第2話 つけない嘘(2/4)
リビングで待つこと数分。廊下からの物音に、俺は居ずまいを正した。
扉の向こうに人のいる気配。そこに先輩の妹、なぎさがいる。
かちゃりと、思いのほか扉は躊躇う様子もなく開かれた。
ぱっちり開いた二重と視線が重なった。
首元で束ねられたつやのある黒髪。長い睫。透き通るように白い肌。薄く整った唇。
先輩の妹。現・引きこもりの少女。
工藤なぎさがそこに立っていた。
「こんにちは」
「……」
無言。そして無表情。
見事なまでのノーリアクションで、なぎさは扉を閉めると、向かいのソファに腰を下ろした。
歓迎されちゃいないらしい。まあ予想済みだけど。
気にせずなぎさを観察する。しかし不謹慎なことに、俺が最初に抱いた印象。それは
この娘、相当の美人だよな
ということだった。
表情に愛嬌はないが、顔立ちそのものはむちゃくちゃ整っている。ひきこもりにも関わらず、健康的な細身だ。姿勢も悪くない。
何かしらのタレントだと紹介されたら信じてしまいそうな容貌だった。
そのタレントがジャージ姿でさえなければ、だけど。
部屋着にしてももうちょっと、こう……あるだろう。首から上と下のギャップがとにかくすさまじい。
目を疑いたくなる美少女。いろんな意味で、工藤なぎさはそんな少女だった。
「ねえ、あなた」
唐突に発せられた、抑揚のない声。
心を見透かしたかのような声に、俺は動揺を押し殺して向き合った。
「あなた、専門家の人?」
どうやら俺の情報は兄から伝えられてはいないらしい。
いや俺は……。言葉は喉まで出かかっていたが、そこで先輩の言葉が脳裏を過ぎった。
『なぎさには、嘘が一切通じない』
——。あれ本当かよ。
少しばかりの好奇心、つまりは邪悪ないたずら心が胸に芽生えた。
試してみるか。そう思って俺は首を縦に振ってみた。
「まあ、そんなとこだ」
するとなぎさ。俺の表情からつま先までじろじろと見回し、小首を傾げた。
「嘘。しかもばれると知ってて嘘をついてる。
あなた、何者?」
返ってきたのは射抜くような視線。そして迷いのない断言だった。
なぎさに嘘は通じない。
背筋が冷たくなるのを感じた。
会ったその瞬間に、腹の底を覗かれた感覚。一方的に秘密を見透かされる感覚。
それは今までに体感したことのない恐怖だった。
なぎさが瞬きもせずこちらを見ている。俺は手から噴き出した汗を、制服のすそで拭った。
「……元、引きこもりだよ。言ってみれば専門家みたいなもんだ」
やっとのことで口にした。たった一言で、口の中が一気に乾いた気がした。
嘘を見抜く体質。それがどういう原理なのかはわからない。
しかし実際に、なぎさは俺の嘘を言い当てた。それは事実なのだ。
信じられないが、今は信じるしかない。
「今は祐介先輩と同じサッカー部に所属してる。俺はマネージャーだけどね。
つまりお兄さんの後輩だ」
「なにしに来たの?」
あえて避けた説明を、間髪も入れずにつっこんでくるなぎさ。
本来ならどうとでも答えられる質問だ。
『先輩と遊ぶつもりで来た。用事が済むまでここで待つようにいわれている』とでも言えばいい。
でも。
目の前の人間にはそれが通じない。
誤魔化しも。隠し事も全て。
思った以上に厄介だ。嘘の通じない相手ってのは。
今、それをようやく理解した。
「もうわかってるみたいだけど、お兄さんに頼まれて来たんだ。
引きこもりの先輩として。君の話を聞きにね」
俺は馬鹿みたいに本当のことを喋った。それ以外にどうしようもないのだから。
そんな俺を見ながら、なぎさは冷ややかに笑った。
「バカにしているの?」
「そのつもりはない。多分、先輩にも」
「帰って」
なぎさがソファを立った。俺が何者かはっきりした今、もうこの場を閉めたくてしょうがない様子だ。
だが先輩の頼みでここに来ている以上、はいそうですかと引き下がるわけにもいかない。
「俺は先輩が帰るまで、ここで待つように言われた。それに」
目をそらされている。
それでも俺はなぎさに向き合って話した。
「それに君も、先輩が帰るまで客の相手をするよう言われている」
なぎさの表情が曇った。嫌そうな顔だ。
けれど反論はせず、再びソファに腰を下ろした。説得は通用したらしい。
「あなたの相手をしろとは言われた。でも話したいことなんてなにもない」
「そう言うなよ。タピオカの話でもしようぜ」
「興味ない」
淡白にボケてみたが、より淡白な態度で潰された。
まあそれで和むと思ってたわけじゃないしいいけど。
「じゃあ俺の話したいことを勝手に話すよ」
まだ初対面なんだ。場が保てば充分だろう。
それから俺はとりとめのない話をした。その間、なぎさから相槌のひとつも返されることはなかった。
まるで一人語りをしているような。独り相撲をしているような感覚だ。
冷たいようだが、当然の反応だろうと思う。
彼女からすれば俺は事情もよく知らない他人。やってるのはいらないお節介だ。鬱陶しいに決まってる。
だから彼女の態度に苛立ちを覚えることはなかった。
ただ少しだけ。まるで過去の自分を前にしているようで、胸の締め付けられる思いをした。
——なぎさは俺の話を無視しながらも、その場を離れることはなかった。
しかし話に区切りがついたのを見計らうと、ポケットからスマホを取り出した。
俺からの視線を尻目に、電話を耳に当てる。数分の沈黙が流れた。
しばらくして、彼女は小さく舌打ちをしてスマホをしまった。
おそらく電話の相手は先輩だな。用件は早く帰ってこいとかそのあたりだろう。
でも残念。先輩は俺が帰るまで、なぎさからの電話に出ることはない。この辺は事前の打ち合わせどおりだ。
「スマホ持ってるんだな」
俺が言うと「しらじらしい」とあしらわれた。知らないフリもきっちり見抜けるようだ。
「連絡手段を持っているのがおかしい? ひきこもりの私が」
自嘲気味に話すなぎさに、俺は首を横に振った。
「別におかしくなんてないだろ。内線代わりに使えて便利だよな。部屋にメシ持ってきてもらうときとかさ」
「……」
俺の引きこもりあるあるに、なぎさは目をそらした。
ちょっと心当たりがあるらしい。
「気に障ったのなら謝るよ。
けど悪気があったわけじゃないんだ。ケンカを売ったつもりもない」
「そう」
なぎさは相変わらず素っ気なかった。だがかまうことなく続ける。
「ただちょっと羨ましいと思った」
昔の記憶をなぞりながら喋る。
それがこの日はじめて。なぎさの前ではじめて口にした、俺の本当の気持ちだった。
「引きこもっていた頃の俺には、助けを求められる相手なんていなかった。家の人間はみんな、学校に行かなくなった俺のことなんて気にもかけなかったからな。
血のつながった家族さえ信じられなくて、俺はずっと独りぼっちだった。
でも君には祐介先輩がいる。本気で心配してくれる家族が一人でもいる。それってすごく心強いことだと思うよ」
言葉が終わったとき、ポケットの中でスマホが震えた。
先輩が戻る合図。今日のミッションもひとまず終わりが近いらしい。
柄にもなく喋りすぎてしまった。それも本音ばかりを。
小さくため息をついて、俺はソファを立った。そのときだ。
「別に私は、自分が恵まれているかどうかなんて、全然どうでもいい。あなたの価値観なんか知らない」
なぎさの口から出たのは相変わらずの言葉だった。それでもはじめて、彼女は俺の語りに応えてくれた。
チャンスかもしれないと思った。
脈があるとは思えない。けど、やるなら今しかない。
俺はメモ帳を一ページ破り、ペンを走らせた。
「何これ」
差し出されたメモに視線を送るよりも先に、俺を見上げてくるなぎさ。
視線が重なる。俺の真意を探るかのように。
「連絡先。せっかく会ったからさ」
妹と喋ってみてくれ。少しでもたくさん。先輩は俺にそう頼んだ。
だから、と言えばそれは言い訳だと思う。
けどなぎさは一応クラスメイトであり、数少ない引きこもり仲間だ。そのくらいはしたっていいだろう。
なぎさは黙って手を伸ばすと、俺からメモを受け取った。そして。
その場で紙切れを細切れにした。それはもう粉みじんになるまで。
……。まあ、そうなるよな。
軽く頭を掻いて、俺はリビングを立ち去った。そして玄関口を出る。
打ち合わせどおり、出先から戻った先輩がそこに待っていた。
「どうだった? 首尾のほどは」
先輩は苦い笑顔で俺に訊いた。大方は表情から察してくれているらしい。
「はい。予想通り、ほとんど相手にされませんでした」
答えると先輩は「最初だからな」とフォローを入れてくれた。
「連絡先もきっちり破り捨てられましたよ」
「それも予定通りじゃないか」
「はい。ただ一応、俺の話を聞いてはくれていたみたいです。
そっぽ向きながら、ですけど」
そう報告したとき、先輩は少しだけ目を見開いた。そして。
「それは予定通りじゃないな。でも期待以上じゃないか」
俺の肩を叩いて、ニッ、と笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます