第3話 つけない嘘(3/4)


 なぎさへのアプローチ開始から二週間。


 俺たちの計画はあまり前進していなかった。


 開始から週3くらいのペースで先輩の家に顔を出したが、なぎさはまともに俺の相手をしてはくれない。


「思った以上に厄介ですね。なぎささんのあの体質は」


 体質というのはもちろん、嘘を見抜くあの特殊能力のこと。


『なぎさは嘘ってモノに対して、限りなく過敏な体質になったんだ』


 最初は話半分だったが、今や疑う余地すらない。


 なぎさにあの力さえなければ、まだ楽にコミュニケーションを取れたことだろう。嘘やごまかしを排除した会話がいかに難しいか。俺はなぎさと出会ってはじめて知った。


 自分が人と接するとき、どれだけ嘘に助けられてきたかを自覚した。


「腹を割る関係ってのは、適度な距離感ができてはじめて成立する人間関係だしな。

 初対面から本音のやりとりをするのはやっぱ難しいか……」


 ちなみに先輩だけは、なぎさが引きこもる前から。あの体質になる前からコミュニケーションをとっていた人物だ。


 いま先輩がなぎさと話ができるのは、その頃からの関係があるからにすぎない。そう先輩は語った。


「梶本に会ってもらったり、三人で喋ってみたりもしたけど……意味ないんだろうか」

「そんなことは……ないと思います」


 申し訳なさそうな顔の先輩に、俺はそう返した。


 なぎさとの会話は相変わらず弾まなかった。冷たい態度をされることがほとんどだった。


 彼女の機嫌しだいでは門前払いを食らうこともあった。正直、続けるのが嫌になりかけていたこともあった。


 それでも俺はこのプロジェクトから手を引かなかった。彼女とコミュニケーションをとり、塀の外へ引っ張り出す対話を続けた。


 先輩のしていることは無駄じゃない。そう確信していたからだ。


 俺も昔、同じことをしていたからわかる。


 どれだけ人が嫌いになっても。不思議なことに、寂しいという気持ちは消えない。


 自分のことを助けようとする人間がいる。気にかける人間がいる。


 それが無意味なはずなんてないんだ。


「一度だけなぎささんに尋ねたことがあるんです。

 正直、一人でいる方が好きかって」

「なんて答えたんだ?」

「何も答えませんでした」


 その時のなぎさの表情は印象に残っている。


 いつも冷ややかに言葉を返すなぎさが、目を伏せて唇を噛んでいた。


 忘れようと思っても忘れられない。


「——もしなぎささんに『もう来るな』ってはっきり言われてしまったら、その時は諦めます。

 だからもう少しだけ続けさせてください」


 そう言って頭を下げた。「頭を下げるのは、お前じゃないだろ」そうつっこんだ先輩の声は、普段通りに明るかった。




 それからまた二週間。俺はいつものリビングでなぎさと一対一の会話に臨んでいた。


「あなたも飽きないね」


 リビングに通された俺を、冷めた視線と言葉が迎えた。


(見た感じ、今日はちょっと機嫌悪そうだぞ。どうする? 梶本)


 なぎさだけに聞こえない絶妙な小声で先輩が囁く。それに倣った声で俺も返した。


(大丈夫、だと思います。冷たくされるのも慣れてきましたし)

(わかった。けど一人で処理できないような事態が起きればすぐに呼んでくれ)

(了解)


 小さく頷くと、先輩は早足で玄関を出て行った。


 何を話しているのか。そう聞かれる隙を排除するための迅速な行動だった。


 他に誰もいないリビングに二人きり。


 ソファの脇に上着をかけ、なぎさの正面に腰を下ろす。それに合わせるかのように、なぎさは座る位置をずらした。


「相変わらずつれないな」

「あなたに愛想を振ってどうするの」

「そう言うなよ。なぎささんみたいな娘がムスっとした顔してちゃ、もったいないぞ」

「私みたいなって?」


 ん……まあ言われ慣れているだろうし、別に不自然でもないだろ。


「美人ってこと」


 素直に言ってやると、なぎさはちらりと俺の表情に目を向けた。すると急に頬を染め、慌てて視線を逸らした。


「よく言われないか」

「い、言われない! ……お兄ちゃん以外には」


 やっぱり言われてた。


 俺もなぎさが綺麗だと思っているのは本当だ。惚れているわけじゃないが。


 照れるなぎさをちょっと微笑ましく見守っていた。そんな表情が癪に障ったのか、なぎさは口を尖らせた。


「どう思われたって、あなたに振る愛想なんてないから」

「なら誰に振る愛想ならある? 俺じゃ不足ならそいつを連れてこよう」

「嫌味なこと言うのね。私が誰も呼べないことなんか知ってるくせに」

「別にそんな風には言ってないだろ」

「同じことでしょ? どうせ私はひきこもり。好きなだけ馬鹿にしたらいいじゃない」


 この態度には少し、カチンときた。確かに俺は言葉が上手いほうじゃない。それでも気を使って話をするようには心がけている。


 そんな俺に対してなぎさはあまりに容赦がなさ過ぎた。


 自分が昔、同じような人間だったことはわかっている。それでも気分を害されることに変わりはなかった。


 理屈ではない。感情の問題というやつだろう。


「卑屈になる気持ちもわからないわけじゃない。けど少しは相手の顔色を見ることも覚えないか?」


 気がついたらそんな小言を口にしていた。そんな俺に


「あなたに『来て』と頼んだ覚えはないから」


 なぎさは吐き捨てるように言った。


 売り言葉に買い言葉だというのは、わかってた。子供の張った意地だともわかっていた。


 けれど。


「じゃあもう来ないほうがいいんだな」


 それでも歯止めがきかなかった。


 子供なのは俺も同じだったらしい。


「鬱陶しい。だからもう顔を見たくない、と。

 なぎささんはそう言ってるんだな?」


 畳み掛けるように言う。それも今まで見せたことのない剣幕で。


 そんな俺からなぎさは目を逸らし、言葉を詰まらせた。


「な、なにもそこまで言ってないじゃ……」

「じゃあどう思っているのか言ってみろよ。自分の口でさ」


 熱くなりすぎている。頭の片隅では自覚していた。ただ冷まそうとも思わなかった。


「文句しか言えないのか? その口は」

「っ!」


 なぎさの瞳が俺をキッと睨む。顔もうっすらと高潮していた。


 そうだ。言えよ。ぶつけてこいよ。


 ひとかけらの容赦もなく、俺も睨みを返した。なぎさの様子を見るに、怯えがなかったはずはない。ただ意地のほうが勝ったのだろう。彼女ははっきりと口にした。


「そうよ。鬱陶しいのよ」


 そして一気に叫ぶ。


「あんたのしていること全部、余計なお世話なのよ! 


 私は一人ぼっちなんて怖くない! この生き方を変えたいなんて思ってない!


 もう放っておいてよっ!」


 叫びが胸に突き刺さる。


 それで心が冷めて、目が覚めた。


「そうか。だったらもういい」


 脇から荷物を取り、ソファを立つ。


「先輩には悪いが、俺はもう知らない。ずっとそうしてろよ」


 捨て台詞を残してなぎさの脇を抜ける。肩を震わせる姿が横目に見えた。


「あんたなんか、あんたなんか……」


 壊れたテープみたいに繰り返すなぎさ。けどもはや知ったことじゃない。俺は無視して去ろうとした。先輩には後で事の次第を伝えて、謝ればいい。


 ため息を吐いてリビングの扉に手をかけた。そのときだった。


 ドサッ。と、背後で何かが落ちる音がした。


 別に音の正体が気になったわけではない。しかし人間の性質だろう。反射的に俺の視線は背後へと向けられた。


 そこには、ソファから床に落ち。


 うずくまりながら体を震わせるなぎさがいた。

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