲んでくれたんだと思う。本当によくできた子だ。


「それに比べて私ときたら……」


「うんうん。わかるわかる。

 で、なんの話?」


「私は自分のことばっかりで悩んで……。

 !?」


 隣から差し込まれた相槌に、私の体が固まった。


 恐る恐る横を見る。お弁当を広げたカナデ先輩がニコニコしながら私をみていた。


 いつからいたの?


「いやあ、お散歩してたら偶然なぎさちゃんの姿を見つけちゃったから。ご一緒しない?」


 ピリッとくる感覚。


 私の身体が判定している。カナデ先輩が偶然来たというのは嘘だ。


「なにかご用ですか?」


 尋ねると、カナデ先輩は「うん」と素直に頷いて返した。


「お礼がまだだったから。一度、ちゃんと話したいなって」


「お礼?」


 私は多分、怪訝な顔で返事をした。


 カナデ先輩と出会ってまだ数日。軽くおちょくられるようなやりとりしかしていない。


 感謝されるようなことに心当たりがなかった。


 でも今度の先輩の言葉にはない。


 カナデ先輩は「真司くんのことだよ」と、穏やかな顔で口を開いた。


「あの超絶引きこもりだった真司くんが、サッカーの試合に出てた。

 裕介くんから聞いたよ。なぎさちゃんのおかげなんだって」


「裕介……お兄ちゃんのこと、ですか?」


 中学の時、お兄ちゃんが真司くんと同じ部活だったのは聞いていた。だからカナデ先輩とお兄ちゃんに繋がりがあるのは不思議じゃない。ただ、連絡を取り合っている仲だというのは初耳だった。


 驚く私に、カナデ先輩は頷きながら続けた。


「私と裕介くんは、実は小学校の頃からの付き合いでね。同じサッカーチームにいたの。

 6年生までは男の子に混じって試合にも出てたから、なぎさちゃんも応援に来てたならどこかで会ってるかもね」


 お兄ちゃんが所属していたクラブチームは、小学生ながら精鋭を集めたチーム。その中に一人だけ女子がいたのはなんとなく覚えている。しかしそれがカナデ先輩だったというのは、言われるまで気づかなかった。


 カナデ先輩は中学でもサッカーを続けたかったらしい。しかし、徐々に見え始めた身体能力の男女差。ついていくのは小学校の卒業までが限界だったのだという。


「それでね。もともと私もサッカーが好きだから、裕介くんやクラブチームの友達と試合を見に行ったりもしていたの。

 その中で一番心に残っているのが……当時6年生だった真司くんの出ている試合だった」


「真司くんの試合?」


「そう。真司くんは小学校の頃まで、日本代表の一員だったんだよ」


 それは聞いたことがある。事故に遭うまで、真司くんは将来を嘱望されるプレーヤーだった。何かの代表にも選ばれていたって、お兄ちゃんも言ってた気がする。


「はじめてみた時、本当にびっくりしたよ。こんな小学生がいるんだってね。

 隣にいた裕介くんは『絶対あいつよりうまくなってやる』って目をキラキラさせながら言ってた。

 私は……きっとあの時かもね。女の子が男の子に混じってプレーするのは難しいって思ったのは。

 でも地元が一緒だから、私はマネージャーだけど、中学になれば同じ部活に入れる。一緒にサッカーができる。

 それが楽しみだったのは、裕介くんも私も一緒だったと思う」


 それから1年後。真司くんはお兄ちゃんやカナデ先輩と同じ中学に進学。


 当時はお兄ちゃんとも部活が同じというだけの先輩後輩だった。真司くんが事故に遭って、家から出なくなるまでは。


「なぎさちゃんも真司くんと同じ中学だったよね。当時のことって」


「いえ……。同じクラスになったことはなかったし、人数も多い学校だったので」


「そっか。

 あの頃、色々あってね。真司くんは変わっちゃった」


 無理もない事情があったんだけど、とカナデ先輩が付け加えた。


 私はそのあたりの事情を真司くんから直接聞いている。だから黙って頷いた。


 その反応で、私に事情が伝わっているのがわかったのだろう。「なぎさちゃんには遠回しに言うことなかったね」と、カナデ先輩はばつが悪そうに舌を出した。


「私と裕介くんで真司くんの家に行ったら、昔の真司くんはもういなかった。でも、私たちはどうしても真司くんに戻ってきてほしかった。

 二人で色々やったんだけどね。チェーンソーでドア壊してみたり」


「ちぇ、チェーンソー?」


「冗談よ♪」


 よかった冗談……じゃない!


 私の体が反応していない、ということはこのチェーンソーのくだりは真実だ。


 急にぶち込まれたエピソードに固まる私。を見て、ケラケラ笑っているカナデ先輩。


 何なのよもう。


「え、でも先輩とお兄ちゃんのおかげで、真司くんの引きこもりは解決したんですよね。

 真司くんはそう言って」


「——“解決“をどう捉えるかだけど、そう思わなかった、かな。

 私が手伝えたのは、彼がまた学校に通えるようになったところまで。

 登校した真司くんが再びピッチに立つことはなかった。心の傷まで治してあげることはできなかった。

 でもあれから長い時間が経って……真司くんがなぎさちゃんと出会って。

 久しぶりに裕介くんから連絡があったの」




 留学に行っていたカナデ先輩の元に届いた、お兄ちゃんからのメッセージ。






 なあ、カナデ。あの頃の真司が帰ってきたよ






 短いけれど、思いの全部が込められたメッセージだったという。

 



 間もなく留学先から戻ったカナデさんは、サッカー部の試合に足を運んだ。応援していた私と目があったあの時は、そんなタイミングだったようだ。


「びっくりしたなぁ……本当に真司くんがサッカーしてたから。それにうれしかった。

 で、そんな真司くんの力になってくれた裕介くんの妹ちゃんは一体どんな子なのかなって」


「——それで色々ちょっかいかけてきたんですね」


 あ。先輩相手についストレートな言い方をしてしまった。


 しかしカナデ先輩は気にしていないようで「ごめんねえ。可愛かったからつい」と悪びれもせず応じた。


「ありがとうね。なぎさちゃん。真司くんの力になってくれて」


 それから、カナデ先輩は私の両手をぎゅっと握った。


 気のせいかもしれないけれど、目尻にうっすらと涙が光ったように見えた。


「カナデ先輩は、どうしてここまで……」


 つい口に出してしまった一言。言ってから、しまったと思った。


 これは実質、「カナデ先輩は真司くんのことをどう思ってるんですか」と聞くのに近い。


 うるさいくらいに心臓が跳ねる。


 カナデ先輩は唇に指を当てながら「うーん」と小さく唸った。そして。


「ずうっと憧れだった人だから。それとカワイイ後輩だから、かな」


 ……。


「そ、それはどう捉えたらいいですか?」


 ほぼ彼女(自称)としては非常に困るところなんですけど。前半の意味合いが強めか後半が強めかでも変わってきますし。


 食い下がる私を見て、カナデ先輩はまた悪戯っぽく笑った。


「なぎさちゃんに感謝してるってことはそういうこと、かもね」

 

「かも? かもって何ですかぁ……!」


「——なぎさちゃんってほんとカワイイ♪ 裕介くんも何でこんな可愛い妹がいるのを黙ってたかなぁ。

 私、なぎさちゃんのことも好きだよ」


「それはありがとうございま……今、『好き』って言いましたか!?」


 あたふたする私を見て小悪魔的な微笑みを浮かべるカナデ先輩。


 先輩は曖昧な言い方をするし、どっちつかずな感情を込めて発言するから真意が見えにくい。


 ——あれ? でも私に嘘は通じないはず。


 だったら私はこういうことで戸惑ったりなんかしないはずなのに。


 ぼんやり浮かんだ違和感。しかしカナデ先輩とのやりとりに必死で、そんな違和感はすぐ頭の片隅に追いやられた。


 とにかく今はこの女(失礼)が私の真司くん(自称)を狙っているのかどうかっ!


 お弁当の箸が全く進まないまま、昼休みの時間が過ぎてゆく。


「ほらなぎさちゃん。午後からお腹減っちゃうよ。

 私のおかず、おひとつどうぞ」


「あむ……ご、ご馳走さまです」


「今、私がなぎさちゃんの口に入れたやつね。真司くんがおいしいって言ってくれたやつだよ」


「どうしてそういうこと言うんですかッ!」


 あかりといいカナデ先輩といい、どうして手作り弁当を男子に振る舞うなんてフィクションみたいな女子高生がこんなにいるのよ!


 私が引きこもっている間にそんなトレンドにでもなったの……?


 来年の抱負は“料理”にしようかしら。本気でそんなことを思った昼下がりだった。

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